フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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操縦可能な気球「ルボーディ」号

f0028703_16431875.jpg1905年11月

操縦可能な気球(=飛行船)「ルボーディ」号は11月のあいだトゥル付近で一連の試験飛行を続けてきたが、結果は大成功であり、軍部としてこの飛行船を適用することに決定した。時速40kmの速度で飛行船は何度もナンシーまで飛んでトゥルに戻っており、その間通過する地上の要塞陣地の様子を偵察することができた。
これにより、もしトゥルの町が攻囲された場合でも「ルボーディ」によって2時間のうちに攻めて来た軍隊の状況を把握する手段となるだろう。防衛軍はまたあらゆる装備の図面や写真を作れるようになると同時に、外側の味方と完全に連絡が取れることになる。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.11; Déc.1905
画像 Crédit d’image : © PULS – Pilot und Luftschiff Die Luftschiffe von Lebaudy-Julliot
f0028703_1644745.jpg
[ Ψ 蛇足 ]
ルボーディ(Paul et Pierre Lebaudy)はフランスの製糖事業家の兄弟で1902年から飛行船「ルボーディ」で実験飛行を続けていた。この1905年11月に軍部から軍事利用する旨が決定された。当時まだ飛行機は数十メートルしか飛べず、一番戦略的に有利な空の覇者はこの「操縦自在の気球(=飛行船)」(le ballon dirigeable)となった。
*参考サイト:
発明家アルトゥール=コンスタンタン・クレブス Arthur Constantin Krebs のサイト:Thierry DETALLE
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by utsushihara | 2005-11-25 16:47 | フランス政治社会1907-08

日本軍の機雷

f0028703_18292192.jpg1905年11月

日中間航路の船舶の世界では動揺が高まっている。日露戦争中に日露両海軍によって撒かれたおびただしい機雷のために毎週のように中国沿岸で海難事故が起きている。すでに数隻の汽船がこの恐ろしい兵器に触れて沈没した。今やたえず触雷する恐れを抱かずには船舶が渤海湾や朝鮮半島の海岸に近づくことが不可能となっている。日本軍は漂流した機雷の回収に鋭意努力しているが、風や潮流に従って浮遊する機雷が数千個に及ぶことを思うと、いかにこの仕事が困難であるかがわかる。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.11; Déc.1905

[ Ψ 蛇足 ]
この記事では「渤海湾」のことを「ペチリ湾」(Golfe de Petchili)と表記していて漢字名を探すのに苦労した。
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by utsushihara | 2005-11-21 18:28 | 日露戦争、東洋事情1905-06

レルミット氏美術アカデミーへ

f0028703_1230572.jpg1905年11月

レオン・レルミット氏は先ごろ死去したジャン=ジャック・エネーに代わって美術アカデミー会員に選出されることとなった。氏は1844年7月31日エーヌ県モン・サンペールの生まれ、61歳である。
これまで数々の受賞を受けており、1884年にはレジオン・ドヌール騎士章を、また1889年のパリ万博で絵画部門のグラン・プリを、さらに1894年にレジオン・ドヌール士官章を授与され、1900年のパリ万博には審査員となっている。
彼の作品の中では、「収穫者たちへの俸給」La paye des moissonneurs (1882年作、リュクサンブール美術館所蔵)、「刈入れ」La moisson、「ぶどうの収穫」Les vendanges、「草を刈る人たち」Les faucheurs、「洗濯女たち」Les lavandières、および最新作「貧しき人々の家で」Chez les humbles が知られる。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.11; Déc.1905

[ Ψ 蛇足 ]
レオン=オーギュスタン・レルミットLéon-Augustin Lhermitte (1844 – 1925):19世紀末に活躍した写実主義・自然主義の画家で、特に下層農民の日常情景の丹念な描写で表情豊かな作品を生み出した。印象派的筆致が全盛となった時代においては、過去の伝統を保守的に受け継いだ古風な画家に見なされ、知名度は今ひとつである。 (Renoir Fine Arts Inc.)
画像は、現在オルセー美術館に所蔵されている代表作「収穫者たちへの俸給」La paye des moissonneurs 
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by utsushihara | 2005-11-20 12:30 | 美術、彫刻1907-08

