フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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カテゴリ:美術、彫刻1909-10( 31 )

新100フラン紙幣の発行

1910年1月5日(水)
f0028703_2145197.jpg

1910年1月5日からフランスでは新しい100フラン札が発行された。旧札に比べると青みが少ない多色刷りである。さらにデザインは表裏とも絵画の大家リュック=オリヴィエ・メルソンの作で署名が入っている。原版は有名な版画家ロマニョルによって彫られた。かくも芸術的な紙幣を発行したフランス銀行を賞賛したい。
原画を制作したリュック=オリヴィエ・メルソン氏は1846年パリに生まれ、1869年にローマ大賞を獲得、1889年のパリ万博では金賞を得た。彼はオペラ・コミック座の左の大階段の「音楽と詩歌」の天井画の装飾やパリ市役所の階段の装飾壁画、さらに多数の教会の宗教画で知られる。その端整な画風には詩情が融合している。
また彼は、エレディアの詩集「戦利品」、ユゴーの小説「ノートルダム・ド・パリ」、フローベールの短篇「聖ジュリアン伝」などの文学作品の挿絵を担当し、いずれも傑作と見なされている。彼は芸術院の会員であるとともにパリ美術学校の教授でもある。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.60; Jan. 1910
f0028703_2145255.jpg画像 Crédit photographique : © RMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / Cote cliché : 00-021284 / Fonds :Photographies / Titre : Luc Olivier Merson (1846-1920), peintre / Description : Album de 500 célébrités contemporaines - collection Félix Potin / Auteur : Anonyme / Localisation : Paris, Musée d'Orsay

[ Ψ 蛇足 ]
リュック=オリヴィエ・メルソン(Luc-Olivier Merson, 1846-1920)は、宗教画、歴史絵画の分野で静けさを湛えた端整な画風で知られた。(→)

f0028703_21454713.jpg(←)左掲はBNF-Gallica 所蔵によるフローベール(G. Flaubert)の「聖ジュリアン伝」(Légende de Saint-Julien-l’Hospitalier)の挿絵の一つである。

**これまでの関連記事france100.exblog:「ノートル・ダム・ド・パリ」の再演 (1907.01.28)
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by utsushihara | 2010-01-06 21:44 | 美術、彫刻1909-10

モロッコ戦役からの帰還兵のための勲章

1909年11月f0028703_22212580.jpg

(←)左掲の非常に優美な勲章はモロッコ戦役の帰還兵に授与するために政府が作成依頼したものである。作者は装飾美術学校(École des Arts décoratifs)の教授で彫刻家のジョルジュ・ルメール氏で、1900年万博の大賞受賞者でもある。彼はフランス共和国(La République Française)の寓意となる女性像を、従来のメダルに刻まれた古典的な容姿に少し変化を加えるため、魅力的な女優のフェルナンド・デュボワ嬢をモデルとしてポーズを取らせ、見事な横顔を作りあげた。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.60; Jan. 1910
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #4059771 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.47; le 20 Nov. 1909

[ Ψ 蛇足 ]f0028703_22214161.jpg
右掲(→)はジョルジュ・ルメール(Georges Lemaire, 1853-1914)のアトリエでポーズを取るフェルナンド・デュボワ(Fernande Dubois, 18xx-19xx)。彼女はオペラ・コミック座の専属歌手で、当時人気があった。
上記の勲章は、単純な「メダル」(Médaille)の形となっているが、下記の参考サイトを見ると立派な「勲章」として用いられたことがわかる。

*参考サイト:Joomla ! Médaille commémorative du Maroc - 1909
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by utsushihara | 2009-11-02 22:20 | 美術、彫刻1909-10

劇作家サルドゥの胸像の除幕式

1909年10月10日(日)f0028703_21432544.jpg

昨年11月に亡くなった人気劇作家のヴィクトリアン・サルドゥを記念する胸像が、愛好者たちによって生前彼が長く暮らし、こよなく愛したマルリ=ル=ロワの町に建立された。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.59; Déc. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #4059975 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.45; le 6 Nov. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
ヴィクトリアン・サルドゥ(Victorien Sardou, 1831-1908)は19世紀後半の演劇界の中心的人物であった。
マルリ=ル=ロワ(Marly-Le-Roi)の町はヴェルサイユ宮殿の北方に位置し、セーヌ川を見下ろす河岸台地でルイ14世の時代から王家の庭園として整備された。19世紀にはデュマ父子、サルドゥなどの文豪のほか、シスレー、ピサロなどの印象派の画家たちが居を構え、多くの作品を作り出した。

