フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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ドイツ皇帝のタンジール訪問―モロッコ問題(3)

f0028703_22523562.jpg1905年3月31日(金)

ウィルヘルム2世は3月23日午前9時30分、ククスハーフェンから航海に出発した。ドイツ皇帝がタンジールに立ち寄る意図を持っていたことを知ると、人々は大きな驚きなしでは済まなかった。
来訪が告げられるやタンジールでは盛大な歓迎準備が君主とモロッコ政府によって行われた。この来訪についてはヨーロッパの各新聞で報じられた。
ウィルヘルム2世は、3月31日午前11時45分にタンジールに上陸した。

出典:BNF-Gallica #102976 « Je sais tout » No.3, Avr.1905

[ Ψ 蛇足 ]
ククスハーフェン Cuxhaven はドイツ北西部の北海に面した港町。ハンブルクとブレーメンの中間に位置する。
Cuxhaven Stadt(独語)
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by utsushihara | 2005-03-31 22:51 | モロッコ問題、アフリカ1905-06

アントナン・プルーストの自殺

f0028703_22505553.jpg1905年3月22日(水)

元代議士で元芸術担当大臣だったアントナン・プルースト氏は、3月22日、自分の頭をピストルで2発撃って自殺した。73歳だった。最近、彼はある新聞に寄稿した記事にひどいノイローゼの発作で苦しんでいると述べていた。彼には数多くの芸術論の著作があり、装飾美術館の開設にも貢献した。

出典:BNF-Gallica #102976 « Je sais tout » No.3, Avr.1905

[ Ψ 蛇足 ]
マネEdouard Manet (1832-1883)は親交のあったアントナン・プルーストの肖像を何枚か描いているが、この1877年の習作がモデル本人の性格がにじみ出ているようで好感が持てる。

当方のBBS「新・捜査員の手帳」に絵山さんが書き込まれたコメント(2005/07/15)がアントナン・プルートのことを簡潔に紹介しているので勝手ながら以下に再録させていただいた。

>最近見つけたアントナン・プルースト著「マネの想い出」を読んで、またまたこの二人に思いを馳せました。
著者はガンベッタ内閣で大臣も務めた政治家であり文筆家、マネの幼馴染であり共に美術を学んだ生涯の友で、マネの援護者でした。
画家としてはあらゆる様式や表現の先駆者であったのに、というかそれゆえに官に容認されず生涯旧弊なアカデミーと対立し、大衆の無理解に傷つきながらも戦ってきた揺らがぬ信念のマネ、そんなマネが抑えられた筆致でくっきりと描かれています。
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by utsushihara | 2005-03-22 22:49 | 美術、彫刻1905-06

探検家スゴンザック侯爵の捕囚

f0028703_2249108.jpg1905年3月19日(日)

フランス政府のアフリカ問題委員会は19日、一通の至急報を受け取った。それによると探検家のルネ・ド・スゴンザック侯爵は地理学的・作図的な使命を帯びてモロッコに赴いたが、3月8日前後に急進派勢力によって囚われた模様である。

[ Ψ 蛇足 ]
ルネ・ド・スゴンザック(René de Segonzac) アフリカ探検家。スゴンザックの名はボルドーのワインの産地としても有名。「モロッコ旅行記」を出版。Voyages au Maroc (1899-1901). Paris, Armand Colin, 1903
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by utsushihara | 2005-03-19 22:48 | モロッコ問題、アフリカ1905-06

コンセール・ラムルー演奏会の曲目

1905年3月5日(日)

ベートーヴェン: 交響曲へ長調
ピエール・エルマン: ヴェルレーヌの詩による歌曲、独唱マルグリット・ピカール
ドビュッシー: 牧神の午後への前奏曲
リスト: ハンガリー狂詩曲、ピアノ独奏テレサ・カレーノ
ワーグナー: タンホイザー序曲、パルシファル前奏曲

出典:BNF-Gallica #102976 « Je sais tout » No.3, Avr.1905

[ Ψ 蛇足 ]
この時代の流行を知る手がかりになる。ベートーヴェンの交響曲は第6番ヘ長調「田園」か第8番へ長調かのどちらかは不明。
作曲家ピエール・エルマン (Pierre Hermant) のことは今では完全に過去に埋没して知りえない。
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by utsushihara | 2005-03-05 22:45 | オペラ、音楽、演劇1905-06

オペラ舞台服飾家の謎の死

1905年3月3日(金)

オペラ座およびオペラ・コミック座の舞台服飾家ビアンキーニ氏は3月3日、謎の死をとげた。関係者の話によれば、見知らぬ女性から差し入れられたボンボンを口にしていたという。
ビアンキーニ氏はかねてから毒殺の標的とされているという噂が流れていたが、死因を調べた結果、不自然な要素は発見されず、事件ファイルは片付けられた。
彼はすぐれた服飾家で、舞台衣装の最も奇抜なデザインで名を成しており、45歳での逝去が惜しまれる。

出典:BNF-Gallica #102976 « Je sais tout » No.3, Avr.1905
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by utsushihara | 2005-03-03 22:44 | オペラ、音楽、演劇1905-06