フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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カテゴリ:★ベルエポック事件簿1909( 12 )

「ロンサン小路事件」のスタンネル夫人の裁判

1909年11月13日(土)f0028703_23163724.jpg

11月3日から10日間の公判の期間中、大衆の注目はスタンネル裁判の弁論の推移に引きつけられた。夫の画家スタンネルとその義母ジャピィ夫人が殺害された事件で、同じ家でなぜかベッドに縛りつけられただけで無事に発見された妻マルグリットの関与もしくは共謀があったのか否か?
裁判長のヴァレス氏は峻厳な尋問を展開した。検事のトルアール=リオル氏は、彼女を尊属殺人で起訴するのを断念し、共謀罪を立証しようとした。スタンネル夫人の弁護人をつとめたアントニー・オーバン氏は非常に弁舌巧みに議論を進め、結果的に依頼人の無罪放免を勝ち取ることができた。

f0028703_23192425.jpg出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.56; Sep. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618798 « Le Petit journal » No.17115, le 5 Nov. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
「スタンネル裁判」(L’Affaire Steinheil)はその事件が起きた屋敷のあったパリ15区の「ロンサン小路」(Impasse Ronsin)の事件とも呼ばれたが、翌日1908年5月31日以来、新聞紙上で最も頻繁に記事が書かれた事件であった。非常に謎の多い事件で捜査が難航したのも事実である。上掲の裁判は、若く政財界人とも交友が広かった夫人が事件に関与したのかどうかを問うものであり、公判が始まった11月3日から10日間の新聞各紙は、すべて一面で連日裁判の経過を詳細に報じる記事で文字通りあふれかえった。
f0028703_23194731.jpgこうした資料を集めるだけで分厚い本が何分冊もできてしまうだろう。現に、敬服する松本氏のサイト↓(2)で何年も前に言及していた書物(3)はその一例である。

文豪アンドレ・ジィドもこの事件に大いに興味を引かれたようで、公判の傍聴に行ったことを日記に書き記している。(新庄先生の訳語は固有名詞が「ステイネイ」となっていたが、「スタンネル」のほうが普通の発音に近いと思われるので表記を変えて引用した。)
*** 新潮文庫「ジイドの日記」第2巻、©新庄嘉章・訳、1909年11月7日付から
11月7日、日曜日
リュイテル、フィリップ、リヴィエール、コポー、ドルワン、クローデル来訪。
月曜日。-コボー、ボワレーヴと一緒にスタンネル事件*の公判を聴きに行く。
火曜日。-フィリップ、フリゾー夫妻とともにクローデルのもとで晩餐。(語りたいことは沢山ある。-だがその暇がない。)

*訳注(新庄): 大統領フェリクス・フォールの腹心の友であった美貌のマルグリット・ジャピィ=スタンネルが、母親のジャピィ夫人と夫の画家アドルフ・スタンネルを殺害したという嫌疑で捕えられ、一年間未決のまま牢獄生活を続けていたが、数次にわたるセンセイショナル裁判ののち、11月14日無罪を宣告された。

*参考サイト:
(1)Wikipedia(仏語)Marguerite Steinheil
(2)Le Parti pris des lettres 文字の味方 文学の味方:ピエール・ダルモン『スタンネル事件』ベル・エポックの犯罪(2004.05.22)
(3)Pierre Darmon: "Marguerite Steinheil, ingénue criminelle ? ” (Perrin , 1996)

**これまでの関連記事france100.exblog:画家スタンネル殺人事件(1908.05.30)
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by utsushihara | 2009-11-13 21:31 | ★ベルエポック事件簿1909

カフェ・コンセールの踊り子の部屋で起きた悲劇

1909年11月10日(水)

マンス夫妻はベルギーの出で、しばらく派手な事業をしたあと、3年半ほど前からバティニョル大通りの角で家具屋の店を構えていた。夫妻には3人の息子がいたが、32歳の長男は病弱で、16歳の三男には障害があった。二男のアンリは来年から兵役に就くことが決まっており、両親にとっては大きな安堵であった。

