フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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ロビンヌ女史、コメディ・フランセーズへ

f0028703_1752695.jpg1906年8月

ロビンヌ女史はロシアでの華々しい成功に満ちた公演を終えてフランスに戻るにあたり、コメディ・フランセーズ座と契約を結んだ。前回、彼女の演技をパリの観客が見つめ、かつ賞賛したのは、サラ・ベルナール劇場における『鉄によって、炎によって』の公演であった。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout »No.20; OCT. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
ガブリエル・ロビンヌ(Gabrielle Robinne, 1886-1980)も20世紀初頭におけるフランスの有名女優の一人であった。この記事のときでやっと20歳であることからすると、才能豊かな美人女優で高い人気を得ていたことが想像できる。ちょうど制作が盛んになる無声映画にも積極的に出演する。このことはあと1~2年後にお伝えすることになるだろう。94歳という長寿を保ったが、戦後の80歳を過ぎても映画に出演していたようだ。
出し物の『鉄によって、炎によって』(Par le fer, par le feu)は、サラ・ベルナールの息子モーリス・ベルナールの作で、うら若い乙女が主役となっており、1904年のルネサンス座での初演に際しても弱冠17歳の女優が出演契約している。
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by utsushihara | 2006-08-31 17:52 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ヴィクトル・ユゴーの高浮彫(レリーフ)

f0028703_17443030.jpg1906年8月

文豪ヴィクトル・ユゴーが1885年5月に亡くなった場所に新しい建物が建てられているが、その正面扉の上部に彼の顔を刻んだ浮彫が飾られることとなった。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout »No.20; OCT. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
上の記事中には別の住所が載っていたが、何かの手違いと思う。正確にはパリ16区ヴィクトル・ユゴー通り124番地(124, avenue Victor Hugo, 16e)である。別の資料ではこの新しい建物の建築士はウンベール(Humbert)、この高浮彫(=正面扉の上部などに装飾として置かれる:haut-relief)の作者はマルセル=ポール・フォンケルニュ(Marcel-Paul Fonquergne )、完成は1907年となっている。
この建物の写真が見つかれば追加でUPする予定。(提供協力先へ照会中)

*参考サイト:在仏日本商工会議所のサイトに在仏日本国大使館・栗原参事官が書かれたコラム(2005年5月25日付)私のオフタイム:パリを歩こう!記念プレート編 が興味深い。
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by utsushihara | 2006-08-30 17:43 | 美術、彫刻1907-08

革命の闘士マラー像

f0028703_18124478.jpg1906年8月

ジャン・バフィエ氏の制作によるマラーの記念像は数年のあいだ未決のまま大理石彫刻の保管庫に収められていたが、パリ19区のビュット・ショーモン公園に設置されることとなった。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout »No.20; OCT. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
彫刻家のジャン・バフィエ(Jean Baffier, 1851-1920)については、当ブログの1906年1月に、16世紀の思想家「ミシェル・セルヴェの彫像」の作者として掲載したことがある。このセルヴェ(Michel Servet, 1511-1553)という人物については松本さんの「発見記録Blog」のほうで詳しく言及していただき、大いに勉強になったことを覚えている。
彫像の共和国(1)リベルタンと三位一体
彫像の共和国(3)アンヌマスのセルヴェ像

19世紀末から20世紀にかけての第3共和制の時代に、パリをはじめとする都市空間に多くの彫像や記念碑が建てられたのはご存知の通りだが、政治的な宣伝活動や示威運動として設置されたものも多いという。上記の彫刻家バフィエも、反ユダヤ主義者で、カトリックの伝統に基づいた国粋主義的な思想に与して、作品にもそれを盛り込む表現を行なったとされる。
記事掲載の「マラー像」も1886年に起きた国会議員の暗殺計画について新聞メディアで論戦が交わされる中で制作され、大きな話題となったものである。画像が不鮮明なので、もっとましな写真がないものかと現在のビュット・ショーモン公園(Parc des Buttes-Chaumont)も含めて探索してみたが、どうしても見つからない。最後は「国際セルヴェ協会」Servetus International Societyのサイトにある下記の論文に「このマラー像は1942年に破壊された」とあった。ドイツ軍のパリ占領時代のことである。
* Monuments, martyrdom, and the politics of religion in the French third republic. by Neil McWilliam(英文)

