フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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<   2007年 03月 ( 31 )   > この月の画像一覧

春のオートゥイユ競馬:共和国大統領賞レース

f0028703_22161436.jpg1907年3月31日(日)

3月31日オートゥイユ競馬場で行なわれた共和国大統領賞(障害物レース、4200m)はシメオン氏所有のグラニュル号(Granule)、騎手パントール氏が、ブラクサック氏所有のマルスイェ号(Malsouyé)とフィゼー氏所有のロワ・デュ・モンド号(Roi du Monde)を破って優勝した。(画像→)

f0028703_22164022.jpgまたオーモン氏所有のペルノ号(Pernod)は三歳馬の世代の常勝馬となりつつある。コーマック氏の騎乗で続けざまにサンクルー賞、デラートル賞、ラグランジュ賞を獲得している。(←画像)

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.28; MAI, 1907

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1) ロンシャン競馬の騒動(1906.10.07)
(2) バレエ「ジノ=ジナ」の初演(1906.08.02) ロベール・ド・クレルモン=トネール伯爵:パリのオートゥイユ競馬場での障害物競馬の運営

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by utsushihara | 2007-03-31 22:17 | スポーツ、乗物、探検1907-08

カルタゴ遺跡での公演

f0028703_23384816.jpg1907年3月30日(土)

(→)画像はカルタゴの古代劇場で演じられたシャルル・グランムージャン氏の美しい3幕の韻文劇「カルタゴの死」(La Mort de Carthage)の主要場面である。
このあとドラリュ=マルドリュス女史の情熱的な詩劇「タニルの巫女」(La Prêtresse de Tanil)も上演された。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.28; MAI, 1907

[ Ψ 蛇足 ]
シャルル・グランムージャン(Charles Grandmougin, 1850-1930)は東部ジュラ地方の弁護士の子として生まれ、初め法律家を目指したが、普仏戦争のあとパリに出て、詩人、劇作家として活躍した。作品に特に傑出したものはないが、ガブリエル・フォーレ(Gabriel Fauré, 1845-1924)の歌曲に彼の詩を用いたものがある。「ある日の詩」(Poème d’un jour, 1878)作品21で、3つの詩「出会い」(Rencontre)、「いつも」(Toujours)、「別れ」(Adieu)から成り、それぞれ恋愛の、はずんだ心の初々しさ、熱情のほとばしり、過ぎ去ったものへの静かな眼差し、を歌い上げていて味わいがある。

*参考サイト:Biblisem (Bibliothèque de Littérature Spiritualiste Et Mystique) (仏語)Charles Grandmougin

スキャンダラスな女流詩人・作家・彫刻家のリュシー・ドラリュ=マルドリュス(Lucie Delarue-Mardrus, 1874-1945)については、いずれどこかで再掲するだろうと思う。
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by utsushihara | 2007-03-30 23:38 | オペラ、音楽、演劇1907-08

セヴィリアの聖金曜日

f0028703_21124525.jpg1907年3月29日(金)

スペインのセヴィリアでは3月29日に聖金曜日の祝祭行列が催された。この町には独特の風習を持つカトリック教信者が多くを占め、国内の隅々および欧州各地から敬虔な信仰を持つ人たちが集まり、風変わりな衣装に身を包んだ行列を見守る。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.28; MAI, 1907

[ Ψ 蛇足 ]
聖金曜日(Vendredi Saint)は復活祭の日曜日(Dimanche de Pâques)の2日前にキリストが磔刑を受けた日である。その前後一週間が聖週間(La Semaine Sainte)と呼ばれる。白三角形の頭巾姿は独特の習慣とはいえ欧州人にも珍奇に思われる服装だが、米国南部のKKKの集団と見誤りそうな事例として映画「ダヴィンチ・コード」の中でも紹介された。

*参考サイト:Esflamenco.com(日本語)特集:セマナ・サンタSemana Santa(聖週間)
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by utsushihara | 2007-03-29 21:11 | 各国事情1907-08

「赤い月」劇場(ラ・リュヌ・ルス)のレヴュー

f0028703_18384058.jpg1907年3月

「赤い月」劇場の支配人ドミニク・ボノー氏は才気あふれる新作レヴュー「些細なこと」(Propos d’une once)を発表した。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.28; MAI, 1907
画像Crédit d’image : © Du Temps des cerises aux Feuilles mortes;
Un site consacré à la chanson française de la fin du Second Empire aux années cinquante
画像Crédit d’image : ©Lady Lever Art Gallery, Liverpool, UK; Victorian Life: Misses, by Kate Greenaway

