フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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カテゴリ:オペラ、音楽、演劇1905-06( 77 )

「蝶々夫人」のパリ初演

f0028703_23535261.jpg1906年12月28日(金)

12月28日、オペラ・コミック座において日本の悲話を題材にした3幕オペラ「蝶々夫人」の初演が行なわれた。台詞はイッリカとジャコーザ、仏語訳はポール・フェリエ氏、音楽はジャコモ・プッチーニ氏である。出演は、マルグリット・カレ女史、ラマール嬢、エドモン・クレマン氏、ジャン・ペリエ氏などで、ジャンボンとバィイの舞台装飾、劇の内容とともに「ラ・ボエーム」の作曲家による表現豊かな音楽は大きな賞賛を得ている。
f0028703_23541333.jpgここに掲載したポスターはリコルディ出版社のものである。また左(←)の画像は自邸での巨匠プッチーニ。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.25; FEV. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
「蝶々夫人」(Madame Butterfly)は、すでに名声を確立していたプッチーニ(Giacomo Puccini, 1858-1924)の最盛期の傑作オペラの一つである。初演は1904年2月にミラノ、スカラ座で行なわれた。フランスでは歌詞が仏語訳で歌われたかもしれない。
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by utsushihara | 2006-12-28 23:52 | オペラ、音楽、演劇1905-06

アリストファネスの喜劇「雲」の上演

f0028703_114552.jpg1906年12月20日(木)

ギリシアの喜劇作家アリストファネスの「雲」がサシャ・ギトリ氏の翻案、エミール・ボナミー氏の音楽により12月20日、芸術座で上演され好評を得た。出演は、クーパー、シャルル・ラミー、デュードネの各氏とネリー・コルモン嬢ほかである。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.25; FEV. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
当時名優の一人と称されたリュシアン・ギトリの息子、サシャ・ギトリ(Sacha Guitry, 1885-1957)はその俳優・劇作家・映画監督・シナリオ作家としての多芸な才能をこのあたりから発揮し始めている。この時まだ弱冠21歳である。音楽担当のエミール・ボナミー(Emile Bonnamy)についてはほとんど不明。
アリストファネスの喜劇「雲」では哲人ソクラテスを、詭弁を弄して若者に害を及ぼすソフィストとして描いている。

*参考サイト:
(1)愛知哲仁氏の「ギリシア哲学への招待状」のサイト:第10講義 ソクラテスの弁明
(2)水田のブログ:クサンチッペの涙…その3喜劇作家アリストファネスの作品に登場する女性たち
(3)サシャ・ギトリのサイト(仏語):La vie de Sacha Guitry
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by utsushihara | 2006-12-20 11:00 | オペラ、音楽、演劇1905-06

レジャーヌ劇場のこけら落とし

1906年12月15日(土)

いまパリで最も美しい劇場、レジャーヌ劇場が12月15日こけら落としを行なった。出し物は、マックス・モーレイ氏の劇的で絵のように美しい4幕喜劇「ラ・サヴェリ」(La Savelli)である。レジャーヌ女史はパリの各界の人々に熱狂的に受け入れられた。同様に成功作を産み続ける若き俊英作家とその他の共演者たち、ダイヌ=グラッサ女史、シュザンヌ・アヴリル嬢、アベル・タリド氏、ピエール・マニエ氏などが賞賛を受けた。さらにこの劇の台本はすべて当誌の来月号に掲載予定である。
f0028703_19221470.jpg
出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.24; JAN. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
劇作家のマックス・モーレイ(Max Maurey, 1868-1947)は、この作品が雑誌「ジュセトゥ」1907年2月号に掲載されたが、文学史上は細かな情報が残っていない。
レジャーヌ劇場の開幕についてはこの年の大きな話題になっていた。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1) レジャーヌ、本名ガブリエル=シャルロット・レジュ(Gabrielle-Charlotte Réju, dite Réjane, 1856-1920)芸術家のラントレ(4)演劇界(1906.09)
(2) アベル・タリド(Abel Tarride, 1865-1951)俳優兼劇作家「手のひら返し」の上演(1906.05)
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by utsushihara | 2006-12-15 19:22 | オペラ、音楽、演劇1905-06

