フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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カテゴリ:オペラ、音楽、演劇1907-08( 258 )

コクラン=カデの引退決定

f0028703_17125526.jpg1908年12月27日(日)

昨夜開催されたコメディ=フランセーズ座の運営委員会において、正座員のコクラン=カデ氏が病気を理由に休職して1年になることを協議した。その結果、あまりに長期間の欠演は座にとっても不利益であり、彼を引退させることに決定した。またこの決定は、疾病審判委員会で改めて審議されることとし、もし彼が健康を回復したときには、一座に復することができ、報酬もこれまでと同額とすることなどの条件が付加された。

この委員会に続き、座員総会が開催された。1909年の予算が承認された。総額は204万フランにのぼる。この数値をもとに総会では、来年度での経費節減が必須であり(des économies devaient être faites sur l’exercice prochain) 、1910年に向けて老齢年金への充当も決定した。

出典Crédit:©BNF-Gallica #618485 «Le Petit journal», le 27 Déc. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
コクラン=カデ(Coquelin cadet)は、正しくはエルネスト・コクラン(Ernest Coquelin, 1848-1909)といい、兄のコンスタン・コクランとともに演劇界で活躍した。兄弟で区別するためにエネ(aîné=兄)、カデ(cadet=弟)という名前をつけて通した。彼は特にモノローグ(独白)の演技で定評があった。
下記に挙げた『愛は眠らずに』(L’Amour veille)の公演以降、体調を崩してシュレーヌの療養院に入っていた。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Coquelin cadet
**これまでの関連記事france100.exblog:コメディ=フランセーズの「愛は眠らずに」の大成功 (1907.09.30)
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by utsushihara | 2008-12-27 17:09 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ヴォードヴィル座の『百合』上演

f0028703_22293137.jpg1908年12月18日(金)

ヴォードヴィル座のギィ・ローネー氏は『百合』(Lys)の爆発的な成功を予言したことに誤りはなかった。ピエール・ヴォルフとガストン・ルルー両氏による見事な4幕喜劇は4日間で4万フランを超える売上をあげた。(↑画像)上掲は主演の2人の女優、マドレーヌ・レリ嬢(左)とシュザンヌ・デプレ女史(右)である。出演は他にレラン、ジョフル、ロジェ・ヴァンサンの各氏など。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #568924 « Le Matin » No.9071 ; le 28 Déc. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.49; Fév. 1909

f0028703_22275749.jpg[ Ψ 蛇足 ]
(←)共作者のガストン・ルルー(Gaston Leroux, 1868-1927)は、この時期に『黄色い部屋の秘密』に続く主人公ルールタビーユの活躍する『黒衣婦人の香り』(Le Parfum de la Dame en noir)も発表し、飛ぶような売行きを示した。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Suzanne Desprès

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)フェミナ劇場でホフマンスタールの『エレクトラ』上演 (1908.11.26) シュザンヌ・デプレ(Suzanne Desprès, 1875-1951)
(2)ヴォードヴィル座の「小川」 (1907.03.22) ピエール・ヴォルフ(Pierre Wolff, 1865-1944)作
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by utsushihara | 2008-12-17 22:26 | オペラ、音楽、演劇1907-08

コクラン=エネによる最後の「シラノ」公演

1908年12月13日(日)f0028703_232948.jpg

ポルト・サン=マルタン座の経営陣は6日、「シラノ・ド・ベルジュラック」(Cyrano de Bergerac)の連続公演を一週間延長することに決定した。来たる12月13日(日)のマチネはコクラン=エネによる「シラノ」の最後となるだろう。
翌14日(月)が新作「女性X」(La Femme X)の総稽古となる。また、10日(木)に予定されていたマチネ・クラシック(古典劇の昼公演)は、その日の夜にコクラン氏の「シラノ」の舞台があるため、延期となった。演目もモリエールの「タルチュフ」(Tartufe)と「才女気取り」(Les Précieuses ridicules)だったのに代えて、「町人貴族」(Bourgeois gentihomme)がジャン・コクラン氏、ドリヴァル氏、ドゥレージー女史などによって演じられる。

