フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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マルコーニの無線通信の新実験

f0028703_11351793.jpg1906年12月

右掲(→)の写真に見られるように各軍港に無線電信のためのアンテナを設置するのみならず、おのおのの艦船に送受信可能な機器を装備させることにより他の艦船同士とのあるいは沿岸部との交信が可能となった。
ベルリンで電信の国際交信の統一基準を定める会議が開催されたばかりだが、全面的な解決には至らなかった。
f0028703_11353671.jpg
出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.24; JAN. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
マルコーニ(Guglielmo Marconi, 1874-1937)については学校で学んだことがある程度でしかないが、通信の歴史で偉大な貢献をしたことがわかる。下記のサイトで、マルコーニの「無線通信」会社が陸上では既存の「有線通信」の事業者たちからかなりの抵抗を受けたことを知って興味深い。(←)左掲は洋上から送信実験をするマルコーニ。
*参考サイト:我が小無線史(2)無線通信
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by utsushihara | 2006-12-31 11:33 | 科学、軍事、海事1905-06

リッピの聖母子像

f0028703_2347819.jpg1906年12月f0028703_23472484.jpg
知られざる傑作はいまだに見出されることがある。今回発見されたのはリッピの聖母子像の絵(→)で、フィレンツェのとある精神療院の出納事務室にあったものである。近く公共の美術館に展示される予定である。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.25; FEV. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
フィリポ・リッピ(Filippo Lippi, v.1406-1469)はイタリア・ルネサンスの最盛期とされるクワットロチェント(Quattrocento, 1400年代)に活躍した画家で、マザッチオの影響を受け、繊細さと人間味のにじみ出た宗教絵画を残した。記事に掲載されたものと同一の画像は見つからなかったが、ウフィツィ美術館に彼の有名な(←)「聖母子と二天使」(Vierge à l’Enfant entourée de deux anges)で比較することができる。余計な一言になるが、聖母のオデコの具合は藤田嗣治を連想させる美しさである。

*参考サイト: About Florence...UFFIZI GALLERY
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by utsushihara | 2006-12-30 23:45 | 美術、彫刻1905-06

シ・ゲバスの軍勢のタンジール到着

f0028703_22532896.jpg1906年12月28日(金)

12月28日、シ・ゲバスの軍勢はタンジールの城門に到着し、太守を始め、地方の官吏たちから盛大な歓迎を受けた。部隊はブーバンの平原で数日間宿営し、国土の緊迫した状況を早急に解決することを確信している。
f0028703_22534610.jpg
出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.25; FEV. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
画像左(←)シ・ゲバス(Si Mohammed-El-Guebbas)はモロッコの軍事大臣である。モロッコの国内情勢が不安定になっていることは、先般の仏西両国の軍事介入でも明らかである。
**これまでの関連記事france100.exblog:仏西両国によるモロッコ介入(1906.12.08)
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by utsushihara | 2006-12-29 22:51 | モロッコ問題、アフリカ1905-06

「蝶々夫人」のパリ初演

f0028703_23535261.jpg1906年12月28日(金)

12月28日、オペラ・コミック座において日本の悲話を題材にした3幕オペラ「蝶々夫人」の初演が行なわれた。台詞はイッリカとジャコーザ、仏語訳はポール・フェリエ氏、音楽はジャコモ・プッチーニ氏である。出演は、マルグリット・カレ女史、ラマール嬢、エドモン・クレマン氏、ジャン・ペリエ氏などで、ジャンボンとバィイの舞台装飾、劇の内容とともに「ラ・ボエーム」の作曲家による表現豊かな音楽は大きな賞賛を得ている。
f0028703_23541333.jpgここに掲載したポスターはリコルディ出版社のものである。また左(←)の画像は自邸での巨匠プッチーニ。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.25; FEV. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
「蝶々夫人」(Madame Butterfly)は、すでに名声を確立していたプッチーニ(Giacomo Puccini, 1858-1924)の最盛期の傑作オペラの一つである。初演は1904年2月にミラノ、スカラ座で行なわれた。フランスでは歌詞が仏語訳で歌われたかもしれない。
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by utsushihara | 2006-12-28 23:52 | オペラ、音楽、演劇1905-06

プロイセン第4皇子の婚約

f0028703_23495744.jpgf0028703_23494568.jpg1906年12月27日(木)

