フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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カテゴリ:日露戦争、東洋事情1905-06( 28 )

ロシアの軍事評議会

f0028703_16141674.jpg1906年12月21日(金)

ロシアの軍事評議会はネボガトフ提督の死刑を決議した。78名の海軍士官が告発されていた。審判の過程でロジェストヴェンスキー提督は驚愕すべき供述を行なった。士官たちを訴追するのは馬鹿げており、自分とネボガトフだけがバルチック艦隊の壊滅の責任を負うべきだと語ったのである。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.25; FEV. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
ロシアの軍事裁判は日露戦争終結後1年以上経過しても続いている。7月の記事にもあるようにロジェストヴェンスキーは重傷を負って駆逐艦に収容され、人事不省に陥っていたことが証明されたため、ネボガトフ(Nebogatoff)の最終指揮責任が明るみに出る結果となったようだ。

*参考サイト:『坂の上の雲』あらすじと心に残る言葉(八)の6 死闘
**これまでの関連記事france100.exblog:露提督ロジェストヴェンスキーの裁判(1906.07.09)
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by utsushihara | 2006-12-22 16:08 | 日露戦争、東洋事情1905-06

ミカドの舞踊師たち

f0028703_23421774.jpg1906年10月

日本のミカドは非常に現代的な君主とはいうものの、旧時代の伝統的な舞踊を継承した舞踊団を抱え続けている。欧州外交官たちのからかうような目からはほど遠いところにある。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.21; NOV. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
写真は拡大してみると江戸の町火消し、和太鼓、獅子舞のような野外での演技のように見える。
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by utsushihara | 2006-10-08 23:40 | 日露戦争、東洋事情1905-06

中国鉄道路線の新設

f0028703_16215269.jpg1906年8月

中国の江蘇省(Kiang-sou)の綿花地帯に7月20日以来、鉄道が敷設され、今のところ南京と蘇州を結んでいるが、近い将来、上海まで伸ばされる予定である。この鉄道は軍事的にも商工業的にも重要な路線と見なされている。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout »No.20; OCT. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
*参考サイト:「中華遊」AraChina.com 江蘇省地図
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by utsushihara | 2006-08-23 12:20 | 日露戦争、東洋事情1905-06

カンボジア国王の狩猟

f0028703_21261649.jpg1906年8月

カンボジアのシゾヴァート国王は今やパリ市民の誰もが知っているが、狩猟においても見事な腕前を持っている。掲載した写真に見られる通り、カンボジアの山中で国王は大きな草食獣(鹿や猪)、そして虎を含む獰猛な肉食獣などたくさんの獲物を挙げることができたのである。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.19; Sep. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
シゾヴァート国王のパリ訪問の直近の記事はこちら:(Exblog: カンボジア国王一行のパリ滞在)
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by utsushihara | 2006-08-03 21:25 | 日露戦争、東洋事情1905-06

児玉将軍の葬儀

f0028703_17122654.jpg1906年7月28日(土)

日本国の軍隊の偉大な改革者であった児玉伯爵の壮大な葬儀が東京で執り行なわれた。彼の柩は大砲の車輌に載せられて12名の兵士によって牽かれ、山県、大山、乃木、黒木の各将軍が付き従った。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.21; NOV. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
フランスの雑誌に実際このニュースが載ったのは数ヵ月後のことであったが、日露戦争でロシアを破った日本の軍隊とその指導者たちについては欧州各国でも注目されていた。児玉源太郎(1852-1906)は、陸軍参謀総長のまま脳溢血で急死した。54歳だった。
*参考サイト:Wikipedia 児玉源太郎(和文)
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by utsushihara | 2006-07-28 17:11 | 日露戦争、東洋事情1905-06

朝鮮王朝の将軍

f0028703_11191196.jpg1906年7月

写真に掲載の4人の苦力に担がれた奇妙な乗物に乗った風変りな人物は、古式豊かな朝鮮王朝の将軍の一人である。彼は宮廷用の礼服に身を整え、皇帝に拝謁するところである。こうした時代錯誤は、日本人によって持ち込まれる近代文明の流れにはもはや長続きしないだろうと思われる。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.19; Sep. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
この記事に複雑な思いを抱かれる方は少なくないと思う。輿に乗った武将の姿が西欧人に奇妙に見えたのは否めない。
日本が朝鮮王朝への影響力を強めたのは19世紀後半からで、特に1895年の日清戦争後はそれまで影響力の大きかった清に代わり、国名を「大韓」と改めさせて直接支配を強めた。日露戦争後、ロシアの進出を断ち切って1905年に保護国とした。日韓併合はその5年後の1910年である。
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by utsushihara | 2006-07-27 11:17 | 日露戦争、東洋事情1905-06

