フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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カテゴリ:スポーツ、乗物、探検1909-10( 72 )

黒人ボクサー3度目の王者決戦

1909年12月11日(土)f0028703_14201520.jpg

12月11日、シルク・ド・パリの特設リングにおいて、サム・マクヴェーとジョー・ジーネットの対戦が行なわれた。2人の黒人ボクサーの王者対決は3度目となり、どちらが強いかを決定づける試合は大いに待ち望まれていた。カナダ出身のジョー・ジーネットはこれまで見たこともないほど敏捷で科学的な豪腕ボクサーとして知られ、またサム・マクヴェーはその強力なパンチで牛を撲殺できるという評判だった。
第1回目の対戦では20ラウンドの末、判定でサムが勝った。2回目では48ラウンドのあとサムがリングに戻らなかったため、ジーネットの勝利となっていた。
今回は、第26ラウンドで疲労し始めたサムが、ジョーのリズムを鈍らせようとして組みかかるようになり、30ラウンドのあと結局試合は無効と宣言された。満場の観客席ではそれを不服とする怒号と口笛が飛び交った。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.60; Jan. 1910
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526304 « Touche à tout » No.1; Jan. 1910
出典Crédit avec l’illustration:Larousse Chronique du 20e siècle / 1987.09 @MFJ

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ボクシングの大試合(サム・マクヴェー対ジョー・ジーネット)(1909.02.20)
(2)史上最長のヘビー級ボクシング・マラソン試合 (1909.04.17)
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by utsushihara | 2009-12-11 14:19 | スポーツ、乗物、探検1909-10

レイモンド・ド・ラロシュ夫人、女性による史上初の飛行機操縦

1909年11月f0028703_21425146.jpg

若い大勢の人々が毎日のようにシャロンやイッシー=レ=ムリノーの飛行場から飛行機の操縦に挑戦する中で、一人の若い女性、レイモンド・ド・ラロシュ夫人がシャロンの飛行場でヴォワザン型複葉機に乗り込み、自分で操縦桿を握って飛び立つことができたのである。これはフェミニスムの新たな勝利として飛行史に記録されるべき出来事であった。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526308 « Touche à tout » No.12; Déc. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #45738467 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.3; le 15 Jan. 1910

[ Ψ 蛇足 ]
レイモンド・ド・ラロッシュ(Raymonde de Laroche, 1884-1919)は、その美貌(↑)からしてわかるように最初は舞台女優として活躍していた。当時第一線の飛行家として知られたレオン・ドラグランジュ(Léon Delagrange, 1873-1910)との深い交友関係から飛行機に乗ることを体験し(女性を同乗させて飛ぶことはしばしば行なわれた)たまたま独りで操縦桿を握って、禁じられていたのにもかかわらず、飛行機を発進させ、飛んでしまったというのが最初の出来事であったようだ。10月22日であったという説もあるが、その翌日の新聞で大々的に報じられた記事は見つからなかった。上記の記事は、月刊誌『トゥシュ・ア・トゥ』(Touche à Tout)の12月号に書かれたものを引用した。
彼女はフランス飛行クラブ(Aéro-Club de France)から飛行免許(brevet)の第36号を女性として初めて与えられた。彼女はしばしば《レイモンド・ド・ラロシュ男爵夫人》(Baronne Raymonde de Laroche)と書かれることもあったが、元々貴族ではなく、芸名としてその称号付きの名前を用いたようだ。

*参考サイト:Musée de l'Air et de l'Espace(仏語)Collections Aviateurs, Raymonde de Laroche
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by utsushihara | 2009-11-05 21:40 | スポーツ、乗物、探検1909-10