汽船ヒルダ号の難破

f0028703_12285943.jpg1905年11月19日(日)

18日深夜から19日の未明にかけてサン=マロから英国のサザンプトンに向けて航行していた貨客船ヒルダ号は暴風雪に見舞われ、サン=マロから数キロ沖合にあるセザンブル岩礁で乗員・貨物もろとも難破し、沈没した。128名の乗客のうち救助されたのはたったの6名であった。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.11; Déc.1905
画像Crédit :Naufrage du steamer " Hilda " devant Saint-Malo; Le Petit Journal illustré du 3 Déc 1905

[ Ψ 蛇足 ]
海難事故は現代においても決して甘く見てはならない。画像は絵入り新聞「プチ・ジュルナル」のものを引用したが、こうした想像画のほうが迫真の表現で訴える感じなのは、映像万能の現代でも絵画芸術が廃れないのと同じことだろう。
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by utsushihara | 2005-11-19 12:29 | フランス政治社会1907-08

アルヘシラス会議の通知

1905年11月16日(木)

スペイン政府は、仏独両政府からの要請により、また英国の了承のもと、来る12月15日にアルヘシラスにてモロッコ問題に関する国際会議を開催する旨、モロッコ君主に通知した。会議は外交ルールにもとづきスペイン政府の首相モンテロ・リオス氏が議長をつとめる予定。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.11; Déc.1905
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by utsushihara | 2005-11-16 12:27 | モロッコ問題、アフリカ1905-06

世界最大の客船「アメリカ」号

f0028703_1835138.jpg1905年11月

ドイツで建造された客船「アメリカ」号はハンブルク~アメリカ航路に就航した。総排水量2万3千トン、7つの船橋を有している。収容人数は乗務員を含め3600人、小さな町の規模である。
この巨大な客船がどれだけのものであるかを考えてもらうためには、毎回6日間足らずの航海に必要な物資のリストを掲げるので十分である。
石炭:3000t、飲料水:1000t、油:8t、鮮肉:2.5t、燻製肉:1.25t、
鶏肉:2.5t、鮮魚:1t、チーズ:1t、バターとラード:4.25t、パン:7t、
ジャガイモ:25t、加工肉:1t、獣肉(ジビエ):0.5t、生野菜:4t、干野菜:4,5t、
f0028703_18204945.jpg生果物:4t、加工果物:4.5t、珈琲と紅茶:1.9t、牛乳:6500L、卵:3万個、
ワインとリキュールとミネラル・ウォーター:2万2千本、ビール:1万3千L、氷:20t、
冷凍生クリーム:1000個、ケーキ類3000箱

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.11; Déc.1905

[ Ψ 蛇足 ]
ドイツ語表記では「アメリカ」(Amerika)となっていた。さすがにフランスの雑誌記事だけに、食べ物でその船の規模を示すという趣向は面白い。
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by utsushihara | 2005-11-15 18:19 | 独墺バルカン情勢1907-08

戦闘用自動車の開発

f0028703_18281585.jpg1905年11月

ある大手自動車メーカーの工場では装甲自動車を試作しており、走行試験ではとても興味深い結果を示している。車はどんな状態の地面でも走破し、その速度は時速50kmに達した。また機関銃用の銃座が付けられ、1分間に600発の射撃が可能で、10000発の弾丸を装填している。

画像は、オーストリア帝国で製造された戦闘用自動車で、40馬力、ウィーンの近郊で実験中である。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.11; Déc.1905
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by utsushihara | 2005-11-14 18:26 | フランス政治社会1907-08

スペイン国王のドイツ訪問

f0028703_223594.jpg1905年11月11日(土)

スペインのアルフォンス13世は11月5日フランスを通過しドイツに赴いた。王はベルリンに11月12日まで滞在した。11日には若い国王は、ドイツ皇帝、皇妃、皇太子に伴われてポツダムで行なわれた駐屯部隊の新兵の宣誓式に参列した。
その後ウィーンを経て18日にパリに入ったが、23日までの滞在期間中はすべて「お忍び」扱いとされ、公式行事は一切行なわれなかった。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.11; Déc.1905