** 『パリは燃えているか』ラリー・コリンズ&ドミニク・ラピエール著、志摩隆・訳、早川書房刊より引用 : 「・・・ドイツ兵たちは、街の容貌さえ一変させてしまった。美しい銅像をほとんど二百近くも台座からひきずりおろしてしまったのだ。そのなかには、自由を高らかに讃美した詩人ヴィクトル・ユゴーの臨終の家の近くに、かつて君臨していた詩人の巨大な青銅の像も含まれていた。これらの銅像は、ドイツに送られて大砲に鋳造されてしまった。・・・」

(ラスパイユ通りに今も置かれている有名なロダンのバルザック像のほうは、ひそかに天文台の敷地の片隅に隠し置かれて難を逃れたという別の有名なエピソードもある。)
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by utsushihara | 2006-08-29 18:08 | 美術、彫刻1907-08

第2回世界エスペラント会議

f0028703_1830246.jpg1906年8月28日(火)

8月28日から9月1日までジュネーヴ大学の大講堂において第2回世界エスペラント会議が開催され、千人余りの参加者があった。この新しい言語の創案者であるザメンホフ博士は開会にあたって講演を行ない、彼の目にとっては全世界の博愛精神こそエスペラント語を偉大なものとするのだと力説した。実用面での利点を別にしてもそう期待することは可能である。
f0028703_18303373.jpg会議では現在パリに仮設置されているエスペラント会議事務局を恒久的な機関として設立する議案が承認され、また世界の主要各国でのエスペラント語教育の推進が決議された。すべての発言はエスペラント語によって行なわれ、さらにこの言語で書かれた2つの劇作品が市立大劇場で上演された。次回の会議は恐らく英国のケンブリッジで開かれる予定である。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout »No.20; OCT. 1906
画像Crédit d’image : © www.EsperantoUniverse.com

*参考サイト: 柴山純一氏の編集による世界/日本のエスペラント運動史年表
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by utsushihara | 2006-08-28 18:30 | 文芸、評論1907-08

ミン将軍暗殺

f0028703_1632487.jpg1906年8月26日(日)~27日(月)

モスクワ騒乱の鎮圧に加わった連隊の司令官であるミン将軍(Général Minn)は、8月26日ペテルホフで拳銃を5発撃たれて死亡した。犯人は若い娘で、それを捕り押さえたのは彼自身の妻であった。
翌日、将軍の死を悼む告別式が営まれ、ロシア皇帝も参列した。写真(←)はミン将軍で55歳であった。写真(↓)は殺人犯のコナプリアニコフ嬢(Mlle Konaplianikoff)で、これまでも政治犯として投獄されたことがある。(彼女は27歳で、9月12日に処刑された。)

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout »No.20; OCT. 1906
出典Crédit : ©Edmund A. Walsh:The Fall of the Russian EmpireAppendix V:Attempts on the life of Stolypin
f0028703_16325438.jpg
[ Ψ 蛇足 ]
8月25日の爆弾テロ事件に続き、エドムンド・ウォルシュ神父(Father Edmund Walsh S.J., 1885-1956)著の『ロシア帝国の衰亡』(The Fall of the Russian Empire)の注記で引用されている外務大臣イソヴォルスキーIsvolskyの手記の中から抜粋訳してみた。

「・・・翌日曜日、私はペテルホフに行った。皇帝と朝食をご一緒することになっていたのである。列車を降りると駅のプラットホームで大きな動揺が起きているのに気づいた。そしてミン将軍の横たわった姿を見た。彼はちょうど駅に運ばれてきたのである。将軍はセメノフスキー連隊の司令官としてモスクワ騒乱の鎮圧に際して主導的な役割を果たしていたが、一人の女性に拳銃で立て続けに撃たれて殺害された。彼女はその場で逮捕されたとき、警察に身体を押すなと警告した。ミン将軍を撃ち損じた場合に備えて爆弾を持っていると言うのだった。この爆弾は鰯の缶詰のような大きさと形をしており、取り上げてベンチの上に置かれ、二人の警官が見張っていた。その後の検査により、その中にはとても強力な爆薬が入っていたことがわかった。爆発が起きれば大きな被害となるところであった。

