フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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カテゴリ:各国事情1907-08( 41 )

イタリア南部カラブリア州で巨大地震

1908年12月28日(月)f0028703_186521.jpg

12月28日早朝、未曾有の巨大な地震がイタリア南部カラブリア州からシチリア島を襲い、甚大な被害が人々を打ちのめした。地震に続いて津波が発生し、被害をさらに拡大させた。メッシーナ(人口12万8千人)、レッジオ(4万5千人)、マルミ(1万人)を始めとする数多くの町村が破壊された。
死者の数は10万人から20万人に及ぶ模様であるが、人的被害の全貌はまだ把握できていない。物的な損害も算定不可能な状況である。

[ カラブリア発 ]
それは午前5時20分から25分の間に起きた。長い波打つような揺れが最初は7~8秒間、次に20~30秒間続いた。暴力的な震動に人々は寝床から飛び起き、大慌てで外に出ようとして大パニックを引き起こした。
直後の状況では、非常に多くの家屋があたり一面で倒壊し、悲鳴と号泣の声があがっていた。
レッジオ地方のバニャーラでは、村全体がもはやことごとく残骸となり、住民の大半が死亡したか負傷しているという情報である。
数え切れない家屋が倒壊してしまったか、残っても亀裂が入った状態である。軍の守備隊が町や道路の修復に着手している。すべての村落では恐怖に駆られた人々が野宿をしており、地震の後に付き物の冷たい雨が無情に降りしきっている。

f0028703_1863366.jpg[ シチリア発 ]
地震の大揺れに続いて発生した物凄い津波によって、メッシーナやカターネでは大多数の船舶が破損したり沈没してしまった。怪物的な波によって多くの人々がさらわれている。シチリア島とイタリア本土間の電信網は一部を除いてことごとく遮断されている。したがって被災を受けた町村からの救難通報も伝える術が無く、荒廃したままとなっている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.49; Fév. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288319 « Le Figaro » le 29 Déc. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #563105 «Le Petit Parisien» No.11749, le 29 Déc. 1908
画像 Crédit d’image : © BNF-Gallica #5525528 «Touche à tout», AnnéeII-1; Jan. 1909 Quelques images d’actualité

f0028703_1865650.jpg[ Ψ 蛇足 ]
クリスマスが過ぎて新年を迎えようとしていた矢先の大地震である。この地域では3年前の1905年9月にも大きな地震が起き、被害を受けている。今回の地震のほうが規模がはるかに大きく、人的・物的な被害は甚大なものとなった。上記の第1報だけでも惨憺たる状況だが、救援活動は欧州全体および米国からも鋭意手を差し伸べて続けられる。1909年の1月は毎日のように新聞で被害の増大と復旧の様子が伝えられることになる。画像は雑誌「トゥシュ・ア・トゥ」2月号に掲載されたシチリア島のメッシーナの惨状の写真である。

**これまでの関連記事france100.exblog:イタリアの地震 (1905.09.08)
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by utsushihara | 2008-12-28 18:04 | 各国事情1907-08

エルツ山地の墓標

f0028703_16348100.jpg1908年12月

ボヘミアのエルツ山地では農民たちが街道傍の斜面に「トーテンブレッター」(Totenbretter)という木製の墓標を並べて立てる風習がある。それには故人の生存や美徳を思い起こさせる銘文が記されている。この習慣は10世紀の頃から続いている。多くの碑文は長年の風雪で消えかかっている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.49; Fév. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
「ジュセトゥ」誌では時々外国の風変わりな伝統や習慣を紹介する記事を掲載する。「トーテンブレッター」(Totenbretter)は墓標というよりは、実際の墓地とは離れた場所に立てられた碑板(Planches commémoratives)というのが正しいだろう。エルツ山地(Erzgebirge)はドイツのテュービンゲンとチェコの国境一帯の風光明媚な山地である。

*参考サイト:Wikipedia(独語)Totenbrett
これは独語版しかないが、項目の中に、共通する風習として「日本のトーテンブレッター」(Japanische Totenbretter)に言及している。自動翻訳してみた限りでは、「仏教国日本ではあの世へ旅立った故人に新しい名前(戒名)をおくり、長さ約1m半、幅8cmの杉の板に墨で書いて立てる」とある。おそらく卒塔婆のことだろうか。東欧のほうがそれなりに装飾的な感じがする。
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by utsushihara | 2008-12-16 16:32 | 各国事情1907-08

