フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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コメディ=フランセーズの「愛は眠らずに」の大成功

f0028703_18433556.jpg1907年9月30日(月)

ガストン・ド・カイヤヴェ氏とロベール・ド・フレー氏の共作による「愛は眠らずに」(L’Amour veille)はコメディ=フランセーズ座で9月30日に上演されたが、その前日の総練習においても大喝采を博し、各紙の批評家もこぞって賞賛した。男優陣はベール、グランド、コクラン=カデ、ニュマの各氏で、女優陣はルコント、ララ、ピエルソンに加えて先般コンセルヴァトワールの演劇コンクールで優勝したプロヴォスト嬢が出演している。彼女はルロワールの弟子で、魅力あふれる可愛らしい女を演じている。

出典:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.34; Nov. 1907
画像 Crédit d’image : ©CMN: Archives photographiques (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture)

[ Ψ 蛇足 ]
これもまた当時最高の人気作家コンビのカイヤヴェ&フレーによる新作劇である。写真はこの劇に出た時の新人女優ジャンヌ・プロヴォスト(Jeanne Provost)である。

**これまでの関連記事france100.exblog:ヴァリエテ座の「ミケットとその母親」(1906.11.02) カイヤヴェ&フレー
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by utsushihara | 2007-09-30 18:42 | オペラ、音楽、演劇1907-08

南フランスの大洪水

f0028703_17523441.jpg1907年9月30日(月)

このような大災害は1875年以来のことである。南仏エロー県(Hérault)を流れる3つの河川、エロー(Hérault)、リブロン(Libron)、オルブ(Orb)の急激な増水によってその流域全体が水に浸かり、損害を受けた。美しい葡萄畑が広がるベジエ(Béziers)からアグド(Agde)、ベッサン(Bessan)、ペゼナス(Pézenas)、ポーラン(Paulhan)のすべての土地は冠水した。特にエロー川の流れが2つに分かれるアグドの町は被害が大きく、数多くの家々が流失した。耕作地の3分の1は失なわれ、水害に遭った葡萄栽培者たちは第2工兵隊と第96歩兵部隊によって救出された。被害は南仏の3県、エロー、ガール(Gard)、ブーシュ=デュ=ローヌ(Bouche-du-Rhône)に及んでいる。ファリエール大統領は地元のルーピヨンに赴く前にこれらの被災地を車でまわり、救援の手を約束している。

出典:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.34; Nov. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
この地域はこの年の5月~7月に葡萄栽培農家の激しい抗議行動が起こったばかりであった。上の画像は被災地の工場を見舞いに訪れたファリエール大統領である。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)第17歩兵部隊の反乱(1907.06.20) アグド駐屯部隊
(2)南仏ブドウ栽培農家の危機(1907.05.12)

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by utsushihara | 2007-09-29 17:49 | フランス政治社会1907-08

メダンの文豪ゾラの館のその後

f0028703_23435848.jpg1907年9月28日(土)

メダンにあった文豪エミール・ゾラの館は、未亡人によって民生事業に供与され、9月28日メジュルール氏の主宰により施設の開所式が行なわれた。これにはゾラの親族や文豪と親交のあった友人知人たちが多数出席した。掲載の写真では庭の中央に大きな胸像が見える。
 
出典:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.34; Nov. 1907
画像 Crédit d’image : © Glasgow Art Gallery & Museum
Paul Cézanne : Château de Medan, Maison de Zola; 1879-81

[ Ψ 蛇足 ]
ギュスターヴ・メジュルール(Gustave Mesureur, 1847-1925)は左派の代議士だったが、1902年以降は民生事業局の長官(Directeur de l’Assistance Publique)をつとめていた。
f0028703_23443432.jpg上記の記事にある大きな胸像についてはまず不鮮明で、他でもほとんど言及されたものはないが、唯一、下記(↓)のA&Aのサイトで彫刻が参照できた。作者は以前紹介したこともある作家アンドレ・ジィドの友人でベートーヴェン像を作ったジョゼ・ド・シャルモワである。
メダンのゾラの館は現在は記念館として一般公開されている。右掲(→)の同郷人セザンヌによる「メダンの館・ゾラの家」(Château de Medan, Maison de Zola)グラスゴー美術館蔵が有名である。

*参考サイト:
(1)Wikipedia(英文) Gustave Mesureur
(2)A&A art and architecture; Conway Collections; Bust of Emile Zola, Medan, Yvelines, France. par José de Charmoy

**これまでの関連記事france100.exblog:シャルモワのベートーヴェン像(1907.01) 彫刻家ジョゼ・ド・シャルモワ(José de Charmoy, 1879-1919)

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by utsushihara | 2007-09-28 23:42 | 文芸、評論1907-08

新進指揮者ピエール・モントゥー

f0028703_23541652.jpg1907年9月

コンセール・コロンヌ管弦楽団の副指揮者をつとめるピエール・モントゥー氏は、ムジカ誌主催の「先進音楽コンサート」の管弦楽団を指揮している。このコンサートはフェミナ劇場で毎月1回開かれ、1908年6月まで続けられる。

