フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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戦艦ポチョムキンの叛乱

f0028703_14285962.jpg1905年6月28日(水)

オデッサに停泊中の戦艦ポチョムキンの乗組員が叛乱を起こし、士官たちを海に投げ込んだ。オデッサ市内では暴動が起き、港の付近の商店や大多数の艦船が焼き払われた。軍隊が出動し、暴動を鎮圧するため数千人を殺傷した。
ロシア黒海艦隊はポチョムキンを攻撃するためセバストポールを出港した。ポチョムキンは29日には市内にある軍の施設を砲撃し始めた。

出典:BNF-Gallica #102976 « Je sais tout » No.6; Juillet, 1905

[ Ψ 蛇足 ]
戦艦ポチョムキン事件(Potemkine)は世界史的にも大きな事件の一つである。有名なエイゼンシュタイン監督による映画の古典とも言われる 『戦艦ポチョムキン』は、歴史的な事実のつながりを必ずしも正確には描いていないようにも思われる。だたしこの事件がロシア革命に果たした象徴的な重みは銘記されるべきだろう。

いずれ機会があれば「ジュセトゥ」の1905年9月号に掲載された乗組員(ある兵長=匿名)による手記(逐語仏訳されたもの)を紹介してみたい。この人物は反乱を起こした兵士たちには積極的に加担したわけではないが、士官ではなかったために他の多くの水兵たちとともに乗船を続け、行動をつぶさに目の当たりにすることができたという。この手記によると叛乱の始まった日付はこの記事よりも一日早い6月27日となっている。
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by utsushihara | 2005-06-28 14:26 | ロシア帝政末期1905-06

新フランス国立音楽院長にフォーレ氏

f0028703_14191110.jpg1905年6月13日(火)

13日付の通達によりガブリエル・フォーレ氏が国立パリ音楽学院の次期院長に任命された。来たる8月に辞職するテオドール・デュボワ氏と交代となる。フォーレ氏はマドレーヌ寺院のオルガニストであり、フィガロ紙の音楽時評を担当している。氏の作品としては、これまで数多くの歌曲、ピアノ曲とともにピアノ四重奏曲2曲、交響曲1曲がある。

出典:BNF-Gallica #102976 « Je sais tout » No.6; Juillet, 1905

[ Ψ 蛇足 ]
清澄なレクィエムで有名なフォーレは、60歳にして通称「パリ音楽院」と呼ばれるコンセルヴァトワールの院長に任命された。公職につくとなかなか創造的な仕事ができにくくなるが、作曲家としては以後、主として枯淡な味わいのある室内楽曲群を残している。

フォーレに関する日本語サイト: Jardin nocturne – Gabriel Fauré
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by utsushihara | 2005-06-13 14:22 | オペラ、音楽、演劇1905-06

「ショパン」というオペラ -イタリア歌劇団パリ公演

1905年6月13日(火)

アングローロ・オルヴィエロの台本、ジャコモ・オレフィーチェの作曲による「ショパン」と題する4幕のオペラの公演があった。音楽としてはこのピアノの詩人の作品、マズルカ、ワルツ、バラードなどから数多くのテーマを借用している。

出典:BNF-Gallica #102976 « Je sais tout » No.6; Juillet, 1905

[ Ψ 蛇足 ]
ジャコモ・オレフィーチェ(Giacomo Orefice, 1865-1922) は、当時のイタリアのオペラ作曲家だが、ほとんどヒット作がなく、ニーノ・ロータの作曲の先生だった程度で現代では忘れ去られている。「ショパン」は1901年11月にミラノで初演され、パリでは再演となった。題材は面白いがピアノ曲をベースにしたオペラ・アリア?を聞いたら、やはりあまりしっくり来ないのではないだろうか?せめて映画だったら・・・
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by utsushihara | 2005-06-13 14:16 | オペラ、音楽、演劇1905-06

