フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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カテゴリ:★ベルエポック事件簿1908( 96 )

レストラン個室での悲劇的結末(3)(ベルエポック事件簿)

1908年12月29日(火)

これまでお伝えしたように、フォーブール・モンマルトルのレストランの個室でいかなる状況で事件が起こったのか、特に床に倒れて死んでいた若いテレーズ・グレニソンと、そのそばでうめき声を出して伸びていたジョルジュ・バヤールとの関係が注目されていた。

病状が危険な状態と思われた若いジョルジュ・バヤール氏は、昨晩ラリボワジエール病院で意識を回復した。その様子を見て、家族は彼を自宅に連れ帰りたいと主張したが、担当医はまだ病人を動かせるほどではないと判断し、許可は出されなかった。リュー警視は病院から病状の回復の連絡を受け、午後に本人の枕元に赴き、事情聴取を行なった。

バヤール氏は自殺の意図など全くなかったことを明言した。彼もグレニソン嬢も命を絶つことなど考えていなかったのである。彼女の死に至る状況について彼は以下のように語った:
「食事の終わる頃になって、その小部屋にあったガス暖房機の暑気で私達はとても気分が悪くなりました。グレニソン嬢はそれを消すように頼んだので、私はガス管のコックをひねりました。おそらくその締め方がいけなかったのでしょうか、私たちはガス器具から出る臭気で窒息したのに違いありません。《違いない》と申しますのは、私はほとんど即座に意識を失って倒れたのですから。でももう一度はっきり言いますが、私も彼女も自殺などちっとも考えていませんでした。」

バヤール氏はつけ加えて、食事を共にした彼女は職場の同僚でしかなく、たまたま飲みに行こうといったもので、彼らは恋愛関係ではなかったという。まだ病み上がりという理由からリュー警視はそれ以上事情聴取を長引かせることはせず、調書の内容をその夕刻のうちに、証拠として押収した事件当夜のコーヒー・カップとワイン・グラスに残ったわずかな液体とともに予審判事のもとに提出した。リュー警視は現場のフォーブール・モンマルトルのレストランも訪れた。小部屋にあったガス暖房機も差し押さえた。

レストランのオーナーは、ジョルジュ・バヤール氏の説明に真っ向から反論する内容の意見を述べた:
「私らが扉を開けたときには、部屋にはガスの臭気はまったくなかったと申し上げました。悲劇の現場には何人もの人間が立ち会いました。私のほか給仕長、クローク係、給仕の助手がいました。警官や医者、警視がその後で駆けつけましたが、ガスの臭気など少しも感じませんでした。なにしろ私らが入ったとき、ガス器具はちゃんと火がついて燃えていて、うちの店員の一人は火傷をしそうになったほどです。」
レストランのオーナーは捜査の結果に非常に落ち着いていて、悲劇的な事件の原因が自分たちの施設の劣悪さに拠るものではないと確信している模様であった。

警視庁では死んだ若い女性の司法解剖をバルタザール医師が担当している。また技師のデュモン氏が部屋にあったガス暖房機の検査をしている。これらの分析のあとでなければ予審判事からの捜査の続行はなされない見込みである。

出典Crédit:©BNF-Gallica #618487 «Le Petit journal», le 29 Déc. 1908
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by utsushihara | 2008-12-22 18:20 | ★ベルエポック事件簿1908

レストラン個室での悲劇的結末(2)(ベルエポック事件簿)

1908年12月28日(月)

既報のとおり、パリ警視庁のリュー警視は、昨日フォーブール・モンマルトルのレストランの個室で、ジョルジュ・バヤール氏とともに自殺した若い女性の身元を明らかにすることができた。
彼女の名前はテレーズ・グレニソンといい、22歳でサン=マルタン門周辺のホテルに住んでいた。彼女は近くのフォーブール・ポワソニエールにある衣料店の売り子をしており、恋人の男もそこの会計係をしていた。
男性の容態は依然として重態であるが、ジョルジュはパリ市内に住む両親のもとでは暮らしておらず、食事をするだけだった。
かなり不思議なことであるが、彼は18区のコーランクール街4番地にテレーズとは別の若い女性と住んでいた。一方、テレーズ・グレニソンのほうも南仏出身の学生と一緒に暮らしていたのである。ジョルジュが同棲しているコーランクール街の女性を愛していたように、グレニソンも学生を熱愛していた。

この悲劇的な夜食でのただ一人の生存者はラリボワジエール病院に収容されたまま、まだ尋問することができないため、彼とその同伴者がなぜこの個室で命を絶とうと決断したのかの理由は未だに判明していない。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #568924 « Le Matin » No.9071 ; le 28 Déc. 1908
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by utsushihara | 2008-12-21 23:45 | ★ベルエポック事件簿1908