[ Ψ 蛇足 ]
「赤い月」(ラ・リュヌ・ルス:La lune rousse)とはフランス太陰暦の月の一つの呼称で、およそ日本の卯月(旧暦4月)にあたる。通常、復活祭(Pâque)の月の翌月をさす。日本でも「朧月夜」と呼ばれるように春先の月は暖かみを帯びて、フランスでは赤みを帯びて、見えるようだ。仏和辞典で「春枯れの月」とも訳されるように、遅霜が降りて葡萄やジャガイモの新芽に被害が出るのを昔の農民たちは「夜のうちに赤い月にチリチリに焦がされた」と考えたという。

ドミニク・ボノー(Dominique Bonnaud, 1864-1943)は、カフェ・コンセール「シャノワール」(Chat noir:黒猫)を拠点としてジャーナリスト兼シャンソン歌手として活躍した。1898年にカフェ「芸術酒場」(Cabaret des Arts)がガストン・セコ(Gaston Sécot, 185x-1902)、グザヴィエ・プリヴァ(Xavier Privas, 1863-1927)、ニュマ・ブレス(Numa Blès, 1871-19??) 等によって開業されるとそれに加わり、毎晩のように人気歌手や作家によって詩の朗読や風刺的かつ諧謔的な小唄が披露された。1904年にこのカフェは「赤い月」(La Lune Rousse)と改名し、ボノーが支配人となった。影絵芝居(Téâtre d’Ombres)が押すな押すなの盛況の余り、広い場所に移ることになったようだ。

常連の芸術家の中には作曲家のエリック・サティ(Erik Satie, 1866-1925)もおり、ボノーと友人のブレスが共同で作詞した「エンパイア劇場の歌姫」(La Diva de l’Empire)のために作曲をしている。(↑)画像は右がボノー、左がブレス。カフェで歌われるような陽気な歌で親しみやすい。

大きなグリーナウェイ帽子の陰で        Sous le grand chapeau Greenaway
笑顔をほころばせて               Mettant l'éclat d'un sourire
さわやかで素敵な笑い声と           D'un rire charmant et frais
びっくりしたベビーのため息の          De baby étonné qui soupire
ビロードの瞳のリトル・ガール          Little girl aux yeux veloutés
それがエンパイアの歌姫さ (以下略)     C'est la Diva de «l'Empire»
(©雲野ゼミ試訳)                 (©Dominique Bonnaud & Numa Blès)

f0028703_18401377.jpgこの歌の背景はロンドンのピカディリー地区にあるカフェ・コンセール「エンパイア」劇場なので、歌詞の随所に英単語が混じっていて気取った曲になっている。
ケイト・グリーナウェイ(Kate Greenaway, 1846-1901)は、ヴィクトリア女王時代の挿絵画家で、帽子をかぶった無邪気でかわいらしい少女たちの絵で知られる。参考画像「お嬢様たち」(Misses)(←)はリヴァプールのある公立美術館から借用したが、こうした「カワイイ」系がもてはやされたのは歴史的に見ると日本だけではなかったのが興味深い。
個人的に抱くイメージでは、せめて美人女優リリアン・ギッシュ(Lillian Gish - Lillian Diana de Guiche, 1893–1993)のような歌姫の姿が好ましいのだが… (Wikipedia-image)

*参考サイト:Performance Studio(仏語)Le Théâtre de Dix heures
**これまでの関連記事france100.exblog:シャンソン界のプリンスも騎士勲章(1906.07)グザヴィエ・プリヴァ

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by utsushihara | 2007-03-28 18:34 | オペラ、音楽、演劇1907-08

黒斑天然痘の流行

f0028703_1794261.jpg1907年3月

3月末になってフランス各地とパリで黒斑天然痘の発症例が報告され、感染拡大の懸念から人々はワクチン研究所に殺到している。当局でもやむなくワクチンの接種所の設置に至った。上院議員とその家族はリュクサンブール宮の旧礼拝堂の接種所に行列している。当社内においてもゲズア医師がすべての出版部門の従業員と接種を希望する編集者たちに種痘を行なった。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.28; MAI, 1907
f0028703_179594.jpg
[ Ψ 蛇足 ]
画像(↑)は上院議員家族への種痘の様子。不鮮明ながら中央左に左腕を伸ばしてワクチンの接種を受ける妙齢の婦人の姿が見える。画像(→)は「ジュセトゥ」の版元ピエール・ラフィット社での接種風景である。
天然痘(Variole)は20世紀初頭においてもまだまだ危険な伝染病とされていた。感染者には黒や赤の斑点が現れ、2~4日で死亡する。死亡率は95%以上という非常に高率の致死的な病気である。今でならば、鳥インフルエンザやエボラ・ウィルスのような予断を許さぬ病気だったと言えよう。
上記の記事の中で気になるのは、「編集者のうちで接種を希望した人」(les rédacteurs qui le désirèrent)とあることで、「全員強制ではなかったの?」というような疑問が残る。背後に思想信条の問題があったのだろうか?