**これまでの関連記事france100.exblog:長老劇作家ヴィクトリアン・サルドゥの死(1908.11.08)
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by utsushihara | 2009-10-10 21:41 | 美術、彫刻1909-10

スイスで万国郵便連合の祭典

1909年10月4日(月)

万国郵便連合の祭典が行なわれるベルンの街はさわやかに晴れわたり、通りの両側に伸びるアーケードには着飾った人々で活気づいていた。
午前10時半に郵便連合の本部に加盟する50カ国の代表、それには欧州のみならず、アフリカやアジアの国々から集まり、その衣裳の多種多彩さは交される言語の多様さとともにバベルの塔の落成式を想像させた。しかし式典は連合代表の演説も何事もなく終わり、全員が記念碑の落成式に向かって歩いた。
f0028703_1131936.jpg
落成式の行なわれた記念碑は、フランス人彫刻家サン=マルソーの繊細で力強い芸術が壮大な姿で勝ち誇っていた。岩盤の上に天上の雲が沸き立ち、その上に五大陸を表わす5人の女性が地球を取り巻くように支え、伸ばした手を互いにつないで手から手へとメッセージを渡している。土台の岩の横にはベルンの街の女神が横たわり、5人の動きを祝福している。

除幕はドイツ帝国郵政局次官のクレーケ氏によって行なわれた。そのあとスイス連邦の議長と副議長を中心に昼餐会が開かれ、4人の祝辞が述べた。いずれも万国郵便連合の結束と融和を讃える内容であった。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288602 « Le Figaro » No.278; le 5 Oct. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.57; Oct. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
「万国郵便連合」(Union Postale Universelle)の設立は1874年10月9日だったので、35周年の記念行事が本部のスイスのベルンで開催され、加盟各国から代表が集まった。
記念碑の作者ルネ・ド・サン=マルソー(René de Saint-Marceaux, 1845-1919)は19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの彫刻家で、この「万国郵便連合」のための記念碑《世界を巡って》(Autour du monde)が有名である。

**これまでの関連記事france100.exblog:万国郵便連合の記念碑の雛形(1908.04)
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by utsushihara | 2009-10-05 11:29 | 美術、彫刻1909-10

ロダンによるヴィクトル・ユゴーの記念碑の除幕式

1909年9月30日(木)f0028703_2225572.jpg

文豪ユゴーの代表作『諸世紀の伝説』(La Légende des siècles)が発表されてから50年経ったのを記念し、彫刻家オーギュスト・ロダンが制作したヴィクトル・ユゴー像の除幕式が9月30日パレ・ロワイヤルの庭園で行なわれた。文豪は岩の上に座し、横の岩に右腕の肘をつき、右手は顔に当てた深い瞑想の姿勢で表現されている。また左手は平静さをもたらすように水平に伸ばしている。
式典は文部大臣のガストン・ドゥメルグの主宰のもと、記念碑の前に文化次官のデュジャルダン=ボーメツ、彫刻家のオーギュスト・ロダン、エミール・ブレモン、警視総監レーピン、アルフレッド・ブリュノー、ロベール・ド・モンテスキュー伯爵、等々が参列した。
コメディ・フランセーズ座のマドレーヌ・ロック嬢が白い大きな外套をまとって現われ、美しく鮮やかな声でユゴーを讃える頌詩を詠じた。そのときまで彫刻家のロダンは夢見るような様子だったが、この若い悲劇女優の朗誦に大きな満足の気持を示した。
最後にドウメルグによるユゴーを讃える演説が行なわれ、共和国近衛音楽隊によるグノーの「行列行進曲」(Marche du cortège)が演奏され式典は終わった。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288598 « Le Figaro » No.274; le 1er Oct. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #405973 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.41; 9 Oct. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
ヴィクトル・ユゴー (Victor Hugo, 1802-1885)
オーギュスト・ロダン(Auguste Rodin, 1840-1917)
アンリ・デュジャルダン=ボーメツ(Henri Dujardin-Beaumetz, 1852-1913)
マドレーヌ・ロック(Madeleine Roch, 1883-1930)

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)パンテオン広場に「考える人」像(1906.04.21)
(2)ベジエの野外劇場で『太陽の娘』初演(1909.08.30) マドレーヌ・ロック
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by utsushihara | 2009-09-30 22:25 | 美術、彫刻1909-10

