フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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アヴィニョン法王庁壁画の再発見

f0028703_17145017.jpg1907年2月

アヴィニョンでは美術関係者たちが1月初めから、これまで兵舎として使われてきた旧法王庁の宮殿の内壁を覆っていた水性塗料(のろ)を削ぎ落とす作業を続けており、14世紀に遡る素晴らしいフレスコ画が再発見されている。クレメンス6世の大礼拝堂は、来たる5月にはアヴィニョン美術の展示室となって公開される予定である。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.27; AVR. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
南仏アヴィニョンは世界史的に「法王のバビロン幽囚」の地として知られる。フランス王フィリップ4世は僧職への課税をめぐってローマ法王ボニファチウス8世(Bonifatius VIII, 1235-1303)と対立し、自ら選出したクレメンス5世(Clemens V, 1264-1314)を1309年からアヴィニョンに移住させ、約70年間にわたって法王庁として続いたことを指す。その間7代の法王が在任した。f0028703_17151192.jpg
上記の記事にあるクレメンス6世(Clemens VI, 1291-1352)は、法王就任の1342年から法王庁を倍の広さに拡張し、壁画を含む装飾を一新した。
*参考サイト: アヴィニョン市役所HPの史跡紹介(仏語)Le palais des Papes

[ ΨΨ 蛇足の蛇足 ]
法王クレメンスは、フランス語では「パプ・クレマン」(Pape Clément)と呼ばれる。ワインの銘柄としても有名だが、「シャトー・パプ・クレマン」(Château Pape Clément)はボルドー産ワインなので、南仏産のこれまた銘酒「シャトーヌフ・デュ・パプ」(Châteauneuf du Pape)と混同しない注意が必要だ。その違いの説明は↓下記に。
*参考サイト:(1)シャトー・パプ・クレマン(ボルドー) (2)シャトーヌフ・デュ・パプ(南仏)
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by utsushihara | 2007-02-28 17:15 | 美術、彫刻1907-08

ドラグランジュとサントス=デュモンの飛行機

f0028703_16353416.jpg1907年2月27日(水)

ヴォワザン兄弟製作になるドラグランジュ氏の飛行機は、2月27日ヴァンセンヌの緑地で最初の試験飛行を行なったが、骨組みがあまりにも軽量なため、機体が地面を離れる前に破損してしまった。(画像→)

サントス=デュモン氏も新型の飛行機を作らせた。翼面は極端に薄い木の板に置き換えられた。機首にプロペラがあり、離陸のための助走は一つの車輪だけで行なわれる。このブラジル人飛行家はヌィイの格納庫を放棄してサン=シールに移ることにしている。(←画像)

f0028703_1636301.jpg出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.27; AVR. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
空気よりも重い飛行機を飛ばすことは、この記事のつい3ヶ月ほど前に100m~200m飛んだ、ということが世界記録だとして大騒ぎされた頃である。

**これまでの関連記事france100.exblog:サントス=デュモンの飛行新記録(1906.10.23&1906.11.23)

レオン・ドラグランジュ(Léon Delagrange, 1873-1910)はサロンに入選するほどの才能ある彫刻家だったが、大空を飛翔することに熱中し、ヴォワザン兄弟(Les Frères Voisin)に注文して飛行機を作らせた。サントス=デュモンと競争したかったようだが、この記事では失敗に終わった。ヴォワザン兄弟たち自身も飛行機の改良と試験飛行に取り組み、ついに約8ヵ月後の1907年11月に新しい記録を打ち立てることになる。(予言?)

*参考サイト:
(1) Early aviators レオン・ドラグランジュ(英文)Léon Delagrange
(2) The pioneers ヴォワザン兄弟の紹介(英文)Les Frères Voisin
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by utsushihara | 2007-02-27 16:39 | スポーツ、乗物、探検1907-08

ミシシッピ川の弊害

1907年2月

毎年冬の終わりの雪融けの頃には、広漠たるミシシッピ川はその川床におとなしく収まっていられなくなる。川の水は野原に広がり、町々を水浸しにする。2月にはいくつかの鉄道駅では水位が線路を覆いつくし、列車はもはや運行を続けることが不可能となる光景が見られる。写真の列車はルイスヴィルの駅のものである。f0028703_17383995.jpg

