フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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スヴェンボリの叛乱とヘルツェンシュタイン議員の暗殺

f0028703_1512494.jpg1906年7月31日(火)

フィンランド領内のヘルシングフォルス付近にあるスヴェンボリ要塞に駐屯していた一部の兵士たちが7月31日、叛乱を起こした。要塞内で忠誠を保った兵士たちとの激しい戦闘の末、叛乱者たちは降伏した。死傷者の数は500名を超えている。

また同じ日、フィンランドに滞在中のロシア国会議員の中で重鎮と目されたヘルツェンシュタイン氏が銃で暗殺された。実行犯はペテルブルクからやって来た4人の男たちだったが、列車で逃走したあと、警察はまったく捜索の手はずを取っていない。
f0028703_173221.jpg
出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.19; Sep. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
ヘルシングフォルス(Helsingfors)とは現在のヘルシンキのこと(スウェーデン語表記)である。スヴェンボリ(Svenborg)の地名はデンマークにも同名の土地がある。
画像(右→)の暗殺されたミハイル・ヘルツェンシュタイン(Michael Herzenstein, 1859-1906)は、ゲルツェンシュテインとも呼ばれる。ロシア革命思想の指導的な立場にあった。
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by utsushihara | 2006-07-31 15:11 | ロシア帝政末期1905-06

シャンソン界のプリンスも騎士勲章

f0028703_11244538.jpg1906年7月

シャンソン界のプリンスと称されているグザヴィエ・プリヴァも今回レジオン・ドヌール騎士勲章を受けた。リヨンの生まれ、1890年にパリのモンマルトルでデビューした。シャンソン歌集『実体験の歌』(Chansons vécues)、『人情味のある歌』(Chansons humaines)などの作者である。彼自身、自分の歌への作曲も手がけ、「ピエロの遺言」が最もよく知られている。
f0028703_11252314.jpg
出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.19; Sep. 1906
画像Crédit d’image : ©BNF-Gallica No.202934 Chansons chimériques, p.223

[ Ψ 蛇足 ]
画像の楽譜は、BNF-Gallicaに収められている歌集『夢見心地の歌』(Chansons chimériques, 1905)にある「ピエロの遺言」(Le Testament de Pierrot)である。曲としては短いが歌詞が何番にもなっていて長い。

別の資料によると、グザヴィエ・プリヴァ(Xavier Privas, 1863-1927)がパリに定住したのは1892年となっている。「鵞ペンの夕べ」や「プロコープの夕べ」などを企画し、モンマルトルの文学カフェ「シャノワール」(Chat Noir)や「ノクタンビュル」(Noctambules)で活躍した。1903年からフランシーヌ・ロレ(Francine Lorée)と共演し、のちに結婚した。
参考サイト:「シャノワール」のサイト(Le Chat Noir) : Xavier Privas(仏文)
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by utsushihara | 2006-07-30 11:23 | オペラ、音楽、演劇1907-08

レジオン・ドヌール騎士勲章:アンドレ・クヴルール

f0028703_17393086.jpg1906年7月

騎士勲章を受けたアンドレ・クヴルール氏は、小説家であると同時に血統に関する社会医学の研究に専門性を有している。これまで「家系」(La famille)という共通タイトルでの連作「血脈の力」(La force du sang, 1902)、「種子」(La graine, 1903)に加え、今月出版された「果実」(Le fruit, 1906)はなかなか劇的に組み立てられた作品である。氏は今年4月にヴィクトル・マルグリット氏の主宰する文芸家協会の書記長に選出されている。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.19; Sep. 1906
画像Crédit d’image : ©Les Bouquins de Fantasio

[ Ψ 蛇足 ]
アンドレ・クヴルール(André Couvreur, 1865-1944)は、医者の家系に生まれ、彼自身作家であると同時に医者であった。上記の記事では遺伝学的な(ゾラの実験小説のような)テーマの小説を思わせるが、彼の真骨頂はジュール・ヴェルヌやH.G.ウェルズに続くSF文学の開拓者として、ロニー兄弟やモーリス・ルナールらとともに空想科学的な文学作品を生み出したことであろう。
f0028703_17395647.jpg
画像は、上記の年から4年後の1910年に出版されたクヴルール作の「巨大微生物の侵略」(Une invasion de Macrobes)の当時の表紙である。当初この作品は雑誌「イリュストラシオン」の別冊として発表され、「ジュセトゥ」の版元でもあるピエール・ラフィット社から刊行された。
SFでいわゆる「マッド・サイエンティスト」物と呼ばれる、狂気に陥った天才科学者が引き起こす破滅的な事態を描いている。登場人物の天才科学者トルナーダ教授は、ペテン師と見なされて仲間からつま弾きされ、怨恨からロニーの森の中の研究所にこもって微生物を巨大化させる研究に没頭する。やがてその生物はパリとその周辺に恐怖の念をまき散らす。