数週間前、アンリは遊び仲間と知り合いになり、一緒にモンマルトルの盛り場に出入りするようになった。そこで彼は若い踊り子マルグリット・ギユモ嬢と出会ったのだ。彼女は19歳で、毎晩ピガール広場のカフェ・コンセールで踊っていた。f0028703_22392249.jpg

先月の28日からギユモ嬢は、従妹で同じ踊り子のアンドレ・デュピュイ嬢と一緒にフォンテーヌ街29番地の家具付きアパートに住むようになった。アンリ・マンスは2~3度この部屋を訪れた。
今月7日の日曜日になって、彼は友人一人を伴ってやって来て家主にこう語った。
「この二人のお嬢さんの引っ越しをしにきたんです。」
そしてすみやかに二人の青年と二人の娘は荷物ケースや旅行鞄や帽子の箱などを運び出し、ナヴァラン街17番地の別の家具付きアパートに移った。この引っ越しの次の日からアンリは親許の家には戻らなかった。酒浸りになり、酔っ払いながら彼は何度も死にたいと言い張った。
「僕は兵隊なんかなりたくないんだ。(Je ne veux pas être soldat) それに商売だって厄介だ。」
そう言いながらも彼は毎朝店の前を熱心に掃除し、できる限り両親の商売の手助けをしていたのだった。

一昨日の夜、ギユモ嬢は体調を崩したため、契約しているカフェへの出演を休んだ。彼女は夜9時半ごろ就寝し、深い眠りにおちた。11時ごろ、完全に酔っ払ったアンリ・マンスが友人を連れて2階の彼女の部屋に入ってきた。青年は何も言わずにベッドにころがり、乱暴に彼女を起こして言った。
「いいかい、これでいいんだ!今度こそ決めたぞ!君を殺してから僕も死ぬんだ!」

いきなり眠りから覚まさせられて彼女は恐ろしくなった。それでも冷静さを失わず、青年がいつも上着のポケットに入れている拳銃を何とか取り上げたいと思った。しかし青年が酔いにまかせて窓のほうにゆっくりと身体を動かす間に、若い娘は部屋を飛び出した、
階段を数段も下りないうちに2発の銃声が響いた。ちょうどその時近くに住む紳士が帰ってきた。彼女は叫んだ。
「お願いです。大家さんに知らせてください。部屋にいる友だちが2発銃を撃ったんです。誰かを殺したんじゃないかと思ってます。」
家主のプリュドム氏がすぐさま2階に駆け上がった。アンリの友人の姿は消えていた。絶望した男のほうは扉の背後に倒れていた。額に銃弾の穴が開いていた。心臓はまだ動いていた。
通報を受けたデュポノワ警視がモニゾン医師とともにやってきた。医師は青年が死んだことを確認した。
遺体は今日の午後、家族のもとに返還される。

f0028703_224454100.jpg出典Crédit:©BNF-Gallica #618805 « Le Petit journal » No.17122, le 12 Nov. 1909
画像 Crédit photographique : ©Musée d'Orsay, Dist. RMN / Patrice Schmidt / Cote cliché : 00-030993 / Fonds : Dessins / Titre : Groupe de danseuses / Auteur : Edgar Degas (1834-1917) / Localisation : Paris, musée du Louvre, D.A.G. (fonds Orsay)

[ Ψ 蛇足 ]
この時代、カフェ・コンセールの踊り子も若さと美しさと技量があれば、娘たちが(薄給ながらも)活躍できる職業だった。マルグリット・ギユモ(Marguerite Guilmot)もこの新聞記事にならなければ他の多くの踊り子たち(Danseuses)同様、完全に過去に埋没していたはずである。
(↑)参考画像はドガの「踊り子の群像」(Groupe de danseuses)オルセー美術館蔵。
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by utsushihara | 2009-11-11 22:37 | ★ベルエポック事件簿1909

