フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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トルストイの「大いなる犯罪」

f0028703_15445428.jpg1905年10月

最近アルペリン=カミンスキー氏によって翻訳出版されたトルストイの新しい著作『大いなる犯罪』で、この文豪はロシアの大地の「国有化」を声高に主張している。
それによれば「大いなる犯罪」とは労働しない地主たちによる土地の専有であり、片や一億人のロシアの農民たちが悲惨と飢餓と絶望の危機に瀕していることを指す。この著作には冒頭に「皇帝への書簡」が置かれ、トルストイが君主に対して土地の私有制の廃止と「大いなる犯罪」の結果としての諸悪を断ち切る大改革を懇請している。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.10; Nov.1905

[ Ψ 蛇足 ]
写像は77歳を迎えたロシアの文豪トルストイの近影。ロシア文学:トルストイの文学

大文豪レフ・トルストイ(1828-1910)は、19世紀後半から代表作が盛んにフランス語に翻訳されて出されていた。フランスではレオンLéon Tolstoï と呼ばれる。
翻訳者のアルペリン=カミンスキー (Ely Harpérine-Kaminski, 1858-1936) は既述のゴーリキーの戯曲『どん底』も翻訳・紹介している。
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by utsushihara | 2005-10-31 15:44 | 文芸、評論1907-08

ロシアで使用禁止の革命的な絵葉書

f0028703_15461668.jpg1905年10月

ロシアの急進的な革命運動は活発化しているが、あらゆる手段を通して人民の心に訴える宣伝活動をしている。ここに掲載したのは一枚の絵葉書であるが、ロシア当局から厳しく使用を禁じられているものである。この絵にはロシアの農民たちが、革命的表現によれば七つの特権階級によっていかに彼らの労働の果実を食い物にされているかを表わしている。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.10; Nov.1905
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by utsushihara | 2005-10-29 15:45 | ロシア帝政末期1905-06

「魔弾の射手」の再上演

f0028703_1548215.jpg1905年10月27日(金)

オペラ座では10月27日、ウェーバーの傑作オペラ「魔弾の射手」の再上演を行なった。これは1886年にパリで上演されて以来、約20年ぶりのことである。
今回の上演は大成功をおさめ、演出・演奏・歌唱とも秀れたものであった。男声陣は、デルマDelmas, ルスリエール Lousselière, グレッスGresse 、および女声陣は、グランジャンGrandjean, アットHatto が出演している。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.10; Nov.1905

[ Ψ 蛇足 ]
背景のドイツの森と村、序曲、狩人の合唱、それ以外はあまり知名度のある曲が少ないが、このときは好評だったようだ。画像はハンガリーの切手に描かれた当オペラ。
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by utsushihara | 2005-10-27 15:47 | オペラ、音楽、演劇1907-08

柔術家vs拳闘家

f0028703_17592019.jpg1905年10月26日(木)

日本の武闘技の中でもよく知られた柔術(ジゥジツ= Jiu-jitsu)の大家レ・ニエとフランスの格闘技のチャンピオン、デュボワとの勝負はしばらく前から取り沙汰されてきたが、10月27日に試合が行なわれた。
取っ組み合いは数秒間だけだった。デュボワはレ・ニエに素早く懐に飛び込まれ、足固めに押さえ込まれて優勢に立たれた。レ・ニエがデュボワを地面に押さえつけ、腕をひねると、彼はこらえきれずに「止めろ!」と叫んで試合を終了させねばならなかった。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.11; Déc.1905

[ Ψ 蛇足 ]
柔術の大家レ・ニエ(Ré-Nié)は日本人ではないかと思ったが、フランス人のエルネスト・レニエ(Ernest Regnier)という人物で、ロンドンで日本人から教わったあと1904年にパリで道場を開いていた。わざわざレ・ニエと呼び替えたようだが、それが日本語のような語感を期待したのか、それとも直訳すれば「再び否定した」となるので「負けることを・・・」という意味合いということなのだろう。
*参考サイト:リヨンにある柔道の道場のサイトSite Dojo Olympic – Maison du Judo, Lyon Histoire du Judo(柔道の歴史)にこの時の対決の経緯が述べてある。(もっと鮮明な写真があるので興味がある方はどうぞ:仏文)取っ組み合いの黒い服の中央辺にこちら側を向いたレ・ニエの顔がおぼろげに見える。

この勝負は、パリ北西郊外の町クールブヴォワ(Courbevoie=直訳で「曲がり道」)にある馬車の製造工場の中で行なわれた。フランス格闘技の王者ジョルジュ・デュボワ(Georges Dubois)は、レ・ニエ(50kg)の二倍近い体重の大男だった。このあとパリの道場には上流階級の紳士たちが入門に殺到したという。
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by utsushihara | 2005-10-26 17:57 | フランス政治社会1907-08

「ムジカ」最新号(記事広告)

f0028703_15502872.jpg1905年10月25日(水)

今年の音楽シーズンの開幕に合わせ、すべての音楽ファンのために10月25日に発売される「ムジカ」(音楽)の最新号は、オペラ座、オペラ・コミック座、オーケストラ演奏会、国立音楽院でのコンサート、など興味深い情報を読むことができるだろう。60枚の素晴らしい写真と演奏批評の記事と大作曲家たちの優れた作品の紹介が含まれている。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.10; Nov.1905

