フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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カテゴリ:美術、彫刻1907-08( 72 )

画家エルネスト・エベールの死

1908年11月5日(木)

文豪スタンダールの従弟にあたるグルノーブル出身の画家エルネスト・エベールは、11月5日死去した。2日前に満91歳の誕生日をグルノーブル近郊のラ・トロンシュの自宅で迎えたばかりであった。
22歳でローマ大賞を獲得し、ローマのフランス・アカデミーに留学した。帰国後は、明るい色彩の風景画や緻密な肖像画でコローやミレーに比肩する作品を生み出し、第2帝政期は欽定画家となり、その後も含めローマのフランス・アカデミー院長を2度にわたって務めた。

f0028703_17144232.jpg出典Crédit:©BNF-Gallica #039751; Larousse mensuel illustré, revue encyclopédique / No.22 Déc. 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN (Musée d'Orsay) / Gérard Blot / Cote cliché : 87-000300 / Titre : La mal'aria / Auteur : Ernest Antoine Auguste Hébert (1817-1908)/ Localisation : Paris, Musée d'Orsay

[ Ψ 蛇足 ]
(再録):エルネスト・エベール(Ernest Hébert, 1817-1908)はアルプスに近いイゼール県出身の画家。ローマ大賞を獲得してイタリアに遊学し、のちにローマのフランス・アカデミーの院長にもなった。伝統的なアカデミーの技法によるナポレオン3世などの宮廷や貴族・有名人の肖像画、風景画を残している。レジオン・ドヌール大十字章も受けている。
(↑)上掲は代表作の一つ『マラリア』(Mal’aria)で、伝染病の蔓延する土地から舟で逃れようとする家族を描いたものと言われる。古典的アカデミスムから自然主義への移行を感じさせる。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Ernest Hébert
**これまでの関連記事france100.exblog:「タンホイザー」についての講演会(1907.06)
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by utsushihara | 2008-11-05 17:09 | 美術、彫刻1907-08

モーリス・ドニの『プシュケの物語』(1908年秋のサロン展)

f0028703_22343629.jpg1908年10月

右掲(→)は秋のサロンに出展された中で大いに注目された大がかりな装飾絵画の連作、モーリス・ドニ氏の『プシュケの物語』(Histoire de Psyché)の一枚である。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.47; Déc. 1908
画像 Crédit photographique:©RMN (Musée d'Orsay) / Daniel Arnaudet : Cote cliché : 86-000444 - Fonds : Peintures / Titre : Histoire de Psyché : l'Amour surprend Psyché / Auteur : Maurice Denis (1870-1943)
Localisation : Paris, Musée d'Orsay

[ Ψ 蛇足 ]
モーリス・ドニ(Maurice Denis, 1870-1943)の残した装飾絵画の連作『プシュケの物語』(Histoire de Psyché)は、アプレウスの『変身譚』第4巻から採られている。上掲のオルセー収蔵品は縦72cm、横50cmの小ぶりな作品だが、色調の柔らかさが何とも言えない。

*参考サイト:DAYS OF WINE&ROSES(Livedoor Blog):エロスとプシュケ
**これまでの関連記事france100.exblog:モーリス・ドニの絵、ドイツへ(1907.03.07)
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by utsushihara | 2008-10-20 22:33 | 美術、彫刻1907-08

エルムノンヴィルでルソーの記念像の落成式

f0028703_18143515.jpg1908年10月18日(日)

10月18日、パリ北郊エルムノンヴィルでジャン=ジャック・ルソーの事跡を記念する石碑の除幕式がおこなわれた。エルムノンヴィルはジラルダン侯爵の領地であったが、晩年のルソーの思索と著作活動のためにその地を提供し、ルソーはそこで死を迎えるまで過ごした。彫像はアンリ・グレベ氏の手になるもので、腰を下ろし前方を見つめて夢想にふけるルソーの姿が表現され、その背後に「思索」の寓意である半裸の女神像が見守っている。また台座に刻まれたのは、「ジャン=ジャック・ルソー、ジュネーヴ1712年-エルムノンヴィル1778年」(Jean-Jacques Rousseau, Genève 1712 – Ermenonville 1778)、のほかに彼の座右の銘「真理のためわが命を捧ぐ」(Vitam Impendere Vero)である。
除幕式には、労働大臣のヴィヴィアーニ氏のほか、サンリスの代議士で記念碑建立委員会長であるショピネ氏、エコー・レピュブリカン紙の編集長カステラン氏、ジュネーヴ市代表のグラン=カルトレ氏らが祝辞を述べた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.47; Déc. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #039751; Larousse mensuel illustré, revue encyclopédique / No.22 Déc. 1908