モンマルトルの道路陥没で死者

1909年10月31日(日)f0028703_21362697.jpg

恐ろしい事故が31日夕刻、パリ18区モンマルトルの丘の西側斜面、ダムレモン街とトゥールラク街の角で発生した。道路の一部が長さ6mにわたって陥没し、通行人2人が生き埋めとなったのである。道端の建物は衣料品店と家具倉庫になっている。
夕方6時40分だった。男1人、女1人がトゥールラク街の坂を下りてきたとき、突然足元の地面が崩落し、2人とも穴に転落した。この瞬間、あたりに鈍い音が走り、周辺の住居に強い振動が伝わった。もっとも近い服飾店には30人ほどの女性店員が働いていたが、驚いて叫び声をあげながら外に出てきた。彼女らは目の前に恐ろしいほど深い穴が開いているのを見てさらに驚いた。その穴の中からは助けを呼ぶ人の叫び声が聞こえた。そばを通りかかった私服のアガス巡査部長は、駆けつけた2人の巡査とともにすぐさま被害者の救出にかかった。
すぐに長いロープを手に入れ、比較的浅い場所に落ちた男性のほうに投げた。男はそれにしがみつき、引き上げることができた。彼は商店員ミショネ氏、53歳で近所のカルポー街に住んでいた。右脚と頭部に軽い怪我をしていたので付近の薬局に運ばれて手当を受けた。

もう一人の女性のほうは、彼よりも1m深いところに落ちていて、必死になって「助けて頂戴!」(Sauvez-moi !)と叫び続けていた。しかし地面の崩落は続いており、土砂が動き、わずかに見えていた女性の姿は穴の奥に飲み込まれてしまった。
消防隊は午後7時頃から救出のため数人の隊員の身体にロープをしばり、穴を降りて捜索した。しかしまもなくこの活動を断念することにした。というのも絶えず土砂が彼らの頭上に降りかかり、彼ら自身が生き埋めになる危険が出たためである。
救出の試みは断続的に続けられた。地区警察署のデュピュイ署長、地区消防署の署長をはじめ、警視総監のレーピン氏、県知事秘書官のローラン氏、18区選出の国会議員マルセル・サンバ氏などが現場を訪れた。

土木工事の技術者たちは穴の周囲から支柱を組む作業を始め、穴の中への捜索が容易に続けられるように試みた。午後10時を過ぎても状況は変わらなかった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #618793 « Le Petit journal » No.17110, le 31 Oct. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.59; Déc. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526308 « Touche à tout » No.12; Déc. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
結局、残念ながら女性の命を助けることは出来なかった。パリの街角が崩落するなど誰も思いつかないことである。
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by utsushihara | 2009-11-01 21:35 | ★ベルエポック事件簿1909

オーストリアの大公詐称の男女を逮捕

1909年10月30日(土)

予審判事シェヌブノワ氏の令状に従い、司法警察のルグラン副部長は30日朝、パリ16区クレベール通り11番地乙に住む自称グバッタ伯爵夫妻のもとに赴いた。ルグラン氏は家宅捜索を指示し、上々の成果をあげた。
f0028703_2249542.jpgまず身分詐称が明らかとなり、さらに高価な宝石類が見つかった。指輪は30万フラン相当のものでフォンタナ宝石店から納められたものだった。ほかには2個の指輪と豪華な髪留め、千フラン札、櫛形の髪飾りがあった。さらに男の出生証明書、これには1889年12月18日オーストリアのリンツ生まれ、氏名はカール・グバッタとあった。

ルグラン副部長は一連のオーストリアの礼装した高官や著名人の写真を押収した。これには見事な額縁に納められた皇帝の肖像も含まれた。そして大公の家紋入りの刻印、封蝋、さまざまな勲章や装飾品の数々、たくさんの往復書簡が入った文箱、そして質屋への宝石類の預け証があった。
この偽大公に雇われていた7人の使用人たちは捜査の間じゅう副部長につきまとい、給料は払ってほしいと請願し続けた。