プロヴァンスでローマ時代の装飾石棺が多数発見

1909年8月f0028703_2294564.jpg

ローヌ川河口付近のマルセイユ運河の建設現場で実施された文化財発掘調査において、最近多くの美しい装飾石棺(Sarcophage)が見つかった。ここに掲載したのはその一基で、見事な浮彫が注目される。このような発見はプロヴァンスの豊かな土地ではそれほど珍しいことではない。今日なお度重なる発掘調査のあと、これほど多くの記念物を発見することで、考古学者たちへ古代の驚異の再現を可能ならしめる大きな貢献となっている。

かつてアルルからエギュ・モルトまでの鉄道敷設工事の際も沢山の装飾石棺が見つかり、プロヴァンスの各都市にある博物館に収められ、展示内容の充実がはかられている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #618708 « Le Petit journal » No.17025, le 7 Août, 1909

[ Ψ 蛇足 ]
マルセイユは古代フォキアやギリシアの入植地として「マッサリア」(Massalia)と呼ばれて地中海からガリアの奥地までの国際交易で発展した。ローマ人の時代となって、北アフリカのカルタゴとの戦争でマッサリアは戦略的に重要な港湾拠点として繁栄した。プロヴァンス地方という呼称も、ローマ帝国でポエニ戦争以降に獲得したイタリア半島以外の属領「プロヴィンキア」(Provincia)の一つであったことに由来している。神殿、円形劇場や水道橋などローマ帝国領そのものと言っていいほどの遺跡の数々が現代でも発掘され続けており、冠婚葬祭の重要な催事としての装飾石棺も我々が想像する以上の数が残されていたと見るべきだろう。

*参考サイト:(仏語)Flickr: Sarcophages
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by utsushihara | 2009-08-19 22:05 | 美術、彫刻1909-10

アルフレッド・ド・ヴィニーの記念像の建立

1909年8月15日(月)f0028703_21533178.jpg

8月15日、ロマン主義作家アルフレッド・ド・ヴィニー(Alfred de Vigny, 1797-1863)の栄誉のために、その出生地のトゥーレーヌ地方のロッシュにおいて彫像の除幕式が行なわれた。ヴィニーは1797年ロッシュの地方貴族の末裔として生まれた。
彼は19世紀ロマン主義文学においてユゴー、ラマルティーヌ、ミュッセらと強く結びつき、代表的な文人と見なされている。
ヴィニーの文学の特徴は人々の感性を圧倒するほどの貫禄がないことである。この憂鬱で幻滅に満ちた紳士は、いかにその大きな悲痛な心に憐憫の熱意と善良さへの志向を持っていたとしても、大多数の人々に気に入れられることはなかった。彼は常に自分の内心に有する夢想にとらわれ過ぎ、他人の夢想に身を乗り出すことをしなかった。本当を言えば、彼の詩作とは、存在の失望に対する至高の避難所でしかなかったのだ。

記念像は彫刻家のフランソワ・シカール氏(François Sicard, 1862-1934)によって作られたが、その尊大さを示すがごとく孤高の姿で立っている。

f0028703_21534661.jpg出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.57; Oct. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618715 « Le Petit journal » No.17032, le 14 Août, 1909
画像 Crédit photographique : © RMN / François Vizzavona / Cote cliché : 95-010262 / Fonds : Photographies / Description : Album Disdéri - 6e page de "15 Hommes de lettres" ; 106-Alfred de Vigny / Auteur : Disdéri André-Alphonse-Eugène (1819-1889) / Localisation : Paris, Musée d'Orsay

*参考サイト:
(1)Wikipedia(和文)アルフレッド・ド・ヴィニー
(2)Wikipedia(仏語)François-Léon Sicard

**これまでの関連記事france100.exblog: オデオン座でヴィニーの「チャタートン」再演(1907.02.04)
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by utsushihara | 2009-08-17 21:52 | 美術、彫刻1909-10

ジュネーヴに宗教改革記念碑

1909年7月
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宗教改革の指導者ジャン・カルヴァンの生誕400年を記念して大規模な祝典がジュネーヴで開かれた。招待を受けた欧州各地の大学から多数の参加者があった。(↑)上掲の写真はフランスの彫刻家アンリ・ブシャールとポール・ランドフスキの制作による4大宗教改革者、左からギヨーム・ファレル、ジャン・カルヴァン、テオドール・ド・ベーズ、ジョン・ノックスの立像である。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.56; Sep. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
ギヨーム・ファレル(Guillaume Farel, 1489-1565)はジュネーヴで最初に宗教改革を唱えた人物。
ジャン・カルヴァン(Jean Calvin, 1509-1564)はジュネーヴを中心とした宗教改革運動の主導者。
テオドール・ド・ベーズ(Théodore de Bèze, 1513-1605)はカルヴァンの後継者としてその教義を広めた。
ジョン・ノックス(John Knox, 1513-1572)はスコットランドでカルヴァン派の流れを汲む長老派の基礎を築いた。

