フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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カテゴリ:オペラ、音楽、演劇1909-10( 58 )

サンフォニア(フランス音楽)演奏会

1910年2月27日(日)

***アンリ・ビュッセル著(Henri Busser, 1872-1973)「パリ楽壇70年」、©池内友次郎・訳編、音楽之友社刊より引用 [第10章] 1910年2月27日:

《サンフォニア》(Symphonia)で、フランス音楽の演奏会。これが私たちの言わば『白鳥の歌』となる。友人フェルナン・アルファンの「ハ短調のシンフォニー」が本当の成功を博する。彼はガブリエル・フォーレの熱心な門弟で、極めて強くその影響を受けている。
エルネスト・ショーソンのヴァイオリンとオーケストラのための「詩曲」(Poème)も成功。ヴァイオリン・ソロ奏者のフォレストが、巧みに演奏する。ミシュリーヌ・カーンが、自由自在な名人芸を惜しみなく発揮して、私の「ハープのための演奏会用作品」(Pièce de concert pour harpe et petit orchestre, op.32)を奏する。彼女はシャルル=マリ・ウィドールの「主題と変奏」も弾く。私はウィドールに指揮をゆずっていた。彼は自作の「スペイン序曲」と「4月の物語」の組曲も指揮する。シャルル・マックス夫人が、ジョルジュ・ユーとウィドールの歌曲をすばらしく歌う。

[ Ψ 蛇足 ]
《サンフォニア》(Symphonia)とは、この1910年初めに企画された自国フランスの作曲家による管弦楽作品を網羅する定期演奏会の名称である。日曜日の管弦楽コンサートは伝統的に、パリ音楽院管弦楽団やコロンヌ管弦楽団、ラムルー管弦楽団などで続けられてきたが、独墺伊ではなく、自国の作曲家の作品に限って演目に取り上げようという新たな企画であった。これには普仏戦争の敗戦後40年が経過し、フランスにおける産業・文化・経済の発展に伴って、《失地回復》を望む愛国的な機運の高まりも背景にあったように思う。

上述でちょっと気になる《これが私たちの言わば『白鳥の歌』…》というくだりがある。1914年の大戦勃発まであと4年のことであるが、あとから著者のビュッセルが回想して述べたもので、事実、彼の友人の作曲家アルファンはこのときの成功が最後の花となった。この時代の音楽家で戦争の犠牲となった人々は少なくない。

f0028703_2384574.jpg(←画像)フェルナン・アルファン(Fernand Halphen, 1872-1917)は裕福な銀行家の家系に生まれ、10歳のときからフォーレの指導による音楽活動を始めた。パリ音楽院ではエルネスト・ギローおよびマスネに作曲を学び、同僚としてフロラン・シュミット、レイナルド・アーンなどがいる。上記の著者アンリ・ビュッセルとも親しかった。
作曲家として知られ、唯一の「交響曲ハ短調」はパリとモンテカルロで演奏され、好評を得た。その他に管弦楽のための「シチリア組曲」(Suite sicilienne)、パントマイム「アゴゼイダ」(Hagoseida)、バレエ「牧羊神の目覚め」(Le Réveil du faune)、一幕物歌劇「花飾りの角笛」(Le Cor Fleuri, 1904)がある。
しかし彼はこのあと第一次大戦に陸軍大尉として出征し、1917年に45歳で戦死する。彼はパリ北郊シャンティイ付近に広壮な城館を建てて住まいとしたが、現在は「シャトー・モン=ロワイヤル」ホテル(Château Mont-Royal)として使用されている。
今のところ彼の作品で聴けるCDは歌曲・室内楽集のみである。楽譜はIMSLPで「ヴァイオリン・ソナタ嬰ハ短調」(Sonate pour piano et violon en ut# mineur)を見ることができる。フォーレの直弟子と言われるからには、曲想はフォーレやショーソンに通じるものがあるように想像する。

*画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica
*参考サイト:
(1)Wikipedia(英文)Fernand Halphen
(2)IMSLP: Violin Sonata (Halphen, Fernand)
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by utsushihara | 2010-02-27 23:07 | オペラ、音楽、演劇1909-10

オペラ座でレイナルド・アーンのバレエ「テレーズ公妃の祝宴」初演

1910年2月16日(水)

