フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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グラン・ギニョル座の劇作家アンドレ・ド・ロルド

1907年4月

アンドレ・ド・ロルド氏は暴力的で話の展開のめまぐるしい恐怖劇の創始者の一人として知られている。代表作は「電話にて」(フォレーとの共作)、「ヤニ博士と羽根教授の学説」、「妄想」などである。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.29; JUIN, 1907

[ Ψ 蛇足 ]
グラン・ギニョル座(Le Théâtre du Grand Guignol)は、19世紀末から20世紀中頃までパリ9区のシャプタル街(rue Chaptal)で続けられた身の毛もよだつ出来事、人を極限状態に陥れる恐怖、凶悪な犯罪に追い込まれる不運の連続等々の、絵入り新聞の三面記事的な事件を芝居で演じてみせる場所だった。
もともと「ギニョル」(Guignol)は公園の片隅で子供たちのために演じられる人形劇で、そうした筋立ての単純さを継承しながら大人の観客を圧倒する暴力や恐怖を(人形に代わって)人間が演じるのがグラン・ギニョルだったようだ。

f0028703_21224425.jpgアンドレ・ド・ロルド(André de Lorde, 1871-1942)はトゥールーズの貴族の家系に生まれたが、パリに出て15年間ほどアルスナル国立図書館の司書として勤めるかたわら、最初は喜劇を書き、やがてグラン・ギニョル座のために台本を書いた。ここまでの主な作品は、
「眠る女」(La Dormeuse, 1901)、
「老女」(La vieille, 1902)=モーパッサンの短篇から脚色、
「電話にて」(Au téléphone, 1902)シャルル・フォレー(Charles Foley)との共作
「ヤニ博士と羽根教授の学説」(Le Système du docteur Goudron et du professeur Plume/The System of Dr. Tarr and Professor Fether, 1903)=エドガー・ポーの短篇から脚色
「最後の責め苦」(La Dernière torture, 1904)ウジェーヌ・モレル(Eugène Morel)との共作、
「妄想」(L’Obsession, 1905)アルフレッド・ビネ(Alfred Binet) との共作、
となっている。

*参考サイト:
(1)GrandGuignol.com(英文)The most complete sourse of Grand Guignol information on the Net.
(2)La boutique des éditions de Saint Mont : « Le Grand Mystère » par André de Lorde ロルドの短篇小説集「大いなる謎」(仏語)
(3)Gaslight E-text (英文)At the telephone「電話にて」(Au téléphone, 1902)の英訳台本Web-Text
(4)不在日記Blog(和文)May.18 tue.「さらに携帯電話について」 (2004.05.18)

*参考図書: 「グラン・ギニョル-恐怖の劇場」フランソワ・リヴィエール(François Rivière)他著、梁木靖弘・訳、未来社1990.07刊、ISBN : 4-624-70065-1 ただし絶版中

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by utsushihara | 2007-04-30 18:26 | オペラ、音楽、演劇1907-08

1907年春のサロン展(6)麦 (Le Blé)

f0028703_2344180.jpg1907年4月

ポール・デュピュイ氏は、巨匠レオン・ボナ(Léon Bonnat, 1833-1922)とアルベール・メニャン(Aibert Maignan, 1845-1908)に師事し、心のこもったたくましい大作を発表した。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.29; JUIN, 1907
画像 Crédit d’image : : ©Photo RMN - © François Vizzavona/Maryse El Garby

[ Ψ 蛇足 ]
ポール・デュピュイという名前はこの時代に同姓同名の著名人で4人ほど挙げられる。天才数学者ガロワ(Evaliste Gallois, 1811-1832)の優れた伝記を書いた歴史学者のポール・デュピュイ(Paul Dupuy, 1867-1944)や、ドレフュス擁護に立ち上がった歴史地理教授のポール=マリー・デュピュイ(Paul-Marie Dupuy, 1856-1948)、そしてトゥルーズで膨大な収集物の美術館(Musée de Paul Dupuy)を遺した実業家などである。