ベネズエラの革命

1908年12月23日(水)

これまで独裁政治を敷いていたシプリアーノ・カストロ大統領が病気治療のために欧州に向けて出発するやいなや、首都のカラカスでは革命の動きが差し迫った。オランダ政府は列強の中でも最も独裁者の施策によって利益を得ていたため、ベネズエラ船籍のいくつかの船舶を拿捕した。
最終的に副大統領のゴメスが政権を掌握し、ベネズエラの騒乱は列強との調停の道筋へ入ったように思われる。

f0028703_2343577.jpg前大統領の弟でタチラ地方の司令官のセレスティーノ・カストロ将軍は、すべての武器と弾薬を新たな司令官に引渡して降伏した。
カストロが不当な手段で取得した財産を返還する訴訟において、その金額は2百万ドルに上ると見込まれる。一族企業の独占は解消され、報道はその自由を回復した。現在、国外に居住するかつての革命派闘士たちには帰国が呼びかけられている。
新大統領となったゴメス将軍は各国によって公式に承認された。今回のベネズエラの革命はまったく流血の事態に至らずこうして完了した。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.49; Fév. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #568923 « Le Matin » No.9070 ; le 27 Déc. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
f0028703_2345212.jpg画像(↑)は19世紀の南米諸国の独立運動の礎となった英雄シモン・ボリバール(Simon Bolivar, 1783-1830)の記念碑の前で革命の成功を祝う民衆。現在の正式国名(República Bolivariana de Venezuela)にも彼の名前が含まれている。
新大統領となったフアン・ヴィセンテ・ゴメス(Juan Vicente Gómez, 1857-1935)(画像→)も結果的には前任者同様に軍事独裁政治を長期にわたり敷き、「アンデスの暴君」と称されることになる。

*参考サイト:Wikipedia(和文)ベネズエラ:歴史:内戦と軍事独裁の時代
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by utsushihara | 2008-12-14 23:42 | 各国事情1907-08

英ヴィクトリア女王の書簡集発行

f0028703_2148262.jpg1908年12月

ロンドンの出版界で今年最も大きな成功を得たのは、ヴィクトリア女王の書簡集の刊行だった。高価な本であるにもかかわらず、すでに数10万部が売れている。この著作はわがフランスでもジャック・バルドゥ氏の翻訳により売り出されている。(→)掲載したのはロンドンの書店に山積みされた「女王の書簡集」の様子と仏語版の翻訳者ジャック・バルドゥ(Jacques Bardoux, 1874-1959)氏である。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.48; Jan. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
ヴィクトリア女王(Reine Victoria, 1819-1901)、英国女王としての在位は19世紀後半の70年以上(1837-1901)に及び立憲制のもと議会政治が確立し、政治的・経済的な繁栄をみた。これをヴィクトリア時代と呼ぶ。没後10年にも満たないうちでの書簡集の刊行が人々の興味を大いに掻き立てたのは間違いない。

*参考サイト:Questia(英文)The Letters of Queen Victoria
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by utsushihara | 2008-12-11 18:02 | 各国事情1907-08

ポルトにおけるマヌエル国王

f0028703_15231594.jpg1908年11月27日(金)

ポルトガル国王のマヌエル2世に対する民衆の人気はかなり高まっている。首都リスボンに次ぐ主要都市ポルトへの訪問のあいだ、群衆はその関心の高さと熱気とを歓迎行事で顕わにした。
マヌエル国王は27日ポルト近郊ヴィゼラの町にあるこの地方の主要産業である製糸工場を訪れた。一行は総勢30台の自動車を連ねた。工場の正面広場では、フランスにも最も富裕な実業家として知られるヴィゼラ伯爵が幹部たちとともに出迎えた。この工場の技師たちはフランス人も多く加わっている。見学のあとは、美しく飾りつけられた大広間で盛大な晩餐会が催された。王室関係者の他にはポルトの司教やリスボンとポルトの産業協議会の役員たちが加わり、ヴィゼラ伯爵の乾杯の発声に終始親密な雰囲気で進められた。
国王の出発は夜遅くになったものの、8千人を超える工場労働者と着飾った町民たちが歓呼の声をあげ、讃歌を歌って国王を見送った。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.48; Jan. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288288 « Le Figaro » le 28 Nov. 1908