出典Crédit:©BNF-Gallica #618465 «Le Petit journal», le 7 Déc. 1908
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN

[ Ψ 蛇足 ]
画像は、名優コクラン=エネの当り役「シラノ」の舞台姿である。このとき既に彼は68歳を目前にしていた。モリエール同様、俳優は舞台の上で死ぬことが本望とされていたが、彼もそう願っていたにちがいない。ジャン・コクランは彼の息子である。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Coquelin aîné
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by utsushihara | 2008-12-13 23:23 | オペラ、音楽、演劇1907-08

アンリ・ビュッセルと若きデルヴァンクール

1908年12月7日(月)

***アンリ・ビュッセル著「パリ楽壇70年」、©池内友次郎・訳編、音楽之友社刊より引用
[第10章] 1908年12月7日:
音楽院でガブリエル・フォーレがオーケストラ科の代理教授を私に任せる。何回かの授業では、作曲科の生徒たちの作品に充てて、オーケストラで彼ら自身の作品を聴かせるようにする。ウィドールのクラスに入っている私の生徒のクロード・デルヴァンクールの作品を使ったが、この作品の試奏はオーケストラの器楽学生たちの興味を大いに惹きつける。彼らは同時に、シャルル・ルヌヴーの若い弟子であるボルシャールとバズレールの作品も大いに喜んで練習する。

f0028703_1393532.jpg画像 Crédit d’image : ©BNF-Gallica – Image Claude Delvincourt
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b7720613t

[ Ψ 蛇足 ]
クロード・デルヴァンクール(Claude Delvincourt, 1888-1954)についてはそれほど知名度がないが、このあと1913年のローマ大賞をリリ・ブーランジェ(Lili Boulanger, 1893-1918)と一緒に獲得した。彼にとって不運だったのはローマ留学の最中に第一次大戦が勃発し、彼も従軍し重傷を負ったことである。その後、作曲、ピアノ演奏、音楽教授として活躍し、1940年からはパリ音楽院長を務めた。この時すでにフランスはナチス・ドイツに敗れており、独軍占領下での窮屈な活動を強いられた。この世代のすべての人々はこうした苦難の人生を送らざるを得なかったことに改めて気づかされる。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Claude Delvincourt
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by utsushihara | 2008-12-09 13:07 | オペラ、音楽、演劇1907-08

ルネサンス座で『傷ついた鳥』初演

f0028703_135438100.jpg1908年12月8日(火)

右掲載(画像→)のイラストはフィガロ紙に掲載されたアルフレッド・カピュ作の4幕劇『傷ついた鳥』(L’Oiseau blessé)に主演のエヴ・ラヴァリエール嬢とリュシアン・ギトリ氏である。脇を固める出演者はアンドレ・メガール、ジュリエット・ダルクール、ジャンヌ・デクロの女優陣と、アンドレ・デュボスク、ヴィクトル・ブシェの各氏ほかであり、大いに活況を呈している。

ナント市の公務員の父を亡くしたイヴォンヌ・ジャンソンは美しく上品な娘だった。彼女はあるダメ男と婚約したが、男は娘の信頼を悪用して犯罪を企み、妊娠させた上で逃亡してしまう。イヴォンヌの家族は人目を避けてパリにやってくる。それには逃げた男との愛情が戻ればという漠然とした希望もあった。しかし、男は裕福な家柄の娘との結婚を決めたところであった。イヴォンヌにはもはや憎悪と軽蔑の気持しかなかった。母親も揺り籠の前で涙に暮れるばかり。しかし「傷ついた鳥」の彼女には絶望の中から新たな力強い若々しい、子供と自分が生きるために闘うという気持が芽生える。男の父親サルヴィエール氏は高名な歴史家で哲学者であり、彼女に支援を申し出るが、彼女は女優として活動したい希望を打ち明け、その才能を認めるや、外交官のレセプションでの出演を取り計らう。宴席でのラ・フォンテーヌの韻文朗読は大好評となったが、その場に逃げた男が現れ、彼女に謝罪し、愛し続けていることを告白する。しかし彼にはすでに正妻がいた。(…後略)

