フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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カテゴリ:美術、彫刻1905-06( 28 )

リッピの聖母子像

f0028703_2347819.jpg1906年12月f0028703_23472484.jpg
知られざる傑作はいまだに見出されることがある。今回発見されたのはリッピの聖母子像の絵(→)で、フィレンツェのとある精神療院の出納事務室にあったものである。近く公共の美術館に展示される予定である。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.25; FEV. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
フィリポ・リッピ(Filippo Lippi, v.1406-1469)はイタリア・ルネサンスの最盛期とされるクワットロチェント(Quattrocento, 1400年代)に活躍した画家で、マザッチオの影響を受け、繊細さと人間味のにじみ出た宗教絵画を残した。記事に掲載されたものと同一の画像は見つからなかったが、ウフィツィ美術館に彼の有名な(←)「聖母子と二天使」(Vierge à l’Enfant entourée de deux anges)で比較することができる。余計な一言になるが、聖母のオデコの具合は藤田嗣治を連想させる美しさである。

*参考サイト: About Florence...UFFIZI GALLERY
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by utsushihara | 2006-12-30 23:45 | 美術、彫刻1905-06

政治家ジュール・フェリーの記念碑

1906年12月
f0028703_160308.jpg
掲載したのは、彫刻家ミシェル氏(左)のアトリエでの様子である。政府の芸術事務次官デュジャルダン=ボーメツ氏(右)がジュール・フェリーの記念碑の雛型を前に意見を述べている。この記念碑建立に関しては教育者連盟が寄付を募り、大きな反響を得ている。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.25; FEV. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
ジュール・フェリー(Jules Ferry, 1832-1893)は弁護士から政治家に転じ、普仏戦争を経た第三共和制における政治に大きな役割を果たした。特に教育相としてジュール・フェリー法と称される一連の法律により教育制度の改革を推進させた。
*参考サイト: 和文Wikipedia : ジュール・フェリー

彫刻家のギュスターヴ=フレデリック・ミシェル (Gustave-Frédéric Michel, 1851-1924)はこの記念碑を1910年に完成させた。現在はチュイルリ公園に置かれている。彼の作品の一つ「鉄を鍛える人々」がパッシ-の鉄道橋を飾っているのを思い出されたい。
*参考サイト:Insecura Monument à Jules Ferry Jardin des Tuireries
**これまでの関連記事france100.exblog:パッシーの鉄道橋(1906.03)
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by utsushihara | 2006-12-26 15:56 | 美術、彫刻1905-06

国家買上げ芸術品の展示(1906年)

f0028703_1872577.jpg1906年12月

この一年間にさまざまな展覧会で国家買上げとなった彫刻作品がパリの美術学校で展示されている。ホールと各部屋には、
ポール・ランドフスキの「カインの息子たち」(Paul Landowski : Les fils de Caïn)
エマニュエル・フレミエの「フランソワ・リュード像」(Emmanuel Frémiet : François Rude)
オーギュスト・ロダンの「ファルギエール像」(Auguste Rodin : Falguière) [insecula参照]および
カミーユ・クローデル嬢の「傷ついたニオベの娘」(Camille Claudel : La Niobide bléssée)が特筆される。

また絵画作品は全部まとめてベルナイム画廊で展示されている。その中では、
ジョルジュ・ロシュグロスの「赤の歓び」、(Georges Rochegrosse: La Joie rouge)
アンリ・マレの「秋の昼下り」、(Henri Marret: L’après-midi d’automne)
リュシアン・シモンの「夏の日」、(Lucien Simon : Le Jour d’été)
フェルナン・マイヨーの「イッスーダンの定期市」(Fernand Maillaud : La Foire d’Issoudan)
ベルナール・ブーテ=ド=モンヴェルの「快復期の老婦人」(Bernard Boutet de Monvel : La Convalescente)
f0028703_1862072.jpgヴィクトール・タルデューの「リヴァプール」(Victor Tardieu : Liverpool)
ジャン=ポール・ローランスの「わが両親の肖像」(Jean Paul Laurens : Portrait de mes parents)
アベル・トルシェの「花と果実」(Abel Truchet : Fleurs et fruits)
などが挙げられる。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.24; JAN. 1907
画像 Crédit d’image : © ADAGP : Photo RMN136103 - ©Philippe Bernard ; Palais des Beaux-Arts, Lille