・・・また別のテロリストの一団がまさに事を起こそうとする直前に警察によって逮捕された。彼らの計画とは、強力な爆薬を積んだドイツ製の赤色の高級車をフルスピードで走らせて、サンクト・ペテルブルクの冬の宮殿にある首相の居室に通じる扉めがけて突っ込むというものだった。もしこの計画がうまく発覚しなかったならば恐ろしい被害が及んだことだろう。・・・」
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by utsushihara | 2006-08-27 16:29 | ロシア帝政末期1905-06

コンゴ調査団の出航

f0028703_2159456.jpg1906年8月25日(土)

まだよく知られていないアフリカ大陸のコンゴ地域を調査する使命を受けた一行は、8月25日「マランハオ市」号に乗り込んでボルドー港を出航した。一行はランファン団長(前列中央で麦藁帽子をかぶっている)をはじめ、医師2名、鉱山技師1名、士官1名、下士官数名で構成されている。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout »No.20; OCT. 1906
画像Crédit d’image : ©John Oxlely Library, State Library of Queensland, Australia.

[ Ψ 蛇足 ]
当然ながら船の乗組員と警護のための兵士も乗っていたのは言うまでもないだろう。まだアフリカは列強による探検と植民地化が真っ最中の頃で、この団を率いたウジェーヌ=アルマン・ランファン(Eugène-Armand Lenfant, 1865-1923)も生涯を世界各地のフランス植民地を踏査し、数年前にはニジェールからチャドに通じる交易路を発見しているが、現地人との戦いで矢によって手を負傷している。
f0028703_2202991.jpg
*参考サイト:「功名を馳せた軍人たち」Officiers célèbres; Général Lenfant(ランファン将軍:仏語)

画像を掲載した「マランハオ市」号(Ville de Maranhao)は、「連合貨物郵船会社」(La Compagnie des Chargeurs Réunis)所有の船で、1882年建造、2548トン、欧州とアフリカ西岸諸国間の郵便貨物を運搬していた。この会社はその他にもフランス~ブラジル間の航路、仏印航路なども運行しており、この船の名前もブラジル北部の港、サン・ファン一帯の地名、マランハオ(Maranhao)から付けられたものと思われる。
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by utsushihara | 2006-08-26 22:00 | フランス政治社会1907-08

ストルィピン氏暗殺未遂

f0028703_16222045.jpg1906年8月25日(土)

ロシアの首相ストルィピン氏の殺害を狙った爆弾テロが8月25日、セント・ペテルブルクの郊外、「薬剤師の島」にある氏の別荘で起き、多数の犠牲者が出た。その日、2人の女と2人の男が陳情があるとやって来て、そのうちの1人の憲兵の制服を着た男が帽子から爆弾を放り投げたのである。爆発により別荘の一部が壊れたが、ストルィピン氏は書斎にいたため打撲傷を負ったに過ぎなかった。f0028703_16215191.jpg犯人のうちの3人はその場で射殺された。死者は約30名、負傷者も同数程度出た模様であるが、その中には首相の2人の子供も含まれている。
掲載の写真は、爆発の被害状況と前日別荘への首相夫妻の到着した時の模様である。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout »No.20; OCT. 1906
出典Crédit : ©Edmund A. Walsh:The Fall of the Russian EmpireAppendix V:Attempts on the life of Stolypin

[ Ψ 蛇足 ]
エドムンド・ウォルシュ神父(Father Edmund Walsh S.J, 1885-1956)は、米国カトリック教会イエズス会の神父であるが、反共産主義者の立場からロシア革命に関する著書がある。『ロシア帝国の衰亡』(The Fall of the Russian Empire)もその一つであるが、注記に外務大臣のイソヴォルスキーIsvolskyの手記が掲載してあり、その場に居合わせた立場が迫真的なので、少し抜粋訳してみた。