f0028703_1844039.jpg[ Ψ 蛇足 ]
彫刻家アンリ・グレベ(Henri Gréber, 1856-1941)はこの記念碑の雛形をすでに10年前に制作している。ちょうどルソーの没後130年を記念して完成したものである。
座右の銘「真理のためわが命を捧ぐ」(Vitam Impendere Vero)についてはルソーの演劇論『ダランベールへの手紙』でも言及があるようだ。
「思索」(ラ・パンセ=La pensée)は女性形の普通名詞なので、女神像となるのが寓意の基本である。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ルソーの私生活の劇化(1906.05.28)エドゥアール・ロッドによる3幕劇「改革者」(Réformateur)
(2)ジャン=ジャック・ルソー研究講座の盛況(1907.03.16)
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by utsushihara | 2008-10-18 18:12 | 美術、彫刻1907-08

1908年秋のサロン展の併設回顧展

1908年10月1日(木)

秋のサロン展における恒例の回顧展として取り上げられた3人の画家に注目が集まっている。スペインの印象派画家のエル・グレコ、さらに詩情あふれる独創的な117点のモンティセリ、そして完璧な技量をもった版画家で水彩画家のブレダンである。またブガッティの制作した動物彫刻も見逃せない。

f0028703_13153562.jpg
出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.45; Oct. 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski : Cote cliché : 05-521639 - Fonds : Peintures / Titre : Les baigneuses / Auteur : Adolphe Joseph Monticelli (1824-1886) / Localisation : Paris, Musée d'Orsay
画像 Crédit photographique:©Photo RMN / Michèle Bellot : Cote cliché : 97-011315 - Fonds : Dessins / Titre : Mansarde d'artiste / Auteur : Rodolphe Bresdin (1822-1885) / Localisation : Paris, Musée du Louvre, D.A.G.

[ Ψ 蛇足 ]
秋のサロン展は規模から言えば春のサロン展にははるかに劣るものの、芸術の秋にふさわしい過去の芸術家の回顧展を併設していた。エル・グレコ(El Greco, 1610-1665)は年代的に17世紀の画家でありながら、上記の記事でなぜ「印象派の画家」(l’impressionniste espagnol)という呼ばれ方をしたのか奇妙に思う。香気の高さとともにフランスの印象派の先導者エドゥアール・マネに通ずる光沢を抑制した筆致と色彩を連想したためかもしれない。

モンティセリ(Adolphe Joseph Monticelli, 1824-1886)はイタリア系のマルセイユ出身の画家である。強烈な色彩と重厚な造形表現はドラクロワの直系と思わせるが、別な絵ではコローの人物画のような落ち着きが感じられ、(↑)上掲の『水浴をする女たち』(Les baigneuses)でのセザンヌの先駆者のような構図を目にすると、この一人の画家の身中に多彩な様式を内包していたかのような不思議さがある。

f0028703_1316430.jpgロドルフ・ブレダン(Rodolphe Bresdin,1822-1885)もロマン主義時代を生きた芸術家である。(→)右掲のデッサン画『芸術家の屋根裏』(Mansarde d'artiste)でのその幻視的な世界から強く訴えてくる魅力を感じる。日本では三重県立美術館に代表作が多く収蔵されている。

*参考サイト:
(1)三重県立美術館所蔵作品選(ブレスダンと表記されている)
(2)BNF Exposition virtuelle: Bresdin(英文)BNFのネット美術展ブレダン特集
(3)Gravura Mundi: Bresdin
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by utsushihara | 2008-10-01 13:13 | 美術、彫刻1907-08

画家アルベール・メニャン死去

f0028703_1734971.jpg1908年9月29日(火)