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.48; Jan. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #39751 « Larousse mensuel illustré, revue encyclopédique» / No.26 Avril, 1909

[ Ψ 蛇足 ]
1908年はアルフレッド・カピュ(Alfred Capus, 1857-1922)にとって最も多忙な年であった。同時に複数の人物を愛するようになった人間とその周囲はどうすれば問題が決着できるのか、それとも出来ずにズルズルとなるのか?という「愛に関する主題」の演目が基盤であったように思う。
エヴ・ラヴァリエール(Eve Lavallière, 1866-1929)
リュシアン・ギトリ(Lucien Guitry, 1860-1925)

**これまでの関連記事france100.exblog:「負けるが勝ち」の初演 (1908.03.14)
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by utsushihara | 2008-12-08 13:53 | オペラ、音楽、演劇1907-08

物議をかもしたミルボーの『学寮』ようやく初演

1908年12月7日(月)

一連の突発的な出来事や裁判所の判決のあとで、オクターヴ・ミルボー氏とタデ・ナタンソン氏の3幕劇『学寮』が12月7日、ようやく初演の日の目を見た。その次の日の8日(火)の予約会員向けの公演では、「無礼講」の王者を標榜する王党派闘士(カムロ・デュ・ロワ)の若者たちによる妨害で混乱した。しかしながらその後、人々の評価はこの辛辣な現代悲劇を演ずる出演者たち、バルテ嬢、ユグネ氏、ド・フェローディ氏などを賞賛するばかりの方向となっている。

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出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.48; Jan. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #618465 « Le Petit journal » le 7 Déc. 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN (Musée d'Orsay); Gérard Blot /Cote cliché :00-010537 /Titre :Octave Mirbeau, écrivain français /Description :Album de 500 célébrités contemporaines - collection Félix Potin / Localisation : Paris, Musée d'Orsay

[ Ψ 蛇足 ]
なぜこの劇作品がごたごた続きの末に初演に至ったかの経緯を手短かに述べる。最初1906年12月にコメディ・フランセーズ座の支配人ジュール・クラルティ(Jules Claretie, 1840-1913)がオクターヴ・ミルボー(Octave Mirbeau, 1848-1917)(↑画像)の書き上げた作品『学寮』(Foyer)を上演したいと「不用意に」受け入れたことが発端である。雑誌『ルヴュ・ブランシュ』の編集者としても知られたタデ・ナタンソン(Thadée Natanson, 1868-1951)も共作者として加わっていた。まず台本に目を通したクラルティは、作者が大胆かつ辛辣に現代の上流階級の堕落ぶりをあからさまに描いていたのに驚き、多くの箇所での書き直しを要請した。しかしすでに確固たる地位を築いていたミルボーにとっては出来ない相談であり、それを拒否することになった。するとクラルティは1908年3月に舞台稽古を急遽中止させてしまった。作者のミルボーからコメディ・フランセーズ座を訴える裁判が起こされ、判決は作者側の勝訴となったのである。
その間、上述の記事にあるような極右の「アクシオン・フランセーズ」(L'Action française)や王党派の活動家たち、特に11月に結成されたばかりの「王党派若衆組=カムロ・デュ・ロワ」(Camelots du Roy)などによるさまざまな妨害行動が起こされ、そのたびにミルボーたちは不正を告発し、自分たちの正当性を貫く姿勢を取り続けた。
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戯曲『学寮』(Foyer)の主題は、代議士で慈善家で知られる男爵が、運営する子供たちの学寮の資金を流用してしまったことを何とか揉み消そうとするために、夫人の愛人関係を利用して金策したり、党派間の馴れ合いを取引材料としたり、という偽善的な慈善事業を赤裸々に暴き出すものである。
これまでヴォードヴィル喜劇界で活躍していたフェリクス・ユグネ(Félix Huguenet, 1858-1926)がコメディ・フランセーズに迎え入れられて主演する最初の作品となったが、大女優ジュリア・バルテ(Julia Bartet, 1854-1941)との共演は幸先の良いデビュとなった。(↑画像はフィガロ掲載のイラスト、左からユグネ、バルテ、ド・フェローディである)

