フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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カテゴリ:スポーツ、乗物、探検1905-06( 25 )

フェンシング道場対抗戦

1906年12月16日(日)

フェンシングの道場対抗戦が12月16日パリのカルノ高校で行われた。オッシュ剣友会(Cercle Hoche)が決勝でカリション道場(Salle Carrichon)を破り優勝した。また三位決定戦ではエペ剣友会(Cercle l’Escrime à l’Epée)がシャルティエ道場を破った。写真は、ペーニェとルルーの対戦。
f0028703_21552389.jpg
出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.24; JAN. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
カルノ高校(Lycée Carnot)はパリ17区モンソー公園の北にある。このような対抗戦のことをここでは「シャランジュ」(Challenge)と呼んでいるが、この単語は英語の「チャレンジ」から来ている。下記サイトにもあるように、この競技用語はすべてフランス語が用いられる。高校のとき、隣でフェンシング部がフランス語で練習していて、「カッコいいな」といつも思っていた。

*参考サイト: フェンシング競技紹介(和文)(1)日大FC (2)慶大FC
**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ブーランジェの新刊「傷ついたアマゾネス」 (1906.10)
(2)今月の決闘事件(1905.08.26)
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by utsushihara | 2006-12-18 18:11 | スポーツ、乗物、探検1905-06

パリ・ラグビー選手権の決勝戦

f0028703_17531985.jpg1906年12月16日(日)
f0028703_17534286.jpg
スタッド・フランセ・チームとレーシング・クラブ・チームとのラグビーの決勝第1戦が12月16日パルク・デ・プランスの自転車レース場内の芝生で行われた。スタッド・チームが仇敵を9-3で破った。第2戦で優勝者が決まる。
スタッド・フランセの主将ガリション(Gallichon)(→)は伝統あるチームでハーフバックを務めており、今年はフランス・チャンピオン杯をチームにもたらしたいと切に望んでいる。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.24; JAN. 1907
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by utsushihara | 2006-12-17 17:52 | スポーツ、乗物、探検1905-06

ピアリーの北極探検

f0028703_1881888.jpg1906年12月

探検家ロバート・ピアリー氏は北極点への到達競争でアブルッジ公爵隊のカーニ船長の記録を破り、より近い北緯87度04分への到達記録を打ち立てた。(←)掲載の写真は一連の探査のために特別に建造された調査船「ルーズヴェルト」号の甲板上に船長とともに立つ果敢な探検家の姿である。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.24; JAN. 1907
画像Crédit d’image : www.arcticice.org The Hall of Arctic Explorers

[ Ψ 蛇足 ]
f0028703_1852889.jpgロバート・ピアリー(Robert Peary, 1856-1920) は米国の極地探検家である。海軍に所属しつつも極地探検に対して寛大な役務免除を受け、クリーンランドの踏査から極点到達へと挑戦を続け、1909年に世界初の北極点到達者となった。
アブルッジ公爵(Duca degli Abruzzi, Luigi Amedeo; 1873-1933)はイタリアの大貴族の冒険家で、カーニ船長(Umberto Cagni)をはじめ20名ほどの北極探検隊を組織し、1900年4月にカーニが犬橇で北緯86度34分まで到達していた。

*参考サイト
(1) The American Experience; Alone on the ice Robert Peary : To the Top of the World(英文)ピアリー世界の頂点へ
(2) (英)Wikipedia : Luigi Amedeo, Duke of the Abruzzi アブルッジ公爵ルイジ・アメデオ
**前の関連記事Blog:
(1) 北極探検家ウェルマン(1906.09.20)
(2) 北極北西航路の発見(アムンゼン)(1906.03)
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by utsushihara | 2006-12-09 17:58 | スポーツ、乗物、探検1905-06

パリ=マルセイユ重車輌レース

f0028703_17544020.jpg1906年12月5日

軍事省主催による重車輌レースが11月19日から12月5日まで、パリ~マルセイユ往復のコースで行なわれた。結果は素晴らしいものとなった。
自動車文明が世の中に浸透し、軍事利用の需要もますます高まっている。ここに掲載した写真(→)は作戦中の部隊に飲料水を補給するトラックであり、目覚しい効果を上げている。こうした輸送力強化の目的で軍事省が競争レースを開催することになったのである。
f0028703_1755694.jpgまた一方で自動車搭載用のジャンティ大尉の開発した機関銃の製造が当面熱心に推し進められており、堅固な防御鋼板も装備されている。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.24; JAN. 1907
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by utsushihara | 2006-12-05 17:53 | スポーツ、乗物、探検1905-06