「泥棒」と「ポリシュ」の公演

f0028703_22263686.jpg1906年12月

ル=バルジー夫人は12月7日のルネサンス座での「泥棒」の公演において絶賛を受けた。作者はアンリ・ベルンスタン氏。共演者は、リュシアン・ギトリ、フェリクス・ユグネ、アルキリエールの諸氏とマドレーヌ・ヴェルヌイユ嬢である。いくつかの新聞での熱狂的な賞賛のかたわら、道徳上の観点から異論をはさむ批評も見られた。
f0028703_22222944.jpg
12月10日コメディ・フランセーズ座で演じられたアンリ・バタイユ氏の異色作「ポリシュ」では、画像(→)左からセシル・ソレル嬢、フェローディ氏、マイエ氏が熱のこもった演技を見せ、各紙の批評もおおむね好意的であった。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.24; JAN. 1907
画像 Crédit d’image : ©CMN: Archives photographiques (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture)

[ Ψ 蛇足 ]
(画像↑)シモーヌ・ル=バルジー(旧姓ベンダ)(Simone Le Bargy, née Benda; 1877-1985)は20世紀初頭に人気を博した女優で、1902年ジムナズ座で初舞台を踏んだ。18歳のとき20歳以上も年の離れた同じ俳優のシャルル・ル=バルジー(Charles Le Bargy, 1858-1936)と結婚し、一時期は一緒にコメディ・フランセーズで活躍した。その後彼女は離婚するが、ル=バルジーの名前は芸名として使い続けた。再婚相手は元大統領の息子、クロード・カジミール=ペリエ(Claude Casimir-Périer)だった。その後マダム・シモーヌ(Madame Simone) と称し、文筆家として活動しフェミナ賞の選考委員だったこともある。
Quid.fr のフランス文学 (Lettres-Littérature française)の項目によれば、彼女は「グラン・モーヌ(モーヌの大将)」の作者アラン・フルニエ(Alain Fournier, 1886-1914)の出征直前までの愛人であったらしい。

*参考サイト:フランスでは今年(2006)の10月に「グラン・モーヌ」(Le Grand Meaulnes)が久々に映画化されている。
(1) Le Grand Meaulnes – Le site officiel du film(映画の公式サイト:仏語)
(2) Le Point.fr (雑誌「ル=ポワン」No.1777 Web版:2006年10月5日号の記事)Alain-Fournier sans légende(アラン・フルニエの真実:仏語)
(3) 松本さんのBlog 発見記録:アラン・フルニエの「長細い」家、および アラン=フルニエ 伝記の発見

**ル=バルジー関連記事france100.exblog: 「突風」の上演 (1905.10.20)

**セシル・ソレル関連記事france100.exblog:
(1)女優セシル・ソレルの手相&星占い+筆跡占い (1906.11)
(2)「マリアンヌの気まぐれ」(1906.01)
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by utsushihara | 2006-12-12 22:20 | オペラ、音楽、演劇1905-06

蜘蛛の女王の巣窟

f0028703_18374534.jpg1906年12月6日(木)

12月6日シャトレ座で行なわれた新作ファンタジー「ピフ!パフ!プフ!」の全36景のうち第3景の舞台である。コテンズとダーレィ両氏(Cottens & Darley)の共作で、主演のリュセット・ド・ランディ嬢のほか、プーゴー、クローディウス、ポータルの各氏、ジャンヌ・ブロック、マド=ミンティ諸嬢の出演でとても楽しいレヴューである。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.24; JAN. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
題名の「ピフ!パフ!プフ!」(Pif ! Paf ! Pouf !)はフランス語の擬音語で、訳せば「パチン!ピシャン!ドシン!」となる。出演者も作者も詳細は不明。英国系のレヴューらしい。「魔笛」の夜の女王のような蜘蛛の巣の舞台に目が惹かれる。
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by utsushihara | 2006-12-06 18:37 | オペラ、音楽、演劇1905-06

コレットの新パントマイム「ロマニシェル」

f0028703_15225665.jpg1906年11月

オランピア劇場の支配人ポール・フランク氏は、コレット・ウィリー女史による新作パントマイム「ロマニシェル」の公演を開始した。そこでも若々しく刺激的な女芸人はその極めて独創的な才能をあらわにしている。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.22; NOV. 1906
画像 Crédit d’image : ©Le site officiel de l'Université de Napierville UdeNap.org

