フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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アルジェリア=モロッコ国境での戦闘

1907年11月27日(水)~30日(土)

f0028703_1719029.jpg11月27日アルジェリアのわが国境警備隊の基地の一つ、バブ=エル=アサー(Bab el Asah)がモロッコの数千人の部族兵によって攻撃された。メール=セビユ中尉(Maire-Sebille)の指揮下にあった兵士たちはよく防戦したが、拠点から退却せざるを得なくなった。援軍が急派され、わが軍は反攻に転じることができた。激しい戦闘の後、モロッコ人たちは基地から掃討され、国境の彼方へ押し戻された。不幸にもわが軍はこの戦闘で勇敢なサン=ティレール中尉(Saint-Hilaire)(画像→)をはじめ12名の戦死者を出した。
f0028703_17192478.jpg政府はリョーテイ将軍(Lyautey)にわが領土の防衛体制構築のために全権を与え、必要とあらば国境を越えてまで戦闘を続けるように指示した。
この叛乱の動きはベニ=スナッセン(Beni Snassen)の地域一帯に広がり、わが最大の敵シ=モクタル=ウィド導師(Si Moktar Ouïd)が「聖戦」(ジハード, Djahad)を唱えている。

11月30日にはマナセブ=キス(Manaceb Kiss)で戦闘が起き、第3狙撃部隊のベレダ大尉が瀕死の重傷を負っている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.36; Jan. 1908

*参考画像Reférence d’image : © Le Petit Journal, supplément illustré; du 15 Déc. 1907
Mort héroïque d' un officier de Spahis : Le lieutenant Roze, chargeant à la tête de son peloton, tombe frappé par les balles marocaines
http://pagesperso-orange.fr/cen.tans/pj1907/pj89115121907b.jpg
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by utsushihara | 2007-11-30 17:16 | モロッコ問題、アフリカ1907-08

硫酸魔の女(ベルエポック事件簿)

1907年11月30日(土)

嫉妬ゆえの犯罪が昨日起こった。午後2時半、パリ17区マルゼルブ大通りとジュフロワ街との角の辺りである。クリシー市のシャンス=ミリー街に住む若い人妻ドラリュエル夫人(24歳)は弁当を届けていた恋人の郵便車運転手ユベール・ラヴィジに対し、発作的に硫酸の入った小瓶の中身を頭から浴びせた。
劇薬は首筋にかかったのですぐにボージョン病院に運び込まれたが、やけどの程度は軽く、すぐに退院することができた。ドラリュエル夫人は嫉妬に駆られての犯行であったことを認めたため、拘置所に送致された。

出典Crédit:©BNF-Gallica #287914 « Le Figaro » le 23 Nov. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
原題:Une vitrioleuse
ヴィトリヨル(vitriol)は硫酸。人称形のvitrioleur(女:vitorioleuse)は、人の顔などに硫酸をかけて危害を加える通り魔を指す。クリシー(Clichy)もパリに隣接する市町村の一つで、北北西のクリシー門(Porte de Clichy)の外側にある。

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by utsushihara | 2007-11-30 14:54 | ★ベルエポック事件簿1908

飛行船「祖国」号の消失

f0028703_15241824.jpg1907年11月29日(金)

フランスの誇る有名な飛行船「祖国」号が失われた。「祖国」号は11月23日にパリからヴェルダンまで一気に素晴らしい飛行を達成してから、29日にヴェルダンからその周辺を回遊するために出発した。しかしモーターが故障して停止したため、スーエメに緊急着陸せざるを得なくなった。ヴェルダンまで曳航しようと検討している最中に嵐が激しくなり、艫綱を引いていた200人の兵士の手からもぎ取るように煽られて舞い上がり、西の方角に吹き飛ばされて去ってしまった。「祖国」号はフランスを横切り、英仏海峡を渡り、英国とアイルランド上空を通過した。上掲(↑)の写真はベルファストの上空で撮られたものである。その近郊で地面に接触し、プロペラ部分が脱落した後、再び舞い上がり北海の彼方へと消えて行った。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.36; Jan. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #287916 « Le Figaro » le 24 Nov. 1907
出典Crédit:©BNF-Gallica #287923 « Le Figaro » le 1er Déc. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
飛行船「祖国」号(La Patrie)はちょうど一年前に完成した。その時の蛇足記事に:
> なおこの飛行船の無念な最後については、一年後に語ることになるだろう。
という予言的な言い方をしていたが、すっかり忘れていた。上記の事故に際しては緊急着陸で搭乗者は全員降りていて、人命に関する被害が皆無だったのが不幸中の幸いだった。