***アンリ・ビュッセル著「パリ楽壇70年」、©池内友次郎・訳編、音楽之友社刊より引用
[第10章] 1910年2月20日:
オペラ座で、レイナルド・アーンのバレエ「テレーズ公妃の祝宴」(La Fête chez Thérèse)の総試演。ヴィクトル・ユゴーの詩にカチュル・マンデスが脚本を書いたもの。優雅なオーケストラが流す快活な音楽。レイナルドはその中に巧みにピアノを挿入している。カルロッタ・ザンベリとアイーダ・ボニの2人が、このソワレの魅力ある主役であって、熱烈な歓迎を受けた。

f0028703_2375488.jpg[ Ψ 蛇足 ]
レイナルド・アーンのバレエ「テレーズ公妃の祝宴」(La Fête chez Thérèse)は、ルイ=フィリップ時代の華やかな貴婦人たちの集いを題材にしたもので、もともとユゴーが書いた詩に基づいていたという。第2幕の題名が《 La Fête galante chez la Duchesse Thérèse 》となっており、本来の意味が理解できた。

レイナルド・アーン(Reynaldo Hahn, 1874-1947)はやや擬古典的な和声と甘美な旋律で注目され、若くしてすでに人気を確立していた。ビュッセルの記述では総試演が2月20日となっているが、初演の記録は16日となっている。従って、総稽古は一週間前の13日の記憶違いと思われる。

カルロッタ・ザンベリ(Carlotta Zambelli, 1875-1968)とアイーダ・ボニ(Aïda Boni, 1880-1974)は、当時のオペラ座バレエ団のエトワールの双璧であった。《エトワール》(Danseuse étoile)という呼称はトップ・バレリーナの意味かと思っていたが、ダンサーの中でも最高級の技芸を備えた人だけに与えられる特別な呼称であることがわかった。

*参考サイト:
(1)Reynaldo Hahn(仏語)
(2)Wikipedia(仏語)Carlotta Zambelli
(3)Wikipedia(仏語)Aïda Boni
(4)Wikipedia(仏語)Étoile (ballet)
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by utsushihara | 2010-02-20 23:03 | オペラ、音楽、演劇1909-10

ポール・デュカがパリ音楽院の管弦楽科教授に

1910年1月5日(水)
***アンリ・ビュッセル著「パリ楽壇70年」、©池内友次郎・訳編、音楽之友社刊より引用
[第10章] 1910年1月5日:f0028703_22385366.jpg

音楽院で、ポール・デュカがオーケストラ科教授に任命される。ガブリエル・フォーレが、私たちを院長室に集めて、生徒の練習に充てる曲目の計画をたてさせる。デュカが「ベートーヴェンはあまり多くせずに、むしろ、不当に忘れられているハイドンを尊重しよう。」と言う。彼は私に「四季」を練習させることを提案する。私はポール・デュカと協力することがうれしい。私たちは、音楽院を出ながら、親愛なる我らが師エルネスト・ギローのクラスにおける昔の思い出を語りあう。私たちは1890年に顔を合わせたのであった。当時、私は単なる聴講生にすぎなかった。

(池内友次郎の注釈)ビュッセルのポール・デュカへの友情は美しいものであった。私が学生のころ、デュカは作曲のクラスの教授であって、そのクラスは、私たちの和声のクラスの隣の室であった。週に一回だけ、彼のクラスと私たちのクラスが同時間であったのであるが、ときには、彼のクラスからピアノの音が壁越しに漏れてくる。そのたびに、私たちの先生のフォーシェが、眉をしかめ、音楽院でこのような音を耳にするとは、と歎いていたことなどがあった。……そのほか、当時はまだエレヴェーターがなかった頃で、廊下でクラスの開かれるのを待っているとき、小太りで小柄なデュカが、とぼとぼと階段を上ってくるのをみかけたりしたこともあった。…(以下略)

[ Ψ 蛇足 ]
ポール・デュカ(Paul Dukas, 1865-1935)に音楽院の「教授」という肩書がこの時から与えられたのかどうかははっきりしない。下記の関連記事では、1907年3月に病気で引退するタファネルの後任として、院長のフォーレがデュカを選んだという。この間約3年近くは「准教授」のような立場だったかもしれない。
デュカが「小太りで小柄な」という様子だった、というのを読むと親近感がわいてくる。