アンリ・ファルマンが最長飛行記録を更新

1909年11月3日(水)f0028703_21482430.jpg

今年生み出された数多くの飛行記録を収める航空年鑑にまた新たな素晴しい記録が加えられた。最長飛行記録の王座にあるアンリ・ファルマンが新たな世界記録を更新したのである。8月ランスで開催された飛行大会において、180km、3時間5分という記録でファルマンが優勝したことは記憶に新しいが、11月3日彼は222km、4時間6分25秒、という最長距離と無着陸飛行時間を達成した。これはミシュラン社が企画した懸賞に参加した飛行家が今年の12月末までに最長飛行記録を保持した者に2万フランを提供するというものである。
月曜日にルイ・ポーランが英国で160kmを飛んで肉薄する記録を出したり、ベルリンでルージエも130km飛んだりする中で、アンリ・ファルマンはルーアン近郊のムルムロン=ル=グランの飛行場でこの大記録を達成したのだった。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #569236 « Le Matin » No.9382 - le 4 Nov. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.59; Déc. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
アンリ・ファルマン(Henri Farman, 1874-1958)は当時随一の実力と実績を誇る飛行家である。
ムルムロン(Mourmelon-le-Grand)の飛行場では3本の標柱を1kmの間隔で正三角形に立て、その外側を周回して記録が測定された。(1辺が1kmの正三角形の頂点を接する円周は3.2kmとして算定。)
ミシュラン杯(La Coupe Michelin)は年末までまだ日数があるので、ファルマンが優勝を決めたわけではない。(↓)昨年の大晦日にはウィルバー・ライトが土壇場で優勝杯をさらっている。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)最長距離記録大賞は最終日にアンリ・ファルマンが獲得 (1909.08.27) 180kmを3時間4分56秒で大賞(Grand Prix de la Distance)を獲得
(2)W・ライト、歳末に飛行新記録(1908.12.31)1908年のミシュラン航空杯(La Coupe Michelin pour 1908)150kmを2時間19分03秒4
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by utsushihara | 2009-11-03 21:46 | スポーツ、乗物、探検1909-10

クロスカントリーのルーズヴェルト賞

1909年10月24日(日)

f0028703_15451772.jpg悪天候にもかかわらず、24日午後ブローニュの森のクロワ・カトラン(Croix Catelan)の運動場には多くの観衆が押しかけた。フランス・レーシング・クラブ(RCF)主催の今年のルーズヴェルト賞(Le Prix Roosevelt)のためである。
コースの全長は4827mと短いもので、パリのアマチュア走者の強豪10数人が参加した。足場の悪いコースで優勝したのはケイゼー(Keyser)で11分15秒、2位はフルーラック(Fleurac)、3位はボヌル(Bonhoure)だった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.59; Déc. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #563405 « Le Petit Parisien » No.12049, le 25 Oct. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica; Keyser [portrait du coureur] : [photographie de presse] / [Agence Rol] http://gallica2.bnf.fr/ark:/12148/btv1b6922589h

[ Ψ 蛇足 ]
ジャック・ケイゼー(Jaques Keyser, 1885-1953)はこの時代のクロスカントリーでフランスを代表する有名選手だった。(Webで検索できる昔の情報が昨年よりは今年、というふうに追加、充実してきている。)

**これまでの関連記事france100.exblog:クロスカントリー国内選手権大会(1909)(1909.03.07)
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by utsushihara | 2009-10-25 15:39 | スポーツ、乗物、探検1909-10

ランベール伯爵のパリ飛行の快挙

1909年10月18日(月)
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10月18日は航空史の歴史に残る日付となった。シャルル・ド・ランベール伯爵は早朝午前5時頃、ライト型複葉機に搭乗し、ジュヴィジーの飛行場を飛び立った。彼はまもなくパリの上空に達し、エッフェル塔を一周し、無着陸のまま出発地点のジュヴィジーに帰還するという快挙を遂げた。全行程60kmの飛行で所要時間は49分間であった。
ランベール伯爵はフランス人の祖先をもつロシア人貴族であり、1865年マデラ島の生まれである。学業を終えると同時に航海の世界に興味を持ち、水上飛行機という奇妙な発明にも取り組んだ。その後ライト兄弟の試験飛行を目の当たりにして飛行機という冒険に生きることを決定づけた。その型式の一機によって彼はめざましい飛行を達成したのであった。f0028703_23171272.jpg