*参考サイト:旅行医学・感染症(名古屋検疫所作成); 天然痘(痘そう)
**これまでの関連記事france100.exblog:フィラデルフィア劇場での予防接種(1906.06)

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by utsushihara | 2007-03-27 17:10 | フランス政治社会1907-08

モンタニーニ司教追放事件の調査

f0028703_19133313.jpg1907年3月

パリの法王大使邸に対する家宅捜索によって押収されたモンタニーニ司教の手帳類は、政府によって検証が行なわれたが、自らの足取りや訪問先の記録、そして出来事に対する感想などが書きとめられていた。特に政教分離法に言及した部分が大半を占めていた。容疑が関連付けられた聖オーギュスタン教会のジュアン神父は16フランの罰金刑を受けた。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.28; MAI, 1907

[ Ψ 蛇足 ]
画像はバチカンに送還されたモンタニーニ司教。
**これまでの関連記事france100.exblog:政教分離法による追放処分(モンタニーニ司教の国外追放)(1906.12.12)
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by utsushihara | 2007-03-26 19:09 | フランス政治社会1907-08

フランス文芸家協会の役員改選

f0028703_1520171.jpg1907年3月25日(月)

3月24日に行なわれた文芸家協会評議員の三分の一の改選において、「ヴァルコール侯爵」の作者ダニエル・ルシュール女史が選ばれたが、女性の委員としてはジョルジュ・サンド以来久々の選出となった。同時に女性尊重論者(フェミニスト)の作家で知られるジュール・ボワ氏が選ばれた。
また、優れた劇作家ジャン・ジュリアン氏と当誌連載の「アルセーヌ・ルパン」の生みの親モーリス・ルブラン氏も新たに委員に選出された。翌25日の会議において会長にヴィクトル・マルグリット氏、副会長にミシェル・プロヴァン氏とカンタン=ボシャール氏が選ばれた。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.28; MAI, 1907
f0028703_15205178.jpg
[ Ψ 蛇足 ]
画像(↑)の左からダニエル・ルシュール、ジュール・ボワ。
画像(→)の左からジャン・ジュリアン、モーリス・ルブラン。

*参考サイト:
(1)フランス文芸家協会(La Société des gens de lettres de France = SGDL)は1838年、ユゴー、バルザック、デュマ、サンドらによって創設。Wikipedia(仏語)
(2)ジュール・ボワ(Jules Bois, 1868-1943):女権論者、詩人、オカルト論者。
Les commérages de Tybalt : Gens de lettres : Jules Bois(仏語)

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1) ダニエル・ルシュール(Daniel Lesueur, 1860-1920)の小説「愛の仮面」の主人公がヴァルコール侯爵。「愛の仮面」の上演(1905.10.10)
(2) ジャン・ジュリアン(Jean Jullien, 1854-1919)の人気作:「カケスの羽根」の公演(1906.02.14)
(3)モーリス・ルブラン(Maurice Leblanc, 1864-1941):モーリス・ルブランの劇作「憐れみ」(1906.05.07)
(4)ヴィクトル・マルグリット(Victor Margueritte, 1866 -1942):文芸消息(1907.03)マルグリット兄弟の分離
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by utsushihara | 2007-03-25 15:19 | 文芸、評論1907-08

偉大な化学者ベルトロの国葬

f0028703_0264060.jpg1907年3月

フランスにおける科学界の栄誉の一人、マルスラン・ベルトロ氏は3月21日(*) その妻が死んだことを知った直後、学士院内の住居で急死した。1827年パリに生まれ、あと半年ほどで満80歳になるところであった。彼の最大の業績は有機物の合成に至る研究であり、化学に画期的な革新をもたらした。彼はまた科学アカデミーの終身幹事であり、フランス・アカデミーの会員であった。政治的には上院の終身議員でもあり、文部大臣と外務大臣を歴任している。
画像で見られるように盛大なベルトロ夫妻の葬儀には、ダルスタン将軍指揮のパリ駐屯部隊が装飾の施された霊柩車を引導し、パンテオンまで運んだ。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.28; MAI, 1907

f0028703_026575.jpg[ Ψ 蛇足 ]
マルスラン・ベルトロ(Marcelin Berthelot, 1827-1907)は19世紀後半から20世紀にかけてフランスの科学の発展に大きな貢献をした一人である。生涯に1200を超える有機化学や熱化学に関する論文を出したが、産業界はその発見の多くを享受している。