レストラン個室での悲劇的結末(1)(ベルエポック事件簿)

1908年12月27日(日)

昨夜パリ9区フォーブール・モンマルトルのとあるレストランの個室で若い男女の自殺と思われる事件が起き、周囲に大きな動揺が走った。彼らは個室での夜食に訪れた若い商社員とその恋人であった。
男の名はジョルジュ=ピエール・バヤールといい、恋人を伴って個室での食事に訪れ、料理が供されていた。零時半頃になって、食後酒を頼むはずの呼び鈴が鳴らないのにギャルソンが気づいてあわてて戸をノックし、中に入ってみると、バヤールと若い女性が絨毯の上にぐったりと倒れているのを見つけた。彼らは恐らくコーヒーに劇薬を混ぜて飲み込んだに違いなかった。
まもなく女性は息を引き取り、彼は瀕死の状態でラリボワジエール病院に搬送された。この悲劇の原因を特定するため、リュー警視(Rieux)によって捜査が開始された。
f0028703_18284035.jpg
出典 Crédit:©BNF-Gallica #568923 « Le Matin » No.9070 ; le 27 Déc. 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN / François Vizzavona - Cote cliché : 97-007666
Titre : Une soirée à la lumière de la lampe (exposé au Salon de la Société Nationale des Beaux-Arts de 1908)
Auteur : Nybo Povl Friis (1869-1929) / Localisation : Paris, agence photo RMN, fonds Druet-Vizzavona

[ Ψ 蛇足 ]
原題は « Tragique fin de souper » :スーペ(souper)は、遅い時間の食事=夜食をとる。夜食の名詞形(n.m.)でも使う。
参考画像は『ランプの光での夕べ』(Une soirée à la lumière de la lampe)の一部分。個室レストランは逢引の場としてモーパッサンの短篇小説などでもよく出てくる。
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by utsushihara | 2008-12-20 18:26 | ★ベルエポック事件簿1908

10万フランの宝石搾取事件(ベルエポック事件簿)

1908年9月23日(水)

ラ・ファイエット街の宝石商マルカン氏は、数日前一人の若いスペイン人の訪問を受けた。彼はエスケルド・サラゴーザといい、バルセロナの高名な医者の息子だと語った。
彼は近く舞台女優のマルグリット・ロゼリ嬢と結婚する予定で、彼女への贈り物を考えており、彼女が自分で選べるように連れて来るつもりだと言った。
あくる日、その恋人に他ならぬロゼリ嬢が青年と一緒に店に現れた。エスケルド青年は10万フランの宝石を買うことに決め、ほどなくそれは滞在先に届けられた。バルセロナの医師サラゴーザ氏に関する評判は申し分ないもので、その自称息子はスペインから戻り次第支払をするからと約束した。
それからほどなく、マルカン氏はそれが詐欺だったことを知った。青年客がバルセロナの医者とは何の関係もなかったのである。宝石商は告訴した。予審判事のブーシェ氏はその男と共犯者の恋人を逮捕する礼状を出した。
エスケルド・サラゴーザは昨日ビアリッツで捕えられた。ちょうどくすねた宝石の一部をロンドンで売却した金で賭博をして負けたところだった。
女優と称するマルグリット・ロゼリ、22歳は共犯の容疑でコリゼ街で逮捕された。彼女は昨日、休暇に入った予審判事のブーシェ氏に代ってラルシェ判事による尋問を受けた。彼女は、マルカン氏が宝石を買うように勧めたのはエスケルドに向かって言ったことであり、彼と結婚しますなどとは絶対言っていないと主張した。
また、マルカン氏が宝石を届けたとき、受取書に彼がサインをしたので、それで正しい取引だったと思ったとも語った。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288222 « Le Figaro » le 23 Sep. 1908
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by utsushihara | 2008-09-27 16:21 | ★ベルエポック事件簿1908

見つかった泥棒(ベルエポック事件簿)

1908年9月19日(土)

一昨夜の深夜、2区セバストポール大通り141番地の管理人は寝ている時に建物で大きな音がしたので目が覚めた。そこはサン・ドニ大通りとの交差角にあたる「デュヴァル」(Duval)という安料理屋の店舗の中からで、すぐに警察に通報した。警察官が店の中に入ってみると、半地下のところにあった金庫をこじ開けようとしていたのがわかった。ほどなくワイン倉に隠れていた泥棒を見つけて取り押さえた。この男はジャック・デュロワといい、25歳のオランダ人で、4月からデュヴァルの店でギャルソンとして働いていた。彼は店が閉まるまで身を隠しており、犯行後裏通りのサント=アポリーヌ街から逃走するつもりで、縄梯子まで用意していた。彼は拘置所送りとなった。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288220 « Le Figaro » le 21 Sep. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
安料理屋(bouillon)はこの付近のサン=ドニ門(Porte Saint-Denis)周辺に多い、活気のある気楽なレストランと思われる。今でも観光客はスリや引ったくりに注意が肝要。知人が被害に遭った場所である。
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by utsushihara | 2008-09-18 17:01 | ★ベルエポック事件簿1908