[ Ψ 蛇足 ]
画像は新兵の宣誓式から帰るアルフォンス13世と皇帝の一行。
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by utsushihara | 2005-11-11 22:01 | 独墺バルカン情勢1907-08

新しいマダガスカル総督

f0028703_23105135.jpg1905年11月3日(金)

11月3日、ローヌ県の国会議員で社会主義者のヴィクトール・オーガニュール氏はこのたびマダガスカル総督に任命され、ガリエニ将軍と交代することになった。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.11; Déc.1905
f0028703_1723174.jpg画像 Crédit d’image : ©WWW. POSTCARDMAN.NET - Worldwide Vintage Postcards

[ Ψ 蛇足 ]
ヴィクトール・オーガニュール(Victor Augagneur, 1855-1931)はリヨンの市長も兼任していた。引用した古い絵葉書は「ヴィクトールの夢」(Rêve de Victor)と題された戯画で、社会主義者であるとともにフリーメーソンの会員でもあったと説明がある。
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by utsushihara | 2005-11-08 23:09 | フランス政治社会1907-08

音楽劇「ミアルカ」の初演

f0028703_1722519.jpg1905年11月7日(火)

ジャン・リシュパン氏の小説「熊に育てられた娘ミアルカ」をもとにして、アレクサンドル・ジョルジュ氏の音楽を付けた4幕5場の音楽劇「ミアルカ」が11月7日オペラ・コミック座で上演された。これは若い遊民の娘が都会人の平穏な生活に一時的に惹かれるが、すぐに遊民としての親譲りの本性に目覚めて戻っていくという話である。
フィガロ紙に載ったガブリエル・フォーレ氏の評は、「アレクサンドル・ジョルジュ氏の果たした役割は、つまりいくつかの歌とそれらの歌をつなぐ楽曲のパッセージであるが、なかなかの出来と思われる。しかしかなりアンバランスな点は認めざるを得ない。」と語っている。
また、エコー・ド・パリ紙のゴーティエ・ヴィラール氏は、「中身の濃い詩文から採られた善良な歌詞にアレクサンドル・ジョルジュ氏は書くことのできる唯一の曲を書いた。切り離された美しい14の歌のページを繋ぎあわせてクライマックスに至るまで確信をもって作り上げている。」と評している。

出演者は、ミアルカ役にマルグリット・カレ女史、年老いた遊民の女ヴーグにエグロン女史、そのほかジャン・ペリエ氏、リュカゾー氏などとなっている。
f0028703_17253025.jpg
出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.11; Déc.1905
画像Crédit d’image : © Jean Richepin Site illustré, complet et intelligent
画像Crédit d’image : ©BNF-Gallica No.91265; Miarka, la fille à l'ourse / Jean Richepin ; illustrations de Pierre Morel

[ Ψ 蛇足 ]
ジャン・リシュパン(Jean Richepin, 1849-1926)は19世紀後半から20世紀初期に活躍した詩人・小説家である。軍医の息子として生まれ、文学を修めたあと、普仏戦争では狙撃兵の部隊に入っていた。その後職業を転々とし、パリ左岸で若い詩人仲間との交遊を深めた。社会の底辺の人々の心情を描いた詩集「乞食たちの歌」(La Chanson des gueux, 1876)がスキャンダルを呼んだのをはじめ、直截的な表現で次々と詩集を出した。上記の小説「熊に育てられた娘ミアルカ」(Miarka, la fille à l’ourse, 1883)が自由な遊民(ロマニの民)の生活感情を描いて評判だったのが、今回の劇化に至ったのだろうと思う。

作曲者のアレクサンドル・ジョルジュ(Alexandre Georges, 1850-1938)は、フォーレと同じニデルメィエール音楽院で学んだあと、パリの教会のオルガニストを歴任し、その演奏は名人の芸とされた。かたわらオペラをはじめとする作曲を続けている。参考Wikipedia : Alexandre Georges(仏文)

上記の「ミアルカ」は記事中では音楽劇(La comédie musicale)と書かれているが、もともとオペラ=コミックとは、グランド・オペラと異なり、レシタティーヴォの部分がなく、台詞を会話として話す形式を指しており、アリア(歌)とセリフ(台詞)との混合で上演された。
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by utsushihara | 2005-11-07 17:21 | オペラ、音楽、演劇1907-08