[ Ψ 蛇足 ]
画像は雑誌の表紙。楽劇「ワルキューレ」でウォータン役のデルマ氏。
「ムジカ」は「ジュセトゥ」の雑誌社が発行していた音楽雑誌。他にも婦人雑誌「フェミナ」などがある。
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by utsushihara | 2005-10-25 15:49 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ルーヴェイルのデッサン画集

f0028703_155381.jpg1905年10月

最近出版されたデッサン画家のルーヴェイルの画集は、面白い描き方で多数の芸術家たち、とりわけコメディ・フランセーズの俳優たちの容姿を収めている。ここに転載したものは、画集中のカリカチュアの一枚で、コメディ・フランセーズの総支配人で小誌の有力な執筆者の一人、ジュール・クラルティの姿である。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.10; Nov.1905

[ Ψ 蛇足 ]
アンドレ・ルーヴェイル André Rouveyre (1879-1962):当時まだ26歳の新進画家だったが、以後斬新なイメージのグラフィック・デザイナーとして注目されたようだ。特にアポリネールやアンリ・マティスとの親交が知られる。Art-of-the-print : Andre Rouveyre

ジュール・クラルティ Jules Claretie (1840-1913):パリで各方面の新聞・雑誌に多くの筆名で記事を書くかたわら小説、劇作、歴史、評論の広い分野で活躍した。1888年アカデミー会員に選ばれ、コメディ・フランセーズの総支配人も務めた。邦訳は森鴎外による短篇『猿』(独語訳からの重訳)1作のみ。ネットの青空文庫で読める。
Académie française : Claretie
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by utsushihara | 2005-10-24 15:51 | 美術、彫刻1907-08

ルーベ大統領の外遊

f0028703_17493446.jpg1905年10月23日(月)

ルーベ大統領は10月22日スペイン訪問の旅に出た。23日から26日までの間マドリッドに滞在し、数々の歓迎式典に臨んだ。
新たなフランス人学校の起工式において最初の礎石を置き、盛大な闘牛競技を観戦し、素晴らしいスペイン王室の狩猟に加わった。
アルフォンソ13世のこまやかな配慮により、先般王のパリ訪問時にローアン街で襲撃事件に遭遇した際の警護隊を指揮した第2連隊のガルニエ、シュネデール両大尉が招待されて感謝の意を受けた。
翌27日大統領はリスボンに赴き、2日間滞在する予定である。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.10; Nov.1905
画像Crédit : Le petit journal, supplément illustré; le 29 Oct. 1905

[ Ψ 蛇足 ]
画像は「プチ・ジュルナル」によるスペイン王による晩餐会風景。
ルーベ Loubet の外遊は任期満了間近のことである。
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by utsushihara | 2005-10-23 17:46 | フランス政治社会1907-08

日露戦後の満州

f0028703_15561234.jpg1905年10月

日本は満州においてすべての破壊された交通網の復旧に精力的に取り組んでいる。彼らの軍隊をすみやかに本国へ帰還させるにはどうしても必要だからである。ロシア軍が破壊した奉天付近のすべての鉄橋は現在のところ仮設の橋で代用されている。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.10; Nov.1905

[ Ψ 蛇足 ]
画像は日本側によって修復された奉天付近の渾河にかかる橋。
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by utsushihara | 2005-10-22 15:55 | 日露戦争、東洋事情1905-06

「突風」の上演

1905年10月20日(金)

10月20日ジムナズ座で上演されたアンリ・ベルンスタン作の3幕の喜劇『突風』(La Rafale)は大成功をおさめ、観客に強烈な感銘を与えた。
金融業者ルブールの娘エレーヌ・ド・ブレシュベルは、ロベール・ド・シャセロワという貴族の愛人であったが、その彼が賭けで大負けした結果、支払えない金は65万フランになってしまった。それも24時間以内に返さねばならないのだ。エレーヌはこの不幸な恋人を助けようとして、まず自分の父親に、次いで従兄のアメデに資金の援助を申し出る。しかし従兄は彼女に交換条件として恥ずかしい取引を迫るのだった。
結局、彼女の払った犠牲は無駄に終わる。恋人のロベールが自らの失敗を恥じてピストル自殺をしてしまう。突風が吹いたのだ。
作品は、主役エレーヌのル=バルジー、ロベール役のデュムニー、ルブール役のジェミエなどの優れた演技で見事な出来であった。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.10; Nov.1905

[ Ψ 蛇足 ]
この当時の新作演劇の出し物は、現代の新作映画と同様に初公開されるときには大きな話題となったのだろう。百年経った今では古書店の書棚にわずかな形跡を留めるのみである。
作者のアンリ・ベルンスタン (Henri Bernstein, 1876-1953) は金融業者を父に持ち、ジムナズ座を買い取って自作を舞台に乗せることができたようである。高慢で疑り深く、批判の論戦がもつれた末に決闘事件に至ったことも多いという。死後50年しか経っていないのでフランスの著作権法でまだ保護されているのも埋没する理由かもしれない。
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by utsushihara | 2005-10-20 15:58 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ブルガリア皇太子のパリ訪問

f0028703_160465.jpg1905年10月18日(水)

ブルガリアのフェルディナンド皇太子は16日パリに到着し、エリゼ宮にて夕食をとられた。
翌17日にはコンピエーニュにて狩をされ、それからコメディ=フランセーズの観劇をされた。
18日はパリ周辺の軍事演習を視察された。明日はルーベ大統領とともにル・クルーゾの産業施設を見学される予定である。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.10; Nov.1905

[ Ψ 蛇足 ]
ル・クルーゾ Le Creusot は、ブルゴーニュ地方ディジョン近くにある小さな町だが、18世紀にマリー・アントワネットのためのクリスタル工場が建てられた。19世紀半ばにシュネデールという大実業家がこの一帯に産業施設を建設し発展したようだ。
画像はモナコ港にて上陸するブルガリア皇太子。
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by utsushihara | 2005-10-18 15:59 | フランス政治社会1907-08