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.59; Déc. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526304 « Touche à tout » No.11; Nov. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #716876 « Le Petit journal; Supplément du dimanche» No.989, le 31 Oct. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #4059771 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.44; 30 Oct. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
シャルル・ド・ランベール伯爵(Comte Charles de Lambert, 1865-1944)はこの年、ライト兄弟から直接飛行技術の指導を受けた一人である。彼もまた英仏海峡横断飛行に名乗りを上げた飛行家であったが、ブレリオやラタムほどの成果を出すことはできなかった。ランスでの飛行週間にも参加し、それぞれの部門で競争したものの、優勝はできなかった。エッフェル塔を一周するという快挙は大きな話題となった。
f0028703_23173074.jpg
*参考サイト:Wikipedia(仏語)Charles de Lambert

**これまでの関連記事france100.exblog:英国王エドワード7世が試験飛行中のライト兄弟を訪問(1909.03.17)
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by utsushihara | 2009-10-18 23:15 | スポーツ、乗物、探検1909-10

パリ~ブリュッセル走破レース

1909年10月17日(日)f0028703_2339561.jpg

人々の興味をかき立てる出来事の一つとして知られるパリ~ブリュッセル間走破レースは、2つの首都を結ぶ328kmの立派な広い道を「足で」走破する競技である。今年優勝したのはプロ走者であるエドゥアール・シボで、記録は驚異的な48時間14分であった。
シボは今回周到な準備を整え、並外れたペースで黙々と進み続けた。2晩とも雨が降り続け、道路はぬかるんでいた。通過ポイントでの署名も自動車で追走した係官が立ち会った。彼の平均速度は時速7kmであった。
結果的に2位以下を3時間以上ひきはなした。2位はフランス人のボレ(Bolée)で51時間45分、3位はベルギー人のナヴェズ(Navez)で55時間49分であった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.59; Déc. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526304 « Touche à tout » No.11; Nov. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618780 « Le Petit journal » No.17097, le 18 Oct. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
エドゥアール・シボ(Edouard Cibot, 1883-19xx)は当時26歳の長距離走者として有名選手だった。
この時代には長距離競争でもさまざまなコースと形態が企画されていたが、300km以上をひたすら走り続ける(あるいは歩き続ける)というのも苛酷なレースだったと思う。「パリ~ブリュッセル走破レース」の原題も “Paris-Bruxelles pédestre“ という「足で」というだけで、人間が50時間も「走り続ける」のは不可能なのは当然誰でもわかっていて、「歩く」状態が多かったのではないだろうか。

**これまでの関連記事france100.exblog:ニューヨークの6日間走破レース(1909.03.13)
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by utsushihara | 2009-10-15 23:38 | スポーツ、乗物、探検1909-10

第4回「ゴードン・ベネット」杯気球レース(1909)

1909年10月4日(月)f0028703_2375465.jpg

最近は飛行機のことに話題が集中しているものの、優雅な飛行スポーツとしての気球は、そのすべての魅力と威厳を航空ファンたちに示し続けている。今年のゴードン・ベネット杯気球レースもまた、その伝統的かつ実証的な成功を確かなものとした。レースの出発点はスイスのチューリヒだった。昨年優勝したのがスイス人飛行家シェックであったため、開催地を自国にもたらしたのである。
北東からの風を受けて参加した16基の気球が次々と空中に浮かび上がり、それらが市内を流れるライン川の上空を飛び行く光景は壮観であった。フランスからは3基参加していた。「イル・ド・フランス」号(Île de France)のアルフレッド・ルブラン、「コンドル」号(Condor)のエミール・デュボネ、そして「ピカルディ」号(Picardie)のモーリス・ビアネメである。
風は競争者たちをカルパチア、ボヘミア、シレジア方面へ導いた。最長距離記録で今回優勝したのは米国人のエドガー・ミックスの操縦する「アメリカ2号」(America II)で1121kmだった。ルブランは惜しくも2位だった。
f0028703_2381917.jpg(←)ミックスはパリに住む米国人で、フランス飛行クラブの会員で今回もフランス製の気球に乗った。ルブランの教えを受けていたが今回は先生を負かす快挙だった。今回は雨と悪天候が災いして国際大会としては凡庸な結果となった。そうでなければ優勝者は風に乗ればロシアの奥まで飛ぶことが出来たに相違ない。