歴史画家であり、風景画家でもあったアルベール・メニャン氏は9月29日に死去した。64歳だった。主要な作品としてはリュクサンブール美術館に収納された『婚礼当日のナポレオンとマリー=ルイーズ』(Napoléon et Marie-Louise le jour de leur mariage)と『1066年のノルマン人船団の出発』(Départ de la flotte normande en 1066)がある。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.46; Nov. 1908
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN
画像 Crédit photographique:©Photo RMN / François Vizzavona (1876-1961) / reproduction RMN / Cote cliché : 99-012899 / Titre : Eté, août 1907 (exposé au Salon des Artistes Français de 1908) / Auteur : Albert Maignan (1845-1908) / Localisation : Paris, agence photo RMN, fonds Druet-Vizzavona
f0028703_1741186.jpg
[ Ψ 蛇足 ] (再録)
アルベール・メニャン (Albert Maignan, 1845-1908) は、フランス中部ル・マン近くのボーモン・シュル・サルトで生まれ、パリに出て法律の勉強をしたのち画家となった。アカデミスムの伝統に則った端正な作風で、ギリシア神話や宗教的な題材の装飾画家として知られる。特にリュクサンブール宮殿(現在のフランス上院)の会議場に一連の絨毯絵が飾られている。
(↑)上掲の絵は最晩年の1908年サロン出展作となった『夏』(1907年8月)の香気を感じさせる風俗画である。
残念ながら上の記事にある主要作の画像は確認できなかった。「ノルマン人のイングランド征服」は世界史で1066年と暗記した(気がする)。

*参考サイト:Ville de Beaumont-sur-Sarthe; Célébrités(郷土の有名人)Albert Maignan
**これまでの関連記事france100.exblog:1906年春季展(サロン)Ⅱ-1「ナルシスの死」(1906.04)
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by utsushihara | 2008-09-29 16:59 | 美術、彫刻1907-08

ペルゴレージの出生地に記念碑(200周年を前に)

1908年9月

作曲家ペルゴレージが1710年に生まれたイェージの町では、2年後の1910年に到来するペルゴレージの生誕200年を祝う記念碑を建立しようとしている。以下の記事はイタリアの『イル・モンド・アルティスティコ』(芸術世界)誌に掲載されたものである:

ジァンバティスタ・ペルゴレージの記念碑がイェージのスタトゥート広場に建てられることとなった。彫刻家のラッツァリーニ氏は作曲家の彫像とその装飾台座で調和の取れた集合体を考えている。大理石の塊の中央にはスピネッタが彫られ、ペルゴレージの指で「スタバート・マーテル」(悲しみの聖母)や「セルヴァ・パドローナ」(奥様女中)の音譜が掻きならされているように思える。楽器のペダルがあるはずの場所からは水が流れ出し、水盤に注がれる。これは作曲家の霊感を象徴するもので、その源泉は決して枯れることなく永遠にあふれ出ることを示している。
台座の右側には2つの優美な寓意像「音」(Le son)と「歌」(Le Chant)が配されている。記念碑の左側上部にはペルゴレージの霊感を受けた姿勢の彫像が見られる。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288220 « Le Figaro » le 21 Sep. 1908
画像 Crédit d’image : IMSLP=International Music Score Library Project : Pergolesi - Stabat Mater
http://imslp.org/wiki/Stabat_Mater_%28Pergolesi%2C_Giovanni_Battista%29

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[ Ψ 蛇足 ]
26歳で夭折した天才作曲家ジョヴァンニ・バティスタ・ペルゴレージ(Giovanni Battista Pergolesi, 1710-1736)は、2010年には生誕300年を迎える。イェージ(Jesi)の町はアドリア海側のマルチェ県に位置する。この記念碑に関する記述はかなり詳細なものだが、半分ほど抜粋した。下掲(↓)で記念碑の写真が見られる。ただし制作者アレッサンドロ・ラッツァリーニ(Alessandro Lazzarini, 1869-1942)に関する詳細はわからない。

IMSLPから引用した楽譜は傑作「悲しみの聖母」(Stabat Mater)の第4曲のアリアで、モーツァルトに匹敵する天賦の響きに身震いする。

*参考サイト:A&A art and architecture(英文)Monument to Giovanni Battista Pergolesi Piazza dello Statuto, Jesi, Marche, Italy
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by utsushihara | 2008-09-26 23:58 | 美術、彫刻1907-08

避暑地のベルネーム画廊(フェルディナン・ロワベ)

1908年8月6日(木)

ドーヴィルの海水浴客は、海岸の一角に都合よく設けられた「新聞館」に今後毎日のように足を運ぶことだろう。ここはまさに海辺のサロンというようなパリ的な場所であり、パリの大通りで出会う人々のように会話を楽しみ、またジョルジュ・ベルネーム画廊が企画した現代画家たちの楽しい展覧会を眺めることができる。すでに何点かの絵画は愛好家たちによって購入されている。
ジョルジュ・ベルネーム画廊はドーヴィルだけでなく、ヴィシーでも作品展を開いており、そこで展示されているフェルディナン・ロワベの有名な作品『好色な手』は多くの鑑賞家たちの注目を集めている。
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出典 Crédit:©BNF-Gallica #288174 « Le Figaro » le 6 Août, 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN / Michèle Bellot ; Cote cliché : 94-006116 ; Fonds : Peintures / Date : 1894 / Titre : La main chaude / Auteur : Ferdinand Roybet (1840-1920) / Localisation :Musée Courbevoie
画像 Crédit photographique:©Photo RMN(Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski : Cote cliché : 08-527720
Fonds : Peintures / Titre : Fillette à la poupée / Auteur : Ferdinand Roybet (1840-1920) / Date : 1865
Localisation : Paris, Musée d'Orsay