コメディ・フランセーズ座、ブランデス嬢を訴える

f0028703_16134789.jpg1905年6月8日(木)

6月8日、民事第1号法廷においてコメディ・フランセーズ座によって提訴された裁判が開かれた。相手は女優のマルタ・ブランデス嬢で、彼女は劇場との契約を破ってルネサンス座に出演したというのである。原告の代理人は弁護士のデュビュイ氏であり、彼女に20万フランの賠償金を要求している。ブランデス嬢の弁護人はポワンカレ氏である。

出典:BNF-Gallica #102976 « Je sais tout » No.6; Juillet, 1905

[ Ψ 蛇足 ]
花形女優のマルト・ブランデス(Marthe Brandès, 1862-1930)の引き抜き事件だったのだろうか。この係争は1年後になっても決着しなかったようだ。ここの弁護士ポワンカレとは未来の首相/大統領となったレイモン・ポワンカレ(Raymond Poincaré, 1860-1934)のことだろうか?
美人画のデッサンで知られるエルー(Helleu)によるブランデス嬢の肖像画が別刷りで当月号に掲載されている。
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by utsushihara | 2005-06-08 16:12 | オペラ、音楽、演劇1905-06

スウェーデンとノルウェーの分離

f0028703_1885967.jpg1905年6月7日(水)

長年にわたってノルウェーの外交と通商の権利はスウェーデンの外務省の施策に代用させられていたが、ノルウェー側からスウェーデンに対し外交上の特権を与えてくれるように申し入れた。スウェーデンはつねにこれを拒否していた。
6月7日、ノルウェーの内閣は議会(ストーティング, Storthing)においてスウェーデンのこうした態度に抗議を示すために総辞職することを公表し、議会もまたノルウェーとスウェーデンを結び付けてきた絆を断ち切ることを宣言し、加えてスウェーデン国王はもはやノルウェー国王としての役割を終えたとまで言い切った。それと同時に総辞職した内閣が臨時政府となった。
スウェーデン国王は、彼らの態度に強硬に反対し、ノルウェー議会の取った措置は容認できず、憲法を踏みにじるものであると宣告した。
ノルウェー議会はこの抗議に対して丁重な態度で応えたが、自らの決定を堅持し続けた。二つの国の連合による統治はもはや行き詰まりを見せている。

出典:BNF-Gallica #102976 « Je sais tout » No.6; Juillet, 1905

[ Ψ 蛇足 ]
ノルウェーは1814年以降スウェーデンに併合され、連合王国のような形でスウェーデンに主導権を握られていた。画像は、スウェーデン=ノルウェー国王オスカー2世。
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by utsushihara | 2005-06-07 17:58

独皇太子の結婚式

f0028703_1831859.jpg1905年6月6日(火)

ドイツのウィルヘルム皇太子とセシリー・フォン・メクレンブルク公女との婚礼に出席するため、フランス政府は特別大使を派遣することに決め、6月1日パリを出発した。結婚のための祝典は6月3日から始まった。婚礼は6月6日、ベルリンの王宮内の礼拝堂で挙げられた。この皇族同士の結婚はドイツ人の結婚統計上、飛びぬけた反響を生んでいる。6月6日一日だけでドイツ国内で2千組以上の結婚式が挙行された。

出典:BNF-Gallica #102976 « Je sais tout » No.6; Juillet, 1905

[ Ψ 蛇足 ]
ドイツの皇太子ウィルヘルム(Kronprinz Wilhelm, 1882-1951)
セシリー・フォン・メクレンブルク(Cecilie von Mecklenburg, 1886-1954) Royalty Guide
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by utsushihara | 2005-06-06 22:33 | ドイツ情勢1905-06

若き女優の自殺

f0028703_1865134.jpg1905年6月6日(火)

若手女優のレオニー・ダレ嬢(Mlle Léonie Dallet)は、内面の苦悩により6月6日自殺した。彼女は元ヴァリエテ座の有名な俳優ポール・レオンス(Paul Léonce)の娘であった。