その数日前の「フィガロ」では11月23日の「祖国」号の記録的な飛行を声高らかに賞賛していた。パリのシャレ=ムードン(Chalais-Meudon)からヴェルダン(Verdun)まで6時間45分で一気に飛行したのである。朝8時45分に出発して、午後3時30分の到着である。
「(・・・)待ち構えた群集の間に愛国熱の身震いが走った。飛行船はすごい速さでやって来た。プロペラの唸りが聞こえた。吊り籠の中に乗っている人の顔が見えた。舵を切ると飛行船は大きな素晴らしいカーヴを描いた。あたかも住まいの周囲を確かめるように係留地点の周りを回った。歓声がわきおこった。『祖国号万歳!フランス万歳!』(Vive la Patrie ! Vive la France ! )それは忘れられない一瞬だった。女たちはハンカチを振り、男たちは帽子を脱いだ。(・・・)」

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)飛行船「祖国」号の完成(1906.11.16)
(2)ロンシャン競馬場での観兵式(1907.07.14)

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by utsushihara | 2007-11-29 15:20 | 科学、軍事、海事1907-08

コルネイユ時代そのままの「ル・シッド」上演

f0028703_2291721.jpg1907年11月28日(木)

また一つアンドレ・アントワーヌ氏による興味深い舞台の再現が行なわれた。舞台の上には侯爵たちが立ち交じり、身ぶりからしてもその劇に加わっているように見える。ロウソクの芯切り係は幕間を利用して灯明の芯を切って舞台の明るさを取り戻す。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.36; Jan. 1908

*「フィガロ」11月26日付の記事から:
数日前にすでにお知らせしたように、オデオン座での来たる木曜日のマチネはとりわけ面白いものになるだろう。アンドレ・アントワーヌ氏はコルネイユの傑作「ル・シッド」(Le Cid)を1636年12月に上演されたときそのままの舞台を完全に再現しようとしている。これはベルナルダン教授の考証にもとづいている。昨日我々はアントワーヌ氏にその企図をたずねてみた:
「私はできるだけ正確に再現したかったのです。それほど簡単なことではありません。ブルゴーニュ座に関してはかなり多くの情報がありますが、気の毒なマレ劇場についてはほとんど残っていません。このマレ劇場こそ初めて『ル・シッド』が演じられた栄誉ある場所だったのです。ベルナルダン教授の学識のおかげで、長期にわたる探究の成果をこの上演に活用させてもらえました。演劇を愛するすべての人々を魅了することだろうと期待しています。作品はロウソクの明かりの下で演じられ、当時は観客が役者たちの邪魔になるくらいに舞台の中に入り込んできました。(…)オデオン座の全員はルイ13世時代の衣装を着けます。ロウソクの芯切り係もいます。イベルスは我々の舞台装置に独自の色合いについて必要な指示を与えてくれました。うちの俳優たちはわずかな役柄でもすすんで受け入れてくれました。ヒロインのシメーヌ役は、コンセルヴァトワールの演劇コンクールの悲劇部門で1等賞のリュドジェ嬢で、その中で満足すべきデビュを飾ることでしょう。」
出典Crédit:©BNF-Gallica #287918 « Le Figaro » le 26 Nov. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
オテル・ド・ブルゴーニュ(Hôtel de Bourgogne)は、マレ劇場(Théâtre du Marais)とともにコメディ・フランセーズ(Comédie Française)の成立する1680年以前に活動していた演劇集団の主要な拠点であった。エドモン・ロスタンの名作「シラノ・ド・ベルジュラック」(Cyrano de Bergerac)の第1幕「ブルゴーニュ座における芝居」(Une représentation à l'hôtel de Bourgogne)も1640年に時間の設定をしており、上記の再現場面を彷彿とさせる。ドバルデュー主演の映画「シラノ」の場面を思い出しても納得できる。