*参考サイト:
(1)Sacred Destinations(英文) Reformation Monument, Geneva
(2)Genève Tourisme - Découvrir Genève(仏語) Mur des Réformateurs
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by utsushihara | 2009-07-28 23:45 | 美術、彫刻1909-10

女流画家エレーヌ・デュフォー嬢に叙勲

1909年7月14日(水)
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女流画家エレーヌ・デュフォー嬢は、毎年のサロン出展においてかなり独創的で新鮮な魅力あふれる作品で注目されているが、このたびレジォン・ドヌールの騎士勲章を受けた。
下掲(↓)は、先般のサロンに彼女が出展した絵画『エドモン・ロスタン令息モーリス・ロスタン氏の肖像』である。

f0028703_17334531.jpg出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.56; Sep. 1909
画像 Crédit photographique : © RMN / François Vizzavona / Cote cliché : 97-007307 / Titre : Portrait de M. Maurice Rostand, fils d'Edmond Rostand (exposé au Salon des Artistes Français de 1909) / Droits d'auteur : © RMN Hélène-Clémentine Dufau / Localisation : Paris, agence photo RMN, fonds Druet

[ Ψ 蛇足 ]
エレーヌ・デュフォー(Hélène Dufau, 1869-1937)は20世紀初頭に活躍した女流画家の一人である。印象派の影響を残した明るく暖かい色彩で女性の視点から見た存在感のある女体ヌードを描き、注目された。今後数年で改めて作品を紹介できると思われる。

今のはやり言葉なら「イケメン」がぴったりするモーリス・ロスタン(Maurice Rostand, 1891–1968)は、当時劇作家としての第一人者であったエドモン・ロスタン(Edmond Rostand, 1891-1918)とその妻で女流詩人のロズモンド・ジェラール(Rosemonde Gérard, 1871-1953)の間に生まれた最初の息子であり、非常に恵まれた境遇に育ち、自身も作家・劇作家・詩人として社交界で多くの交遊があった。この絵に描かれたときはまだ18歳だが、その後、詩人のジャン・コクトーなどと親密な関係となる。

*参考サイト:Wikipedia(英文)Maurice Rostand (1891–1968)
**これまでの関連記事france100.exblog:現代美術協会の展覧会
(1909.02.08-02.28)
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by utsushihara | 2009-07-17 17:30 | 美術、彫刻1909-10

画家・彫刻家ジェロームのための記念碑

1909年7月14日(水)f0028703_0114570.jpg

右掲は7月14日、ルーヴル宮の庭園、王女の広場(Jardin de l’Infante)の一角に建てられた画家であり彫刻家であったジェロームの記念碑である。作者はジェロームの女婿にあたる彫刻家兼画家のルネ・モロ(René Morot, 1850-1913)氏である。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.56; Sep. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #5738247 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.30; 24 Juil. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
ルーヴル宮の王女の広場(Jardin de l’Infante)は宮殿の建物の東南端とセーヌ川岸の間、芸術橋(ポン・デザール)のたもとに位置する。
ジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme, 1824–1904)はアカデミー正統派の画家、彫刻家であった。ギリシア・ローマ時代を題材とした歴史的背景に均整の取れた女体美を描いて人々から圧倒的な人気を得た。特に若い女奴隷の品定めに一糸まとわぬ姿で立たせる場面(1)は、正面からも背面からも描いており、彼の彫刻家としての確かな目にうなづかされる。このような構図は画題を変えて応用された。客観的に見ても爛熟した退嬰的な大衆の時代嗜好に迎合した美術の末期症状だったと言える。印象派や野獣派が新しい表現手法で美術史を塗り替えていったのも当然の帰結だったのだ。
この記念碑は、自作の「剣闘士」の制作に取り組んでいるジェロームの姿をルネ・モロが付け加えたもので、現在オルセー美術館(3)に飾られている。

*参考サイト:
(1)Wikimedia Commons Category:Jean-Léon Gérôme
(2)Wikipedia(仏語)Jean-Léon Gérôme
(3)RMN Réunion des musées nationaux; Agence photographique : Aimé Morot - Gérôme exécutant les Gladiateurs. Monument à Gérôme
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by utsushihara | 2009-07-13 00:09 | 美術、彫刻1909-10