[ Ψ 蛇足 ]
この人物もネット検索ではまったく出てこない。
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by utsushihara | 2005-06-06 17:56 | オペラ、音楽、演劇1905-06

日本海海戦その後

f0028703_1684572.jpg1905年6月5日(月)

日本人が「日本海海戦」(La bataille de la Mer du Japon)と呼んでいるツシマにおける惨敗を逃れたロシアの艦船が6月初めの数日間のうちに明らかとなった。 ウラジオストックの港にたどり着いたのは巡洋戦艦「アルマズ」(Almaz)1隻のみで、その他に3隻の軽巡洋艦「オーロラ」(Aurora)、「オレグ」(Oleg)、「ジェントボン」(Jentebong)が残った。

出典:BNF-Gallica #102976 « Je sais tout » No.6; Juillet, 1905
写真出典:『日露戦争写真集』酒井順一(編)新人物往来社1987年12月刊

[ Ψ 蛇足 ]
画像はウラジオストック湾に逃げ込んで座礁した軽巡「イズムルード」(上の記事とは名前が異なる)
*参考サイト:和文Wikipedia :日本海海戦は1905年5月27日に行なわれたが、遠い欧州では当時それほど大々的には報じられなかったようだ。
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by utsushihara | 2005-06-05 16:12 | 日露戦争、東洋事情1905-06

スペイン国王のパリ滞在

1905年6月4日(日)

6月1日、国王はルーベ大統領とともにシャロン・シュール・マルヌの駐屯地を訪れ、第6師団の部隊による実弾射撃訓練を視察された。
翌2日は、早朝パリを出られてサン=シールにある軍士官学校を訪れ、大統領も同行した。生徒たちによる騎乗行進(カルーセル)を参観したあとヴェルサイユに向かい、宮殿や庭園および大小のトリアノンを訪れられた。
3日、国王と大統領はヴァンセンヌの競馬場で催された軍事パレードに臨席した。この式典のあとエリゼ宮で軍部主催の昼食会が開かれ、国王と大統領は大いに熱のこもった乾杯を何度も交わされた。これはフランス=スペイン両国の緊密な連合を確かなものとするものであった。
f0028703_17443613.jpg4日の午後にはオートゥイユ競馬場で障害物競馬(ステープル・チェイス Steeple-chase)の大会に参列されたが、その夜遅く、シェルブール港に向けてパリを出発された。

出典:BNF-Gallica #102976 « Je sais tout » No.6; Juillet, 1905

[ Ψ 蛇足 ]
このあとアルフォンソ国王は英国を訪問するが、当時彼は19歳であり、英国王エドワード7世の姪にあたるヴィクトリア=エナ・バッテンベルグ公女との運命的な出会いを果たすことになるが、この記事にはそこまでの内容はない。
画像は、6月3日ルーベ大統領とともに閲兵式に臨むアルフォンソ13世。
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by utsushihara | 2005-06-04 17:40 | フランス政治社会1905-06

イタリア歌劇団パリ公演

f0028703_1416812.jpg1905年6月3日(土)

サラ・ベルナール劇場を拠点としてイタリア歌劇団のパリ公演が6月3日から始まった。その柿落しはウンベルト・ジョルダーノ作曲、ルイジ・イリカ台本による「アンドレア・シェニエ」4幕の叙情歌劇だった。このオペラは1896年、ミラノ・スカラ座にて初演されている。フランス大革命の史実から採られた様々な場面から構成されている。

出典:BNF-Gallica #102976 « Je sais tout » No.6; Juillet, 1905


[ Ψ 蛇足 ]
ジョルダーノ(Umberto Giordano, 1867-1948)は当時バリバリの38歳。この「アンドレア・シェニエ」と「フェドーラ」を次々に発表して大作曲家への道を邁進していた。
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by utsushihara | 2005-06-03 14:15 | オペラ、音楽、演劇1905-06