[ Ψ 蛇足 ]
画像はポール・フランクとパントマイムを演ずるコレット。出し物の「ロマニシェル」(La Romanichelle)は「ジプシー女」の意味だが、この「ロマニ」だけでもすでに蔑視的な単語だという説もある。野性味あふれる身体表現を意図したのだろうか。
11月27日は下記サイトの記述によると、この出し物を「芸術スポーツ・サークル」の舞台で演じた日とされる。そこで観ていた公爵令嬢マティルド・ド・モルニー(通称ミッシー)がやがてフランクに代わって男役で「ロマニシェル」の舞台に立ち、コレットとの関係を深めて行くことになる。物議をかもす接吻事件まであとわずかである。

*参考サイト:© SCÉRÉN – CNDP, L’illusion scandaleuse par Nicolas Maget(仏語論文)
**前の関連記事Blog:コレットのパントマイム(1906.02)
***参考文献:河盛好蔵『フランス文壇史』「コレットのミュージック・ホール時代」文藝春秋新社
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by utsushihara | 2006-11-27 15:17 | オペラ、音楽、演劇1905-06

ロパルツの交響曲第3番

f0028703_1844192.jpg1906年11月25日(日)

国立ナンシー音楽院長ギィ・ロパルツ氏は11月25日音楽院のコンサートで合唱付きの美しい交響曲第3番ホ長調を演奏した。この曲はクレセント音楽賞を獲得している。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.24; JAN. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
ギィ・ロパルツ(Guy Ropartz, 1864-1955)については名前をおぼろげに知っていただけで、しかも別人のオペレッタ作曲家と混同していたが、もっと真面目な作曲家で、遅れてやって来たフランク門下生と称された。東部のナンシー音楽院で院長を務めるかたわら作曲を続けた。(何も知らないので某区立図書館でCDを所蔵しているのを早速借りに行きます。気に入ったらちゃんとCDを買います。)

*参考サイト:
(1) フランスのギィ・ロパルツ協会のサイトAssociation Guy Ropartz(仏語)
(2) 日本でロパルツに着目した数少ないサイト(shiraさんという方が作成)Hommage à J. Guy Ropartz
(3) 膨大な「知られざる近代の名匠たち」のサイト:Rの作曲家 Ropartz(日本語:CD解説あり)
(4) ロパルツのナンシーでの活動の記念記事Joseph Guy Ropartz : Nancy à l'honneur(仏語)
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by utsushihara | 2006-11-26 18:38 | オペラ、音楽、演劇1905-06

ベルタ・カリチの「クロイツェル・ソナタ」

f0028703_16243151.jpg1906年11月

ニューヨークのリリック・シアターでイディッシュ語に書き直された4幕劇「クロイツェル・ソナタ」が上演された。主演はベルタ・カリチで、出演者全員が米国に移住したロシアのユダヤ人である。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.23; DEC. 1906
画像Crédit d’image : ©Theatre Archives, Dept of Theatre, Michigan State University
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[ Ψ 蛇足 ]
ロシア帝政末期の時代にユダヤ民族への弾圧が激しさを増し、多くの人々は亡命や移民を余儀なくされた。アニメ映画「アメリカ物語」などでも自由の国アメリカに救いの地を求めて移民船に乗ってきた話を見た。祖国を追われる心情には想像を絶するものがあったと思う。
この芝居で使われたイディッシュ語(Yiddish)は、ヘブライ語、ドイツ語、スラブ語などの混成言語で東欧諸国に住むユダヤ人の間で使われていることをようやく知った。この劇「クロイツェル・ソナタ」の原作がトルストイの同名の小説かどうかは不明。

ベルタ・カリチ(Bertha Kalich, 1874-1939)もウクライナ生まれで、この記事の頃にはニューヨークで舞台俳優としての地位を確立していたようだ。ベルタ(Bertha)は「バーサ」と発音・表記するのかもしれない。
*参考サイト:和文Wikipedia イディッシュ文化
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by utsushihara | 2006-11-15 16:32 | オペラ、音楽、演劇1905-06

女流作曲家ウィットマンの歌曲集

1906年11月
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作曲家テレーズ・ウィットマン女史はロドルフ・ベルジェ氏によって「ワルツの女王」(La reine des valses)と評されているが、このたびノアイユ伯爵夫人の協力によりその詩のいくつかに曲をつけた歌曲集を出版することとなった。