恩師エルネスト・ギロー(Ernest Guiraud, 1837-1892)の名前は、ビゼーの「アルルの女」第2組曲を編んだ人として記憶されているが、彼自身の作品はあまり演奏されることはない。

f0028703_2232408.jpg上記の記述で「ハイドンを尊重しよう」とデュカが語ったことには、ある理由がある。ちょうど1909年には「ハイドンの没後100年記念」(ハイドンは1809年5月31日没)として楽譜出版社のデュラン(Durand)の企画によって、ポール・デュカは『ハイドンの名による悲歌的前奏曲』(Prélude élégiaque sur le thème proposé : H-A-Y-D-N)というピアノ小品を作曲していた。IMSLP所収の楽譜の冒頭と与えられた音型を参考に掲載する。ご存知の通り、H A D はシ、ラ、レの音にあたるが、Y N は音楽的になるように適当に割り当てたようだ。
f0028703_2232490.jpg

この曲はYoutube でデュシャーブル(F.-R. Duchable)やジャン・ユボー(Jean Hubeau)の演奏が聴ける。

このデュラン社の企画の依頼を受けた作曲家は、他にはドビュッシーとラヴェルがいた。
ドビュッシーは『ハイドン讃』(Hommage à Joseph Haydn)
ラヴェルは『ハイドンの名によるメヌエット』(Menuet sur le nom d’Haydn)
いずれも1909年の作曲である。これら3つの曲を同時に比べて聴いてみるのも一興だろう。優劣でなくあくまでも好みの問題だが、両巨匠の間でもデュカは独自の存在感は示しているように思う。

*参考サイト:
(1)IMSLP: Prélude élégiaque (Dukas, Paul)
(2)Youtube : Paul Dukas - Prélude élégiaque

**これまでの関連記事france100.exblog:ポール・デュカの「アリアーヌと青髭」初演(1907.05.10)
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by utsushihara | 2010-01-05 22:27 | オペラ、音楽、演劇1909-10

フェミナ劇場で『クリスマス・レヴュー』が大好評

1909年12月f0028703_21243480.jpg

(←)左掲はフェミナ劇場で上演が続いている『クリスマス・レヴュー』(Revue de Noël)の一場面である。この作品はジャック・ブランドジョン=オッフェンバック氏が書き上げた子供による子供のための楽しいクリスマス劇で、パリ中の子供たちとその親たちを魅了している。劇を見守る子供たちを笑わせ、大人たちを楽しませるのは、作者の力量の現われである。彼の機転のきいた歌詞や創意に富んだ表現は、見事な演出に助けられてこれまでにないほどの成功を生み出している。
主な「かわいい」出演者たちは、モナ・ゴンドレ、ジェルメーヌ・パリゼル、メリンドル、ソーテルヌの諸嬢とマティヨン氏、ウェベール氏などであるが、フェミナ劇場の支配人ダヴァン氏もジャヴォー(Javaut)という役者名で出ている。特に評論家たちが注目するモナ・ゴンドレ(Mona Gondré)嬢は天才子役として有名であるが、このレヴューでは彼女がこれまで演じた出し物を超える仕上がりとなっている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.60; Jan. 1910
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288668 « Le Figaro », le 7 Déc. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
作者のジャック・ブランドジョン=オッフェンバック(Jacques Brindejont-Offenbach, 18xx-19xx)は作曲家オッフェンバックの孫にあたる人物で、後年『わが祖父オッフェンバック』(Offenbach, mon grand-père)を書いている。

**これまでの関連記事france100.exblog:「ムジカ」誌の「オッフェンバック」特集号(1908.03)
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by utsushihara | 2009-12-03 21:22 | オペラ、音楽、演劇1909-10