この男の身元に関する情報提供を依頼したオーストリア警察からは、夕方次のような返事を受け取った。
「パリで逮捕されたグバッタ伯爵と称する男は、ウィーンでは元料理人のオットマン・グバッタであると確認された。母親は元公務員の妻で、文無しの寡婦である。」

f0028703_22492466.jpg警察ではさらに、妻と称するフォン・ベック夫人は、米国かまたは大西洋航路の汽船の上で、当時まだ料理人として働いていたグバッタと知り合ったと見ている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #618793 « Le Petit journal » No.17110, le 31 Oct. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
この偽大公(Le faux archiduc)が住んでいたクレベール通り(Avenue Kléber)は凱旋門広場から発する12本の大通りの1つで、トロカデロ広場へ抜ける瀟洒なアパルトマンが並び立っている。
凱旋門からすぐの17番地には、古くから「ホテル・ラファエル」(Hôtel Raphael)がある。派手ではないが品格の良さを感じさせる名ホテルの一つである。
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by utsushihara | 2009-10-31 22:47 | ★ベルエポック事件簿1909

シェル町で中年男の少女略取事件

1909年10月27日(水)

シェルの町でよく知られた実業家のJ氏は、駅前のカフェ・レストランに足繁く出入りしていた。この店は実直なG夫妻が切り盛りしていた。J氏を引きつけていたのは、店の看板に出ている旨いビールでもなく、店で顔を合わせる客たちでもなかった。それは店主の娘のかわいいジェルメーヌだったのだ。この11月にやっと15歳になるミニ・スカートのこの娘っ子と、ほとんど40過ぎの中年男との間に純愛小説のような恋物語が生まれるとは誰も信じなかった。しかも男は事業で立派に身を立て、結婚して11年になるというのに?
しかしながらこれは事実だった。ジェルメーヌはJ氏に連れ去られたのであり、それを知った店主夫妻は晴天の霹靂の予期せぬ不幸に陥った。しかし店の常連にも娘にもそうしたそぶりが少しもなかったのである。G夫妻はまず騒ぎが大きくなるのを避けたいと思い、少女が自分の足で家に戻ってくることを期待した。しかし今日になって彼らは仕方なく警察の力に頼ることにした。

事件はこの前の日曜日(24日)にさかのぼる。その日の夕方、J氏はジェルメーヌに6時半に会う約束をした。彼ら2人は駅前大通りにある会社の作業場に向かって一緒に歩いているのを目撃された。2人は建物の2階の一室に入ってまもなく出てきたまではわかったが、それ以後の彼らの姿を見た人はいなかった。

一般的にシェルの町では、J氏が若い娘と駆け落ちしたことは、一時的な精神錯乱ではないかと考えられた。とりわけ彼の妻はひどい苦しみの中に沈み込んだ。娘の両親の気持も慰めようがなかった。J氏はやや移り気な夫として通っていたが、幼い娘っ子を連れて出奔することとは遠くかけ離れていた。

f0028703_18573439.jpgこの日の夜、いなくなった娘からいきなり親のところに電話があった。この2人はブローニュ=シュル=メールから客船に乗ってポルトガルに向けて出航したのだという。警察では彼らを最初の寄港地で見つけようと手配中である。

出典Crédit:©BNF-Gallica #618790 « Le Petit journal » No.17107, le 28 Oct. 1909
画像 Crédit photographique : © RMN / François Vizzavona / Cote cliché : 97-027561 / Titre : Jeune fille lisant (exposé au Salon de la Société Nationale des Beaux-Arts de 1908) / Auteur : Victor Scharf (1872-19xx) / Localisation : Paris, agence photo RMN, fonds Druet-Vizzavona

[ Ψ 蛇足 ]
(↑)直接の関係はないが参考画像として:ヴィクトル・シャルフ作『読書する少女』1908年サロン出典作。
シェル(Chelles)は、パリの東方マルヌ川沿いの衛星都市。現在の人口は約4万5千人。
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by utsushihara | 2009-10-29 18:56 | ★ベルエポック事件簿1909

ディエップの断崖で老婦人の謎の死

1909年10月26日(火)