[ Ψ 蛇足 ]
避暑地でもパリの動静を知ることができる「新聞館」(La Pavillon de la Presse)は、百年前のメディアの姿が、例えば海外旅行先でも最新の日本の新聞を読めることでお客から喜ばれるのと共通している。
f0028703_1752299.jpgジョルジュ・ベルネーム画廊(Galerie Georges Bernheim)は老舗の画廊である。
フェルディナン・ロワベ(Ferdinand Roybet, 1840-1920)は16世紀のオランダ絵画風の重い歴史絵画、世俗絵画を19世紀末に復活させた作品で人気があった。(↑)上掲の『好色な手』(La Main chaude)も三銃士の時代風俗を描いたものである。現在はパリ北西郊外クールヴボワの《ロワベ=フールド美術館》(Musée Roybet Fould)に所蔵されている。
また(←)左掲の『人形と遊ぶ少女』(Fillette à la poupée)は若い頃の作品で愛すべき小品である。(オルセー美術館所蔵)彼の作品は東京の国立西洋美術館にも納められているらしい。

*参考サイト:
(1)Wikipedia(仏語)Ferdinand Roybet
(2)Ville de Courbevoie : Musée Roybet Fould(仏語)
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by utsushihara | 2008-08-06 17:49 | 美術、彫刻1907-08

ローマ大賞彫刻部門の優勝者(1908)

f0028703_21335563.jpg1908年7月

1908年のローマ大賞彫刻部門は、昨年が受賞者なしだったため2名の受賞者が出た。一人目はカミーユ・クルニエ氏(←)で彫刻家のファルギエール、メルシエ、ラルシュに師事した。右掲(→)は彼の制作による『黄昏を前にして』(Devant le Crépuscule)である。
f0028703_21342745.jpgまたもう一人はマルセル・アルマン・ゴーモン氏で1880年トゥール生まれ、バリアス、クータン、シカールなどに師事した。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.44; Sep. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
カミーユ・クルニエ(Camille Crenier, 1880-1914/18)の『黄昏を前にして』(Devant le Crépuscule)の彫像は最近欧米のネット・オークションに出品され売買された記録が残っている。この題名にはなぜか悲観的な響きがある。青年男女が沈む夕陽を一緒に見つめている姿ということかもしれないが、迫り来る大戦の不安まではまだそれほど一般的には予感されていなかったように思われる。しかしこの若い彫刻家は6年後に勃発した第一次世界大戦に従軍し、戦没したと考えられている。(没年は不確定)
f0028703_21344448.jpg(←)マルセル・アルマン・ゴーモン(Marcel Armand Gaumont, 1880-19xx)もクルニエと一緒に1909年から3年間ローマ留学を果たした。彼の場合は1937年に完成したパリ市立近代美術館(Musée d’Art Moderne de la Ville de Paris)の外壁を飾る浮彫を何点か制作している。

直前の記事では女性候補者のリュシアンヌ・ウーヴェルマン(Luciennne Heuvelmans, 1885-1944)の優勝する可能性も取りざたされていたが、今回は二等賞だった。(女性としての彼女の初優勝は3年後に持ち越される)

**これまでの関連記事france100.exblog: ローマ大賞をめざす女性たち(ナディア・ブーランジェ)(1908.05.12) 女性彫刻家のウーヴェルマン嬢
*参考サイト:Wikipedia(仏語)Lucienne Heuvelmans
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by utsushihara | 2008-07-13 21:32 | 美術、彫刻1907-08

巨大なベートーヴェン記念碑

f0028703_1915893.jpg1908年7月10日(金)

巨大なベートーヴェン記念碑が7月10日、16区のミュエットの公園に完成した。(→)画像には記念碑の前に立つ作者のジョゼ・ド・シャルモワが小さく写っているが、楽聖の偉業を記念するためにその愛好者・崇拝者たちによって建てられた重要性を推し量りうる規模の大きな作品である。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.43; Août, 1908
出典画像 Crédit d’image : © Rencontrer Beethoven à Paris : Vincennes, pelouse de Fontenay
http://www.lvbeethoven.com/Lieux/FranceVincennesMonumentBeethoven.html