歌劇『クオ・ヴァディス』のパリ初演

1909年11月26日(金)
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シェンキェヴィッチの小説にもとづいた5幕7景の歌劇『クオ・ヴァディス』(Quo Vadis)は11月26日、ゲテ座においてパリでの最初の公演がおこなわれ、大成功をおさめた。この歌劇の台本はアンリ・ケーン氏、作曲はジャン・ヌーゲス氏であり、今年2月10日にニース歌劇場(Opéra Municipal de Nice)で初演されたものである。出演は、マリー・ラファルグ女史、テヴネ女史、ジャン・ペリエ氏、セヴェイヤック氏などで、中間部のバレエのディヴェルティスマンをトルーアノヴァ嬢が踊り、注目された。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.59; Déc. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288658 « Le Figaro » le 27 Nov. 1909
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN
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[ Ψ 蛇足 ]
1905年にノーベル文学賞を得たポーランドの作家シェンキェヴィッチ(Henryk Sienkiewicz, 1846-1916)は、皇帝ネロ治世下のローマを舞台とした歴史小説『クオ・ヴァディス』(Quo Vadis, 1895)で世界的な評価を得た。(画像→)
フランスでは数年前にエミール・モローによって戯曲化され、ポルト・サン=マルタン座で上演された。オペラ化は台本作家としても有名なアンリ・ケーン(Henri Cain, 1857-1937)と若手作曲家のジャン・ヌーゲス(Jean Nouguès, 1875-1932)によって進められた。
パリでの公演は、2大歌劇場を補完する市立歌劇場ゲテ座(Théâtre lyrique de la Gaîté)の支配人イゾラ兄弟によって取り上げられたが、歌手たちが二番手クラスで賄われたのは致し方なかった。それにもかかわらず著名な歴史小説が原作であったせいか、オペラ作品としては人気があり、第1次大戦後の頃まで、欧州各地や米国で繰り返して取り上げられた。
f0028703_18514924.jpgディヴェルティスマンを踊ったナターシャ・トルーアノヴァ(Natacha Trouhanowa, 1885-19xx)はロシア出身のバレリーナで、踊りとともに美貌で注目され、この年の月刊誌「ル・テアトル」No.253の表紙写真に掲載された。(←画像)彼女はこの数年後、デュカのバレエ曲「ペリ」で艶めかしい姿で主役を踊ることになる。

[ ΨΨ 蛇足の蛇足 ]
「クオ・ヴァディス」とは、ラテン語で「あなたはどこに行くのですか?」とペテロが(キリストに)問いかけたという言葉だが、この百年前当時にも好んで使われたようで、競走用気球や競走馬の名前としてつけられていた。現代でも欧州を中心とした(日本でも)ビジネス・ダイアリーや手帳の文具ブランド名となっている。下記(↓)の文具メーカーのサイトに(英文)「そもそもの由来」が絵入りで掲載されている。

*参考サイト:
(1)Quo Vadis Blog, Tools for Creative Minds (ラテン語の意味:英文解説)
(2)Wikipedia(英文)Jean Nouguès 作曲家ジャン・ヌーゲス

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)コレットのパントマイム「欲望と愛情と妄想」ジャン・ヌーゲス作曲(1906.02)
(2)オペラ・コミック座の新シーズン(1909~1910)(1909.10)
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by utsushihara | 2009-11-26 18:49 | オペラ、音楽、演劇1909-10

コンセール・コロンヌの正指揮者の交代

1909年11月14日(水)f0028703_9445730.jpg

シャトレ座を拠点として毎週日曜日に続けられてきたコロンヌ管弦楽団の演奏会《コンセール・コロンヌ》(Concerts-Colonne)の主宰者エドゥアール・コロンヌ氏は病気のため、正指揮者の座をガブリエル・ピエルネ氏に譲ることになった。ピエルネ氏はこれまでもしばらく代役としてこのオーケストラを指揮しており、パリの音楽演奏会の伝統を担うコロンヌ管弦楽団の名声を今後も保ち続けるだろう。