ルヴァロワの刺殺事件(後)(ベルエポック事件簿)

1908年9月6日(日)

昨日(5日)バルタザール医師は、ルヴァロワ=ペレ市の家具付ホテルの一室から刺殺体で発見されたクレマンス・ソーゾワの司法解剖をおこなった。検査の結果では身体の他の部分に暴力行為のあとは見つからなかった。ナイフの刺し傷は心臓を貫いていた。愛人のガストン・ルグロによる何らかの嫉妬に駆られての犯行と目されている。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288205 « Le Figaro » le 6 Sep. 1908

***これまでの関連記事france100.exblog:ルヴァロワの刺殺事件(前)(ベルエポック事件簿)(1908.09.05)
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by utsushihara | 2008-09-15 16:24 | ★ベルエポック事件簿1908

ルヴァロワの刺殺事件(前)(ベルエポック事件簿)

1908年9月4日(金)

ルヴァロワ=ペレ市警察のラゲーヌ警視は昨日(4日)午後2時エルベール兄弟街84番地で起きた殺人事件で呼び出しを受けた。被害者は25歳の娼婦クレマンス・ソーゾワといい、家具付ホテルの一室で下着姿で床に倒れていた。彼女は左胸の上から非常に深い傷を負っており、ナイフが心臓を貫通していた。凶器は身体に刺さったままで、おびただしい血が部屋中に流れていた。
奇妙な事は、死体のそばの戸棚の上にビネガーの瓶とその中身をひたしたハンカチが置かれており、明らかに犯人が被害者に嗅がせてみたものと思われた。
隣人の女性によれば、クレマンスは一昨晩の深夜に愛人の鋳造工員ガストン・ルグロ(25歳)と別の彼らの友人の女性と3人で帰宅したという。テーブルの上に残された3つのグラスがその証言を裏付けている。
警視庁のアマール警視はガストンが犯人ではないかと推測している。現におとといの朝、二人が口喧嘩していたのも判明した。クレマンスの女友達も捜索の対象とされている。被害者の遺体は予審判事のデュ・ピュイ氏の指示により法医学研究所に搬送された。
f0028703_183015.jpg
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288204 « Le Figaro » le 5 Sep. 1908
画像 Crédit photographique:©notrefamille.com – Les Cadeaux : cartes postales anciennes
Rues des Frères-Herbert et Grave (Levallois Perret 92300)

[ Ψ 蛇足 ]
事件の起きたルヴァロワ=ペレ(Levallois-Perret)はパリの北西部に隣接する都市で、工場が多い住宅街である。エルベール兄弟街(rue des Frères-Herbert)はルヴァロワ市内の繁華街で広壮な建物の街並はパリの街の延長を感じさせる。現在の街路表示は、ガブリエル・ペリ街(rue Gabriel Péri)あたりと思われる。
[原題] :Une femme poignardée
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by utsushihara | 2008-09-14 18:28 | ★ベルエポック事件簿1908

悲惨極まりない話(ベルエポック事件簿)

f0028703_175920.jpg1908年9月

生活困窮者のための夜間宿泊所の常連だった女が3歳になる女の子を腕に抱えて15区グルネル地区のフォンダリー街にいるのを保護された。女の子はすでに死に絶えており、2人の巡査は母親を署まで連行した。
やつれた母親は名前をボンフィスといい、住所不定で街角で浮浪者生活をしていたが、いつも腕に抱えた幼女の病弱な様子が通行人たちの同情をひいていた。
幼女の死は母親の無頓着さからであると結論づけられた。たしかに取調べによってボンフィスという女の身の上が悲惨である以上の真実が明らかにされた。
彼女はかつてある左官工と結婚しており、4人の子供とともにまずまずの生活を送っていた。2年半ほど前のこと、男は彼女と子供たちを家から追い出し、姿をくらましてしまったのだ。
生活保護局では子供たちを引き取ることにしたが、ボンフィスの妻は一番年下の子だけは手放そうとしなかった。それ以来、その子を連れて物乞いをし、夜は橋の下か救護所で寝泊りした。

子供が風邪をひいたのが4日前のことだった。母親はセーヴル街の病院に駆け込んだ。しかし病気がすっかり治るまで子供は病院で預かるのが条件だと言われたため、彼女は拒絶した。その言い訳として、フォンダリー街に住んでいる彼女の妹が助けてくれると思うと語った。彼女は確かに妹のところに急いだが、妹は不在だった。近所の婦人が病気の女の子を気の毒に思い、暖かい牛乳を与えた。別の女性は湿布薬を施した。しかしながら幼女はひどく咳き込み、呼吸困難になった。人々はその子を薬局に運び込んだが、そこでほどなく息を引き取ったのだった。

