フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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カテゴリ:各国事情1905-06( 50 )

1906年度のノーベル賞

1906年12月10日(月)

12月10日ストックホルムにおいて1906年度のノーベル賞受賞者の発表が盛大に行われた。
平和賞として米国のルーズヴェルト大統領が選ばれ、191,480フランの賞金は労使間の恒久的な調停委員会を設立するために使用されるという。f0028703_1838640.jpg
英国マンチェスターに住むジョン・トムソン氏は物理学賞を、我が国からはアンリ・モワッサン氏が化学賞を、スペインのラモン・イ・カハル氏とゴルギ氏は医学賞を分け合うこととなった。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.24; JAN. 1907
画像 Crédit d’image : ©U.S. National Archives

[ Ψ 蛇足 ]
この年の受賞者で最も銘記されたのは、平和賞のセオドア・ルーズヴェルト大統領である。(→)
ノーベル賞受賞者といえども過去に埋没してしまう功労者・有名人は多い。人類の歴史の時間はどんどん蓄積していくのだから、現在を生きる私たちは一度覚えたこともどんどん忘れ去って行かなければ新しい知識や現象に対処することはできないだろう。忘却も人間の知恵の巧妙な技なのだ。
上記の記事にはない文学賞もこの年はイタリアの大詩人ジョジュエ・カルドゥッチ(Giosuè Carducci, 1835-1907)が受賞しているが、日本ではほとんど知る人はいない。
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by utsushihara | 2006-12-11 18:35 | 各国事情1905-06

ルーズヴェルト大統領のパナマ訪問

f0028703_2312074.jpg1906年12月

12月の初め、ルーズヴェルト大統領はパナマ運河の工事の状況を視察するため、イスムの町を訪れた。掲載の写真は巨大な起重機の中に座って作業を見守る大統領の姿である。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.24; JAN. 1907
画像Crédit d’image : ©The New York Times Photo Archives

[ Ψ 蛇足 ]
上記の記事では12月と書かれているが、実際の訪問は11月14日から17日までの3泊4日間であった。パナマ運河はスエズ運河同様に2つの大陸のつなぎ目が地峡となって2つの海を隔てている場所である。ここに運河ができれば北米大陸の東西海岸を結ぶ短縮航路は特に米国にとっては必要度が高かったはずである。
実際砂漠地帯に運河を掘り進むスエズに比べれば、パナマは山岳地帯と密林に被われた熱帯という最悪の環境下で進められ、1914年にやっと開通するまでは苦難と犠牲の連続であったと歴史は語る。国の威信をかけてルーズヴェルト自らが直接現地に赴いて激励したことも歴史的な挿話として残っている。

*参考サイト:(英)Wikipedia ; Theodore Roosevelt Panama Canal
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by utsushihara | 2006-12-07 23:10 | 各国事情1905-06

カリフォルニアの在留邦人排斥騒動

f0028703_1821573.jpg1906年12月4日(火)

カリフォルニア州政府は州内の小中学校に日本人生徒が近づくことを禁ずる決定を出した。日本人生徒は有色人種のために用意されたバラックの建物に押し込められることになる。そもそもこうした厳しい事態に対し、12月4日にセオドア・ルーズヴェルト大統領から発せられた調停案によってどう収束するかが注目される。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.24; JAN. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
このような事件は今となってはすっかり忘れ去られてしまったが、百年前の明治39年の日本の新聞記事でも恐らくこのフランスの雑誌記事よりは大きく騒がれていたのではないだろうか?(カリフォルニアで日本人が大変な目に会ったのは、むしろ第2次大戦中に敵国民として強制収容所に入れられたほうがもっと強烈な経験だろう。)
このときの日系移民に対する反日感情の根底にはロシアと対等に戦って負かした小国日本への脅威の念=黄禍論もあったかもしれない。それにしても時の大統領セオドア・ルーズヴェルトの行動が何と公明正大だったことか!カリフォルニアでは大統領が自国民の気持に反しているとの非難の声も大きかった。日露戦争の終結調停の尽力とともに我々日本人には感嘆の念を禁じ得ない。