「・・・長くは待たなかった。不安に駆られた私の感覚は好奇心から倍増し、あたりで超常的な現象が起きていることをすばやく感じ取った。ごうごう鳴る音は止んだが、これまでまったく聞いたことのない騒音にとって代わっていた。
『ザリッ!ザリッ!ザリッ!…』
あたかも途方もない鉄製の箒が石の上をこすって歩くような音だった。そう!それは巨大な箒で遠くの地面を掃いている感じなのだ。そしてそれほど急いでいるとは思えない速度で進んでいた!
『ザリッ!ザリッ!ザリッ!…』
音はくり返された。そこで何が起きているのだろうか?
どんな悪夢のような一団が地面の上をこうして削っているのだろうか?どんな怪物が近づいているのだろうか?・・・」

クヴルールはその後も同一主人公で続編を5作ほど出したが、おそらく軽妙なタッチの迫力に欠ける文体のせいか埋没してしまい、半世紀以上も経った1998年11月にオンブル社の「小さな図書館」シリーズの1冊として復刊されている。これはその裏表紙に掲載された本文の一部である。
参考: alapage.com : Petite Bibliothèque Ombres No.118 - UNE INVASION DE MACROBES

原題Une invasion de Macrobes で「巨大微生物」と訳してみた Macrobe は作者の造語であり、接頭辞の macro-(マクロ)から類推した。物語の中で教授が microbe(微生物)を巨大化させたとあるので、microbe → macrobe としたのだろうと推測する。

なおこの作家の没年は1944年なので、フランスでは著作権の保護期間70年が経過しないうちは電子ファイル化される見込みがない。
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by utsushihara | 2006-07-29 17:36 | 文芸、評論1907-08

仏海軍の大演習

f0028703_1734060.jpg1906年7月

フランス海軍の大規模な演習が7月末、3つの艦隊合同でフルニエ提督の指揮のもと、地中海沿岸で実施された。
ビゼルト、トゥーロン、マルセイユの3軍港への攻撃を仮想しての演習であり、参加した各艦船の果たした役割は良好であった。交戦不能にしたと見なすことのできた仮想敵艦船の数は、ビゼルトの前で5隻、トゥーロンの前で5隻、マルセイユの前で41隻、都合51隻であった。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.19; Sep. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
ビゼルト(Bizerte)は北アフリカ、チュニジア北部の港である。Bizerte(仏文)
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by utsushihara | 2006-07-28 17:26 | フランス政治社会1907-08

児玉将軍の葬儀

f0028703_17122654.jpg1906年7月28日(土)

日本国の軍隊の偉大な改革者であった児玉伯爵の壮大な葬儀が東京で執り行なわれた。彼の柩は大砲の車輌に載せられて12名の兵士によって牽かれ、山県、大山、乃木、黒木の各将軍が付き従った。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.21; NOV. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
フランスの雑誌に実際このニュースが載ったのは数ヵ月後のことであったが、日露戦争でロシアを破った日本の軍隊とその指導者たちについては欧州各国でも注目されていた。児玉源太郎(1852-1906)は、陸軍参謀総長のまま脳溢血で急死した。54歳だった。
*参考サイト:Wikipedia 児玉源太郎(和文)
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by utsushihara | 2006-07-28 17:11 | 日露戦争、東洋事情1905-06

朝鮮王朝の将軍

f0028703_11191196.jpg1906年7月

写真に掲載の4人の苦力に担がれた奇妙な乗物に乗った風変りな人物は、古式豊かな朝鮮王朝の将軍の一人である。彼は宮廷用の礼服に身を整え、皇帝に拝謁するところである。こうした時代錯誤は、日本人によって持ち込まれる近代文明の流れにはもはや長続きしないだろうと思われる。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.19; Sep. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
この記事に複雑な思いを抱かれる方は少なくないと思う。輿に乗った武将の姿が西欧人に奇妙に見えたのは否めない。
日本が朝鮮王朝への影響力を強めたのは19世紀後半からで、特に1895年の日清戦争後はそれまで影響力の大きかった清に代わり、国名を「大韓」と改めさせて直接支配を強めた。日露戦争後、ロシアの進出を断ち切って1905年に保護国とした。日韓併合はその5年後の1910年である。
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by utsushihara | 2006-07-27 11:17 | 日露戦争、東洋事情1905-06