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.27; AVR. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
ルイスヴィル(Louisville)は米中部ケンタッキー州の主要都市。同じ綴りでルイヴィル(Louisville=こちらのほうがフランス語読みだが)が西部コロラド州にある。
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by utsushihara | 2007-02-26 17:38 | 各国事情1907-08

ゴルドーニ生誕200年祭

f0028703_1153348.jpg1907年2月25日(月)

イタリアの劇作家カルロ・ゴルドーニの生誕200年の記念行事が生地ヴェニスと没地パリの双方で催された。ヴェニスでは彼の記念像を取り囲んでの演説、および劇場での公演があった。またパリにおいてはメルジ=デリル公爵の働きかけにより、シテ島の大司教館広場で立派な胸像の記念碑が建てられ、2月25日に除幕式が行なわれた。(←画像)作者はイタリアの彫刻家エドアルド・フォルティーニである。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.26-27; MAR.-AVR. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
カルロ・ゴルドーニ(Carlo Goldoni, 1707-1793)はイタリア18世紀の劇作家。最初は弁護士として働いたが、次第に劇作に打ち込むようになり、フランス演劇の影響を受けて旧来の即興劇中心のイタリア喜劇(コメディア・デラルテ;Commedia dell’arte)の改革に取り組んだ。つまり台詞や筋立てに作者の意図を反映させる作品を作り出した。しかしこれは守旧派のカルロ・ゴッツィらとの抗争に発展し、ゴルドーニは故国を後にフランスに移り、ルイ15世の宮廷でイタリア語教師として庇護を受けることとなった。またパリにあるイタリア劇団の座長としてフランス語で劇を書き、大衆にも評判を得た。特にルイ16世とマリー=アントワネットとの婚礼を祝してフランス語で書かれた「情け深い無愛想男」(Le Bourru bienfaisant, 1771)やフランス語による「回想録」(Mémoires pour servir à l'histoire de ma vie et à celle du théâtre, 1787)があり、BNFの電子図書でも閲覧できる。

メルジ=デリル公爵(Duc de Melzi d’Eril)は代々ミラノに領地を持つ大貴族の一員であるが、彫刻家エドアルト・フォルティーニ(Edoardo Fortini)共々詳細は不明。
シテ島の大司教館広場(Square de l’Archevêché)はノートルダム寺院の建物の東側にあり、昔は立派な大司教館があったところで、大革命後は広場になっていた。現在では名前が「ヨハネ23世広場」(Square Jean XXIII)に代わっている。

ゴルドーニの作品の邦訳はそれほど多くない。
「抜目のない未亡人」平川祐弘・訳 岩波文庫 1995年 Vedova scaltra
「宿屋のおんな主人」野上素一・訳 岩波文庫 1952年 La Locandiera (La belle aubergiste)
「主人二人の召使」 牧野文子・訳 未来社  1959年 Arlequin serviteur de deux maîtres
(二人の主人を一度に持つと) など。

*参考サイト:
(1) ゴルドーニの胸像 Insecula Carlo Goldoni
(2) Wikipedia(仏語)Carlo Goldoni
**これまでの関連記事france100.exblog:アントワーヌ座で「愛に向かって」の上演 (1905.10.10) 末尾に "La Locandiera" の紹介
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by utsushihara | 2007-02-25 11:52 | 文芸、評論1907-08

連絡船「ベルリン」号の難破

f0028703_21431984.jpg1907年2月21日(木)

2月21日に吹き荒れた暴風雪により連絡船「ベルリン」号はムーズ川河口部のヘク・ヴァン・ホランド港の突堤に乗り上げて難破した。この事故は、社交界や芸術界で活躍する人々が多く乗船し、140名の乗客のうち犠牲者が126名というあまりの多さに深刻な衝撃を与えた。その中には1人の若い英国人外交官とロンドンで公演を終えてベルリンに帰る途上にあったドイツの歌劇団のほとんどの団員が含まれていた。
f0028703_21433026.jpg
出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.27; AVR. 1907
画像Crédit d’image : ©Maritiem Museum Rotterdam

