フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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ロシアで総選挙

f0028703_1622309.jpg1906年4月

ロシアではこの4月を通して最初の国会議員を選出する区割の編成が行なわれた。投票の仕組みはますます複雑化している。農民たち、労働者たち、小地主たちがそれぞれ代表者を指名し、彼らが他のそれぞれの階層つまり大地主たち、都市生活者たちなどの選挙人と一緒になって国会(ドゥマ)への代議士を選出するのである。月末までには議員を215人指名することができた。立憲民主派を含む反体制勢力もかなりの数の議席を占めている。

出典:BNF-Gallica #102978 « Je sais tout » No.16; Mai, 1906

[ Ψ 蛇足 ]
画像は国会(ドゥマ)が召集される予定のガチナ(Gatchina)宮殿。ガチナは首都ペテルスブルクの南60kmのところにある。この美しい宮殿は離宮のようなものであったらしい。
参考サイト:Gatchina is Russia and the World(英文)
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by utsushihara | 2006-04-30 19:21 | ロシア帝政末期1905-06

モスクワ芸術劇場のパリ公演決定

f0028703_16195484.jpg1906年4月

モスクワ芸術劇場の劇団のパリ公演が今秋10月に決まった。一座はサラ・ベルナール劇場でロシアの最も有名な劇作品を演ずる予定である。ここに掲載する写真にある通りのゴーリキーの「どん底」をはじめ、チェーホフの「ワーニャ伯母さん」「三姉妹」、アレクセイ・トルストイ伯の「皇帝フョードル」、それにイプセンの名作「民衆の敵」などである。

出典:BNF-Gallica #102978 « Je sais tout » No.16; Mai, 1906

[ Ψ 蛇足 ]
日本の新劇運動も坪内逍遥や島村抱月による文芸協会を端緒とするようだが、その設立がちょうどこの1906年(明治39年)に当たる。いかに当時の日本人が最先端の西欧文化を貪欲に取り入れようとしていたかがわかる。
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by utsushihara | 2006-04-29 22:18 | オペラ、音楽、演劇1905-06

ミラノの国際博覧会

f0028703_16155056.jpg1906年4月28日(土)

イタリアのヴィットーリオ=エマヌエーレ国王は王妃を伴い、4月28日のミラノ国際博の開会式に臨んだ。このような博覧会ではつねにあることだが、展示館の設営工事はまだ完成しておらず、国王夫妻は5月初めに改めて何度か会場を訪れることになった。特に航空部門でのドイツ軍で実際使用されている飛行船の展示に興味を持たれている。この飛行船は円筒形をしており、風速5mまでの風に向かっても飛行することが出来る。

出典:BNF-Gallica #102978 « Je sais tout » No.17; Juin, 1906 & No.6, Juillet, 1905
f0028703_1612611.jpg
[ Ψ 蛇足 ]
画像上↑はミラノ博に出展したドイツ軍の飛行船操縦士たち。参考知識として1年~半年前
①1905年2月12日、フランスの軽気球「アエロ・クラブⅡ」による英仏海峡横断飛行
②1905年10月5日、米国ノースカロライナ州でライト兄弟の飛行機の初飛行の成功
やっと人類に飛行する時代が到来したところである。
画像右→は飛行船や無線を使う近未来の後方戦線想像図。
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by utsushihara | 2006-04-28 16:12 | 各国事情1905-06

メーデー&ゼネスト対策

f0028703_167454.jpg1906年4月27日(金)

4月末に大多数の労働組合がメーデーの5月1日にゼネストを決行することを決めている。秩序の混乱を予防する措置として政府は軍隊2万8千人をパリに集結させることとし、26日から27日にかけて次々にパリに到着している。

出典:BNF-Gallica #102978 « Je sais tout » No.16; Mai, 1906 & No.17; Juin, 1906

[ Ψ 蛇足 ]
画像は機械展覧館(ギャルリ・デ・マシヌ)に宿営するパリ派遣となった騎兵連隊。4月はクリエール炭鉱の大災害を契機とした炭鉱夫のストを始め、労働争議における暴力沙汰が重なり、社会的な緊張と不安が高まっていった。
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by utsushihara | 2006-04-27 16:05 | フランス政治社会1905-06

サン・フランシスコ大地震(続報)

f0028703_11172413.jpg1906年4月26日(木)

サン・フランシスコでは4月23日の午後10時39分に再び激しい地震が発生した。それは3秒間続いた。4月26日には、おおよそ700名の遺体が埋葬され、もしくは石油をかけて火葬にされた。死者の数は1000から3000のあいだを行ったり来たりしている。地震の被害を受けた地域は、幅2.8Kmの広さで長さ5.6Kmに及んでいる。
被害総額は今や20億フラン近くに上っている。アメリカ国内の募金額は1億フランを超えた。