肝心の画家のほうは、ポール=ミシェル・デュピュイ(Paul-Michel Dupuy, 1869-1949)と呼んで区別しているようだ。この画家は、このあと印象派風の輪郭を流したような水彩画を思わせる軽い人物風景を多く出すようになる。こうした見てきれいな絵が装飾絵画に留まるのか、強い感銘を与える芸術作品になるのかの違い/境目は一体どこにあるのだろうか?彼の場合は前者のままになっている。
**これまでの関連記事france100.exblog:1906年春季展(サロン)Ⅱ-1 :アルベール・メニャンの「ナルシスの死」(1906.04)
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by utsushihara | 2007-04-29 23:03 | 美術、彫刻1907-08

新鋭サシャ・ギトリの新作「鍵」の上演

f0028703_21395075.jpg1907年4月

弱冠22歳のサシャ・ギトリ氏の3幕喜劇「鍵」がレジャーヌ劇場に掛けられている。大胆な作品であり、各紙はおおむね好意的な批評を寄せている。主演はイラストの右からシニョレ氏、レジャーヌ女史、そしてタリド氏である。(フィガロのド・ロスク氏による)

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.29; JUIN, 1907

[ Ψ 蛇足 ]
サシャ・ギトリ(Sacha Guitry, 1885-1957)は名優として声価の高い父リュシアンのもとで幼いときから舞台に上がっている。前年(1906)から劇作を書き始めたが、上記の「鍵」(La Clef)は実際のところ興行的に大失敗となり、サシャは失意のどん底に落ちた、と下記のウィキペディアに書かれている。彼を励まして劇作を続けさせたのは、大先輩のオクターヴ・ミルボーである。彼が稀代の映画制作者として、シナリオ作家兼監督兼主演として活躍するのは1930年代になってからである。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Sacha Guitry
**これまでの関連記事france100.exblog:アリストファネスの喜劇「雲」の上演(1906.12.20)サシャの改作による
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by utsushihara | 2007-04-28 21:40 | オペラ、音楽、演劇1907-08

フランス航空クラブの飛行

f0028703_15342770.jpg1907年4月27日(土)

フランス航空クラブ(Aéro-Club de France)所属のジロー、ルブラン、サントス=デュモン、ティサンディエ諸氏を始めとする10人の飛行家たちが4月27日4150立方米の大型気球「大鷲」号(L’Aigle)に乗り込み、パリ西郊外サン=クルーを出発した。カスティヨン・ド・サン=ヴィクトール伯爵が気球の操縦に当たり、夕方7時45分に離陸し、午前1時15分にブロワ市近郊のフォッセに着陸した。5時間30分の飛行だった。また同時に出発した400立方米の小型気球「ミクロメガ」号(Micromégas)はジョルジュ・ボムス氏の操縦でヴィエンヌ県ペルサックまで到達した。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.29; JUIN, 1907
出典:BNF-Gallica #110437 Catalogue illustré du Salon de 1907, Société des artiste français 

[ Ψ 蛇足 ]
ヴィエンヌ県ペルサック(Persac)はパリの南西約480km、ポワティエ(Poitiers)付近の町である。パリからロワール地方のブロワ(Blois)までの直線距離の約2倍にあたる。飛行当時は北東の風だったと推測できる。
気球や飛行船の手段が冒険飛行から次第に一般化・実用化しつつあった時代である。画像(↑)は同年のサロン出展作「初飛行」(Une première ascension)、ラウール・アリュス(Raoul Arus, 1848-1921)作である。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)第1回ゴードン・ベネット杯飛行船レース(1906.09.30)(Aéro-Club de France)
(2)イタリア人気球のアルプス越え(1906.11.11)
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by utsushihara | 2007-04-27 15:34 | スポーツ、乗物、探検1907-08

パリ料理芸術展(1907)

f0028703_182558.jpg1907年4月

f0028703_1832790.jpg4月の料理芸術展(L’Exposition culinaire)は大成功をおさめた。展示された一連の宴卓の飾付けは様々な工夫をほどこした見事さで競い合っていた。有名料理人たちのために布地屋が協力して食卓の準備を整え、飾りつけ、最後に花屋が仕上げの装飾を施した。画像(←)はモングロリー亭(Mongrolie)の料理長ジャクラン氏(Jacquelin)が「アンリ4世風鱒のジュランソン・ワイン蒸し」(La truite Henri IV braisée au vin de Jurançon)を調理しているところ。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.29; JUIN, 1907