露提督ロジェストヴェンスキーの裁判

f0028703_223054.jpg1906年7月9日(月)

昨1905年対馬でロシア艦隊の指揮をとったロジェストヴェンスキー提督および参謀将校たちはクロンシュタットの海軍戦争委員会に召喚され、駆逐艦「ビエドヴィ」を日本側に引き渡した罪状についての弁明を行なった。
ロジェストヴェンスキーは自らすすんで出廷し、それは彼の過ちであり、駆逐艦が戦わずして降伏したのは彼の命令であったと語り、すべての責任は自分にあると認めた。この申し立てにもかかわらず、委員会は7月9日、ロジェストヴェンスキーを無罪放免とし、代わりに4人の士官に対して死刑を宣告した。しかしながら裁判所はこの4人に対して減刑を要請している。
f0028703_17214768.jpg
出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.19; Août, 1906
画像Crédit: ©「日露戦争海外写真集」皆川三郎・編訳、1990.09新人物往来社

[ Ψ 蛇足 ]
バルチック艦隊の司令官ロジェストヴェンスキー(Rojestvensky)は、日本海海戦の開始時には旗艦「スワロフ」で指揮をとっていたが、日本側艦隊からの一斉攻撃で被弾し、彼は頭部を含む3箇所に重傷を負い、人事不省となった。彼は最終的に駆逐艦「ビエドヴィ」(Biedovy)に搬送されたが、日本軍に捕捉され、捕虜となった。
画像は、クロンシュタットの海軍戦争委員会と駆逐艦「ビエドヴィ」、円内はロジェストヴェンスキー提督。
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by utsushihara | 2006-07-09 17:19 | 日露戦争、東洋事情1905-06

フィリピンにおけるアメリカ軍

f0028703_17224533.jpg1906年3月8日(木)

フィリピンにおける和平の回復が実現したというにはまだほど遠い。かねてからアメリカの船団はかなりの質量の物資補給のためにマニラに到着しているが、これはミンダナオ島に住むモロス族を制圧するための準備であった。このモロス族はかつての支配者であったスペインも最後まで屈服させることができなかったのである。
3月6日から8日までに激しい戦闘がアメリカ軍とこの土着民とのあいだで繰り広げられた。アメリカ軍にとっては非常に急傾斜で天然の要害となっている標高700mのダゴ山を奪取することが作戦の要であった。これによってアメリカ軍の勝利が達成された。ダゴ山に立てこもった600人の戦士は女子供ともども皆殺しとなった。アメリカ軍の損害は、死者18名、負傷者52名であった。

出典:BNF-Gallica #102978 « Je sais tout » No.15; Avr. 1906
Photo credit : Old pics of the Philippines 1880-1900

[ Ψ 蛇足 ]
画像は1900年頃のマニラ市街。フィリピンは1521年のマゼランの上陸以来、長らくスペインの領地であったが、1899年のキューバの独立がきっかけとなった米西戦争によって、アメリカがスペインより譲り受けた。現地の部族との戦闘も続き、残虐行為の記録も多く残っている。植民地戦争のみならず、人間の最も忌むべき行為である。
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by utsushihara | 2006-03-08 17:16 | 日露戦争、東洋事情1905-06

日本軍の機雷

f0028703_18292192.jpg1905年11月

日中間航路の船舶の世界では動揺が高まっている。日露戦争中に日露両海軍によって撒かれたおびただしい機雷のために毎週のように中国沿岸で海難事故が起きている。すでに数隻の汽船がこの恐ろしい兵器に触れて沈没した。今やたえず触雷する恐れを抱かずには船舶が渤海湾や朝鮮半島の海岸に近づくことが不可能となっている。日本軍は漂流した機雷の回収に鋭意努力しているが、風や潮流に従って浮遊する機雷が数千個に及ぶことを思うと、いかにこの仕事が困難であるかがわかる。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.11; Déc.1905

[ Ψ 蛇足 ]
この記事では「渤海湾」のことを「ペチリ湾」(Golfe de Petchili)と表記していて漢字名を探すのに苦労した。
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by utsushihara | 2005-11-21 18:28 | 日露戦争、東洋事情1905-06

日露戦後の満州

f0028703_15561234.jpg1905年10月

日本は満州においてすべての破壊された交通網の復旧に精力的に取り組んでいる。彼らの軍隊をすみやかに本国へ帰還させるにはどうしても必要だからである。ロシア軍が破壊した奉天付近のすべての鉄橋は現在のところ仮設の橋で代用されている。

出典:BNF-Gallica #102977 « Je sais tout » No.10; Nov.1905

[ Ψ 蛇足 ]
画像は日本側によって修復された奉天付近の渾河にかかる橋。
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by utsushihara | 2005-10-22 15:55 | 日露戦争、東洋事情1905-06