ポルト=リシュ氏アルスナル図書館長へ

1906年7月26日(木)

劇作家で詩人のポルト=リシュ氏は7月26日、アルスナル図書館長に任命された。氏はこれまでに「フランソワーズの好機」(La Chance de Françoise, 1888)、「不実な女」(L’Infidèle, 1890)、「恋する女」(Amoureuse, 1891)、「過去」(Le Passé, 1897)などの劇作で知られ、最新作「年老いた男」(Le vieil homme)の初演が待たれている。彼の作品は機知に富むと同時に男女関係の心理を深く掘り下げた描写で高い声価を得ている。
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出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.19; Sep. 1906
出典:青空文庫、岸田國士「舞台の言葉」

[ Ψ 蛇足 ]
ジョルジュ・ド・ポルト=リシュ(Georges de Porto-Riche, 1849-1930)は極端な寡作家で、生涯発表した作品は十数点でしかない。上記で最新作とされた「年老いた男」はさらに推敲を加えたせいか、結局5年後の1911年にやっと初演される。
アルスナル(Arsenal)とは元来「兵器庫」のことだが、国軍の兵器庫附属の書庫が図書館のような充実を見せ、19世紀中期には碩学シャルル・ノディエが館長として若い文学者たちを集めたサロンを開いたことで知られる。

明治~大正期の代表的な演劇人の一人、岸田國士の小評論『舞台の言葉』が青空文庫に収容されているが、その中にポルト=リシュに言及した部分があるので参考に下記に引用した。

「・・・更に自分の恥さらしをすれば、仏蘭西の戯曲ならば、原作が読めると思つて、いろいろ読み漁つたものを、これはここが面白い、あれはあそこが面白いと独りぎめをして悦んでゐた五六年前は、今から考へると、全く戯曲の文体といふものについては盲目であつた。例へば、ポルト・リシュのものなどを読んで、なるほどこれは恐ろしい心理解剖家だ、鋭いものだ、細かいものだ、さう思つて頭を下げてゐた。ところがその後、巴里で暫らく暮して見て、日常の会話にいろいろな疑問が起つたり、あんな言葉をあんな場合に使ふのかといふことを知つたり、あの文句をああいふ風に云ふのかといふことを覚えたり、ああいふ人間が、ああいふ手真似をするんだなといふことを気づいたりしてゐるうちに、ポルト・リシュをもう一度読み直して見てびつくりした。やれやれ、白(せりふ)を云ふ人物の姿、顔、表情、身振、手真似が悉く眼に浮ぶではないか。コメディイ・フランセエズに行つて、『過去』や『ふかなさけ』の舞台を観て、更に面喰つた。やれやれ、あの文句は、ああいふ調子で云つた方がよいのか。あの女は、あれくらゐに泣いておけばいいのか。あの男の、あの長台詞は、ああ云へば、なるほど退屈はさせない。私は、しかもこの舞台の上で、ほんたうに、ポルト・リシュの戯曲がわかつたのである。ポルト・リシュの文体がわかつたのである。ポルト・リシュの芸術が解つたのである。私は、それ以来、芝居を観に行くことが怖くなつた。・・・」
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by utsushihara | 2006-07-26 23:52 | オペラ、音楽、演劇1907-08

舞台俳優の養老院に劇場開設

f0028703_1551557.jpg1906年7月25日(水)

7月25日、クィイ=ポントーダームにてファリエール大統領の臨席のもと、舞台俳優のための養老院に併設された劇場の落成式が行なわれた。この養老院の創設者は名優コクラン=エネである。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.19; Sep. 1906
画像Crédit d’image : © Promenade dans PONT-AUX-DAMES au début du 20e siècle

[ Ψ 蛇足 ]
上↑の画像は左からファリエール大統領、作家ジュール・クラルティ、名優コクラン=エネ。f0028703_15483844.jpg
コクラン=エネ(Coquelin aîné)の本名はコンスタン・コクラン(Constant Coquelin, 1841-1909)である。同じ俳優だった弟のエルネストと識別するために、兄(エネ=Aîné)と呼ばれた。20歳になる前からコメディ=フランセーズに加わり、25年間に40本以上の演目をこなした。彼の名声を永遠にしたのは、エドモン・ロスタンが書いた『シラノ・ド・ベルジュラック』(Cyrano de Bergerac, 1897)の長大な韻文劇を初演し、未曾有の大成功を収めたことによる。
彼は60歳過ぎに自分たちが創設したこの養老院に入居していた。(結局、数年後にここで心臓発作を起こし世を去ることになる)右→は養老院の建物。