小さな遺体は安置所に送られた。ボンフィスの妻は過失致死罪の容疑で逮捕された。彼女は昨日予審判事のブカール氏の尋問を受け、裁判所ではこの不幸な女を犯罪者とは言えず、免訴となる見通しとなった。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288208 « Le Figaro » le 9 Sep. 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN (Musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / Cote cliché : 07-514693 / Fonds : Peintures / Description : Ce qu'on appelle le vagabondage, dit aussi Les chasseurs de Vincennes / Auteur : Alfred Stevens (1823-1906) peintre belge / Date : 1855 / Localisation : Paris, Musée d'Orsay

[ Ψ 蛇足 ]
浮浪者、放浪者を意味する「ヴァガボン(バガボン)」(vagabond)は、日本語にも入って耳慣れた言葉に思えるが、こうした悲惨なニュアンスも含まれることを覚えておきたい。
(↑)上掲の絵(部分)は、ベルギーの画家アルフレッド・ステヴァンス(Alfred Stevens, 1823-1906)の『浮浪ということ』(別名:ヴァンセンヌの猟騎兵)である。19世紀中頃の作品。
[ 原題 ] Une lamentable histoire
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by utsushihara | 2008-09-11 17:03 | ★ベルエポック事件簿1908

ルルドの巡礼者を狙った泥棒(ベルエポック事件簿)

f0028703_18404341.jpg1908年9月

数日前に聖地ルルドで、巡礼者たちから巧妙に盗みを繰り返していたとして逮捕された男は、グロという名前のほか身元を明かすことを頑なに拒んでいた。捜査当局があきらめかけていた矢先、その男宛ての手紙が郵便局で差し押さえられた。彼は実際にはシャルル・アヴォンドという名前で、ボルドー近郊カディヤック街道沿いの田舎家に住んでいたことがわかった。すぐさまその家への家宅捜索がおこなわれた結果、そこの住人はラマルシュという男とその娘であった。しかもラマルシュの妻はスリの現行犯で、現在ルルドで収監されていたのだった。ラマルシュとその娘はルルドの当局へ送検となった。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288208 « Le Figaro » le 9 Sep. 1908
画像 Crédit d’image : ©CMN: Ministère de la Culture de France (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Archives photographiques diffusion RMN
Voyage dans les Pyrénées, automne 1898
Eglise paroissiale, Lourdes
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by utsushihara | 2008-09-10 18:29 | ★ベルエポック事件簿1908

クレテイユの採石場での謎の殺人事件(4終)(犯人の逮捕と自白)

1908年9月9日(水)

クレティユの事件で昨日(8日)逮捕されたのはアントワーヌ=ポール・ネィラというイヴリー生まれの34歳の屑物商だった。この男には酷い前科があった。ルクセンブルクで少女に対する暴行の罪で7年の懲役刑を受けていた。彼は兵籍除外者のための内地軍に所属していたが、駐屯していたフィギグから脱走していた。
彼は数多くの仲間と暮らしていたが、その中に被害者のロゼット・ラタッスがいた。彼らは気分に従って10~15日ごとに居場所を変えており、8月22日にはブュイソン=ジョワユーの辺りにいて、彼女を手押し車に乗せて連れていた。彼らは採石場のそばで昼食をしようとしたが、一人の年老いた乞食にロゼットが飲み物を与えようとしたことで、焼餅を焼いたネィラがパン切りナイフで彼女を脅した。ロゼットは採石場に逃げ込んだ。彼は追いかけて捕まえ、激高して殴りつけ、彼女が身動きしなくなるまで暴力をふるった。
彼は素知らぬ様子で仲間たちのところにひとりで戻り、彼らに「ロゼットを見かけなかったか?」とたずねた。仲間たちが知らないと答えると彼は言った。
「あいつを見かけることはないだろうよ。帰って来れないところに行ったんだから。」
この言葉がネィラの仲間たちの記憶から思い出され、そのうちの一人が警察に知らせたのだった。逮捕されたネィラはすべてを自白した。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #288208 « Le Figaro » le 9 Sep. 1908

***これまでの関連記事france100.exblog: クレテイユの採石場での謎の殺人事件(1)(ベルエポック事件簿)(1908.09.04)事件の冒頭へ

[ Ψ 蛇足 ]
地名の「ブュイソン=ジョワユー」(Buisson-Joyeux)は「愉楽の藪」と直訳すると何だか怪しげな場所を思わせる。
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by utsushihara | 2008-09-09 23:45 | ★ベルエポック事件簿1908