出典:BNF-Gallica #102978 « Je sais tout » No.16; Mai, 1906 & No.17; Juin, 1906
画像Crédit d’image : Steinbrugge Collection of the UC Berkeley Earthquake Engineering Research Center

[ Ψ 蛇足 ]
画像は、地震直後のサン・フランシスコ市庁舎(City Hall)の惨状。
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by utsushihara | 2006-04-26 23:16 | 各国事情1905-06

1906年春季展(サロン)Ⅱ-5: 「トゥルーズの岸辺」

f0028703_18105419.jpg1906年3~4月

アンリ・マルタン氏がトゥルーズの市議会の建物の内部装飾として制作した作品群で会場の丸々一室が埋められている。2年前に出品されたことのある「麦を刈る人たち」の絵の横に「トゥルーズの川岸」(Les Quais de Toulouse)を散歩する人たちが描かれているが、その中には画家の友人のジャン=ポール・ローランスやジャン・ジョーレスなどの姿が見える。

出典:BNF-Gallica #102978 « Je sais tout » No.16; Mai, 1906
画像Crédit d’image : www.toulousevisit.com
(Par sa gentillesse pour utiliser l’image ci-dessus de la peinture actuelle. 左上の現在の絵の写真を使わせていただくうえでお世話になった)

f0028703_18111723.jpg[ Ψ 蛇足 ]
画家のアンリ・マルタン(Henri Martin, 1860-1943)は、トゥルーズ出身で友人のローランスとともにパリのジュリアン画塾で教えを受けた。最初は伝統的な作風であったが、次第にスーラの点描画法に似通う画風となった。中南仏のケルシー地方の風物に魅せられ、明るく柔らかな色調の作品を残した。上記のように公共建築物の装飾壁画も多く手がけたが、有名なのはトゥルーズ議事堂、パリのソルボンヌ大学のものがある。それから僕の不確かな記憶ではパリ6区役所(サン=シュルピス教会の向かいにある)にもリュクサンブール公園でくつろぐ人々の壁画があったような気がする。(未確認)
雑誌掲載時の白黒画像は相変わらず不鮮明だが、それでも微妙に人物の配置が違っているように思うが、恐らく完成時(壁画の設置時)に手が加わったのかもしれない。またカラー画像のほうが部分的なものと思われる。

[ ΨΨ 蛇足の蛇足 ]
アンリ・マルタンという名前は非常に月並みな響きがする。フランスではマルタン(Martin)という姓そのものが、日本でいう鈴木、佐藤などと同じくらい大勢の人についている。パリの山手16区にある瀟洒な邸宅街でよく小説にも出てくる「アンリ・マルタン通り」(Avenue Henri Martin)を知っている人も多いが、この通りの名前はまったく別人のアンリ・マルタン(Henri Martin, 1810-1883)を記念したものである。こちらのアンリ・マルタンは19世紀中頃に活躍した歴史家、小説家、政治家で、パリ16区長も務めた人物である。アカデミー会員にもなっている。
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by utsushihara | 2006-04-26 18:11 | 美術、彫刻1905-06

「道化(クラウン)」の初演

f0028703_1714716.jpg1906年4月

2幕のオペラ「道化」はヴィクトル・カプール氏の台本、イサーク・ド・カモンド氏の作曲で、新劇場(ヌーヴェル・テアトル)で初演され、素晴らしい出来と喝采を受けている。劇的な展開の台本にカモンド氏は非常に面白くかつ個性的な音楽を書き上げた。作品の成功は出演者たちの好演によっても、また華やかな活気のある演出によってもさらに高められている。