[ Ψ 蛇足 ]
この彫刻家ジョゼ・ド・シャルモワ(José de Charmoy, 1879-1919)作のベートーヴェン像については、1年半ほど前の記事で掲載した記憶がある。(下記参照↓)
**これまでの関連記事france100.exblog: シャルモワのベートーヴェン像(1907.01)

ベートーヴェンの音楽の熱烈な愛好者たちがパリにも彼の偉業を讃えるための記念碑を建立したいと考え、実行委員会を組織し、資金を集めていたと思われる。シャルモワが一応完成させた上記の作品は石膏像であり、横幅6m、奥行4m、高さは3mとかなり巨大なもので、台座には4隅にベートーヴェンの代表作、「英雄」、「悲愴」、「第九」、「月光」の寓意像があしらわれていたという。
f0028703_193589.jpg下記の参考サイト(仏語)にその記念碑の経緯が述べられているが、年代がなぜか1年あとの1909年になっていることと、最初は上記の記事にある通り、ミュエットのラヌラーグ公園(Jardin du Ranelagh)に置かれる予定だったことがわかる。しかし諸般の事情で(恐らく第一次大戦直前の仏独関係悪化も影響したかも)ヴァンセンヌの森に移される。(←写真)しかも台座までは石像で出来ていたが、上部は石膏のまま残され、作者のシャルモワは戦場に向かったままで死去し、石膏部分は風雨に晒されてボロボロになってしまったのである。

*参考サイト:Rencontrer Beethoven à Paris : Vincennes, pelouse de Fontenay(仏語)
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by utsushihara | 2008-07-10 19:00 | 美術、彫刻1907-08

ルーヴル美術館にメムリンクの傑作『年老いた女』追加展示

f0028703_1728947.jpg1908年6月

ルーヴル美術館ではフランドル派のコレクションに有名なメムリンクの作品『年老いた女』の肖像画を新たに加え、展示する。メムリンクは1902年の「ブリュージュの初期フランドル派展」にも入っていた。この絵は二枚折りの絵(ディプティク : diptyque)の向かって右半分であり、もう片方は現在ベルリン美術館にある。取得にかかった費用は20万フランである。(≒5億円)
『年老いた女』(Vieille Femme)の肖像画は恐らくこのフランドルの名匠の傑作の一つとして見なされるだろう。我がルーヴル美術館では彼の作品をすでに6点保有している。
『聖母子』(Vierge à l’enfant):デュシャテル伯爵夫人からの遺贈。
『聖女カタリナの結婚』(Mariage de Sainte Catherine): ガトー氏からの遺贈。
『祈祷する寄進者』(Donateur en prières): エドゥアール・アンドレ氏からの寄贈。
『洗礼者聖ヨハネ』(Saint Jean-Baptiste): リュシアン・ボナパルト所蔵品から収納。
『マグダラのマリア』(Sainte Madeleine): 1814年にごく控え目な価格で購入。(11,726フラン)
『三連祭壇画:聖セバスチャンの殉教、復活、昇天』(Triptyque : Martyre de Saint Sébastien, Résurrection, Ascension): 1860年トリノで13,500フランで取得。
特にメムリンクの作品については一度ならずとも価格が上昇していることは確かである。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288129 « Le Figaro » le 22 Juin, 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN : Cote cliché : 91-001538- © RMN / Gérard Blot / Titre : Portrait de femme agée / Auteur : Hans Memling (1435-1494) / Localisation : Paris, Musée du Louvre

[ Ψ 蛇足 ]
ブリュージュを訪れたなら「メムリンク美術館」は必見と言われる。(時間の使い方が悪くて閉館になった経験の筆者は後悔している)作風としては、静謐さで満たされた画面に徹底した丁寧な描写が見られる。
下記(2)のWikimedia に主要作品の画像が参照できるが、上の『年老いた女』と対になっていたもう片方の『年老いた男』の絵は 《 Hans Memling 051.jpg 》で見ることができる。

*参考サイト:
(1)Salvastyle.com : ハンス・メムリンク(Hans Memling, 1435-1494) 主要作品の解説と画像
(2)Wikimedia Commons : Category : Hans Memling
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by utsushihara | 2008-06-27 17:26 | 美術、彫刻1907-08