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by utsushihara | 2007-11-28 22:05 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ラヴラン博士にノーベル賞

f0028703_1620429.jpg1907年11月27日(水)

ストックホルムからの電報によれば、今年のノーベル賞の医学部門と生理学部門でわが国のラヴラン博士が受賞することが決まった。博士はマラリア病研究の権威として知られる。賞金は約20万フランにのぼる。
ラヴラン博士はかつて軍医として1897年まで勤め、医学アカデミーと科学アカデミーの会員となっている。氏がパスツール研究所で行なった研究によって「眠り病」の媒介となるトリパノゾーマが発見された。わが国の最も偉大な学者の一人に数えられている。

出典Crédit:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.36; Jan. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #287919 « Le Figaro » le 27 Nov. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
アルフォンス・ラヴラン(Alphonse Laveran, 1845-1922)はパリ生まれだが、父親が軍医だったため幼時をアルジェリアで過ごした。パリでリセを終えてから医学の道に進み、軍医としてアルジェリアに勤務していたときにマラリア病患者の血液中に住む原虫(エマトゾエール hématozoaire)を発見し、病気の治療に大きな功績を上げた。

*参考サイト:L’Institut Pasteur – Service des Archives; Repères chronologiques d’ Alphonse Laveran(仏語)

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by utsushihara | 2007-11-27 16:19 | 科学、軍事、海事1907-08

ポルト・マイヨ広場にルヴァッソールの記念碑完成

f0028703_17102012.jpg1907年11月26日(火)

11月26日午前11時、ポルト・マイヨ広場でエミール・ルヴァッソールの記念碑の落成式が行なわれた。彼は1895年に開催された第1回パリ~ボルドー往復自動車レースの優勝者であった。招待状はフランス自動車クラブ(ACF)の委員会から発送されている。

出典Crédit:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.36; Jan. 1908
出典Crédit:BNF-Gallica #287918 « Le Figaro » le 26 Nov. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
エミール・ルヴァッソール(Émile Levassor, 1843-1897)は自動車製造技師であるとともに、自ら運転してレースに参加した。早くから仲間のルネ・パナール(René Panhard, 1841-1908)とともに自動車製造に心血を注ぎ、「パナール・エ・ルヴァッソール」(Panhard et Levassor)の商標で売り出した。この頃フランス自動車クラブ(ACF = l’Automobile-Club de France)が発足し、自動車利用の促進を図る上でイベントとして「パリ~ボルドー往復自動車レース」(La course Paris-Bordeaux-Paris)を開催することとなり、彼自身「パナール&ルヴァッソール」車に乗り込んでレースに参加した。往復ぶっ通しの運転で48時間48分の記録で彼は優勝した。しかしながら参加車両要件の4席の車でなかったとして失格となり、3万1千フランの賞金はもらえなかった。その後も彼は製造のかたわら自動車レースに参加した。翌年1896年のパリ~マルセイユ自動車レースではコース上に出てきた犬を避けようとして大怪我をし、それがもとで54歳で世を去った。
彼の英雄的な行動を讃えるため、ACFで記念碑を建立することとし、彫刻家のダルー(Aimé-Jules Dalou, 1838-1902)に依頼した。ダルーは途中で死去し、弟子のカミーユ・ルフェーヴル(Camille Lefebvre)が完成させた。上掲の画像は不鮮明だが、Insecula のサイトではルヴァッソールの気迫のこもった運転の様子が浮彫に表現されている。場所はポルト・マイヨ広場の南端のビュイ提督大通り(boulevard de l'Amiral Buix)に沿ったところである。

余談だが、このパリ~ボルドー往復レースのときに初めて、プジョー車にアンドレ・ミシュラン(André Michelin)が空気を膨らませたゴム・タイヤを使用したという。それまでは車輪は鉄製か硬いゴム製であった。