*参考サイト:Wikipedia(仏語)« Le Foyer » d’ Octave Mirbeau en collaboration de Tadée Natanson
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by utsushihara | 2008-12-07 17:25 | オペラ、音楽、演劇1907-08

オペラ座の支配人メサジェの辞任

1908年12月6日(土)

オペラ座支配人のアンドレ・メサジェ氏の辞任のニュースは、パリ市民にとって「青天の霹靂」のように鳴り響いたと言うしかない。この数週間のあいだ、オペラ座に出入りする人々は二人の支配人の不協和音を見過ごせない気配が感じられた。もちろんメサジェ氏とブルッサン氏の親密な関係はいささかも変わることはないが、メサジェ氏は「芸術的かつ経営的」観点からブルッサン氏との共同体制から身を引くことを決断したという。
今週の半ば頃、メサジェ氏は、芸術文化次官のデュジャルダン=ボーメツ氏と、文部教育大臣のドゥメルグ氏のもとを相次いで訪れ、オペラ座の共同経営者を辞任したい旨を伝えた。しかし両氏とも困惑を隠せず、メサジェ氏に対して思い留まるよう説得し、特にドゥメルグ氏は2日間の猶予でよく考え直すように主張した。
大臣の要請に従い、メサジェ氏は48時間過ぎるのを待ち、4日金曜日に正式な辞任願を書き送ったのである。
彼は政府の認可が出るまでは任務を続けることを言い添えているが、オペラ座の支配人は一人で十分であると大臣が判断するまでの便宜的措置だとしている。
またこれと同時にメサジェ氏は、自分の決断を共同支配人であるブルッサン氏に伝えたが、彼は大いに驚き、途方にくれた表情で辞任を撤回するように熱心に主張した。
ドゥメルグ氏はメサジェ氏の書状を受け取ったが、現在のところまだ何の返事もしていない。

f0028703_17202479.jpg出典 Crédit:©BNF-Gallica #288297 « Le Figaro » le 7 Déc. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #618465 « Le Petit journal » le 7 Déc. 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN (Musée d'Orsay) / Gérard Blot / Cote cliché :00-010775 / Titre : André Messager (1853-1929), compositeur et chef d'orchestre français/ Description : Album de 500 célébrités contemporaines - collection Félix Potin/ Auteur :Boyer Jacques (actif vers 1900)/Localisation : Paris, Musée d'Orsay

[ Ψ 蛇足 ]
作曲家であり指揮者でもあるアンドレ・メサジェ(André Messager, 1853-1929)がブルッサンとともにオペラ座の支配人の座に就いたのは約1年前の1908年1月のことであった。運営が2頭体制であったことは、多忙なメサジェの立場を考えてのことでもあっただろうとも推測できるが、逆に運営の決定権や主導権があいまいになったことが1年足らずのうちに「やりにくさ」を助長させたのかも知れない。
「青天の霹靂」は、フランス語では「穏空の雷鳴」(=un coup de tonnerre dans un ciel serein)と表現される。ほとんど同義である。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)次期オペラ座支配人にアンドレ・メサジェ(1907.01.23)
(2)オペラ座支配人の交代 (1907.12.31)
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by utsushihara | 2008-12-06 17:14 | オペラ、音楽、演劇1907-08

新しい劇場ミシェル座の開設

f0028703_16304448.jpg1908年12月3日(木)

カプシーヌ座の支配人だったミシェル・モルティエ氏は12月3日、8区マチュラン街に自身の名前を冠した劇場ミシェル座を開設した。杮落としにはトリスタン・ベルナール作の愉快な3幕劇『鶏小屋』(Poulailler)がトマサン女史、フェリーヌ女史、ビュルゲ氏、マニエ氏などにより演じられた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.48; Jan. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288275 « Le Figaro » le 15 Nov. 1908
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN

[ Ψ 蛇足 ]
ミシェル座(Théâtre Michel)はパリ8区マドレーヌ寺院の裏手にあたるマチュラン街(rue des Mathurins)にある小劇場である。隣にマチュラン座(Théâtre des Mathurins)もあるので互いに目印にしやすい。しかしよくもこれで名前を維持して100年も続いたものかと驚かされる。
f0028703_1631867.jpg下記の参考サイト(evene.fr)の説明では1906年創設とあるが、出典のフィガロでも1908年なので誤記だろうと思う。ミシェル・モルティエ(Michel Mortier)については詳細がまだ探し出せない。
(←)左掲は人気劇作家のトリスタン・ベルナール(Tristan Bernard, 1866-1947)、この劇場の杮落としのために3幕劇『鶏小屋』(Poulailler) 書き下ろした。

*参考サイト:
(1)evene.fr:Théâtre Michel
(2)Wikipedia(仏語)Tristan Bernard
**これまでの関連記事france100.exblog:トリスタン・ベルナールの改作「ブライトンの双生児」(1908.03.16)
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by utsushihara | 2008-12-03 16:27 | オペラ、音楽、演劇1907-08

芸術座でベルギー戯曲『カーチェ』

f0028703_212224.jpg1908年11月30日(月)

(→)右掲はベルギーの劇作家ポール・スパーク作の4幕韻文劇『カーチェ』(Kaatje)の第1幕の場面である。芸術座で11月30日に初演され、成功を博した。女優陣はヴェラ・セルジヌ、バルビエリ、ドゥリーヴ、男優陣がデュレク、テルジャンらで好演している。

ポール・スパーク氏の作品は12月に作品座でも『マドンナ』(La Madone)が再び取り上げられる。これはスパーク氏がパリの劇場で最初に受け入れられた戯曲である。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288287 « Le Figaro » le 27 Nov. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.48; Jan. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
ポール・スパーク(Paul Spaak, 1876-1936)はベルギーの弁護士で劇作家である。ベルギーにおけるフランス語圏の文学アカデミー会員となっている。『カーチェ』(Kaatje)は女性の人名であるようだ。

*参考サイト:Arllfb.be(Académie royale de langue et de littérature françaises de Belgique): Paul Spaak(ベルギー王立フランス語文学アカデミーのサイト・仏語)
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by utsushihara | 2008-12-01 21:00 | オペラ、音楽、演劇1907-08

『ヴァリエテ事件』の初演

1908年11月28日(土)

メヴィスト劇場ではガブリエル・ティモリー氏新作の3幕劇『ヴァリエテ事件』が11月28日初演された。シュザンヌ・ドゥメー嬢がシャーロック・ホームズの好敵手として登場している。

(11月13日付のフィガロの記事から)
メヴィスト劇場では『ヴァリエテ事件』の台本読みの稽古が熱心に続けられている。ティモリー氏による書下しの3幕劇はおそらく月末には舞台に掛けられるだろう。出演者、監督、作者ともどもその準備に忙殺されている。
(11月15日付のフィガロの記事から)
メヴィスト氏は約10日後に初演となる『ヴァリエテ事件』への出演契約を何人かのベテラン女優たちと取り交わした。サラザック、ドゥレーゼー、マルチャの各女史は、主演のシュザンヌ・ドゥメー嬢を脇から支える役どころを快諾している。

f0028703_14494156.jpg出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.48; Jan. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288273 « Le Figaro » le 13 Nov. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288275 « Le Figaro » le 15 Nov. 1908
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN

[ Ψ 蛇足 ]
劇作家ガブリエル・ティモリー(Gabriel Timmory, 1870-1965)はどうやら『ヴァリエテ事件』(L’Affaire des Variétés)にシャーロック・ホームズを登場させたらしいが、すでにモーリス・ルブランが「ルパン物」でこの有名探偵を借用して更に人気を高めたのにあやかったと思われる。この劇の詳細はわからなかったが、「ヴァリエテ」(Variétés)は、固有名詞の「ヴァリエテ座」か、普通名詞の「演芸寄席」の意味なので、演劇界を舞台とした事件劇だっただろうと想像する。ティモリーは後年、『怪人ファントマ』(Fantomas)の映画の台本も作っている。
(↑画像)ヒロインのシュザンヌ・ドゥメー(Suzanne Demay)についても未詳。

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by utsushihara | 2008-11-28 14:48 | オペラ、音楽、演劇1907-08