ニューヨークの電気機関車

f0028703_17425179.jpg1906年11月

米国ニューヨークでは今後、高架鉄道用に蒸気機関車の製造を取り止めることが決定的となった。その代わりとなるのが電気機関車である。電力は郊外に建設される工場から供給される。しかし前もってナイアガラ瀑布で作られ、電線で転送された電気によって動くことも可能である。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.24; JAN. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
煤煙の多い蒸気機関車から電気機関車に代わった時は、日本においては戦後しばらくしてからの頃であるが、時代が大きく変革する象徴でもあった。現代ではSLに乗って面白いのは束の間の異次元体験のためであり、常用することは当然ながら誰も考えない。
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by utsushihara | 2006-11-29 17:41 | スポーツ、乗物、探検1905-06

パリの格闘技大会(1906)

f0028703_15462334.jpg1906年11月

毎年11月にはパリに格闘技の勇者たちが集結する。今年は3カ所のミュージック・ホール(Les Music-Halles)で同時期にそれぞれの優勝杯をめざして試合が開催された。
まず中軽量級で争われるパリ・グランプリ杯(Le Grand-Prix de Paris)は、シルク・メトロポールで開かれ、期待のフランス人ガンビエを破ってスイス人モーリス・ドゥリアが優勝した。
カジノ・ド・パリで行なわれたカジノ杯(Le Tournoi du Casino)ではゲオルグ・ルリチが、そしてフォリ・ベルジェールで行なわれた世界チャンピオン杯(Le Championnat du Monde)では昨年の優勝者ロシア人のイワン・パドゥニー(Ivan Padoubny, 1871-1949)が連覇を遂げた。
f0028703_1549363.jpg
出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.23; DEC.1906 & No.24; JAN.1907

[ Ψ 蛇足 ]
これらの闘士たちはその後オリンピックの種目として採り入れられた「レスリング競技」で活躍するとともに興行的にも各地で戦った。画像はペトロフ(右)と戦うパドゥニー(左)(←も)
彼は、身長198cm、体重116kgの巨漢だった。
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by utsushihara | 2006-11-24 15:53 | スポーツ、乗物、探検1905-06

イタリア人気球のアルプス越え

f0028703_17293464.jpg1906年11月11日(月)

イタリアの2人の飛行家ウジュエリ氏とクレスピ氏は気球でアルプス山脈を越えるのに成功した。彼らは11月11日の朝、ミラノの万博会場を出発し、6800mの高度でモンブランの上空を過ぎ、4時間後にフランス側エクス=レ=バンに着陸した。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.24; JAN. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
二人の飛行家とは、セレスティーノ・ウジュエリ(Celestino Usuelli)とカルロ・クレスピ(Carlo Crespi)である。欧州最高峰のモンブランは標高4810mである。飛行産業は1906年開催のミラノ万博でも大いに注目されていた。飛行時間は正確には4時間5分、飛行距離は約360kmであった。絶好の気象条件だったものと思われる。

*参考サイト: 飛行物語アルプス横断飛行100周年La storia del volo :100 anni fa la trasvolata delle Alpi(伊語)
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by utsushihara | 2006-11-17 17:29 | スポーツ、乗物、探検1905-06

飛行船「祖国」号の完成

f0028703_170876.jpg1906年11月16日(金)

ルボーディ氏の注文でジュリオ技師が製造した飛行船「祖国」号は11月16日、モワッソンで初飛行を行なった。この飛行船はすみやかに軍部に引き渡され、トゥルに移送される予定である。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.23; DEC. 1906
画像 Crédit d’image : © PULS – Pilot und Luftschiff Die Luftschiffe von Lebaudy-Julliot

f0028703_17114094.jpg[ Ψ 蛇足 ]
ほぼ一年前の「ルボーディ」(Lebaudy)の実用化成功を受けて改良型の飛行船「祖国」(La Patrie)が完成した。写真からは以前の飛行船とほとんど見分けがつきにくい。有力企業からの国家防衛貢献とでも言うのだろうか、こうした最新鋭の機器を国に寄贈するのも盛んだったことがわかる。二度とドイツには負けたくない、という意思が迫真的に伝わってくる。下記の参考サイトの記述では、試験飛行が目標地点をはるかに超えてパリ郊外のムードンからナンシー付近のヴェルダンまで無着陸で飛んだとある。約260Kmの距離である。性能が年々飛躍的に向上していた。
なおこの飛行船の無念な最後については、一年後に語ることになるだろう。