出典:BNF-Gallica #102978 « Je sais tout » No.16; Mai, 1906

[ Ψ 蛇足 ]
画像はピアノ伴奏によるリハーサル風景。左から3人目が作曲者のカモンド、左端が主演のジェラルディン・ファーラー(Geraldine Farrar, 1882-1967) 当時24歳の新進美人ソプラノ歌手である。(右下も)
f0028703_17144638.jpg
作曲者のイサーク・ド・カモンド (Isaac de Camondo, 1851-1911) については、ニッシム・ド・カモンド美術館のサイトの一族紹介の中に詳しい。 (Famille de Camondo : Isaac de Camondo)(仏文)
彼は19世紀パリの社交界で活躍した銀行家のカモンド家の一人である。カモンド家は元々コンスタンチノープルで栄えたユダヤ系の一族で「東のロスチャイルド家」とも呼ばれた。モンソー公園に隣接する美しい白亜の邸宅は現在のニッシム・ド・カモンド美術館であるが、18世紀の美術調度品に満たされた珠玉のような美術館である。当時の持主は彼の従弟にあたるモイズ・ド・カモンドである。
二人とも銀行家として活躍したが、イサークは趣味人として幅広い美術蒐集家として知られ、日本の浮世絵から中世キリスト教美術、ルネサンス芸術、そして印象派の画家たちの擁護者として膨大なコレクションを残した。子供のない彼はすべてを国家に遺贈し、現在はルーヴル、オルセー、ギメーほかに展示されている。オルセーの一室には、マネ「笛を吹く少年」、ドガ「行水する女」、モネ「ルーアン大聖堂」、セザンヌ「首吊りの家」などがあり、すべてこのイサーク・ド・カモンドが残した蒐集品である。

さて作曲者としてのカモンドは43歳から始まる。ワーグナーに心酔し、彼自身作曲に挑戦したが、唯一名が残ったのが上記のオペラ「道化(クラウン)」(Le Clown, 1906)である。この公演は好評だったようだが、プルーストの「失われた時を求めて」の中のモデルとなった美貌のグレフュール伯爵夫人(Comtesse de Greffulhe, 1860-1952) の評価は厳しく、「2幕目はいらないわ」と言ったとか。

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by utsushihara | 2006-04-25 17:14 | オペラ、音楽、演劇1905-06

黒人に対するリンチ

f0028703_17103053.jpg1906年4月

米国においては黒人に対する私刑(リンチ)が厳しく取り締まられている。ごく最近のことであるが、コロラド州アトランタ(*)の町では、老女を殺した件で収監されていたジム・ウォーカーという黒人を怒り狂った群衆が牢から引きずり出し、しばり首にしようとした。
この写真では、すでにその首にロープが巻かれたときに保安官が駆けつけ、必死の説得でリンチをやめさせることができたところである。

出典:BNF-Gallica #102978 « Je sais tout » No.16; Mai, 1906

[ Ψ 蛇足 ]
アトランタ(*)といえば普通は南部ジョージア州の首都のことだが、単純ミスか、同名の町がコロラドにあったかのどちらかである。
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by utsushihara | 2006-04-24 22:09 | 各国事情1905-06

「鈎爪」の上演

f0028703_17956.jpg1906年4月

4月19日ルネサンス座で上演されたアンリ・ベルンスタン作の4幕劇「鈎爪」(Griffe)は、若くて色気たっぷりの女性の愛情が年老いた男にもたらされる影響について描き出している。主演のアンリエット・ロジェール嬢は乱暴で力強い新味のある女性の役をこなし、華々しい成功をおさめている。他の出演は、ギトリ、ルッス両氏とマルト・メロ嬢である。

出典:BNF-Gallica #102978 « Je sais tout » No.16; Mai, 1906

[ Ψ 蛇足 ]
作者のアンリ・ベルンスタン(Henri Bernstein, 1876-1953)については前年10月に劇評記事「突風」の上演がある。

画像を掲載した主役のアンリエット・ロジェール(Henriette Roggers, 1881-1950)も「美しきエベール夫人」の初演にもある通り、れっきとしたフランス人女優である。(表記からすると芸名を英米風にしたのか、もしくは祖先が英国系かもしれない)
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by utsushihara | 2006-04-23 17:07 | オペラ、音楽、演劇1905-06

中国からの使節団

f0028703_1423412.jpg1906年4月

大方の予想に反して中国は西洋思想に対して注目すべき勢いで目覚めようとしている。北京の政府は欧州へ使節団を送りこんできた。代表はツァイ・ツェ公であり、各国の政府を歴訪し、それぞれの軍隊の組織、訓練制度などを習得している。この使節団はベルリン、ロンドンを経て4月18日パリに到着している。

出典:BNF-Gallica #102978 « Je sais tout » No.16; Mai, 1906

[ Ψ 蛇足 ]
画像はパリに到着した使節団の5人。当時はまだ清末期にあたり、日清戦争や義和団の乱、日露戦争等で欧米列強の進出に対しての危機感から主要各国の事情を視察する必要を痛感し、重臣を送り出したようだ。中国史上では1906年の「五大臣出洋考察」と記されている。代表者は、戴鴻慈と端方膺という人物である。上記のツァイ・ツェが前者ではないかと思われる。
この記事の5年後の1911年10月に辛亥革命の発端となった四川暴動が起きる。
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by utsushihara | 2006-04-22 14:26 | 各国事情1905-06