クィイ=ポントーダーム(Couilly-Pont-aux-Dames)という村はパリの東隣、セーヌ・エ・マルヌ県にある。県支庁の都市モー(Meaux)の南側、マルヌ川の支流メニル川に沿った場所にある。この村の地名も珍名に近い。(直訳すると下品になるので興味のある方はご自分で仏和辞書を引かれたい)

参考サイト:Cartes postales anciennes de Seine & Marne(セーヌ・エ・マルヌ県の昔の絵葉書) Maison de Retraite des Artistes Dramatiques - Le Théâtre (養老院附属劇場)
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by utsushihara | 2006-07-25 15:46 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ロシア国会議員、フィンランドへ

f0028703_21513564.jpg1906年7月24日(火)

解散を命じられたロシアの国会議員200人は7月24日、フィンランドのヴィボリ付近のテリオキの森に集結し、ロシア人民に対しこれ以上の税金の支払うべきではないと勧告し、蜂起するように呼びかけた。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.19; Sep. 1906
画像Crédit d’image : © The Iniversity of Texas at Austin; Perry-Castañeda Library Map Collection

[ Ψ 蛇足 ]
上記の呼びかけに応じて8月4日にペテルブルクとモスクワでゼネストが起こったが、3日間で鎮圧された。

フィンランドは当時ロシア帝国の支配下の保護国のような時代が続いていた。帝政末期の特に1905年にはロシアからの分離独立をめざす動きがあった。(参考:Exblog フィンランドの独立行動

帝都ペテルブルクの臨むフィンランド湾の北側が当時のフィンランド領であり、古都ヴィボリ(Vyborg)はカレリア(Karelia)地方の中心であった。(右記の地図参照)当時政治犯として追及の手を逃れてこの地へ一時的に移ることが多かったようだ。上記の記事中でフィンランド領内とされたヴィボリ、テリオキ(Terioki)も現在はロシア領となっている。フィンランドを代表する作曲家シベリウスが1892年の新婚旅行でカレリア地方に滞在し、フィンランドの伝説や民謡に接する機会を得てそれをもとに組曲「カレリア」を作っている。
参考Wikipedia : Vyborg
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by utsushihara | 2006-07-24 21:48 | ロシア帝政末期1905-06

古代ドルイド教の儀式

f0028703_1072378.jpg1906年7月23日(月)

7月23日、サン・ブリュー近郊で古代風習の愛好家団体によって古代ドルイド教の儀式を再現する催しが行なわれた。その中のメンバーには代議士のド・レストゥルベイヨン氏も加わっている。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.19; Sep. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
ドルイド教(Druide)はもともと中欧ゲルマン諸民族の土着信仰の一つで、ケルト族の住んだブルターニュ半島に多くの伝統の痕跡が見られる。上記の儀式の再現が行なわれたのは、ブルターニュ半島北部を占めるコート・ダルモール県(Côtes d’Armor)の県庁所在地サン・ブリュー(Saint-Brieuc)である。ドルイドとは「樫の賢者」という意味で、樫の寄生木を神の宿る物と見なして宗教的な儀式を行なったと考えられている。

ドルイド教についての概説は日本語サイトで意外にも多く見つけることが出来る。
(1)紫堂という方の「古代史研究室」サイト中にあるドルイド
(2)バルバロイというサイトの中の「古ヨーロッパの神々」中の聖なる森

また上記の代議士については、レジ・ド・レストゥルベイヨン侯爵(Régis de l'Estourbeillon, Marquis de; 1858-1946)のことで、当時はヴァンヌ選出の議員で、ブルターニュ地方固有の言語・伝承・文化の振興策を訴えて活動した人物である。特にブルトン語教育の導入に力を注いだ。

ドルイド教に関して、私たちに一番なじみ深いのはベルカント・オペラの傑作「ノルマ」(Norma)だろう。ドルイド教の巫女ノルマはローマ帝国ガリア統治官ポリオーネに愛され2人の子供までもうけたが、ポリオーネがローマに帰還するに際しては別の若く美しい巫女アダルジーザを伴おうとする。失意のどん底となったノルマは・・・。人物設定からするとギリシア悲劇にもこういう展開があったような気がしてならない。オペラの面白解説というと、読んで楽しい「すずめ氏のオペラ事件簿」をつい参照してしまう:ベッリーニ「ノルマ」
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by utsushihara | 2006-07-23 10:04 | フランス政治社会1907-08