*参考サイト:
(1)Insecula(仏語)Monument à Levassor
(2)Wikipedia(仏語)Émile Levassor
(3)Automag.be; Paris, Porte Maillot(仏語)

**これまでの関連記事france100.exblog:新聞協会杯自動車レース(1907.08.06)

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by utsushihara | 2007-11-26 17:08 | スポーツ、乗物、探検1907-08

エタンプで急行列車強盗事件

f0028703_19385839.jpg1907年11月22日(金)

11月22日未明、エタンプとエトルシー間を走行中のオルレアン鉄道会社の急行列車が3人組の強盗に襲われ、会社の売上金が盗まれた。彼らは2人の乗務員に傷を負わせ、1万フランを奪って逃走した。

*「フィガロ」11月23日付の記事から:
(・・・)今回の強盗たちは術策を立てずに、手に拳銃を持って荷物車を襲った。この列車はリモージュ発パリ行きの第16列車(Train 16)で午前4時24分にオルセー駅到着予定であった。
事件が起きたのは午前3時23分、列車がエタンプ(Etampes)の駅を出てまもなくのことで、あとはパリまで全速力で走り出そうという矢先であった。鍵がかけられた荷物車の戸が乱暴に開き、2人の男が現れた。車内にいた2人の乗務員、つまり車掌長のタルディールと車掌のフェリーヌは彼らを追い払おうと駆け寄ったが、強盗たちは彼らに向かって発砲し、傷を負わせた。警報が鳴り、列車が急停車し、乗客が駆けつけると、強盗たちはいくつかの売上箱を奪って逃走した。売上箱(boîtes de recettes)は一定の日付で地方の駅の売上金をパリに運ぶことになっていた。
以下が車掌長のタルディールがパリ・オルセー駅に到着後、駅特別警視のオリーヴ氏に供述した内容である:
「私の名はジャン・タルディール(Jean Taldir)、48歳、オルレアン鉄道会社の車掌長で、住所はセルパント街34番地です。私は昨夜9時34分、リモージュ駅から第16列車に乗務しました。3両目の荷物車で、荷物や郵便物、貴重品などが入っています。午前4時頃、エタンプとエトルシーの間を列車が時速60~70kmで走っているところ、通路右側の鍵のかかっていた扉が乱暴に開いて2人の男が車内に踏み込んできました。私は仲間のフェリーヌと一緒にいて、そのときは郵便物と貴重品の区分けをしていました。この乱入者を見るや、私はすぐ奴らを取り押さえようと向かいました。前にいた男が私を殴ろうとしたので、奴のみぞおちに蹴りを入れました。銃声が2発鳴りました。私は右の二の腕に激痛を感じて、余りの痛さで奴から手を離し、引き返して緊急警報を鳴らしました。列車はエタンプから約5kmのところで止まりました。
奴らは開いた扉からいくつかの売上箱を外に放り投げ、列車から飛び降りて逃げました。追いかけることは出来ませんでした。」
もう一人の乗務員アタル・フェリーヌ(Atale Féline)、31歳、車掌、住所、アルベール街60番地の供述。「(中略)傷を負っても私は非常ブレーキのレバーを引きました。これは列車にブレーキをかけるとともに非常警報を鳴らします。列車は止まりました。強盗たちは逃げ出しました。3人いるのが見えました。旅行客たちが追いかけて行きましたが、彼らは線路脇の森に消えてしまいました。」(・・・)

出典Crédit:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.36; Jan. 1908
出典Crédit:BNF-Gallica #287914 « Le Figaro » le 23 Nov. 1907
画像Crédit d’image : © Le Petit Journal, supplément illustré; du 8 Déc. 1907
Les dévaliseurs de trains; L'attaque du rapide de Toulouse entre Etampes et Etrechy (Seine-et-Oise). Novembre 1907