アウグスト=ウィルヘルム・フォン・プロイセン皇子はドイツ皇帝ウィルヘルム2世の第4子にあたるが、12月27日グリュックスブルク城において正式に婚約を発表した。お相手はシュレスヴィヒ=ホルシュタイン公女アレクサンドラ嬢で、若々しく魅力的な女性である。二人とも年齢は19歳である。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.25; FEV. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
ウィルヘルム2世には6男1女の7人もの子供がいた。末子にようやく娘を得た。四男アウグスト=ウィルヘルム(August Wilhelm von Preussen, 1887-1949)の母親アウグステ=ヴィクトリア(Auguste Viktoria, 1858-1921)もシュレスヴィヒ=ホルシュタイン公家出身で、アレクサンドラ(Alexandra von Schleswig-Holstein, 1887-1957)とは叔母姪の関係のような血縁の近さである。つまりこの婚約者は従兄妹同士ということになると思われる。

*参考サイト:「欧羅巴の旅」というサイトにグリュックスブルク城が出ている:GLÜCKSBURG
**これまでの関連記事france100.exblog:
(1) 独皇太子の結婚式(1905.06.06)
(2)エイテル皇子の結婚(1906.02.28)
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by utsushihara | 2006-12-27 23:44 | ドイツ情勢1905-06

政治家ジュール・フェリーの記念碑

1906年12月
f0028703_160308.jpg
掲載したのは、彫刻家ミシェル氏(左)のアトリエでの様子である。政府の芸術事務次官デュジャルダン=ボーメツ氏(右)がジュール・フェリーの記念碑の雛型を前に意見を述べている。この記念碑建立に関しては教育者連盟が寄付を募り、大きな反響を得ている。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.25; FEV. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
ジュール・フェリー(Jules Ferry, 1832-1893)は弁護士から政治家に転じ、普仏戦争を経た第三共和制における政治に大きな役割を果たした。特に教育相としてジュール・フェリー法と称される一連の法律により教育制度の改革を推進させた。
*参考サイト: 和文Wikipedia : ジュール・フェリー

彫刻家のギュスターヴ=フレデリック・ミシェル (Gustave-Frédéric Michel, 1851-1924)はこの記念碑を1910年に完成させた。現在はチュイルリ公園に置かれている。彼の作品の一つ「鉄を鍛える人々」がパッシ-の鉄道橋を飾っているのを思い出されたい。
*参考サイト:Insecura Monument à Jules Ferry Jardin des Tuireries
**これまでの関連記事france100.exblog:パッシーの鉄道橋(1906.03)
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by utsushihara | 2006-12-26 15:56 | 美術、彫刻1905-06

教育改革要求デモ

f0028703_15553724.jpg1906年12月

カルチエ・ラタンは今月数回にわたって混乱が生じた。法学部と医学部の相当数の学生が教育制度の改革を要求して示威運動を繰り返している。法学部においては12月の間を通して建物が閉鎖されたままとなっている。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.25; FEV. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
学生運動が当時から勢いがあった事例である。改革要求が何をどのようにかは不詳。
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by utsushihara | 2006-12-25 15:54 | フランス政治社会1905-06

英仏海峡海底トンネル計画(1906)

f0028703_1449549.jpg1906年12月24日(月)

12月24日の国会の商工委員会において、英仏海峡の海底トンネル計画法案が提示され、そのための会社を資本金4億フランで設立する内容で承認を取り付けたいと見込んでいる。駐英大使ポール・カンボン氏は席上で証言し、英仏両国の商工業者たちは相互に自分たちの製品を十分に理解されているとは思っておらず、海底トンネルが開通することによってそれが可能となるのは喜ばしいことだと語った。
しかしながら英国自由統一党では、この計画に対して即座に反対運動を起こしている。反対する政治的な理由として、フランスはドイツとの結びつきが強い点を、また歴史的な理由として、英国は海で周囲を隔てられているがゆえに侵略から守られていた点を上げている。
右に掲載した想像画は、フランス側の海岸で海底トンネルに入る前に鉄道が高架橋を通行する様子を描いており、万が一戦争になった場合には英国艦隊がこれを砲撃して破壊することにより連絡をすべて遮断することが可能となる。
f0028703_22323515.jpg
出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.25; FEV. 1907