[ Ψ 蛇足 ]
(→)画像は、絵画の部の5番目に挙げられたベルナール・ブーテ=ド=モンヴェル(Bernard Boutet de Monvel, 1884-1949)の「快復期の老婦人」(La Convalescente) この画家はこの後、アール・デコ風のイラスト画の大家として活躍する。

大半は「春のサロン」(一部既出)に出展されたもので、一定の評価を得た作品が買上げの対象となった。彫刻ではロダンの「ファルギエール像」:これはお互い同時に彫刻家のファルギエールも「ロダン像」を制作しあって一緒に1899年のサロンに出展したものだろう。(松本さんのBlogでこのことを読んだような・・・)
カミーユ・クローデル(Camille Claudel, 1864-1943)の「傷ついたニオベの娘」は彼女の最後の作品として完成する前段階の石膏像かもしれない。ギリシア神話で傲慢なニオベが侮ったアポロとアテナイから自分の息子と娘の全員を雨と降る矢で殺されてしまう話だが、このテーマの彫刻作品は古代から存在する。完成したあともなかなか代金が国から出なかったという逸話もあるが、実際どういうものかを写真画像で探し出すことは残念ながらできなかった。(ポワチエのサント=クロワ美術館 Musée Sainte-Croixにあるらしい)

*参考サイト: Amis-art.com Camille Claudel Chronologie
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by utsushihara | 2006-12-03 18:00 | 美術、彫刻1905-06

エドモン・ロスタンの別荘のための装飾壁画

f0028703_17505368.jpg1906年11月

洗練された独創的な画風で知られるジャン・ヴェベール氏は、詩人のエドモン・ロスタンがバス=ピレネー県カンボ近郊に建てた別荘のために古いおとぎ話を題材とした一連の装飾壁画を最新の感覚で描き上げた。掲載(←)の画像は「カラバ侯爵」である。他には「美女と野獣」、「眠れる森の美女」、「巻き毛のリケ」、「シンデレラ」などがあり、そのいくつかは姉妹誌「フェミナ」の11月号に掲載されている。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.23; DEC. 1906
画像Crédit d’image : ©Artnet.de Artnet Price Database für Jean Veber

[ Ψ 蛇足 ]
f0028703_17514463.jpgエドモン・ロスタン(Edmond Rostand, 1868-1918)は1900年に医師の勧めで「鷲の子」の舞台稽古の際に患った肋膜炎の治療のためにカンボを訪れた。この地の気候が快適でたちまち健康を回復したため、彼は別荘を建てることに決め、パリの建築家や木工職人に注文し、1906年に完成した。名前は「アルナガ荘」(Villa Arnaga)とした。また内部の壁面を飾る絵画をアンリ・マルタン、ガストン・ラトゥシュ、ジャン・ヴェベール(Jean Veber, 1868-1928)などに依頼した。
上の記事に掲載されたのは独特の雰囲気のある画風のジャン・ヴェベールの作品「カラバ侯爵」(Marquis de Carabas)というが、この名前の登場人物は「長靴をはいた猫」の話しか思い当たらない。同様の作品を検索してみたが見つからず、たまたまドイツのオークション・サイト「Artnet」で出品記録のあった「青い鳥」(L’oiseau bleu)という作品を(→)引用した。これもメーテルランクの「青い鳥」と同じ話かどうかはわからない。
この別荘は現在でも「エドモン・ロスタン記念館」として公開されている。

*参考サイト:Visite virtuelle du Musée Edmond Rostand – Villa Arnaga La bibliothèque
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by utsushihara | 2006-11-13 17:52 | 美術、彫刻1905-06