[ Ψ 蛇足 ]
宴卓の飾付けの展示会はいつの世にも多くの人を引きつけるようだ。しかしながら古い時代の画像はあまり鮮明なものは見つからなかったのが残念である。

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by utsushihara | 2007-04-26 18:04 | フランス政治社会1907-08

1907年春のサロン展(5)はじめての水浴(Premier bain)

f0028703_16214756.jpg1907年4月

これまでの数回にわたるサロンへの出展に際し、ポール・シャバス氏は、スイスにほど近い山中のアヌシー湖やノルウェーのフィヨルドの岸辺で楽しげに水浴する子供たちの姿に光が輝き戯れる様子を目の当たりにさせてくれる。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.29; JUIN, 1907
画像 Crédit d’image : : ©Photo RMN - © Bulloz © Musée du Petit-Palais, Paris

[ Ψ 蛇足 ]
ポール・シャバス(Paul Chabas, 1869-1937)は「水浴の画家」として知られるが、子供たちや未だあどけなさの残る少女が水浴する姿は、欲情を刺激するには程遠い。いわば健康的な明るい裸と言えよう。この画家で一番有名なのは、ニューヨークのメトロポリタン美術館にある「九月の朝」(September Morn / Matinée de Septembre, 1912)の湖畔でひとり水浴する少女の姿で、webで調べてみても複製を持っている人が多い。f0028703_1622672.jpgこの絵については、最初ニューヨークの画廊に飾られていたとき、ある人物が「公徳心を損なう」作品だとして排斥運動を起こしたという記録がある。それが逆にこの絵が有名になるきっかけにもなった。「スキャンダルに導かれた成功」(Succès de scandale)の一例である。
Chabas という名前の呼び方は「シャバス」か「シャバ」かで見解が分かれ、実のところ極めて難しい。日本人の場合、もし「シャバ」と呼ぶとすると「娑婆に出る」という表現がすぐに頭に浮かぶので、何となく「シャバス」のほうが良いように思ってしまう。少なくとも清純派の画家である限りは・・・
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by utsushihara | 2007-04-25 16:30 | 美術、彫刻1907-08

トゥーロン軍港でまた爆発事故

1907年4月23日(火)

4月23日、原因不明の爆発によりトゥーロンの兵器庫の一部が崩壊した。幸いにも人的な被害は皆無であった。被害総額は2百万フランと見込まれている。

f0028703_15434494.jpg出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.29; JUIN, 1907

[ Ψ 蛇足 ]
この爆発事故に関しては検索してもあまり記録が出てこない。人的な被害が皆無だったからかもしれない。それにしても、特に軍港トゥーロンの周辺では爆発事故が頻発している。武器や火薬を集めている場所ゆえの結果なのだろうか。下記の関連記事を見ても半年で3回の事故である。まさか敵国の工作員の作戦でも、と思ってしまうが、いずれの場合も原因不明なのが腑に落ちない。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)戦艦「イエナ」の大惨事(1907.03.12)
(2)ラ・セイヌ造船所で火災(1906.11.23)

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by utsushihara | 2007-04-24 15:51 | 科学、軍事、海事1907-08

アカデミー作家アンドレ・トゥリエの死

f0028703_1518922.jpg1907年4月23日(火)

アカデミー会員の詩人であり作家のアンドレ・トゥリエ氏は4月23日パリ南郊ブール・ラ・レーヌで死去した。代表作として詩集「森の小道」(Chemin des bois)や小説「双矢車菊の家」(Maison des Deux Barbeaux)がある。1833年生まれ、73歳だった。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.29; JUIN, 1907
画像 Crédit d’image : : ©Photo RMN - © Gérard Blot © Versailles, châteaux de Versailles et de Trianon

