フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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カテゴリ:モロッコ問題、アフリカ1909-10( 2 )

ベルギーのアルベール王太子がコンゴから帰還

1909年8月16日(金)
f0028703_182356100.jpg
ベルギーの王位継承者であるアルベール王子は、アフリカにおける自国の植民地コンゴを視察のため長い航海に出ていたが、8月16日アントワープに無事帰還した。港にはウォールス将軍とヴォス市長が出迎えた。

(7月23日付の「プチ・ジュルナル」紙の記事より)
アフリカの仏領コンゴの総督メルラン氏から植民地相へ最近届いた報告によれば、ベルギー政府からの要請により7月15日の朝、総督はベルギー領コンゴのレオポルドヴィルに赴き、滞在中のアルベール王子のもとを表敬訪問した。王子は総督の訪問を歓迎し、昼食まで引き止めた。
その後、総督はアルベール王子を伴って自領のブラザヴィルに戻り、この町を案内した。アルベール王子一行はその日の夕刻ベルギー領のマタディへ向けて出発した。彼はブラザヴィル訪問にいたく興味を持ち、強い感銘を受けた。王子はフランス領でのもてなしに総督へ何度も感謝の言葉を重ねた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.57; Oct. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618693 « Le Petit journal » No.17010, le 23 Juil. 1909
f0028703_18243997.jpg
画像 Crédit photographique:©Oxford Cartographers E&DE; Zenithal Equal Areas Projection - Africa

[ Ψ 蛇足 ]
中央アフリカ西部に位置するコンゴ(Congo)には当時ベルギー領と仏領の2つの植民地領があった。1885年に西側がフランスに譲渡された。参考地図(↑)でも判るとおり、21世紀の現在でもコンゴ川を挟んだ国境となっている。当時の国王レオポルド2世の名前を取った首都レオポルドヴィル(Léopoldville)は、現在はキンサシャ(Kinsasha)となっている。
王太子のアルベールは国王レオポルド2世(Léopold II de Belgique, 1835-1909)の甥にあたるが、この後ほどなくアルベール1世(Albert Ier de Belgique, 1875-1934)として即位する。
ベルギー領コンゴ(Congo belge)はレオポルド2世時代にゴムや象牙を産出する有益な植民地となり、苛酷な収奪、圧政で国際的な非難を浴びた。下記のWikipedia にも記述があるが、アルベールはこの時の日記帳に伯父レオポルド2世の植民地政策に対する強烈な批判を書き残している。(Dans ses carnets de voyage, il critique violemment la politique d'exploitation de la colonie mise en place par son oncle Léopold II et …)

仏領コンゴの総督マルシャル・メルラン(Martial Merlin, 1860-1935)は生涯、世界各地に広がるフランス植民地の統治者を歴任した。この時は仏領赤道アフリカ(Afrique équatoriale française = AEF)全体の統治者として1908年から着任していた。(***植民地統治は奇麗事では済まなかった実例が下掲の新聞記事で見つけたので紹介する)

*参考サイト:
(1)Wikipedia(仏語)Albert Ier de Belgique
(2)Wikipedia(仏語)Martial Merlin

f0028703_18395494.jpg
***(7月15日付の「ル・マタン」紙の記事から)
「コンゴでフランスのために戦う兵士たち」(On se bat au Congo)
モーリタニアと同様にコンゴでも我が兵士たちはフランスのために戦い、あるいは死んでいる。
中部コンゴではガルニエ司令官の指揮下で展開している部隊の一つがカメルーンから流入したグサバンベス族との戦闘を続けている。ボナビアンとボトの村への襲撃では土着兵の一人が死に、フーシェ中尉と軍曹一人が重傷を負った。敵側の死者は40人、負傷者も多数と見られる。
また大規模な叛乱軍を組織しているバラム・バキエらは村落への略奪や脅迫を続けており、その戦闘はさらに厳しい状況にある。ジャキエ大尉率いる小部隊は、ンダァエの村への襲撃でクルボワ中尉が大きな傷を2箇所に受け重態となり、ドラージュ軍曹は胸部を撃たれ、4人の土着兵が死に、17人が負傷した。しかしバラム・バキエは戦場に280人もの死者と多数の負傷者を残して撤退した。
この2つの戦闘は絶え間ない小競り合いの中での重要な戦いであった。勇敢な兵士たちには一分なりとも休息のときは許されていない。フランスはこの事実を知らねばならない。(Ils ont droit que la France le sache.)

出典 Crédit:©BNF-Gallica #569110 « Le Matin » No.9257 - le 2 Juil. 1909
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by utsushihara | 2009-08-16 18:22 | モロッコ問題、アフリカ1909-10

スペインvsモロッコ間で戦闘

1909年7月23日(金)
f0028703_18335877.jpg
北アフリカ大西洋沿岸で緊張が緩和されたばかりのところに、モロッコで戦闘が新たに勃発した。固有する土地にスペインによる鉄道建設が進められたことに部族の一つリフ族が不満を募らせ、7月7日輸送部隊に対する攻撃を行なった。9日から20日までの戦闘で死傷者が続出した。現地スペイン軍駐屯部隊への増援にもかかわらず、すぐに行き詰まってしまった。7月23日は特に激しい戦闘によってまさに殺戮であった。
f0028703_18343290.jpg前線のメリラ(Melilla)の(←)司令官マリナ将軍 (Général Marina)は一層の兵力増強を要請している。もはや一刻の猶予もない。この突然の戦争はスペイン国内では受け入れ難い問題となっており、バルセロナでは革命派たちが活動する恰好の機会となっている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.56; Sep. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #5738243 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.32; 7 Août, 1909
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by utsushihara | 2009-07-23 18:32 | モロッコ問題、アフリカ1909-10