[ Ψ 蛇足 ]英仏海峡にトンネルを掘ろうとする計画はナポレオン1世の時代にもすでにあったというのは良く知られているが、La France pittoresqueという季刊誌の歴史小話のサイト(表示に時間がかかる)では1802年にナポレオンに提示があったと記載されている。19世紀後半になって商工業が隆盛を極め、海底トンネル計画も実現化に向けて、すでに1875年に調査会社が2百万フランの資本金で設立され、カレーとブローニュ=シュル=メールの中間に位置するサンガット(Sangatte)に調査坑が掘られた。上記の記事はその計画を更に推進するための動きと思われるが、英国の国土防衛を懸念する反対も多く、その後第一次世界大戦の勃発で頓挫したものと思う。現在のユーロトンネルの完成は1994年であるから、着想から190年余りかかったことになる。

f0028703_14513676.jpg画像(←)はフェルナン・ニコライ(Fernand Nicolaÿ, 1848-1923?)の史伝「ブローニュの陣営におけるナポレオン1世」(Napoléon 1er au camp de Boulogne)に引用された英国侵攻のための諸策案である。ナポレオンは1805年英国侵攻を企図して最短距離のブローニュ=シュル=メールに軍勢を集結させた。

*参考サイト:
(1)和文Wikipedia : ユーロトンネル
(2)MSN エンカルタ百科事典ダイジェスト; ナポレオン戦争IV第3次対仏大同盟
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by utsushihara | 2006-12-24 14:47 | フランス政治社会1905-06

文芸批評・評伝作家協会の役員人事

f0028703_16163151.jpg1906年12月23日(日)

文芸批評・評伝作家協会(L'Association des critiques littéraires et biographes)では12月23日、3名の新たな役員を決定した。
カチュル・マンデス氏は劇作「アヴィラの聖女」の作者であり、「ジュルナル」紙の文芸批評を担当。
アンリ・バルビュス氏は「ジュセトゥ」誌の編集長。(←画像)
オーギュスト・ドルシャン氏は劇作「四月のコント」の作者であり、「政治・文学年報」の文芸批評を担当。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.25; FEV. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
カチュル・マンデス(Catulle Mendès, 1841-1909)は高踏派の詩人、劇作家、批評家。特にこの年(1906)には「グラティニー」(Glatigny)、「アリアーヌ」(Ariane)、「アヴィラの聖女」(Vierge d’Avila)の劇作/オペラ台本で大いに注目を集めた。参考サイト:Wikipedia(仏語)

アンリ・バルビュス(Henri Barbusse, 1874-1935)が若い頃雑誌編集者、しかも雑誌「ジュセトゥ」の編集長だったことを知って驚いた。この年はまだ32歳。2年後に代表作の一つ小説「地獄」(L’Enfer, 1908)を発表するが、彼の作家としての地位を確立するのは第一次大戦の状況下で書かれた「砲火」(Le Feu, 1916)以降となる。
参考サイト:アンリ・バルビュス友の会Présentation rapide d'Henri BARBUSSE

オーギュスト・ドルシャン(Auguste Dorchain, 1857-1930) 詩人、劇作家、批評家。
*参考サイト:UdeNap.org ドルシャン(仏語)

**これまでの関連記事france100.exblog:サラ・ベルナールの凱旋公演「アヴィラの聖女テレサ」(1906.11.10)
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by utsushihara | 2006-12-23 16:23 | 文芸、評論1905-06

ロシアの軍事評議会

f0028703_16141674.jpg1906年12月21日(金)

ロシアの軍事評議会はネボガトフ提督の死刑を決議した。78名の海軍士官が告発されていた。審判の過程でロジェストヴェンスキー提督は驚愕すべき供述を行なった。士官たちを訴追するのは馬鹿げており、自分とネボガトフだけがバルチック艦隊の壊滅の責任を負うべきだと語ったのである。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.25; FEV. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
ロシアの軍事裁判は日露戦争終結後1年以上経過しても続いている。7月の記事にもあるようにロジェストヴェンスキーは重傷を負って駆逐艦に収容され、人事不省に陥っていたことが証明されたため、ネボガトフ(Nebogatoff)の最終指揮責任が明るみに出る結果となったようだ。

*参考サイト:『坂の上の雲』あらすじと心に残る言葉(八)の6 死闘
**これまでの関連記事france100.exblog:露提督ロジェストヴェンスキーの裁判(1906.07.09)
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by utsushihara | 2006-12-22 16:08 | 日露戦争、東洋事情1905-06