11月14日午後2時半からシャトレ座で行なわれる今季4回目のコンセール・コロンヌ定期演奏会では、優れたピアニストであるラウール・プーニョ氏が独奏者として出演し、ダンディとフランクの曲を演奏する。指揮はガブリエル・ピエルネ氏、曲目は以下の通りである。
1.ラロ:歌劇「イスの王」序曲 « Le Roi d'Ys » ouverture (Ed. Lalo).
2.ベートーヴェン:交響曲第2番Deuxième Symphonie, (Beethoven)
3.フランク:交響的変奏曲Variations symphoniques (C. Franck) プーニョ独奏 Raoul Pugno(pf)
4.フォーレ:劇音楽「シャイロック」より6曲 « Shylock » (G. Fauré), musique de scène pour la comédie de Shakespeare (シャイロックの歌、間奏曲、マドリガル、祝婚歌、夜想曲、終曲)
5.ダンディ:フランスの山人の歌による交響曲Symphonie sur un chant montagnard (V. d'Indy) プーニョ独奏Raoul Pugno(pf)
6.ワーグナー:歌劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲 « Lohengrin » prélude de troisième acte (R. Wagner).

f0028703_945145.jpg出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526308 « Touche à tout » No.12; Déc. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288638 « Le Figaro » le 09 Nov. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288640 « Le Figaro » le 11 Nov. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica - Gabriel Pierné (1863-1937) : [portraits et documents] 1901
Cliché d’Henri Manuel; Source gallica bnf.fr / Bibliothèque nationale de France
画像 Crédit photographique : © RMN / François Vizzavona / Cote cliché : 97-013223 / Titre : Portrait de Raoul Pugno, pianiste et compositeur (1852-1914), exposé au Salon de la Société Nationale des Beaux-Arts de 1912 / Auteur : François Henri E. Morisset (1870-19xx) / Localisation : Paris, agence photo RMN, fonds Druet-Vizzavona

[ Ψ 蛇足 ]
ガブリエル・ピエルネ(Gabriel Pierné, 1863-1937)はパリ音楽院でマスネやフランクに学んだ。作曲家としては広範なジャンルにわたる作品を作り続けたが、印象派的色彩の軽妙なものが多い。指揮者としてはコロンヌ管弦楽団の演奏会で振る機会が多く。特に1909年2月、練習中にコロンヌが倒れてからはほとんど彼が常任の代役を勤めてきた。70歳を越えたコロンヌが復帰を断念してピエルネに後事を託したのは順当な判断であった。
この1909年秋冬のシーズンには、コロンヌ管とラムルー管の双方でベートーヴェンの全交響曲を年代順に演奏する企画がぶつかり、毎週日曜日に競ってプログラムに上げられた。ただしラムルーのほうが3週先行したためこの日(11/14)はコロンヌが第2番、ラムルーが第5番(運命)を演奏した。もともとかけもちが出来ない時間帯なのだが、同日の同曲激突はあまり感心しないので良かった。
(↑)上掲はピアノ独奏者で登場した巨匠ラウール・プーニョの肖像である。

**これまでの関連記事france100.exblog:指揮者コロンヌ練習中に昏倒
http://france100.exblog.jp/11909392
(1909.02.12)
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by utsushihara | 2009-11-14 09:44 | オペラ、音楽、演劇1909-10

アンビギュ座で「名探偵ニック・カーター」の初演

1909年11月4日(水)

f0028703_2325915.jpg英国の小説で人気を博した「怪盗ラッフルズ」が劇化されたのに続き、「シャーロック・ホームズ」や「アルセーヌ・ルパン」の戯曲がパリの演劇界でも人々の評判を呼んだ。そして今、米国の名探偵ニック・カーターがアンビギュ座の舞台に登場した。台本はアレクサンドル・ビッソンとギヨーム・リヴェの共作による5幕8景劇である。背景はニューヨーク、探偵の王者(le roi des détectives)ニック・カーターは強盗団のメルヴィル一味を捕まえようと追い詰める。劇中では本物の警察犬を使う場面があり、その練習・本番とも極めて驚嘆すべき結果であった。(↑)
出演は主役のアンリ・モントゥ氏のほか、ポール・フジェール、エチェヴァン各氏、カルメン・ドレージー嬢、ベラジェール女史などで、昨今の推理文学が我々を活気づける最良のあるいは最悪の本能を呼び覚ますとまでは言い難いが、古臭いメロドラマの手法や装飾を一新する心地よさを感じるのは確かである。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.59; Déc. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288620 « Le Figaro » le 23 Oct. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288633-634 « Le Figaro » No.246-247; le 4-5 Nov. 1909
出典 Crédit:©L’Encyclopédie du Cinéma; Roger Boussinot; Editions Bordas, 1967
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN

[ Ψ 蛇足 ]
「ニック・カーター」は1886年9月に米国の小説家ジョン・ラッセル・コライエル(John Russel Coryelle, 1848-1924)が「ニューヨーク・ウィークリー」誌に発表した三文小説(ダイム・ノヴェルDime-novel)の主人公の探偵である。この人物は米国内でたちまち大人気となって、続編ばかりでなく、複数の作家による大量の類似作が出回るほどとなった。この人気が欧州にも飛び、フランスでは1908年に無声映画のエクレア社(Éclair)が製作者ヴィクトリアン・ジャセ(Victorien Jasset, 1862-1913)と契約し、6本の作品を上映したがなかなかの評判であったという。そのタイトルは、「策謀」(Le Guet-apens)、「宝石事件」(L’affaire des bijoux)、「贋金つくり」(Les Faux-monnayeurs)、「銀行破り」(Dévaliseurs de banques)、「痕跡」(Les empreintes)、「黒衣の強盗団」(Les bandits en habit noir)でいかにも興味がそそられる。それ以後もシリーズ映画としての製作が続けられており、上記の舞台化もそうした人気を読んでのことと思われる。
f0028703_2333287.jpg(←)ヒロインのカルメン・ドレージー(Carmen Deraisy, 18xx-19xx)はアンビギュ座の看板の美人女優だった。

*参考サイト:The Thrilling Detective WEB Site(英文)Nick Carter

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)「義賊ラッフルズ」の上演(1907.06)
(2)仏版新作劇「シャーロック・ホームズ」の初演(1907.12.10)
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by utsushihara | 2009-11-04 23:01 | オペラ、音楽、演劇1909-10

ロートシルト男爵の劇作『脚光』の初演

1909年10月19日(火)

大劇場での上演は初めてとなるアンリ・ド・ロートシルト氏作による4幕劇『脚光』(La Rampe)は10月19日ジムナズ座にて初演され、成功をかち得た。

f0028703_23221338.jpgアンリ・ド・ロートシルト男爵は単に百万長者であるばかりでなく、小説家であり、劇作家でもある。彼の名前が劇場のポスターに載ったことがパリ中の大きな好奇心を引き起こした。彼はそれを予期しており、さらに妬み深い何人かは劇の上演に厳しい評価を出すことも考えられた。彼は金持ちであることを平気で自嘲する機智を示し、かえって脚光を浴びる呼び水となった。

『脚光』(La Rampe)は感じのいい、生き生きとした劇的な要素に満ちた作品である。非常に好感を与える劇として好評を博した。劇は題名が示す通り、演劇の世界でくり広げられる。社交界に出入りする若い夫人マドレーヌが演劇に魅せられ、自分の夫と立場なげうって舞台に立とうとする。彼女はある有名な喜劇役者ブルグィユの助言を聞き入れ、ついには彼を愛するようになる。
しかしながら彼女の資質は浅薄ではなかった。彼女には才能があった。彼女は成功し、それに応じて評価は確かなものとなった。性根の悪いブルグィユは彼女を妬むようになった。彼は侮辱でもなく、凶暴でもなく、自分の夢を砕くこの女に我慢できなくなり、ついには非常に劇的な場面で服毒させてしまう。
観衆は『脚光』を好意的に受け止め、その幸運な作者を称賛した。

f0028703_23224261.jpgマルト・ブランデス嬢はマドレーヌの役で久々に優れた演技を見せ、この上演が彼女の最高の栄えあるすぐれた役作りであると喝采された。憎まれ役のブルグィユの人格はデュメニー氏が感動的で完璧な技量を示した。
またカルメット氏は、その職業にうんざりしている劇作家の役で好演している。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288617 « Le Figaro » le 20 Oct. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.59; Déc. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526304 « Touche à tout » No.11; Nov. 1909