[ Ψ 蛇足 ]
連絡船「ベルリン」(Berlin)は1894年に完成し、英国のハーウィック(Harwich)とオランダのロッテルダム付近にあるヘク・ヴァン・ホランド(Hoek van Holland)を結ぶ航路を運行していた。猛烈な強風に煽られて衝突し、船体が真二つに割れ、先端部は沈没し、残りは防波堤の付近に残った。消防隊の必死の救助にもかかわらず、乗客・乗組員合わせて128名の死者を出したことは、北海の海難史上で最悪の事件となった。掲載したのは、ベルリン号のロンドン出航時と難破した船の残骸の写真である。
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by utsushihara | 2007-02-24 21:43 | 科学、軍事、海事1907-08

馬橇移送の活躍

f0028703_15525436.jpg1907年2月

例年になく厳しく雪の多いこの冬の間、アルプス地方では重要な移送手段を確保するために、車に代えて馬橇が使用されることが多くなっている。写真(→)はアルプス山中の集落と病院とを連絡するために運用された馬橇救急車(Les traineaux-amburance)である。
f0028703_15531438.jpg(←)左はスイスとの国境に近いブリアンソン(Briançon)の町で葬儀にも馬橇が用いられた一例である。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.27; AVR. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
橇(そり)の仏単語はtraineau(トレノー)というが、train=列車(トラン)と類似する語感がある。もともと「引っ張る」「引きずる」の意味の動詞 trainer(トレネ)から派生したようだ。
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by utsushihara | 2007-02-23 15:55 | フランス政治社会1907-08

「ジャコバンの女たち」の再演

1907年2月22日(金)

2月22日ヴォードヴィル座において、アベル・エルマン氏の「ジャコバンの女たち」が初演の際とまったく同じ形で上演された。「ジャコバンの女たち」(Les Jacobines)とは、自己に忠実であろうとするゆえに離婚に至る女たちを意味している。とても見事な公演であり、好意的な批評が多い。
f0028703_17354859.jpg画像は最終幕の場面で、左からセシル・キャロン嬢、ガブリエル・ドルジア嬢、ゴーティエ氏、エレー嬢、アンドレ・アル氏の出演者たちである。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.27; AVR. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
ジャコバン(jacobin)は、古くはドミニコ会修道士(修道女)を指したこともあるが、通常は大革命時代の過激な共和主義者(ロベスピエールを代表とする恐怖政治を生んだ党派の)を指すようだ。慣用句で「ジャコバン的思考」« idée jacobine »とは、俗に言う「過激な考え」という意味で使われる。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1) アベル・エルマン(Abel Hermant, 1862-1950)の人気作:「美しきエベール夫人」の初演(1905.09.15)
(2) ガブリエル・ドルジア(Gabrielle Dorziat, 1880-1979)の主演作:ヴォードヴィル座の開幕「いちばん愛している女」 (1906.10.03)
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by utsushihara | 2007-02-22 17:36 | オペラ、音楽、演劇1907-08

巡洋艦「ジャン・バール」の座礁

f0028703_1757385.jpg1907年2月20日(水)

中国に向けて作戦航海中だった旧型巡洋艦「ジャン・バール」号は、アフリカ沿岸のカップ・ブラン(白岬)の北80海里のところで座礁した。この付近はかつてメデューズ号が遭難した地点でも知られる。この知らせは2月20日にもたらされ、すぐさまダカールとブレストから救助の艦船が出された。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.27; AVR. 1907
画像Crédit d’image : ©Encyclopedia Britanica Online ; http://www.britannica.com/eb/art-61949

[ Ψ 蛇足 ]
f0028703_17574129.jpg艦名の「ジャン・バール」(Jean Bart, 1650-1702)はルイ14世時代のフランス海軍で帆船の操舵の名手として知られた人物で、主に英仏海峡で艦船の指揮をとった。船が代替わりになってもこの艦名は使われ続けている。
(↑)上はカップ・ブラン(Cap Blanc)の地図。アフリカ沿岸から盲腸の虫垂のように半島が突き出ている。
メデューズ号の遭難は1816年7月に起きた。ルーヴル美術館のジェリコーの大作「メデューズ号の筏」(Le Radeau de la Méduse)はこの事件の証言をもとに制作された。

