フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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カテゴリ:フランス政治社会1905-06( 63 )

教育改革要求デモ

f0028703_15553724.jpg1906年12月

カルチエ・ラタンは今月数回にわたって混乱が生じた。法学部と医学部の相当数の学生が教育制度の改革を要求して示威運動を繰り返している。法学部においては12月の間を通して建物が閉鎖されたままとなっている。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.25; FEV. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
学生運動が当時から勢いがあった事例である。改革要求が何をどのようにかは不詳。
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by utsushihara | 2006-12-25 15:54 | フランス政治社会1905-06

英仏海峡海底トンネル計画(1906)

f0028703_1449549.jpg1906年12月24日(月)

12月24日の国会の商工委員会において、英仏海峡の海底トンネル計画法案が提示され、そのための会社を資本金4億フランで設立する内容で承認を取り付けたいと見込んでいる。駐英大使ポール・カンボン氏は席上で証言し、英仏両国の商工業者たちは相互に自分たちの製品を十分に理解されているとは思っておらず、海底トンネルが開通することによってそれが可能となるのは喜ばしいことだと語った。
しかしながら英国自由統一党では、この計画に対して即座に反対運動を起こしている。反対する政治的な理由として、フランスはドイツとの結びつきが強い点を、また歴史的な理由として、英国は海で周囲を隔てられているがゆえに侵略から守られていた点を上げている。
右に掲載した想像画は、フランス側の海岸で海底トンネルに入る前に鉄道が高架橋を通行する様子を描いており、万が一戦争になった場合には英国艦隊がこれを砲撃して破壊することにより連絡をすべて遮断することが可能となる。
f0028703_22323515.jpg
出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.25; FEV. 1907

[ Ψ 蛇足 ]英仏海峡にトンネルを掘ろうとする計画はナポレオン1世の時代にもすでにあったというのは良く知られているが、La France pittoresqueという季刊誌の歴史小話のサイト(表示に時間がかかる)では1802年にナポレオンに提示があったと記載されている。19世紀後半になって商工業が隆盛を極め、海底トンネル計画も実現化に向けて、すでに1875年に調査会社が2百万フランの資本金で設立され、カレーとブローニュ=シュル=メールの中間に位置するサンガット(Sangatte)に調査坑が掘られた。上記の記事はその計画を更に推進するための動きと思われるが、英国の国土防衛を懸念する反対も多く、その後第一次世界大戦の勃発で頓挫したものと思う。現在のユーロトンネルの完成は1994年であるから、着想から190年余りかかったことになる。

f0028703_14513676.jpg画像(←)はフェルナン・ニコライ(Fernand Nicolaÿ, 1848-1923?)の史伝「ブローニュの陣営におけるナポレオン1世」(Napoléon 1er au camp de Boulogne)に引用された英国侵攻のための諸策案である。ナポレオンは1805年英国侵攻を企図して最短距離のブローニュ=シュル=メールに軍勢を集結させた。

*参考サイト:
(1)和文Wikipedia : ユーロトンネル
(2)MSN エンカルタ百科事典ダイジェスト; ナポレオン戦争IV第3次対仏大同盟
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by utsushihara | 2006-12-24 14:47 | フランス政治社会1905-06

政教分離法による大司教邸の明渡し

f0028703_112857.jpg1906年12月17日(月)~21日(金)

12月17日、パリ大司教のリシャール枢機卿は居邸を後にしてパリ市議会議員ドニ・コシャン氏の屋敷に向かった。3万人と目されるカトリック教徒の群集が賛美歌を歌いながら大司教の乗った馬車を取り巻き、寄寓先を提供したコシャン氏邸まで同道した。
リシャール枢機卿は12月19日、あらゆる紛争を回避するため今年のクリスマスの真夜中のミサの執り行いを中止すると発表した。
文部・文化相アリスティド・ブリアン氏は3度目となる政教分離法改定案を12月21日開催された下院議会において388票対146票で可決させることができた。

出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.25; FEV. 1907

**これまでの関連記事france100.exblog:政教分離法による追放処分(1906.12.12)
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by utsushihara | 2006-12-21 11:26 | フランス政治社会1905-06