出典:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.34; Nov. 1907
画像 Crédit d’image : © tahra.com

[ Ψ 蛇足 ]
f0028703_23543390.jpg往年の名指揮者の一人ピエール・モントゥー(Pierre Monteux, 1875-1964)が本格的な指揮者としての活動を始めた32歳の頃の記事である。「先進音楽コンサート」(Concerts d’Avant-Garde)は、直訳すれば「前衛音楽コンサート」のほうが良さそうだが、「アヴァン=ギャルド」の言葉のイメージは調性を超越した現代音楽に結びついてしまうので、せいぜいドビュッシー、ラヴェルの時代ならば「先進音楽」ぐらいが適当ではないかと思った。
往年のモントゥーのLP盤で記憶に残っているのは、やはりベルリオーズの「幻想交響曲」である。

*参考サイト:Wikipedia(英文) Pierre Monteux

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by utsushihara | 2007-09-26 23:53 | オペラ、音楽、演劇1907-08

オデオン座は「孔雀の羽」で開幕

f0028703_2346294.jpg1907年9月

「離婚のおどろき」や「ボンビニャックの代議士」などヴォードヴィル演劇に豊富な作品を生み出してきたアレクサンドル・ビッソン氏は、ベール・ド・テュリク氏との共作で愉快なドタバタ喜劇「孔雀の羽」をオデオン座のシーズン幕開けの作品として上演した。
出演はデュメニ、カルメット両氏、シルヴィ、バルジャック、ファベール諸嬢であり、評判は好意的である。

出典:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.34; Nov. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
アレクサンドル・ビッソン(Alexandre Bisson, 1848-1912)はノルマンディ地方のオルヌ県出身。21歳でパリに出て、文部省に入り文書課に勤務したが、文学や演劇の世界に引かれ、退職した。ヴォードヴィル劇、演劇、オペレッタで次々と作品を出し、言葉の機転やとりわけ状況設定の巧みさで声価を高めた。代表作に上掲の「離婚のおどろき」(Les Surprises du divorce, 1888)や「ボンビニャックの代議士」(Député de Bombignac, 1884)、「女子高校」(Un Lycée de jeunes filles, 1881)、「孔雀の羽」(Plumes du paon, 1907)などがあるが、パリの批評家たちがこぞってその劇の土台と構成の見事さを称えたほどであった。残念ながら、その後時代の波に埋没してしまっている。
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by utsushihara | 2007-09-24 23:45 | オペラ、音楽、演劇1907-08

サン=ナゼール新港の開港と客船「赤毛のシャルル」号

f0028703_15524599.jpg1907年9月23日(月)

ロワール川の河口に位置するサン=ナゼールの新港の開港式が9月23日に行なわれ、3人の大臣すなわち、海事相トムソン氏、建設相バルトゥ氏、文相ブリアン氏がそろって式典に臨んだ。
同時に客船「シャルル=ルー」号の進水式が行なわれた。この船の名前には大西洋横断汽船会社の社長の苗字がつけられている。

出典:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.34; Nov. 1907
画像 Crédit d’image : © French Lines; Paquebot Charles-Roux
http://www.frenchlines.com/ship_fr_95.php
http://www.frenchlines.com/

f0028703_15525965.jpg[ Ψ 蛇足 ]
サン=ナゼール(Saint-Nazaire)はブルターニュ半島の南の付根、ロワール川が大西洋に注ぐ河口に位置する。
大西洋横断汽船会社(Compagnie Générale Transatlantique)の客船「シャルル=ルー」号(Charles-Roux)は直訳すれば「赤毛のシャルル」となるが、元来固有名詞でこの船会社の社長ジュール・シャルル=ルー(Jules Charles-Roux, 1841-1918)からつけたという。就航は1909年で、全長116m、1万馬力である。

*参考サイト:French Lines : Le Journal « l’Atlantique »

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by utsushihara | 2007-09-23 15:55 | 科学、軍事、海事1907-08

飛行船「パリ市」号の運航

f0028703_14405939.jpg1907年9月

左掲(←)は飛行船「パリ市」(Ville de Paris)号の技師カプフェレ(Kapferer)氏である。氏はこの新しい飛行船の操縦桿を握り、パリおよびパリ郊外上空の数多くの遊覧飛行を行なっている。

出典:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.34; Nov. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
この月の号には別頁に「空から見た都市」(Les villes vues du ciel, par François Peyrey)と題した記事が掲載されている。その主旨は、近頃は何でもかんでも「飛行船」(Dirigeable)や「飛行機」(Aéroplane)ばかりが騒がれており、その先祖たる「気球」(Ballon sphérique)が忘れ去られようとしている。「飛行船」はデリケートな乗り物で、操縦が難しく、事故も多い。気球はその点簡便で、飛行船が到達できない高度まで上昇できる。ということで、気球飛行の魅力、特にその高さから見下ろせる都市の景観を語っている。
f0028703_14412896.jpg右掲(→)はその記事中の写真の一枚で、高度350mから見たトロカデロ広場付近である。説明では「…その周辺の大きな通りはカリバー旅行記の小人国リリパットの町 (une ville Lilliputienne)の通りにしか思えない。」とある。21世紀現在のシャイヨー宮の両翼の中心部に今は取り壊されたトロカデロ宮(Palais du Trocadéro) が見えるのが興味深い。