*参考サイト
(1)丸屋武士氏の「意志力道場」-卓話室1:Series13 – 6(後半部分)
(2)Wikipedia(和文):排日移民法
***参考文献:有斐閣 神戸法学双書33, 「カリフォルニア州の排日運動と日米関係」 簑原俊洋/著(2006.10新刊) 最近出されたばかりである。
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by utsushihara | 2006-12-04 18:00 | 各国事情1905-06

子供のおしおき台(ピロリ)

f0028703_17395635.jpg1906年10月

ロンドンのいくつかの古い教会の中庭にはいまだに子供のためのおしおき台を見ることができる。かつてはある種の非行少年を処罰するために使用されていた。このこわい道具は昔の思い出の品として保存され、近所のいたずらっ子たちのおもちゃとなっている。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.23; DEC. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
現代で「ピロリ」(Pilori)というと胃癌のもととなるピロリ菌のことかと思うが、昔は刑罰の道具として欧州には一般的に存在したようだ。画像検索でも意外に沢山出てくる。
*参考サイト:Le voyage à Sarrant Le Pilori (仏文: トゥールーズの某小学校の社会科見学の記録らしい)
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by utsushihara | 2006-10-29 17:36 | 各国事情1905-06

茶色犬の噴水

f0028703_177959.jpg1906年10月

ロンドンにある「動物実験に反対する会」はラッチミア公園の一角に近代医学の発展の犠牲となった一匹の茶色のテリア犬を記念して噴水を建てた。あらゆる野蛮な行為を抑止するために、電気仕掛けのチャイムも据付けられている。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.22; DEC. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
これは英国社会史上で「茶色の犬事件」(The Brown Dog Affair)として記録されている。最初は1903年2月に大学の研究所で生体実験を受けた茶色のテリア犬が2ヶ月以上も苦しみ続けた末に死亡したことが発端であり、同じ研究所でそうした取扱いを受けた犬が1年で200匹以上いたことが動物愛護の観点で大きな騒ぎとなった。1906年10月に上記の噴水が建てられ、そこの水飲み場は犬と人間の両方に供された。しかしこれには医学生たちを中心とした反対運動も起こり、1910年3月早朝に秘密裏に撤去されたり、第2次大戦後再建されたりと複雑な様相を呈している。

*参考サイト:
(1) 国際菜食主義者連合International Vegetarian Union (IVU)のサイトにある図書紹介欄 Book ReviewsThe Brown Dog Affair(英文)
(2) 英Wikipeda : Brown Dog Affair(英文)
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by utsushihara | 2006-10-24 17:02 | 各国事情1905-06

キューバの政変

f0028703_15441925.jpg1906年9月29日(土)

キューバ共和国大統領エストラーダ・パルマ氏(画像→)は、島内の秩序を立て直すことができず、米国は9月12日に艦隊を派遣して現地の米国人居住者を保護するという名目で軍隊を上陸させた。この軍事介入に関しては様々な意見が出ている。
米国の軍事長官タフト氏は、ルーズヴェルト大統領の命によりキューバで起きている内紛に終止符を打つために派遣された。この軍事介入はキューバの大統領エストラーダ・パルマの辞職に至る結果となった。暫定政権としてタフト氏が首班をつとめることが公表され、9月29日キューバ政府の建物に入った。キューバの人々はこうした状況を概して平静に受け止めている。米国筋はキューバを併合するという考えを真っ向から否定している。
タフト氏の使命は一定の目処がついたため、後任のウィンゾップ氏に暫定政権の首班の座を引き継ぐことになっている。f0028703_15444693.jpg

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.20; OCT. 1906&No.21; NOV. 1906
画像Crédit d’image : © Le Petit Journal, supplément illustré; du 30 Septembre 1906