f0028703_1524124.jpg[ Ψ 蛇足 ]
1908年2月の先王カルロス1世と王太子に対する銃撃によって急遽新国王となったマヌエル2世は即位後約10ヶ月が経過し、国情も安定を見せてきた。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ポルトガル国王の葬儀と新国王マヌエル2世の即位 (1908.02.08)
(2)ポルトガルのカルロス1世と王太子が暗殺される(1908.02.01)
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by utsushihara | 2008-11-26 15:20 | 各国事情1907-08

犬の賢者たち

f0028703_23182427.jpg1908年11月

ドイツでは賢い動物たちや風変わりな奇矯さに対するある種の好みとこだわりがある。(←)左掲画像は犬たちによるオーケストラのフルート奏者、ヴァイオリン奏者、指揮者であるが、それに向かって客席には(→)f0028703_23184427.jpg
正装した音楽通たちが葉巻をくゆらせながら聴き入っている。これらの犬はすべてブルドッグと大柄なデーン種から成っている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.47;Déc. 1908
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by utsushihara | 2008-11-07 23:17 | 各国事情1907-08

冬を前にした煙突掃除人

f0028703_2311339.jpg1908年11月

新しい暖房手段の普及は、冬を前に村から村へと歩く煙突掃除人たちの数を圧迫しようとしている。画像(→)は北欧の掃除人たちの装備であるが、欧州中央部、わがフランスで言うとオーヴェルニュ出身者やサヴォワ出身者のいでたちと大同小異である。かといって彼らの天下は終わったわけではない。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.47;Déc. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
ここで言う「新しい暖房手段」とは、薪に代わる石炭か石油か判らない。日本でも第2次大戦後でさえ、煤払いや煙突掃除を商売とする人たちが見かけられたという。
原題:Ramonneurs en grande tenue de travail(完全装備の煙突掃除人たち)
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by utsushihara | 2008-11-06 23:09 | 各国事情1907-08

王子たちへのかわいい馬車

1908年10月
f0028703_2303815.jpg

英国皇太子ウェールズ公は子供たちのための小さいベルリン型旅行用馬車を贈った。馬はシェトランド産の小型馬の4頭建てである。
最近催されたアレクサンドラ王妃の園遊会でお披露目となった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.47; Déc. 1908

**これまでの関連記事france100.exblog: フラマン作の英国王妃アレクサンドラの肖像画公開(1908.06.23)
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by utsushihara | 2008-10-23 22:58 | 各国事情1907-08

英仏博覧会の成功

f0028703_2244631.jpg1908年7月

ロンドンで開催中の英仏博覧会は大盛況が続いている。英国王夫妻はすでに何度も足を運ばれている。(←)掲載の画像は、パリ市の展示館(Pavillon de la Ville de Paris)であるが、この優美な建物は人々の注目の的であり、内部の各展示は快適さと実用性が混じりあったものとなっている。
主なアトラクションは、張りぼての岩でこしらえたジェットコースターと大観覧車の代用であるフリップ=フラップ(トンボ返り)である。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.44; Sep. 1908

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ロンドンで英仏博覧会開幕(1908.05.14)
(2)ファリエール大統領の英仏博覧会訪問(1908.05.25)
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by utsushihara | 2008-07-21 22:41 | 各国事情1907-08

マヌエル2世の海軍士官学校訪問

f0028703_22105146.jpg
1908年6月

ポルトガルの若きマヌエル2世の最初の公式行事の一つは海軍士官学校への訪問だった。上掲は出迎えた士官全員と一緒に写真に納まったものである。
一方、議会では新王の施政演説に対する回答書案を上院で賛成98、反対17、そのあと下院で賛成101、反対17で採択した。同時に内閣を信任する2つの動議について投票をおこなった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.43; Août, 1908

[ Ψ 蛇足 ]
2月に先王と皇太子が暗殺されるという悲劇のあと、若い国王が即位してようやく国政が安定してきたところである。

**これまでの関連記事france100.exblog:ポルトガルの総選挙 (1908.04.05)
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by utsushihara | 2008-06-26 22:08 | 各国事情1907-08