( *) 死去の日は現在では1907年3月18日(月)とされている。記事の日付とは異なるが、当時の情報伝達の不確実さはやむを得ない場合が多い。ベルトロの最愛の妻ソフィが息を引き取ったとき、彼は余りの悲しみに30分も経たぬうちに心身の不調に陥り、急死した。夫妻の遺骸はパンテオンに埋葬された。

名前のマルスランについては、Marcellin と l が2つ続く表記もあり、Marcelin か Marcellin のどちらが正しいのかがわからない。(検索で出る権威のある数サイト中でも五分五分である。)

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by utsushihara | 2007-03-24 00:25 | 科学、軍事、海事1907-08

モロッコでフランス人医師殺害される

f0028703_22241623.jpg1907年3月19日(火)

モロッコの三大都市のひとつマラケシュで、無償診療をしていたフランス人医師モーシャン氏が現地の狂信者たちによって投石を受け、最後にナイフで胸を刺されて死亡する事件が起きた。そばにいた仲間のジャンティ氏はかろうじて難を逃れた。この事件の知らせは3月23日にパリに届いた。閣議が召集され、軍隊を派遣しウジャを占領することが決定された。3月26日議会はこの決定を承認した。
モーシャン医師の葬列は狂信者たちの攻撃を受けながらも、遺骸をフランス本国へ送るためにタンジールまで到着した。出港の前にモロッコ担当大臣のレニョー氏が弔問に訪れた。
モロッコでは政情が安定せず、住民はもはや耕作しようとせず、放置された荒地が広がっている。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.28; MAI, 1907
画像Crédit d’image : © Le Petit Journal, supplément illustré; du 7 avr. 1907
Le docteur Mauchamp, médecin du dispensaire de Marakech, lapidé par les indigènes

f0028703_22243351.jpg[ Ψ 蛇足 ]
エミール・モーシャン医師(Dr. Émile Mauchamp, 1870-1907)は、シャロン・シュル・ソーヌ出身で海軍の軍医として世界各地を訪れた。1905年にモロッコのマラケシュに開設された診療所で無償医療に従事していたが、現地人の一部から陰でスパイ活動をしていると疑われ、暗殺されるに至ったようだ。フランスでは英雄視され、故郷のシャロンで国葬に等しい盛大な葬儀が営まれ、レジオン・ドヌール勲章も授与された。

*参考サイト:Chalon sur Saône, site officiel ; La ville célèbre la mémoire du Docteur Mauchamp
**これまでの関連記事france100.exblog:ジナの城砦攻略(1907.01.05)
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by utsushihara | 2007-03-23 22:24 | モロッコ問題、アフリカ1907-08

ヴォードヴィル座の「小川」

f0028703_15591055.jpg1907年3月22日(金)
ピエール・ヴォルフ氏の新作3幕喜劇「小川」(Le Ruisseau)は3月22日、ヴォードヴィル座で初演された。右(→)画像はその一場面で、ゴーティエ氏(Gauthier)とデルブレー嬢(Dherblay)が出ている。出演者の一人イヴォンヌ・ド・ブレー嬢の演技は大変な喝采を受けた。また同じ作者によるこの前の成功作「公然の秘密」(Le Secret de Polichinelle)でも人気のあったジュディ女史も出ている。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.28; MAI, 1907

f0028703_15593313.jpg[ Ψ 蛇足 ]
ピエール・ヴォルフ(Pierre Wolff, 1865-1944)はこのあとも劇作のかたわら映画製作者としても活躍する。
(←)この年、イヴォンヌ・ド・ブレー(Yvonne de Bray, 1887-1954)の人気は急上昇だったようだ。後年はジャン・コクトーの映画にも出ている。

**これまでの関連記事france100.exblog:「愛の姫君たち」の上演, イヴォンヌ・ド・ブレー(1907.01.24)
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by utsushihara | 2007-03-22 15:58 | オペラ、音楽、演劇1907-08