[ Ψ 蛇足 ]
キューバはコロンブスによる発見以来長らくスペイン領であったが、19世紀後半に独立の気運が高まり、スペインの支配に抗して叛乱を起こし独立仮政府まで樹立したが10年(1868-1878)で鎮圧された。1890年代に入って新たに独立戦争を起こし、米国の支援を受けてスペインの支配から脱することができた。(米西戦争1898)
f0028703_15524248.jpg
エストラーダ・パルマ(Estrada Palma, 1835-1908)は若い頃から独立運動に加わり、米国での生活も長く、米市民権を得ていた。米西戦争を機に再び活動を始め、1901年の選挙で初代キューバ共和国大統領に選出された。しかし1905年の選挙における混乱から内紛が顕在化し、右掲(→)のような女傑クラヴァ・サントス(Senora Clava Santos)が率いるゲリラ勢力などを沈静化させることができなかった。

米国の軍事長官タフト(William-Howard Taft, 1857-1930)は、フィリピン総督なども歴任し、セオドア・ルーズヴェルトの後継者として第27代の米国大統領(1909-13)となった。

* 参考サイト:
(1)Wikipedia: Tomás Estrada Palma(英文)
(2) Bartleby.com : The Columbia Encyclopedia, William- Howard Taft (英文)
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by utsushihara | 2006-09-29 15:42 | 各国事情1905-06

黒人への私刑(リンチ)と虐殺

f0028703_1791978.jpg1906年9月22日(土)

9月22日、米国アトランタの市街地において、前日逮捕した黒人2名が仕掛けた暴動に対する報復措置として黒人たちに対する虐殺が行なわれた。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.21; NOV. 1906
画像Crédit d’image : © Le Petit Journal, supplément illustré; du 07 Octobre 1906

[ Ψ 蛇足 ]
* 関連記事Blog:黒人に対するリンチ(1906.04.24)
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by utsushihara | 2006-09-24 17:08 | 各国事情1905-06

香港に猛烈な台風襲来(1906)

f0028703_17313588.jpg1906年9月18日(火)

猛烈な威力を持った台風が9月18日香港を襲った。激しい風雨は2時間続き、8千人を超える人々が亡くなった。38隻の船舶が沈没もしくは損壊した。わがフランス海軍の駆逐艦2隻も被害を受けている。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.20; OCT. 1906
画像Crédit d’image : © Le Petit Journal, supplément illustré; du 07 Octobre 1906

[ Ψ 蛇足 ]
画像はプチ・ジュルナル紙の挿絵:暴風雨に見舞われる広東湾内のジャンク船。この時の台風被害については遠く欧州各紙にまで伝えられている。当時は現代に比べればまだまだ防災工事等の面で未徹底で、自然の脅威になすすべがなかったために多くの犠牲者が出たのだろう。
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by utsushihara | 2006-09-21 17:30 | 各国事情1905-06

英国王エドワード7世、マリエンバートから戻る

f0028703_1419430.jpg1906年9月7日(金)

湯治を終えた英国王エドワード7世は、9月7日マリエンバードを離れ、スタンリー・クラーク将軍とともにロンドン入りした。掲載の写真は国王と、同行するクラーク将軍である。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.20; OCT. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
同姓同名のスタンリー・クラーク(Stanley Clarke)という人は多い。
検索で最も多いのはジャズのベース奏者であるようだ。
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by utsushihara | 2006-09-07 14:19 | 各国事情1905-06

英戦艦「モンタギュ」事件の裁判

f0028703_224173.jpg1906年8月21日(火)

英国戦艦「モンタギュ」の座礁事件に関する軍法会議が8月21日ポーツマス港の旧戦艦「ヴィクトリー」号(この船上でネルソン提督が戦死した)の上で開かれ、アデール司令官とダタン中尉は譴責および免職の評決を受け、「モンタギュ」の逸失にかかわる彼らの職務怠慢が明らかにされた。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.19; Sep. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
*関連するExblog france100 6/20の記事:英国戦艦の座礁
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by utsushihara | 2006-08-21 22:45 | 各国事情1905-06