雪の画家トーロゥの死去

f0028703_17353182.jpg1906年11月5日(月)

ノルウェーの画家フリッツ・トーロゥ氏は11月5日フォレンダムにて急逝した。氏は1847年ノルウェーのクリスチャニア生まれだが、我が全国芸術家協会の展覧会にその創設以来毎年出品してきた外国人画家として最も知られていた。トーロゥは雪と川の流れの画家である。彼は描く風景に変化を持たせるために代わる代わるロンドン、ブローニュ、ディエップに住んだが、冬の季節を過ごすために故国に帰ることを欠かさず、ノルウェーの画家であり続けた。

リュクサンブール美術館では彼の「ノルウェーの冬」(Hiver en Norvège, 1889)を所蔵している。他の主要作に、「雪の効果、長い影」(Les longues Ombres, effet de neige)、「ディエップの聖ジャック教会の礼拝の時」(L’heure du salut à Saint-Jacques de Dieppe)などがある。とても教養があり、5ヶ国語に通じていた。トーロゥは職業として最初は薬剤師を志した。友人の画家ブランシュによる彼とその家族を描いた有名な絵があるのでここに掲載した。
f0028703_2132543.jpg
出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.23; DEC. 1906
画像Crédit d’image : © Photo RMN - RMN178093 ©Gérard Blot; Une fabrique en Norvège: Fritz Thaulow (1847-1906) Paris, musée d'Orsay
画像Crédit d’image : © Photo RMN – RMN34241 ©Hervé Lewandowski; ©ADAGP Le peintre Thaulow et ses enfants: Jacques Emile Blanche (1861-1942) Paris, musée d'Orsay

f0028703_1735330.jpg[ Ψ 蛇足 ]
フリッツ・トーロゥ(Fritz Thaulow, 1847-1906)については、現代ではそれほど知名度が高い人ではない。印象派の影響を受けながらフランス、英国、ノルウェーで活動を続けたので、サロン(春季展)には常連だったようだ。享年59歳だった。上に掲載の彼の作品は「ノルウェーの作業小屋」(Une fabrique en Norvège)で当初リュクサンブール美術館に収められたもののうちの1点と思われるが、現在はオルセー美術館に移管されている。(常設展示ではないかもしれない)
記事中にも言及されている「画家トーロゥと彼の子供たち」(Le peintre Thaulow et ses enfants, 1895)はジャック=エミール・ブランシュ(Jacques Emile Blanche, 1861-1942)によるもので、見ていて微笑ましくなる。
*参考サイト:トーロゥの絵画 ARC: Art Renewal Center Fritz Thaulow
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by utsushihara | 2006-11-05 17:32 | 美術、彫刻1905-06

詩人ロリナのための記念碑

f0028703_15472950.jpg1906年10月21日(日)

アンドル県フレスリーヌ村ではその地ゆかりの詩人モーリス・ロリナを記念する碑板の除幕式が行なわれた。この碑板は詩人に捧げるために有名なロダンが制作した浮彫で「詩人とミューズ」と題され、村の教会の壁面に設置された。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.22; DEC. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
モーリス・ロリナ(Maurice Rollinat, 1846-1903)は中仏ベリー地方シャトールーの出身で、ジョルジュ・サンドが代母となって洗礼を受けたこともあって初期はのどかな田園生活や自然描写の美しい詩集を生み出した。パリに出てボードレールやポーの影響を強く受けたあとは作風をがらりと変え、生々しい陰惨さや不吉さを表現する詩を発表し、自由な文人たちの集団「水治療者」(Les Hydropathes)に加わったり、カフェの「シャ・ノワール」で自作に独特の音楽をつけて歌ったりした。
最初の結婚が破局に至った1882年以降はベリー地方の田舎、特にフレスリーヌ(Fresselines)に引きこもり、再び自然の情感豊かな「風景と田舎の人々」(Paysages et paysans, 1899)などの詩集を残した。彼の暮らした田舎家は、その後ロダンやギヨーマンなどの芸術家たちの住まいともなった。