(楽譜の注記)ここに掲載いたしましたのはノアイユ伯爵夫人の美しい詩に若い人気作曲家のテレーズ・ウィットマン女史のとても生き生きとした新鮮な曲がついたもので、お届けする読者の皆様にご満足いただけることと存じます。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.23; DEC. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
テレーズ・ウィットマン(Thérèse Wittmann)については、もしこの雑誌に上記のような記事と楽譜を目にすることがなければ日本語のインターネットにも掲載されることはなかっただろう。過去は黙っていても自然に埋没する。今は図書館に調べに行く気力もなく、生没年も詳細も不明として紹介せざるをえない。ピアノが手元にある方、もしくはピアノ譜を読める方に対して「ちょっとこの曲どうですか?」と話題を振りまくだけである。(クリックすれば少し楽譜が拡大するかも)
ノアイユ伯爵夫人の「追い求めて」(La poursuite)の詩のほうは、活字がにじんでいてどんな内容かを読み取ることはできなかったので悪しからず。
近年再評価され始めているセシル・シャミナード(Cécile Chaminade, 1857-1944)や六人組の紅一点ジェルメーヌ・タイユフェール(Germaine Tailleferre, 1892-1983)の仲間がもう一人見つかったということだろうか。
(↓下の楽譜をクリックすると少し拡大して、音符がちょっと見やすくなります。)

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by utsushihara | 2006-11-14 15:00 | オペラ、音楽、演劇1905-06

サラ・ベルナールの凱旋公演

f0028703_17301587.jpg1906年11月10日(土)

長期にわたる米国巡業から帰ったサラ・ベルナール女史は、自分の名前を持つ劇場で凱旋公演を行なった。出し物はカチュル・マンデス氏の美しい詩劇「アヴィラの聖女テレサ」(Vierge d’Avila)で主役の聖女テレサを演じ、各紙の劇評によれば、この詩人の達意の作品と評されている。共演者は、ブランシュ・デュフレーヌ嬢、ヴァンチュラ嬢のほか、クラウス、マニー、シャルムロワの各氏で、この公演の大成功を支えている。
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出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.23; DEC. 1906
画像Crédit d’image : © Gallica BNF-anthologie : La Vierge d'Avila, drame de Catulle Mendès : Sarah dans le rôle de Soeur Thérèse. Paris, Théâtre Sarah Bernhardt, 10 novembre 1906

[ Ψ 蛇足 ]
サラ・ベルナール(Sarah Bernhardt, 1844-1923)の肖像画を多く描いている画家、ジョルジュ・クレラン(Georges Clairin, 1843-1919)には、このときの彼女の舞台を描いた「『アヴィラの聖女テレサ』を演じるサラ・ベルナール」(Sarah Bernhardt in ''Sainte Thérèse d'Avila'')という作品がある。制作年は不明でこの年以降と思われる。一見すると歴史的宗教画のように思えるが、あくまでもサラ・ベルナールにこだわった画家が演劇の一場面として描いたものと受け取るべきだろう。余談だが、この画家の描いた不世出の大女優の肖像画はどれも実物に匹敵する美貌と艶かしさが感じられるような気がする。もっとも実物に接した人間は全員世を去っているのだから何とも言えないが・・・
引用した画像(→)はBNFの演劇俳優の絵葉書集からサラの演ずる聖女テレサ(テレーズ)。彼女は「聖なる怪物」(Monstre sacré)とも呼ばれたらしい。

アヴィラの聖女テレサは歴史上実在し、スペインのイエズス会の修道女、神秘思想家で修道院改革にも取り組んだ人物である。
参考サイト:
(1)和文ウィキペディア:アビラのテレサ
(2)河原道三さんの「神秘体験」というサイトに豊富で丁寧な略伝にまとめたものが読める:アヴィラのテレサ。その冒頭で
> フランスの女性思想家ボーヴォワールは、『イエズスの聖テレジア自叙伝』こそが人類の著述のなかで最高傑作といってはばからない。
と書かれているのも興味深い。
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by utsushihara | 2006-11-10 17:31 | オペラ、音楽、演劇1905-06