[ Ψ 蛇足 ]
アンリ・ド・ロートシルト男爵(Henri de Rothschild, 1872-1947)は学術、特に文芸の分野で活躍した。

競走馬の馬主で有名なロートシルトは、同族で別人のモーリス・ド・ロートシルト(Maurice de Rothschild, 1881-1957)である。

マルト・ブランデス(Marthe Brandès, 1862-1930)はかつてコメディ・フランセーズ座の人気女優だった。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)文芸消息(1907年8月)アンリ・ド・ロートシルト男爵、短篇集「人生の反映」(Les Reflets de la vie)を出版
(2)コメディ・フランセーズ座、ブランデス嬢を訴える(1905.06.08)
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by utsushihara | 2009-10-21 23:21 | オペラ、音楽、演劇1909-10

オペラ・コミック座の新シーズン(1909~1910)

1909年10月

12年間にわたりオペラ・コミック座を率いてきたアルベール・カレ氏は、最も内容が充実したと称賛される歌劇レパートリーを作り上げるのにたぐい稀な根気を示してきた。すでに100を超える作品が上演され、その中には主要な古典歌劇の代表作、近代フランスおよび外国の音楽の傑作、今や高く評価されるに至った前衛的な作品などが含まれる。多彩なプログラムを編成するには、この豊かなレパートリーから選別するだけで十分であり、多くの作品は何度かの練習だけでいつでもポスターに再掲載する準備ができている。

f0028703_2238514.jpgだが毎年オペラ・コミック座では新作オペラを数点用意している。そのうち今年の幕開けとなったのは、若手作曲家ジャン・ヌーゲス(Jean Nouguès, 1875-1932)氏がアンリ・ケーン氏の4幕詩劇に基づいて書き上げた新作『シキート』(Chiquito)である。かつてピエール・ロチが素晴らしい筆致で描き出した戯曲『ラムンチョ』(Ramuncho)と同じようにバスク地方の風物が背景となっている。ヌーゲス氏はパリのオペラ界には初登場となる。

またモーリス・ラヴェル(Maurice Ravel, 1875-1937)氏が劇作品として初登場するのは、フランク・ノアン氏の台本による1幕劇『スペインの時』(L’Heure espagnole)である。

再演として今シーズン取り上げられるのは、
アルフレッド・ド・ミュッセ(Alfred de Musset)の3幕喜劇をルロワール(Leloir)とニゴン(Nigond)が脚色した『戯れに愛はすまじ』(On ne badine pas avec l’amour)、作曲はガブリエル・ピエルネ氏(Gabriel Pierné, 1863-1937)。
ジュール・ルメートルとモーリス・ドネー共作の5幕6景の叙情喜劇『テレマックの結婚』(Le Mariage de Télémaque)、作曲はクロード・テラス氏(Claude Terrasse, 1867-1923)。
11月15日からはビゼーの『カルメン』(Carmen)でリュシエンヌ・ブレヴァル女史(Mme Lucienne Bréval)が個性的で好奇心をそそる歌唱と演技を見せてくれる。

上演を検討中なのが、
エルネスト・ブロッホ氏(Ernest Bloch, 1880-1959)作曲のシェークスピア原作『マクベス』(Macbeth)、フレグ台詞。
サン=サーンス氏(Camille Saint-Saëns, 1835-1921)作曲の3幕歌劇『祖先』(L’Ancêtre)、オージェ・ド・ラシュ(Augé de Lassus)台詞。
マスネ氏(Jules Massenet, 1842-1912)作曲の歌劇『テレーズ』(Thérèse)、クラルティ氏の詩編による。
等々があげられる。

また、クロード・ドビュッシー氏(Claude Debussy, 1862-1918)は2つの作品を近く完成させる見込みで、オペラ・コミック座では来季(1910~1911)優先的に上演する予定である。この作品のタイトルは『アッシャー家の崩壊』(La Chute de la maison Usher)と『鐘楼の悪魔』(Le Diable dans le beffroi)で、いずれもエドガー・ポーの作品に基づいている。これらの新作を待ちながら今季は『ペレアスとメリザンド』(Pelléas et Mélisande)を完全に新しい演出と装置で再演する。もちろんこの美しい作品を愛好する人たちの熱烈な関心を満たしてくれるだろう。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288601 « Le Figaro » No.277; le 4 Oct. 1909
画像 Crédit photographique : © RMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / Cote cliché : 06-524214 / Titre : Loge à l'Opéra-Comique / Auteur : Charles Cottet (1863-1925)/ Date : 1887 / Localisation : Paris, Musée d'Orsay / Acquisition : legs de l'artiste à l'Etat pour le Luxembourg 1925