昨日(26日)の午後、5時少し前にディエップの古城断崖(Falaise du Vieux-Château)と呼ばれる崖の上で一人の婦人が散歩しているのを釣り人たちが見かけた。すると突然3発の銃声が鳴ったと思うと婦人が崖から宙に身をひるがえし、海岸の岩の上に墜落死したのである。
捜査の結果、この婦人は71歳の未亡人のオルトルー夫人で、パリ9区のアムステルダム街に住んでいたことがわかった。この不幸な女性は高価な宝石類と100フラン以上のお金を身に着けていた。彼女は警察署長に宛てた手紙で家政婦を包括相続者に指名していると書き記していた。

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[ パリでの当紙の取材 ]
71歳のカミーユ=ポーリーヌ・オルトルー夫人は年金を受けて、パリ9区のアムステルダム街x番地の小さなアパルトマンに2年来住んでいた。家賃は年580フラン(月平均48フラン≒12万円)だった。
とても愛想がよく、いつも朗らかでオルトルー夫人は家政婦のバイエ夫人と毎日を穏やかに暮らしていた。家政婦は60歳でバティニョルのジョフロワ=ディドロ歩廊に住んでいた。
夫人には甥が一人いたが、長い間会っていなかった。彼女にはほとんど付き合いする人はなく、外出もごくたまにしかしなかった。季節のいい夏の間には、田舎に住む友人の若夫婦のもとで数週間過ごすことがあった。先週の金曜日の午後2時半頃、夫人は両手に旅行鞄を下げて部屋から下りてきた。そして管理人に辻馬車を呼んでくれるように頼み、とても陽気に「数日間留守にしますので」と挨拶して出かけた。
当紙が調査を進める上で知ったことだが、オルトルー夫人は7千フランの債務を払ってもらうために出かけたのだという。また先般10月7日には彼女は遺言書を作り、それを家政婦に手渡し、包括相続者にしたことを伝えたのだった。
「これが遺言書よ。この歳になればこの先何が起きるかわかりませんからね。」

オルトルー夫人を知っている人で、我々が尋ねまわった人はすべて、彼女が実年齢よりも20歳は若く見え、しかも自殺したことにとても驚いていた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #618789 « Le Petit journal » No.17106, le 27 Oct. 1909
画像 Crédit photographique : © RMN / Agence Bulloz / Cote cliché : 03-002587 / Titre : Vue de la plage de Dieppe, prise du château / Auteur : Eva Gonzalès (1849-1883) / Localisation : Dieppe, château-musée

[ Ψ 蛇足 ]
ディエップ(Dieppe)の海岸を描いた絵は少なくないが、RMNのサイトにディエップ博物館所蔵の珍しいエヴァ・ゴンザレス(Eva Gonzalès, 1849-1883)の風景画「ディエップの浜辺のお城からの眺め」があったので、参考掲載した。エヴァはエドゥアール・マネの弟子兼モデルとなった女流画家の一人である。
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by utsushihara | 2009-10-28 23:22 | ★ベルエポック事件簿1909

パリの孤独死4ヶ月(ベル・エポック事件簿)

1909年8月

パリ8区、フォーブール・サン=トノレ街180番地にドワロー(Doireau)という77歳の女性が住んでいた。彼女は周囲との交わりがほとんどなく、出かけることもごくまれであった。彼女の身辺を気に留める人もいなかった。
4月に管理人が家賃の支払いを求めて彼女の住む階を訪ねたが、扉は施錠されており、彼はしばらく待つことにした。3ヵ月後の7月に家賃の支払期限が再びやってきたが、やはり扉は閉まったままだった。管理人は老婦人に何かあったに違いないと思い、遅きに失したものの、扉を開けてみることにした。そこで見たのはドワロー夫人の亡骸であった。乾燥してミイラのようになっていた。夫人はすでに3月の前半には亡くなっていたことがあとで判明した。

f0028703_2334730.jpg出典 Crédit:©BNF-Gallica #288527 « Le Figaro » le 22 Juil. 1909
画像 Crédit photographique : © RMN / Michèle Bellot / Cote cliché : 88-004329-02 / Fonds : Dessins / Titre : Femme assise à une table / Auteur : Flinck Govaert (1615/1616-1660) / Localisation : Paris, Musée du Louvre, D.A.G.