出典Crédit:©BNF-Gallica #618767 « Le Petit journal » No.17084, le 5 Oct. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526304 « Touche à tout » No.11; Nov. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.59; Déc. 1909

f0028703_2384613.jpg[ Ψ 蛇足 ]
アルフレッド・ルブラン(Alfred Leblanc, 1869-1921)は気球のフランス国内では第一人者とされていた人物だが、同時に飛行機にも乗って競技会に参加していた。(写真→)

*参考サイト:
(1)Wikipedia(仏語)Coupe aéronautique Gordon Bennett
(2)THE EARLY BIRDS OF AVIATION, Inc : ALFRED LEBLANC

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)第1回ゴードン・ベネット杯飛行船レース(1906.09.30)
(2)第2回ゴードン・ベネット杯飛行船レース(1907.10.21)
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by utsushihara | 2009-10-04 23:05 | スポーツ、乗物、探検1909-10

ポール・タヴィアシォン(飛行港)での大航空祭

1909年10月3日(日)
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10月3日から15日間にわたって開催される大航空祭には多数の観覧者が見込まれている。会場となるポール・タヴィアシォンはパリの真南21kmに位置する新しい小さな町である。すばらしく広大な飛行場と格納庫に加え、多くの観客を収容する洒落た見物席と緑地が整備されている。また郵便・電信局には80人の職員が配置され、10台の電話ボックスが設けられている。レストラン、バーには60人の調理人と見習が集められた。施設の秩序の維持のために警備隊が組織され、70人の騎馬憲兵、100人の騎兵、約1000人の歩兵が配置された。
この新しく整備され、好ましく美しい風景の広がるこの町の活気は、大航空祭の主催者のドービニィ伯爵の尽力によるものである。この会場への交通案内については上掲の地図のほか、別途お知らせする。

出典Crédit:©BNF-Gallica #618763 « Le Petit journal » No.17080, le 1er Oct. 1909f0028703_1552072.jpg
画像 Crédit photographique:©2010 Google - 画像©2010 DigitalGlobe, Aerodata International Surveys, The Geoinformation Group | InterAtlas, Cnes/Spot Image, GeoEye, IGN-France

[ Ψ 蛇足 ]
このイベントの正式名称は《 Grande Quianzaine d'Aviation 》で会期は15日間であった。
会場となった地名をポール・タヴィアシォン(Port-Aviation=飛行港)と当時名づけたのは、飛行機産業の発展が時代の期待を大きく担っていたからだろうと思う。Googleによる同じ地域の航空写真を引用したが、現在ではヴィリー=シャティヨン(Viry-Châtillon)市の一部となり、完全なパリ首都圏の住宅街に変貌している。(主要道路に痕跡を残している)
f0028703_13495729.jpg

画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #4759771 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.43; le 23 Oct. 1909
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by utsushihara | 2009-10-03 15:01 | スポーツ、乗物、探検1909-10

