フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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ガルジレスのジョルジュ・サンドの家

f0028703_1819167.jpg1905年9月

ベリー地方の風光明媚な谷合にある小さな村ガルジレスは、ジョルジュ・サンドがとても気に入って滞在した所として有名である。質素な一軒の田舎家でこの大作家は心の赴くままの生活を楽しんだのである。三年前に高等裁判所長でアンドル県の代議士であるフォリション氏の臨席のもと、この小さな家の壁に「魔の沼」や「捨子のフランソワ」の作者を末永く記念するための銘板を据付ける式典が執り行われた。掲載した写真はその当時の模様である。
今日、ガルジレスは再び脚光を浴びようとしている。ジョルジュ・サンドとこの田園風景の両方を愛好する会が組織され、このたび内務大臣による認可を受けたのである。

[ Ψ 蛇足 ]
最近のガルジレスのジョルジュ・サンドの家 Magazine littéraire : Sand à Gargilesse

美しい風景のガルジレス村の公式サイトは Gargilesse-Dampierre
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by utsushihara | 2005-09-30 18:18 | 文芸、評論1907-08

「ベルリンのローラント」の彫像

f0028703_18224137.jpg1905年9月

数ヶ月前、ウィルヘルム2世御自ら台詞を書き、イタリアの有名な音楽家レオンカヴァルロが作曲したグランド・オペラの公演がベルリンにおいて行われた。その題名は「ローラント・フォン・ベルリン」といい、プロシアの歴史から題材を採ったもので、主人公は15世紀のプロシアにおいて大いなる功績を上げた人物である。
このたび、その「ローラント・フォン・ベルリン」より正確に言うと「ローラント・フォン・ブランデンブルク」の彫像が、ベルリンのブランデンブルク辺境伯領の新しい博物館の前に建てられた。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.9; Oct. 1905

[ Ψ 蛇足 ]
レオンカヴァルロは写実主義オペラ「道化師」で有名だが、ドイツ皇帝からの依頼で作曲したと思われるこのオペラ "Roland von Berlin" についてはあまり言及されることがない。何らかの意味で失敗したのだろう。ドイツ帝国の国威高揚の目的=政治目的であったからかもしれない。
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by utsushihara | 2005-09-28 18:20 | オペラ、音楽、演劇1907-08

チャタム号の座礁と爆破

f0028703_18195538.jpg1905年9月28日(木)

チャタム号はご存知の通り、極東地域に80万トンのダイナマイトを運搬する大型汽船である。船上で火災が発生したとき、船はスエズ運河を航行中だった。
この危険な難船を処分するために、9月28日スエズ運河会社は汽船ごと爆破する決定を下した。以下が数日間にわたるその詳細である。

この爆破によって水柱が持ち上がるのは六分儀による測定で900mから1kmの高さに至ると推算された。爆破作業は6キロ半離れた場所まで引いた電線に電流を流して実行された。その直後スエズ運河会社の社員が現場に赴いた。船が座礁していたアジア側の岸辺は、甚だしく破損したチャタム号の周囲の長さ80m、幅15mで削り取られたようになっていた。アジア側が爆破によって粉々になった破片に覆われたのに対し、対岸のアフリカ側には船の甲板の一部が飛ばされている程度で被害はそれほどではなかった。爆破の際に盛り上がった水柱は800mの長さで落ちながら陸地を濡らすにとどまった。

アフリカ側でこの付近にあった鉄道と灌漑用の淡水を引いているポートサイドの運河にはほとんど被害が及ばなかった。被害と言えば電信柱が爆風で傾いた程度である。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.10; Nov.1905

[ Ψ 蛇足 ]
世界中のインターネットでもこの海難事故に関する記事はなぜか見当たらない。
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by utsushihara | 2005-09-28 18:19 | フランス政治社会1907-08

独仏間の合意-モロッコ問題(9)

f0028703_18235843.jpg1905年9月27日(水)

モロッコ問題に関する国際会議の開催計画についてフランス・ドイツ両国は9月27日に合意に達し、ルーヴィエ仏首相とラドリン独大使によって覚書に署名が取り交わされた。合意の大部分はレヴォワル氏と新たに駐タンジール大臣となったローゼン男爵によって進められた。以下がその要旨である:
①フランスは今後もモロッコ国境警備の主導権を維持し、武器の密輸問題についてモロッコ一国のみと解決を図る。
②ドイツの商社にタンジールにおける拠点を譲り、8月1日にタッテンバッハ伯爵によって合意された1千万ターレルの借款については国際会議の議題として改めて取り上げることとする。とにかくフランスの権益に先んじる施策とはならない。

また両国はスペインに対し国際会議をアルヘシラスで開催したい旨を要請することとなった。この合意については直ちにモロッコの君主へ伝達された。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.9; Oct. 1905

[ Ψ 蛇足 ]
写真はフランスの首相兼外務大臣のルーヴィエ Maurice Rouvier(1842-1911)
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by utsushihara | 2005-09-27 18:23 | モロッコ問題、アフリカ1905-06

ボワレーヴの新作「美しき未来」

f0028703_18251127.jpg1905年9月

ルネ・ボワレーヴ氏は地方風俗を描く小説を得意としている。これまですでに「ふくれ嬢」「ひと口」「欄干の子供」のような作品で我々に強い感銘を与えてくれた。
このたび発表された「美しき未来」はこれまでの彼の手法を遵守した最高の作品である。この小説の舞台はパリ、サン=シュルピス教会や美しいリュクサンブール宮殿に隣接した小路の交わる一角であるが、これまでのボワレーヴの作品同様、ローカル色がにじむ。つまりカルチエ・ラタンの周辺で「美しき未来」を築きたいという夢を抱きながら生きていく住民たちの姿であり、この作品の主題は重々しいながらも作者がその才能を駆使してとても巧みに描いているのである。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.9; Oct. 1905