*参考サイト:
(1)「フレスリーヌにおけるモーリス・ロリナ」Maurice ROLLINAT à Fresselines La mémoire de Maurice ROLLINAT ロダンの「詩人とそのミューズ」(Le Poète et sa Muse)の浮彫が参照できる。(仏文)
(2)「シャノワール」(Le Chat Noir)を彩った才人たちの一人Maurice Rollinat (仏文)
(3)松本さんの訳されたアルフォンス・アレ「犬嫌い宣言」にもロリナの詩「猫」への言及がある。
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by utsushihara | 2006-10-23 15:45 | 美術、彫刻1905-06

第4回秋季展(秋のサロン)

f0028703_184033100.jpg1906年10月6日(土)

今回で第4回を迎える秋季展は、グラン・パレを会場として10月6日開幕した。特別展示としてすでに逝去した3人の画家たちのためにそれぞれ一室が用意されている。クールベの手による見事な肖像画の数々、カリエールの温かみのある母親らしさ、遠いタヒチの地で世を去った風変りな画家ゴーギャンについては自作の随筆集のための長年にわたる挿画を見ることが出来る。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.21; NOV. 1906
画像Crédit d’image : © Photo RMN Agence Photographique 179489 - ©Philippe Bernard ; Portrait de l'artiste : Carrière Eugène (1849-1906) Paris, musée d'Orsay

f0028703_18404891.jpg
[ Ψ 蛇足 ]
秋のサロンは「サロン・ドートンヌ」(Salon d’automne)と表記されることも多いが、発音上は「サロン・ドトン」が一番原語に近いかもしれない。歴史的には(春の)「サロン」よりもはるかに新しく、1903年に秋季展協会が主催して開始された。出展数の規模も小さく、肖像画・人物画を中心とした作品に絞っていたように思われる。

このサロンのもう一つの特徴は、故人となった画家の回顧展のような展示を行なうところにある。今回はクールベ、カリエール、ゴーギャンの3名が挙げられているが、カリエールについてはつい半年前に亡くなったばかりであり、生前から評価が高かったことがうかがえる。当Blog関連記事:霧の画家カリエール死去(1906年03月27日) 当時の雑誌掲載画像とオルセー美術館蔵の画像を掲載。

現在もっと知名度の高い2名:クールベとゴーギャンについては、ウィキペディア Wikipedia の和文サイトなら<無難な>解説が読める。
ギュスターヴ・クールベ (Gustave Courbet, 1819-1877)
ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin, 1848-1903)

また、参考までに前年(1905)の秋季展の関連記事は、こちら(1905年10月16日)
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by utsushihara | 2006-10-06 18:38 | 美術、彫刻1905-06

芸術家のラントレ(3)画家たち

f0028703_1637598.jpg1906年9月

われらが画匠たち。ご婦人方、肖像画をお申し付けください。此処におりますのはきらびやかなベナール、小粋なガンダーラ、なかなかのコッテ、そして印度王族の画家シャルトランであります。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.20; OCT. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
この人々が百年前の第一線の人気画家であるということは、今からはとても想像がつかない。個々の画家の生没年について調べてみると、当時40歳代半ばから50歳代の油の乗り切った時期で、ほとんどが富裕階級の婦女子をモデルとした肖像画家として知られた人物のようである。
ポール=アルベール・ベナール(Paul-Albert Besnard, 1849-1917)
アントニオ・ド・ラ・ガンダーラ(Antonio de la Gandara, 1861-1917)
シャルル・コッテ(Charles Cottet, 1863-1925)
テオバルド・シャルトラン(Théobald Chartran, 1849-1907)

それでは私たちが美術史上知っているモネ、ルノワール、セザンヌなどはどうしたのか?彼らの生没年を見ると:
セザンヌ(Paul Cézanne, 1839-1906)、モネ(Claude Monet, 1840-1926)、ルノワール(Auguste Renoir, 1841-1919)と皆がすでに60歳を超えた老大家になっている。
印象派の時代はすでに遠く過ぎ去っていたのだろうか?いや、やはりまだこの時代にはサロンを中心とした画壇の力が大きかったはずで、いわゆる「印象派史観」ともいうべき美術史の中軸がガラリと塗り変えられたのは20世紀の半ば以降のことだったのではないだろうか?