航空輸送サロンの開幕

1909年9月25日(土)
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航空輸送サロン(Salon de Locomotion aérienne)は9月25日グラン・パレを会場として開幕した。主催者のロベール・エスノー=ペルトリ氏の尽力により、昨今大いに脚光を浴びる航空スポーツ(Sport aérien)の若手飛行家たちの栄誉の数々が3週間のあいだ展示された。
この航空サロンは、人々の中で急速に増長してきた空中飛行への思いをさらに拡大させる意義深い催しとして期待されていた。空間を飛び進む、あるいは浮揚する意味での飛行全般に関する初めての大規模な展示となり、会場に設けられた多くのブースに大勢の観客が押し寄せた。何度も改良が加えられた数多くの型式の飛行機が展示されており、人々の驚嘆と満足には大きなものがあった。会場では、ブレリオが英仏海峡を横断飛行したときの飛行機をはじめ、有名なファルマン、ラタム、ポーラン等の機体がサントス=デュモンの「お嬢様」号や数多くの気球、普仏戦争時の攻囲戦の気球、モンゴルフィエの色彩豊かな気球、2基の飛行船などとともにこれまでにない展示手法を駆使して飾られた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.59; Déc. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526304 « Touche à tout » No.11; Nov. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618756 « Le Petit journal » No.17073, le 24 Sep. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #405973 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.41; 9 Oct. 1909
f0028703_2120538.jpg画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica; Esnault-Pelterie [aviation] Vreus [photographie de presse] / [Agence Rol]

[ Ψ 蛇足 ]
(←)ロベール・エスノー=ペルトリ(Robert Esnault-Pelterie, 1881-1957)はこの直近まで飛行家として活動していたが、次第にこうした協会団体の啓蒙的活動に傾注していく。

*参考サイト:Wikipedia(和文)ロベール・エスノー=ペルトリ

**これまでの関連記事france100.exblog:第1回航空サロン展の開催(1908)(1908.12.24)
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by utsushihara | 2009-09-26 21:21 | スポーツ、乗物、探検1909-10

飛行家フェルベ大尉の事故死

1909年9月22日(水)f0028703_22571953.jpg

フェルベ大尉は飛行家たちの先達の一人として知られるが、9月22日ブローニュ=シュル=メールにおける北部鉄道会社提供の最速飛行記録大会に出場中、機体の事故により死亡した。47歳だった。
フェルベ大尉は前夜大勢の聴衆を前に飛行術に関する講演を行い、熱心でわかりやすい語り口で魅了した。

事故は午前10時7分、彼の複葉機が格納庫から出て、点検後、序走車台に乗り、北東からの強い向かい風に向かって離陸しようとしたときに起こった。助走を始めた車台が地面のぬかるみにはまって傾き、離陸しようとした飛行機はバランスを失って左翼が地面に接触し、前方から大きく転倒したのである。助け出された直後、フェルベ大尉は「くだらん事故だ!馬鹿みたいだ!」と叫んでいた。彼は胸部をモーターにぶつけたため骨折して陥没していた。担架に乗せて飛行場の観覧席まで運び、医師の応急措置を受けたが、10時半ごろ昏睡状態に陥り、そのまま息を引き取った。
f0028703_2342650.jpgフェルベ大尉の死はフランス飛行クラブにとっても、またフランス軍部にとっても大きな損失であり、関係者は悲嘆の念に包まれた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.59; Déc. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526296 « Touche à tout » No.10; Oct. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618751 « Le Petit journal » No.17068, le 19 Sep. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
フェルディナン・フェルベ大尉(Capitaine Ferdinand Ferber, 1862-1909)はリヨン出身で、理工科学校で学び、卒業後軍の将校として各地を回ったが、1900年にシャレー=ムードンの飛行船部隊に配属され、飛行技術に興味を深めた。彼はこれまで多くの大会に参加したが、時には「ドリュー」(De Rue)という変名でも競争に加わった。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ランス郊外ベテニーでの大航空祭の盛上がり(1909.08.24) フェルベ大尉の試験飛行
(2)ルイ・ポーランによる長時間飛行記録の更新(1909.08.25) フェルベはドリュー(De Rue)の変名でレースに出場している
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by utsushihara | 2009-09-22 22:54 | スポーツ、乗物、探検1909-10