[ Ψ 蛇足 ]
アンドレ・トゥリエ(André Theuriet, 1833-1907)は日本ではほとんど馴染みがない作家である。法律を学んだ後、財務省の役人として勤務のかたわら「両世界評論」等の雑誌に詩や短篇を寄稿した。自然に対する精細な感性を盛り込んだ作風で英米圏にも親しまれた。長編小説も多く、「ジェラールの結婚」(Mariage de Gérard)、「森の女王」(Reine des bois)、「ジェルトルードとヴェロニク」(Gertrude et Véronique)などが電子図書として読める。画像はポール・シャバス(Paul Chabas, 1869-1937)によるトゥリエの肖像画(ヴェルサィユ宮殿美術館蔵)

邦訳はわずかに一点、1990年に「秋の恋」(原題不明)という小説が非売品2千部限定で金沢で出版されている。(吉田勝江訳)この訳者は「小公女」や「若草物語」の翻訳者として非常に有名な方で、トゥリエの作品が広く英訳されて人気があったものを重訳したのかもしれない。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)André Theuriet

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by utsushihara | 2007-04-23 15:15 | 文芸、評論1907-08

戯曲「マリオン・ドロルム」の再演

f0028703_1748392.jpg1907年4月22日(月)

コメディ・フランセーズ座では4月22日、ヴィクトル・ユゴーの戯曲「マリオン・ドロルム」の再演を行なった。この5幕の韻文劇は重要な作品であり、すべての正団員が役割を負った。ムネ=シュリー氏とジュリア・バルテ女史を筆頭に、ル・バルジー氏、アルベール・ランベール氏(子)などが出演した。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.29; JUIN, 1907

[ Ψ 蛇足 ]
マリオン・ドロルム(Marion Delorme, 1611-1650)は歴史上実在した人物で、本名はマリー・ド・ロン(Marie de Lon)といい、ルイ13世の宮廷でその類いまれな美貌と知性で数多くの貴族の寵愛を受けた。ヴィクトル・ユゴーはその史実にもとづき、1829年に戯曲に作り上げたが、国王ルイ13世を意志薄弱で迷信深く残虐な性格として描いたため、当時の国王シャルル10世の側近から、この劇が王政を批判し、民衆の暴動を誘引する恐れがあるとして上演禁止措置が取られた。しかし翌1830年に七月革命が起き、ブルジョアの政治参加とともに、改めてこの劇が1831年にコメディ・フランセーズ座で上演されると、華々しい成功を収めることとなった。画像は当時マリオン・ドロルムを演じた女優のマリー・ドルヴァル(Marie Dorval, 1798-1849)
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by utsushihara | 2007-04-22 17:46 | オペラ、音楽、演劇1907-08

戦艦「ローマ」号の進水式

f0028703_15155067.jpg1907年4月21日(日)

4月21日スペツィアにおいてイタリア国王ヴィットーリオ=エマヌエレ3世、海軍提督たちおよびバッテンベルク公の列席のもと、イタリア艦隊の新戦力となる戦艦「ローマ」号の進水式が行なわれた。

主要各国間の最新の軍事協定については各国海軍の総排水量の一覧が興味深い。下記のトン数は保有戦艦の合計である。

 英日合計 1953千トン          ドイツ     418千トン
 フランス   781千トン         イタリア    402千トン
 ロシア    526千トン         オーストリア 124千トン
―――――――――――――    ―――――――――――――――
   計    3260千トン           計     944千トン

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.29; JUIN, 1907

[ Ψ 蛇足 ]
スペツィア(Spezia)はイタリアの港湾都市ジェノア(Genova)の東南約70kmにある軍港。バッテンベルク公(Duke of Battenberg)は英国に帰化した大貴族。第一次大戦以降はマウントバッテン卿(Mountbatten)と改名した。
上記の表は、三国協商と三国同盟との集計比較となっている。日本は日英同盟で英国と合算された。建造された戦艦「ローマ」号(Roma)は排水量12000t、主砲4門を備えるそれまでの大型戦艦「レジナ・エレナ」(Regina Elena)と同型の戦艦であった。

*参考サイト: Battleships-Cruisers.co.uk(英文)Regina Elena Type
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by utsushihara | 2007-04-21 15:12 | 科学、軍事、海事1907-08