[ Ψ 蛇足 ]
ルネ・ボワレーヴRené Boylesve (1867 – 1926)もまた忘れ去られた作家の一人である。20世紀前半にはかなりの点数が出版されているのがアマゾン等の検索などでもわかるし、日本の大学図書館にも多数所蔵されている。邦訳はなさそうだ。作風についても詳細は不明。
主要作品は、
Mademoiselle Cloque(ふくれ嬢)1899
La Becquée(ひと口)1901
La Leçon d’amour dans un parc(公園で愛のレッスン)1902
L’Enfant à la balustrade(欄干の子供)1903
Le Bel avenir (美しき未来)1905

アカデミーの会員に1918年に選出された。
「不遇な大作家ルネ・ボワレーヴ」という仏語サイトがある。
René Boylesve, Un grand écrivain méconnu

** 新潮文庫「ジイドの日記」第2巻、新庄嘉章・訳、1906年1月15日より引用:
私達はボワレーヴの平凡な小説(新刊の『美しい未来』らしい)を途中で投げ出した。
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by utsushihara | 2005-09-26 18:24 | 文芸、評論1907-08

日本の小さな愛国者たち

f0028703_18272923.jpg1905年9月

もし日本が相変わらず軍国主義的な国ではないかと思うならば、ここに掲載した面白い写真をご覧いただけば十分である。この小さな愛国者たちはいかに熱心に戦争のニュースを伝える新聞を読みふけっていることだろうか。彼らは旅順への最後の総攻撃をかけようとしているミカドの将軍たちと同じくらい深刻な様子をしている。この一番小さな子供たちの頭脳をよぎる軍隊の栄光を夢見る心を考えないわけにはいかない。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.9; Oct. 1905
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by utsushihara | 2005-09-25 18:26 | 日露戦争、東洋事情1905-06

スウェーデンとノルウェーの分離(2)

f0028703_18301616.jpg1905年9月23日(土)

スウェーデンとノルウェー両国の代表団が9月5日カールスタードの町にて協議を開始した。目的はこの2つの国を分離させるための諸条件を決定することである。
スウェーデン側は、両国の国境付近に築いていた城砦をノルウェーが打ち壊すのはスウェーデンに対する敵対行動であると非難した。一時は武力衝突になる恐れもあるほど緊張が高まった。
しかしながら9月23日、両国代表団は一定の合意に達し、会議は閉幕となった。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.9; Oct. 1905

[ Ψ 蛇足 ]
北欧三国は民族的に同一視してしまいがちだが、現在三カ国に分かれているように、スウェーデン、ノルウェー、デンマークはそれぞれの独立性、民族性を持っているのだろう。
ノルウェーの公式日本語広報ページに「分離百周年」1905年の流れ の記事がある。

カールスタードはスウェーデンの西方の町。 Karlstad
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by utsushihara | 2005-09-23 18:29

コーカサス地方の騒乱

f0028703_18285088.jpg1905年9月23日(土)

9月2日にコーカサス地方の主要都市バクーの工業地帯において非常に大規模の騒乱が発生した。これはタタール人とアルメニア人との民族間の対立の結果として流血の事態となったもので、ロシアの治安部隊による秩序の回復は困難と見られていた。
3日から5日までのあいだ、タタール人たちは治安部隊に対して激しい抵抗を示した。バクーにある石油の多くの井戸が焼失され、数千人が死傷する結果となった。
9月23日になってタタール人とアルメニア人との間にようやく和平が保たれることになった。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.9; Oct. 1905

画像出典 Crédit de la photo: Le petit journal, supplément illustré, le 24 sep. 1905
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by utsushihara | 2005-09-23 18:28 | ロシア帝政末期1905-06

歌姫ガリ=マリエの死去

f0028703_18311319.jpg1905年9月22日(金)

オペラ・コミック座において歌劇『ミニョン』や『カルメン』の初演を行ったメゾ・ソプラノ歌手ガリ=マリエ女史は、9月22日、南仏にて死去した。65歳だった。本誌は、彼女のカルメン役での写真を近日掲載する予定である。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.9; Oct. 1905

[ Ψ 蛇足 ]
セレスティーヌ・ガリ=マリエ Célestine Galli-Marié (1840-1905) : フランスのメゾ・ソプラノ歌手。
報道記事では有名人の死亡記事のほうが、生誕記事よりも数が多くなる。生まれた時から有名なのは王侯氏族ぐらいで、あとは努力と運命で名を成した人の逝去を惜しむか、銘記するために記事が書かれる。それにしても40代、50代、60代で死去して行ったのは、百年前では普通のことだったとすると・・・
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by utsushihara | 2005-09-22 18:30 | オペラ、音楽、演劇1907-08

シュパンダウの宝庫

f0028703_18321027.jpg1905年9月

このたびドイツ政府は、シュパンダウ要塞の取り壊しを決定した。この要塞には1870年の普仏戦争終結後、ドイツ帝国の国庫金として2億5千万ターレルもの金貨が納められていた。左掲の写真によりその有名な要塞の正面を見ることができる。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.9; Oct. 1905
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by utsushihara | 2005-09-20 18:31 | 独墺バルカン情勢1907-08