*参考サイト:Les Vieilles Tiges d’Hier et de Demain; Henry Kapferer(仏語)アンリ・カプフェレ(Henry Kapferer, 1870-1958)の略伝
**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)飛行船「パリ市」の初飛行(1906.10.17)
(2)カルーソの友情出演(1906.10.25) 旧トロカデロ宮(Palais du Trocadéro)の写真

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by utsushihara | 2007-09-22 14:39 | スポーツ、乗物、探検1907-08

シディ・ブラヒムの占拠~モロッコ戦役(6)

f0028703_23165661.jpg1907年9月21日(土)

タデール(Taddert)を奪取したドリュド将軍は、9月21日カサブランカから20kmのところにあるシディ=ブラヒム=エル=カドミリ(Sidi-Brahim-el-Kadmiri)の陣営を攻撃した。軍用気球がその地点を標定していたのにもかかわらず、我が部隊の迅速な行動によっても夜と霧に邪魔されてシャウィアの部族たちの動きを捕捉することができなかった。彼らはテントを撤収する十分な時間があり、内陸部に向けて遠ざかっていった。我が部隊は忘れ去られた数羽の鶏と一匹の子ロバをf0028703_23172730.jpg押収し、藁の掘立小屋に火を放った。しかしながらこの軍事作戦の心理的な効果は素晴らしく、3つの部族が投降してきた。この作戦における我が軍の被害は、死者2名、負傷者4名である。画像(↑)上は軍用気球を膨らませる様子、(→)右は負傷した第2外人部隊のモノ中尉(Monod)に元気づけようと手を差し伸べる首席参謀の一人である。

出典:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.34; Nov. 1907

**これまでの関連記事france100.exblog:シャウィアの部族との降伏交渉~モロッコ戦役(5)(1907.09.15)
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by utsushihara | 2007-09-21 23:15 | モロッコ問題、アフリカ1907-08

ペスト防疫の最前線

f0028703_15471998.jpg1907年9月

9月にアルジェリアのオランにおいて、および東洋から来た船舶において幾人かのペストの発症例が見つかったため、マルセイユ港の入口にあるフリウルの防疫所では感染が疑わしい船員や乗客に対する隔離した検疫期間を強いることにしている。フリウル防疫所はマルセイユ港から4km沖合にあるイフ島に向かい合ったラトノー島にある。

出典:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.34; Nov. 1907

f0028703_15474636.jpg[ Ψ 蛇足 ]
フリウル防疫所(Le Lazaret du Frioul)は19世紀初めからすでにペストや黄熱病の防疫拠点として使われていた。カロリーヌ病院(l’hôpital Caroline)がその中心であった。ペストに関しては過去にもマルセイユの人口の3分の1が失われた記録がある。画像はフリウル防疫所の船着場、および消毒殺菌器。

これまで海外旅行で何となく覚えていた「検疫」(Quarantine :英; クヮランティーン)という単語がフランス語の「40ほどの」(quarantaine:仏; キャランテーヌ)とよく似ているのに気づいたが、辞書を改めて見ると、伝染病の検疫隔離期間(quarantaine d’observation)が昔は約40日間だったことに由来していることがわかった。

*参考サイト:L'archipel du Frioul(フリウル列島)
イフ島(Île d’If)の要塞「シャトー・ディフ」(Château d’If)には「モンテ=クリスト伯」の主人公エドモン・ダンテスが閉じ込められた牢獄があったのは有名だが、これは架空の話で、このイフ島もかつて防疫拠点として使用されていた。

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by utsushihara | 2007-09-20 15:46 | 科学、軍事、海事1907-08

ビアリッツでの野外公演「フェードル」

1907年9月

我らが同業者ジュール・ラトーの主導的な運動により「自然劇場」の新たな編成についてはこの夏大きな話題となった。その公演はさながらビアリッツを彩る夏の終わりの花束であった。f0028703_15201122.jpg掲載の画像の演目はラシーヌの代表作「フェードル」で、この地のいちばん美しい海辺の風景が舞台背景となっている。出演者は、シルヴァン、ランベール=フィス、デュポンの各氏とリュシー・バィユ、プージョ、デリニーの諸嬢である。フェードルの死の場面は沈む太陽の苦悶に符合するものがあり、忘れられない公演の一つとなった。

出典:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.34; Nov. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
ジュール・ラトー(Jules Rateau)は劇作家、文筆家と思われるが、生没年など詳細は不明。「自然劇場」(Théâtre
de la Nature)はこれまで記事のあった野外劇を演じる団体と同じ性格の一つと考えられる。

*参考サイト:松江市国際交流員そよかぜ通信Vol.8「フェードル
**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)野外劇の季節(1907.07.07) コルネイユの「ポリュークト」
(2)オールネー=スー=ボワの田園劇場の開演(1907.06.23)田園劇場(Théâtre aux Champs)

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by utsushihara | 2007-09-19 15:18 | オペラ、音楽、演劇1907-08