[ Ψ 蛇足 ]
「周囲と交わらず生きる」Elle vivait très rétirée.
「彼女のことをまったく気に留めない」On ne se préoccupait guère d’elle dans la maison.
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by utsushihara | 2009-08-06 23:29 | ★ベルエポック事件簿1909

警察官2名の殉職

f0028703_1535078.jpg1909年7月17日(土)

教会や美術館を荒らし続けた窃盗団一味の首領ドローネーが潜んでいるという情報を得て、パリ警視庁のブロ副局長とミュガ刑事は、警官隊とともに11区にあるフォリー=メリクール街の建物に逮捕執行に赴いた。警察が来訪を告げ、部屋の扉を開けたのはドローネー自身だったが、いきなり彼は何も言わずに拳銃を発射した。先頭にいたブロ副局長は胸にまともに銃弾を受けて倒れた。
そばにいたミュガ刑事は猛然と犯人に飛びかかり、片足を持ち上げて転ばし、押さえ込もうと試みた。しかしドローネーは刑事の背中も銃撃し、即死させた。彼は戸口を閉めきり、立てこもった。警官たちが戸を押し破って踏み込んだとたん、彼は自分のこめかみに当てて発砲して死んだ。


出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.56; Sep. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526285 « Touche à tout » No.8; Août, 1909
f0028703_1532638.jpg画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #716863 « Le Petit journal; Supplément du dimanche» No.976, le 1er Août, 1909

[ Ψ 蛇足 ]
(↑)上掲の「プチ・ジュルナル」紙の日曜版(8月1日付)には迫真のイラストが掲載された。記事には警察官の自己防衛の手段としての武器使用のあり方を改めて問う論調も見られた。

この逮捕劇の悲惨な結末はフランス全土に深い衝撃を与えた。20日にノートル・ダム寺院で厳粛な葬儀が執り行われ、彼らの公僕として社会秩序のために果たした勇気と献身的な行為に栄誉を捧げる演説がおこなわれた。(→)

f0028703_1583769.jpg(←)ロベール・ブロ副局長(Robert Blot, sous-chef de la Sûreté)はパリ生まれ、聖ルイ校で学んだあとセーヌ県警の警察局(Sûreté)に秘書補佐として入った。その後、主任刑事をへて、パリ3区の巡査長、ソルボンヌ管区の警察署長を歴任し、7年前にアマール(Hamard)氏がパリ警視庁の犯罪捜査局長に就任したときに、副局長として警視庁に配属された。
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by utsushihara | 2009-07-18 15:01 | ★ベルエポック事件簿1909

不実な妻に対する処罰(ベルエポック事件簿)

1909年3月31日(水)

ドーフィヌ街の家庭内騒動;嫉妬に狂った病気の夫が妻にナイフを突き刺して逮捕f0028703_1852847.jpg

5年ほど前に挿絵画家のレオン・バランは、当時16歳だったお針子のマリー=ルイーズ・ボノムを見初めて夢中になり、歳の差が18もあったのもかかわらず妻に娶った。不幸にも画家には恐ろしい胸の病の萌芽があった。子供が生まれて、夫婦に幸福の光が差し込んだのも束の間、病気がレオン・バランを襲い、衰弱した彼は陰気で不機嫌になり、ほとんど働く気力も失っていった。
1年前にバラン夫妻はセーヌ左岸ドーフィヌ街6番地の貸間に引っ越してきた。天気のいい日曜日には夫はセーヌ河岸に行って、何点かのスケッチや水彩画を描き、妻はそれを持って競売所の近くで安値で売り捌いた。
それよりもまず、妻は裁縫師となり、健気にも病気の夫を支える役割を受入れたのだった。だがほどなくして、生来色気があった彼女は、しばしば病気の夫がいることを忘れ、彼が絵を描きに出かけている時間を利用して密会に出向いたのだ。そしてある日、画家は妻の媚態と遊蕩を見つけてしまった。
彼はかきむしらんばかりの苦悩に陥った。そして彼は、自分が生きられるあと数ヶ月を悲惨なものにしてくれるなと懇願した。移り気な裁縫女は彼の望みをすべて約束すると答えた。しかし彼女はその約束を守らなかった。