・・・議会の解散はテロリスムへの回帰の合図となった。それは最も顕著な暴力行為として開始された。・・・
「私はそのとき市内におり、外務省でウラディミール大公の宮廷長ニトロフ氏の訪問を受け、儀典上のいくつかの問題を相談された。話が済むと私は彼を引きとめ、政府の宮殿の内装工事の進み具合を30分ほど彼に見せて意見を聞いたのだった。ニトロフ氏はそのあと別の用事で首相の別荘に行く予定だった。この時間の遅れが彼を恐ろしい爆発から救ったのだ。そうでなければ大惨事の数分前に彼は別荘に到着していたからである。
 私は電話で何が起きたかを知らされると、馬車に飛び乗り、20分後には災害の現場に到着した。その凄惨な場面は筆紙に尽し難かった。別荘の建物の約3分の1が粉々になっていたが、それが木造であったために、石造であった場合ならば建物全体が崩壊して犠牲者が数倍であったのに比べればまだましであった。・・・」

Wikipadia の写真には、戦後の東京でマッカーサー元帥に同伴するウォルシュ神父の姿が見える。 Edmund A. Walsh(英文)
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by utsushihara | 2006-08-25 16:22 | ロシア帝政末期1905-06

画家ステヴァンスの死

f0028703_16284666.jpg1906年8月24日(金)

ベルギー出身の有名な画家アルフレッド・ステヴァンス氏は、8月24日パリで死去した。78歳だった。彼の主要な作品は、「人生の春」(Printemps de la vie)、「無邪気さ」(L’innocence)、「贈り物」(Etrennes)、「蝶々と婦人」(La dame au papillon)のほか、多数の肖像画が知られている。時代風俗の洗練された美を描く画家であった。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout »No.20; OCT. 1906
画像Crédit d’image : ©mamac&ced :Musée d’Art moderne et d’Art contemporain de la Ville de Liège Alfred Stevens

f0028703_162968.jpg
[ Ψ 蛇足 ]
アルフレッド・ステヴァンス(Alfred Stevans, 1828-1906)は、ブリュッセルとパリで絵の修業をしたあと、27歳でパリに居を定め、伝統的な技法による自然主義的な表現で社会風俗を描いた作品でサロンに出た。当時盛んだった新興ブルジョワ階級の婦女子をモデルとした肖像画の分野で彼の人気は高かったが、特に率先して取り入れた「日本趣味」(ジャポニスム, Japonisme)を題材とした作品が代表的とされる。(参考画像↑)「キモノ姿のパリ娘」(La Parisienne japonaise, 1872)
また印象派の先達、コローやマネ、モリゾなどの画家やボードレール、ゴンクール、マラルメなどの文人との交遊があったことでも知られる。彼の著作「絵画における印象」(Impressions sur la peinture, 1886)も大きな評判となり、数ヶ国語に翻訳された。(BNF-Gallica No.37271電子図書としても収録)パリ9区のピガール広場の近くに彼の住居があったのを記念して、通りに名前がつけられている。

[ ΨΨ 蛇足の蛇足 ]
また、蛇足の蛇足になるが、この画家の兄にあたるジョゼフ・ステヴァンス(Joseph Stevens, 1819-1892)も写実的な画家として活躍しており、とりわけ「犬」を描くことにおいては右に出る者がいないとまで評された。これについては、松本さんのサイト「文字の味方、文学の味方Le Parti pris des lettres」の中の「善良な犬たち シャルル・ボードレール」を参照されたい。
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by utsushihara | 2006-08-24 16:29 | 美術、彫刻1907-08

中国鉄道路線の新設

f0028703_16215269.jpg1906年8月

中国の江蘇省(Kiang-sou)の綿花地帯に7月20日以来、鉄道が敷設され、今のところ南京と蘇州を結んでいるが、近い将来、上海まで伸ばされる予定である。この鉄道は軍事的にも商工業的にも重要な路線と見なされている。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout »No.20; OCT. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
*参考サイト:「中華遊」AraChina.com 江蘇省地図
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by utsushihara | 2006-08-23 12:20 | 日露戦争、東洋事情1905-06

タンジールのジゴン提督

f0028703_16193821.jpg1906年8月15日(木)

タンジール港を前に集結したフランス北部艦隊の司令官ジゴン提督は、8月15日、参謀たちの先頭に立って上陸した。君主の代官として治めているモハメッド・エル・トーレスに表敬訪問するためであったが、住民たちは好意的な態度を示している。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.20; OCT. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
ジゴン提督(Amiral Gigon)については詳細不明。
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by utsushihara | 2006-08-22 21:17 | モロッコ問題、アフリカ1905-06