*参考サイト:
(1) Net Marine ; Les Marins Célèbres : Jean Bart (仏語)
(2) Wikipedia Image:Théodore Géricault -Le Radeau de la Méduse.jpg
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by utsushihara | 2007-02-21 17:57 | 科学、軍事、海事1907-08

「粘土の家」の上演

f0028703_1684845.jpg1907年2月20日(水)

右(→)の画像はコメディ・フランセーズ座で2月20日上演された「粘土の家」の一場面である。エミール・ファーブル氏作による3幕劇で、バラバラになった家族の離婚と金の問題にまつわる害悪を取り上げている。グラン氏、スゴン=ウェベール女史(中央)、マイユ嬢(右)らの巧みな演技の中で、とりわけララ女史(左)は大喝采を博した。各紙も好ましい寸評を出している。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.27; AVR. 1907
画像Crédit d’image : © CNM - Archives Photographiques (Médiathèque de l'Architecture et du Patrimoine)

[ Ψ 蛇足 ]
作者のエミール・ファーブル(Emile Fabre, 1869-1955)は「昆虫記」のアンリ・ファーブルとは別人である。劇場支配人の息子に生まれ、現実を直視したリアリズム演劇作家の代表格であった。題名の「粘土の家」(La Maison d’argile)には「見かけ倒しの家族」という意味が込められている。(慣用句で Statue aux pieds d’argile = 両足が粘土の彫像=見かけ倒しの人物、という意味で使われる。)
f0028703_1682885.jpg(←)また舞台写真の左側に立つルイーズ・ララ(Louise Lara, 1876-1952)は、1896年からコメディ・フランセーズの女優として活躍しており、結婚して1901年には息子クロード・オータン=ララ(Claude Autant-Lara, 1901-2000)を産んでいる。彼クロードはモノクロ映画時代に「肉体の悪魔」、「赤と黒」、「青い麦」などの文芸作品の名画を数多く生み出した監督として名を残した。

**これまでの関連記事france100.exblog:芸術家のラントレ(4)演劇界:アントワーヌ座でエミール・ファーブル作の劇的な展開の生き生きとした作品「公的生活」(Vie publique)の再演(1906.09.20)
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by utsushihara | 2007-02-20 16:09 | オペラ、音楽、演劇1907-08

無線通信のしのぎを削る研究競争

f0028703_18281390.jpg1907年2月

無線通信に関わるプルセン氏の新発見が学会で発表されたことにより、このたびキリノ・マジョラーナ教授はローマに無線通信技術の中央研究所を開設した。
現行のシステムで大きな障害となっているのは、秒単位の震動の増幅が電報信号と混同させることである。プルセン氏が成功したのは、震動を1秒間に1万回まで高めて、あたかも音が途切れずに聞こえるまでになったことで、おそらく将来無線電話に使われることになるだろう。プルセンの円弧は距離の離れたガイスラー管のランプを点灯させることができる。つまりその管は、遠距離の場所から出された人の話や音楽をはっきりと繰り返すのである。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.26; MAR. 1907

f0028703_18283793.jpg[ Ψ 蛇足 ]
画像はいずれも送受信の実験の模様である。百年前にやっとラジオの原理が発明されたことがわかるが、今でも理科系に弱い多くの人にとって、「どうしてラジオが聞こえるようになるのか?」を自力でまともに説明するのは不可能に近いだろう。(上の記事を訳した私自身も実のところ良くわかっていない。)
ヴァルデマール・プルセン(Valdemar Poulsen, 1869-1942)はデンマークの科学者。電気通信技術に多くの特許を取得している。Valdemar Poulsen
キリノ・マジョラーナ(Quirino Majorana, 1871-1957)はイタリアの科学者。ラジオテレフォニー(Radiotelephony)という送受信機への実験を積み重ねた。
ただし下記の「ラジオ放送の歴史」でも明記されているように、1906年12月24日にカナダ出身の電気技術者レジナルド・フェッセンデン(Reginald Fessenden, 1866~1932)がマサチューセッツ州の自前の施設からラジオに人の声と音声と音楽を流したのが世界初とされている。ちょうど100年前のことである。
*参考サイト:Wikipedia(和文)(1) ラジオ放送の歴史 (2) 振幅変調
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by utsushihara | 2007-02-19 18:29 | 科学、軍事、海事1907-08