昨日の朝8時半頃、バラン家の住む建物の6階から大慌てで駆け下りる音が響きわたった。髪を乱し、目を血走らせた画家がころげるように下りてきて、どうかしたのかを尋ねる間もなく通りに消えていった。そのあとから彼の妻がボサボサの髪で下着姿のまま部屋から出てきて、昨日引越してきたばかりの隣人に声をかけた。
「お願いですから、夫が背中に刺したナイフを抜いてくれませんか!」
そう言って彼女が背中を見せると、下着を通して背中に刺さったままのナイフの柄があった。隣人は刃物を抜くどころか、恐怖の叫び声をあげただけだった。次に裁縫女は階段を下り、近くの薬局に駆け込んだ。薬剤師が背中に刺さったナイフを抜き取るや、おびただしい出血が起こり、衰弱した女はすぐに慈善病院に移送された。
逃げ出した夫がどうなったかは誰も知らず、拳銃で自殺したか、セーヌ川に身を投げたかと思っていた。しかし警視庁の刑事がドーフィヌ街の家にやってきて、レオン・バランが警視庁のアマール警視に面会を求め、浮気の妻を殺したので逮捕してほしいと訴えたことを明らかにした。彼は涙ながらに妻を刺したことを後悔しており、これまでのいきさつをすべて語った。アマール警視は彼の話が事実であるように思い、すぐに慈善病院の妻のもとに尋問に訪れた。
彼女は衰弱しており、あまり多くの質問には答えられなかったが、朝起きて化粧をしており、靴を履こうとしてかがんでいたところ、夫が突然近づいてきてナイフを背中に刺したという。最初はあまり大きな痛みを感じなかったが、薬局でナイフを抜いてもらって初めて重傷だったことがわかったと語った。
被害者は依然として重態のままである。

出典Crédit:©BNF-Gallica #618579 «Le Petit journal» No.16896, le 31 Mars, 1909

[ Ψ 蛇足 ]
画像は、「プチ・ジュルナル」紙の新連載小説『パリまで、お車で!』(Pour Paris... en voiture !)の予告挿絵。辺りに目を配る美女の目つきが怪しい!(妖しい?)
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by utsushihara | 2009-04-01 18:04 | ★ベルエポック事件簿1909

《ベルエポック事件簿》猫が知らせた泥棒を逮捕

1909年2月12日(金)

パリ16区ヴァン=ルー街に住む寡婦のワイン商マリー・ラゴ夫人(60歳)は店の奥の部屋で寝起きしていた。昨夜午前2時頃、彼女は飼い猫がしきりに鳴くのでふと目が覚めた。彼女は起き上がり、ランプを手にして店の中に行ってみた。すると一人の男があわててカウンターの陰に身を隠すのを見た。彼女が声高に泥棒だと叫ぶや、盗人は老女に飛びかかり、黙らそうとして拳骨で2発殴ったあと、建物の裏庭に逃げ出した。
ラゴ夫人の叫び声を聞いた隣人のオルラヴィ氏が拳銃を手に駆けつけた。彼は逃げる男に向かって発砲したが、弾は当たらなかった。男は猫のように壁に飛びついてよじ登り、外に消えた。
しかし銃声が警官の注意を引いていた。街路を走っていた2人の男を見つけると警官たちは追跡し、捕まえることができたのである。
1人はアレクサンドル・ブランシェ(30歳)住所不定、すでに前科14犯の男で、ラゴ夫人の泥棒と確認された。もう1人はピエール・トゥシャール(30歳)住所不定、彼は仲間が盗みを終えるまで通りで見張りをしていた。ラゴ夫人の店にはブランシェの刃物が見つかった。2人の泥棒は所管の警察署長のブテイェ氏のところに連行された。

出典Crédit:©BNF-Gallica #563150 «Le Petit Parisien» No.11794, le 12 Fév. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
「飼い猫がしきりに鳴くのでふと目が覚めた」の原文は « soudain réveillée par les miaulements de son chat »である。
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by utsushihara | 2009-02-10 22:15 | ★ベルエポック事件簿1909