[ Ψ 蛇足 ]
乗務員は2名とも軽傷で病院での応急手当のあとパリの自宅に帰った。車外に投げられた箱は8個だが、犯人は5個しか持ち運べず、3個が残されていた。中身は売上金で平均1万フラン入っており、被害は5万フランと想定される。この列車には「売上箱」68個を運んでいた。警視総監アマール(Hamard)氏は直ちに捜査を開始し、エタンプ(Etampes)の警察でも現場の鑑識を始めている。

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by utsushihara | 2007-11-23 19:37 | フランス政治社会1907-08

豪華列車窃盗団の首領逮捕(ベルエポック事件簿)

1907年11月23日(土)

南仏トゥーロン警察のセビル氏の部下のシエニフスキ警部は、豪華列車内で大胆不敵なスリを捕まえた。この男はピエール・イソーティエ、52歳で、ビアリッツやコート・ダジュールに旅行する富裕層ばかりを狙って犯行を繰り返す窃盗団の首領だった。彼の衣装は各地で作られた上質で上品なものばかりで固められていた。警察は彼の仲間たちを鋭意捜索している。

出典Crédit:©BNF-Gallica #287914 « Le Figaro » le 23 Nov. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
se faire une spécialité de l’exploitation des riches voyageur = 金持ちの旅客を餌食にするのを得意とする
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by utsushihara | 2007-11-23 11:04 | ★ベルエポック事件簿1908

36の名前を持つ下女(ベルエポック事件簿=フィガロ三面記事から)

1907年11月22日(金)

パリ警視庁は昨日、19区ナント街に住む31歳の女、ジャンヌ・ドートルーを逮捕した。彼女に対しては数多くの嫌疑が寄せられている。この女はそのときに応じて名前を使い分けて下女として家に入り、数日後に金銭や宝石その他を持って失踪することを繰り返していた。彼女のところには、ボワロー、マルドン、スガン、バルドゥなどの偽の身元保証書が見つかった。ジャンヌ・ドートルーにはすでに同じ罪状で禁固5年の前科があり、拘置所に収監された。

出典Crédit:BNF-Gallica #287913 « Le Figaro » le 22 Nov. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
見出しは「36の名前を持つ下女」(La bonne aux trente-six noms)だが、偽の保証書が36通あった訳ではないと思う。36(trente-six)も数値のほか、慣用表現で「多数の」「山ほどの」という意味で使われる。
Avoir trente-six raisons de +inf ~する理由は山ほどある
Il n’y a pas trente-six façons de le faire. そのやり方はそれほど多くない。

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by utsushihara | 2007-11-22 18:50 | ★ベルエポック事件簿1908

グルックの歌劇「オルフェオ」の上演

f0028703_18314682.jpg1907年11月22日(金)

右掲は(→)ゲテ=リリック座で上演されたグルックの歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」の第3幕の一場面である。支配人のイゾラ兄弟(Isola)は、賞賛すべき演劇美術とすぐれた演奏によってこのグルックの傑作を舞台に乗せ、成功している。出演は、マリー・デルナ女史、ヴァランドリ嬢、ドリジェ、ド・ヴァレイユ、指揮はアマルー氏である。

出典Crédit:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.36; Jan. 1908
出典Crédit avec illustration:BNF-Gallica #287907-922 « Le Figaro » 23-30 Nov. 1907

f0028703_18312953.jpg[ Ψ 蛇足 ]
ゲテ=リリック座(Théâtre Lyrique de la Gaîté)はパリで本格的なオペラ上演できる3番目の劇場(もちろんオペラ座、オペラ=コミック座に次いで)をめざしてイゾラ兄弟が努力してこの年開幕した。最初に既掲の「従軍商の女将」(La Vivandière)で大きな人気を呼んだところで、この「オルフェオとエウリディーチェ」(Orphée et Eurydice)が2本目になる。(←)左掲はフィガロのイラストだが、素晴らしい声のマリー・デルナ(Marie Delna)がそれらしく描かれていてほほえましい。音楽は聴覚であって視覚ではない、という時代である。

**これまでの関連記事france100.exblog:ゲテ座の「従軍商の女将」(ラ・ヴィヴァンディエール)(1907.10) マリー・デルナの復帰

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by utsushihara | 2007-11-22 18:30 | オペラ、音楽、演劇1907-08