f0028703_22383557.jpg[ Ψ 蛇足 ]
オペラ座とともにフランスの歌劇界を牽引してきたオペラ・コミック座の1909年シーズンの概要を伝える記事である。保守的なオペラ座に比べて非常に斬新的、先進的な上演姿勢がうかがえるのは、総支配人のアルベール・カレ(Albert Carré, 1852-1938)の偉大な功績によるものが大きいように思う。(写真→)
特に注目されるのは、ラヴェルの1幕劇『スペインの時』とドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』の新演出、そして結果的に未完成になってしまったエドガー=アラン・ポーの原作による2つの劇作品への言及である。

上では演目予定の一部しか紹介できなかったが、録音のない時代、いかに人々が生の音楽に接することを楽しみにしていたかがわかる。「アボネ」(abonné)と称するいわゆる「定期会員」のシーズン席の申込み案内が出ていたが、11月から5月まで全15回で毎回異なる演目が楽しめるのをA会員、B会員で各3組募集している。
2階ボックス席/バルコニー2階席第1列・・・180フラン
バルコニー2階席の第2・3列/平土間席/1階ボックス席・・・150フラン
3階ボックス席/3階バルコニー正面席・・・120フラン
舞台袖ボックス席/3階バルコニー側面席・・・90フラン
当時の1フラン≒¥2,500 と仮定すると、最上の席で45万円となる。しかし1回あたり3万円となるし、海外特別引越し公演でもなければ、経費も安上がりで元は取れたのではなかろうか?(日本では5万~10万は当たり前?)
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by utsushihara | 2009-10-11 22:36 | オペラ、音楽、演劇1909-10

オペラ座歌姫サマラの交通事故

1909年10月2日(土)f0028703_1713371.jpg

オペラ座の魅力的なメゾ=ソプラノ歌手クロティルド・サマラ女史は、昨冬マスネの『タイス』を歌って好評を得たことで知られるが、10月2日、自動車でブローニュの森を走っている際に事故に遭遇した。ちょうどバガテル庭園の近くで疾走してきた対向車を避けようとして運転手のマルシャン氏が急ハンドルを切ったため、車が道端の木にぶつかってしまったのである。
衝突の衝撃はかなり強烈で、車の窓ガラスが粉々になった。運転手は車の外に投げ出され、右肘を骨折した。サマラ女史は車の仕切り板に強く身体を打ちつけて、頭部に傷を負い、身体中のあちこちを打撲して意識を失った。
かけつけた人々はすぐさま彼女らを救い出し、応急処置を施した。彼女は幸いにも意識を取り戻し、パリ20区ピレネー街の自宅に搬送され、安静にしている。彼女のそばには夫君と医師が付きっきりで看病しているという。
サマラ女史の怪我の容態は関係者に懸念を抱かせないわけではなく、彼女は頭の傷のひどい痛みと気分の悪さを訴えている。医師は事故の影響について2~3日間様子を見るしかないとして、節食と絶対安静を勧告している。
サマラ女史は今年の夏はオステンドとエクス=レ=バンでやはり『タイス』を歌い続けていた。この事故のあった日には、ロシアのサン=ペテルスブルクの帝立劇場との契約成立の知らせを電報で受けたばかりであった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #618766 « Le Petit journal » No.17083, le 4 Oct. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #288601 « Le Figaro » le 4 Oct. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
クロティルド・サマラ(Clotilde Samara, 18xx-19xx)についてはあまり詳しい情報は得られていない。1903年頃ニースの歌劇場での出演のあと、オペラ座へのデビュは1908年7月の『ユグノー教徒』のお小姓ユルバン役であり、同年8月には『ウィリアム・テル』に出て、テルの息子ジェミー役で好評を博している。この時の交通事故の後遺症であまり華々しい活躍はできず、霞んで消えて行った人かもしれない。たった一度の事故で後の人生がまったく変わってしまったとすれば、口惜しいかぎりだっただろう。

**これまでの関連記事france100.exblog:ロシアの美人ソプラノ歌手の交通事故 (1909.09.03)
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by utsushihara | 2009-10-02 17:00 | オペラ、音楽、演劇1909-10