*参考サイト: La Passion du dirigeableL’épopée (飛行船の歴史:仏語)
**前の関連記事Blog: 操縦可能な気球「ルボーディ」号(1905.11.25)
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by utsushihara | 2006-11-16 17:01 | スポーツ、乗物、探検1905-06

サントス=デュモンの飛行新記録

f0028703_17152987.jpg1906年11月12日(月)

ブラジル生まれの飛行研究家サントス=デュモン氏は、10月23日パリ郊外のバガテル公園で地上2~3mの高さで約60mの距離を飛び、欧州最初の飛行者となったと同時に飛行機による世界公式飛行記録となった。(ライト兄弟による初飛行は、1903年12月17日、米国ノース・カロライナ州で成功)
この成功に大いに気を良くして彼は更に11月12日、愛機”14bis”(キャトーズ・ビス)によって220mまで飛行記録を更新した。

出典:Wikipedia : Alberto Santos-Dumont
画像Crédit d’image : © Le Petit Journal, supplément illustré; du 25 Novembre 1906

[ Ψ 蛇足 ]
アルベルト・サントス=デュモン(Alberto Santos-Dumont, 1873-1932)はブラジル人であるが、未成年のうちに巨額の遺産を相続し、勉学のため19歳からパリに移住し、当時盛んになりつつあった飛行船、次いで飛行機の建造と試験飛行に情熱を注いだ。上記の記事にはバガテル公園とあるが、プチ・ジュルナルの画像の説明にはブローニュの森とある。バガテルはその森の一部にあたる。現在でもその半分はバラ園、残りは広い野原である。
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by utsushihara | 2006-11-12 17:11 | スポーツ、乗物、探検1905-06

飛行船「パリ市」の初飛行

f0028703_22521329.jpg1906年10月17日(水)

ドゥッシュ氏の操縦自在型飛行船「パリ市」号はシュルクフ氏による竣工後の10月17日、初飛行を行なった。前方は先端が円錐形となる円筒形をしており、後方は安定を保つための8つの空気房を縦横で十字の形の矢羽として付けられている。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.22; DEC. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
「パリ市」号(La ville de Paris)の製造を依頼したアンリ・ドゥッシュ=ド=ラ=ムルト(Henri Deutsch de la Meurthe, 1846–1919)は、19世紀後半に石油事業で急成長した富豪ドゥッシュ家の一員で、自動車レースや航空機の試験飛行に情熱を注いだ。1898年に設立の「フランス航空クラブ」(Aéro-Club de France) の発起人の一人である。ライト兄弟による飛行機が1903年12月に初飛行に成功したのを受けて、各国でも航空機の試験飛行が盛んに行なわれ、フランスでもこの年(1906)8月にドゥッシュの名前の賞杯(La coupe Deutsch de la Meurthe)で「エンジン式飛行機の最速競技国際レース」を創設した。
f0028703_2252404.jpg
飛行船のほうも単なる気球から運転可能な(ディリジァブルdirigeable)飛行船へと時代が急速に進展していった。この「ディリジァブル」の単語が飛行船の代名詞となった。ドゥッシュは当時飛行船の製造者として有名なシュルクフ(Surcouf)とカプフェレ(Kapferer)に大型飛行船を作らせた。費用は約百万フラン(3~5億円か?)で全長60m、直径10m、容積は3200立方m。
初飛行はパリ近郊のサルトルーヴィル(Sartrouville)で行なわれ、市当局のお歴々が招かれて祝福を交わしたという。

*以前の関連記事Blog:
(1)第1回ゴードン・ベネット杯飛行船レース (1906.09.30)
(2)ピレネー山脈越えの気球初飛行(1906.01.23)

*参考サイト
(1)フランス航空略史:L’histoire de l’aviation : une aventure d’un siècle et demi(仏文)
(2)航空の開拓者たち:ドゥッシュHenri Deutsch de la Meurthe(仏文)
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by utsushihara | 2006-10-18 22:46 | スポーツ、乗物、探検1905-06