ちなみに晩年エクサン=プロヴァンスに引っ込んだセザンヌは、この1906年10月22日(あと1ヶ月で!)67歳で死去するが、この雑誌「ジュセトゥ」の記事として報じられることは全くなかったのである。(ましてやラントレの記事にも見当たらないはず!)

上記の4人の肖像画家たちの絵はインターネット上でもそれぞれ検索で見れるようになったのは嬉しい。中でもお薦めは、JSS Virtual Gallery という画家サージェント(John Singer Sargent, 1856-1925)と友人たちの作品を集めた中の「粋人アントニオ・ド・ラ・ガンダーラ」(Antonio de la Gandara)作になる一連の美人肖像画である。
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by utsushihara | 2006-09-09 16:37 | 美術、彫刻1905-06

芸術家のラントレ(1) ロダン

f0028703_1435116.jpg1906年9月

巨匠ロダンは、カンボジア舞踊の腕のひねりの習作の数々を持ち帰ってきた。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.20; OCT. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
記事というよりもこの戯画のからかうようなコメントが気に留まった。

1906年7月、カンボジアのシゾヴァート国王のパリ訪問に際して同行した王立舞踊団の特別公演がブローニュの森にあるプレ・カトラン劇場で行なわれ、それを見に行ったロダンはその踊りにすっかり魅了された。伝統舞踊の動きの中に時間と空間の悠久な広がりを感じたのは当然としても、特に「腕と手」の動きに彫刻家として大いに興味を惹かれたのに違いない。それからロダンは、マルセイユで開催されていた植民地博(Exposition coloniale, 1906)の会場まで彼女たちを追いかけていき、創作の新たな源泉を汲み取ったという。

折しもちょうど今、パリのロダン美術館の特別展として「ロダンとカンボジアの舞姫たち」が開催されていることを知った。Musée Rodin, Expositions : Rodin et les danseuses cambodgiennes, Sa dernière passion
会期は、2006年6月16日~9月17日の3ヶ月間だが、セキュリティ上の問題があり、今のところ公開が中止されている模様である。
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by utsushihara | 2006-09-04 14:28 | 美術、彫刻1905-06

ドービニーの記念碑

f0028703_12174534.jpg1906年6月17日(日)

6月17日、オーヴェール・シュル・オワーズにて画家ドービニーの記念碑の落成式が行なわれた。制作者は彫刻家のファジェル氏である。この偉大な風景画家はここの土地をことのほか気に入っていた。

出典:BNF-Gallica #102978 « Je sais tout » No.18; Juillet, 1906
画像 Crédit d’image : ©Musée des Beaux-Arts, Rouen
f0028703_22262892.jpg
[ Ψ 蛇足 ]
画家シャルル・ドービニー(Charles Daubigny, 1817-1878)はパリ生まれ。新聞のイラスト画家としての仕事を経て風景画家となった。コローのロマン主義的な詩情や物語性のある風景画に対し、バルビゾン派に属して野外制作による写実的な絵を描いた。印象派の若手画家たちを擁護した先駆者としての功績も大きい。画像は「オプトヴォス渓谷の水門」(L’écluse dans la valée d’Optevoz, 1855) au Musée des Beaux-Arts de Rouen.(ルーアン市立美術館蔵)この構図での作品が他にも見られる。
ゴッホの作品に「ドービニーの庭」という作品があるが、オーヴェール・シュル・オワーズにあるドービニーの家の庭を(敬意をこめて)描いたものだろうと思う。
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by utsushihara | 2006-06-18 22:26 | 美術、彫刻1905-06