第9回自動車工業展(サロン・ド・ロートモビル1906)

1906年12月7日(金)~23日(日)
f0028703_1046266.jpg今年で9回目を迎える自動車工業展は、12月7日から23日までグラン・パレで開催された。今年から重車輌のためにアンヴァリッド前の大広場に別の会場が用意された。もはや単なる工業見本市のみならず、溢れんばかりの光の中で広く社交界の盛大な催しとなっている。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.24; JAN. 1907
画像 Crédit d’image : ©CMN: Archives photographiques (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) ©Hélène Adantf0028703_1047362.jpg

*参考サイト:
Le Figaro – 100 ans de Salon de l’automobile :Des années folles aux années de crise(往年のフィガロの記事から「狂騒の時代から危機の時代まで」:仏文)

[ Ψ 蛇足 ]
この時代の雑誌記事に「オートモビリスム」(automobilisme)という単語を多く見かける。あえて訳語を探してみれば、「自動車至上主義」はちょっと大げさなので、「自動車万能志向」くらいがいいだろうか。そもそも「自動車」という明治時代の造語も今では改まり過ぎてしまい、軽く「クルマ」となったのも時代の変遷だろう。参考にした当時のフィガロの新聞記事でも、1898年には5百万フランだった商談の金額が8年後の1906年にはその26倍近くの約1億3千万フランにまで拡大したことを特記している。主会場のグラン・パレは押すな押すなの大盛況で、近くのアレクサンドル3世橋には馬車が行列し、交通整理の警官の白い警棒さえ見えないくらいの人混みである、と報じている。
画像は、夜の会場に花火が打ち上げられた様子と当時のアレクサンドル3世橋。
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by utsushihara | 2006-12-19 10:44 | フランス政治社会1905-06

政教分離法による追放処分

1906年12月12日(水)
f0028703_22401762.jpg12月12日の閣議決定に従い、同日内にエリゼ街にある旧法王庁大使館の建物に強制捜査が行われた。法王庁大使が帰国したあとに代理として占有していたモンタニーニ司教に国外退去を命じたのである。この措置は夕刻に執行された。司教はエニオン氏指揮下の警察官に伴われて駅に赴き、ローマ行きの列車に乗り込まされた。
左掲(←)の写真は12月13日サン=シュルピス教会の神学生たちが国家財産となった建物から引っ越す様子である。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.24; JAN. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
この司教の国外追放は、政教分離法にもとづく政府の教会財産の実地検分に反対する教会関係者たちの作業妨害の一連の事件に関して共謀したためと他紙では書いている。この時期はローマ法王とフランスの関係は険悪な状況となっている。
**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ランブイエでの閣僚会議(1906.09.11)
(2)政教分離法についてのローマ法王の回勅(1906.02.18)
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by utsushihara | 2006-12-13 22:39 | フランス政治社会1905-06

国会議員の報酬改定

1906年11月30日(金)

11月22日から30日にかけての国会審議において、ボードン議員から提出された議員報酬改定法案が可決された。これにより1871年以来、年額9600フランに決められていた国会議員の報酬は15000フランに引き上げられる。上院においても追認された。
欧州各国の歳費に関する調査資料によると、わが国の議員が最も優遇されていることが掲載した比較図によっても明らかである。イタリアとスペインの国会議員は無報酬である。
f0028703_2216989.jpg
出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.24; JAN. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
この雑誌での記事は「お手盛り採決!」と通例新聞で騒ぐほど攻撃的ではないが、1フランが400円程度として換算すれば6百万円となる。これが年額であるなら「妥当の範囲」と言えるのかも知れない。図の国は左から、フランス、ハンガリー、オランダ、ベルギー、ドイツ、ギリシア、スウェーデン、イタリア、スペインの順。
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by utsushihara | 2006-11-30 17:45 | フランス政治社会1905-06

論客アンリ・ロシュフォールの手相&星占い+筆跡占い

f0028703_18442573.jpg1906年11月

[ 手相と星占い ](アンリ・ロシュフォール)

1831年1月30日正午生まれ。水瓶座のもとに生まれたが、金星が支配している。十二宮の印からは攻撃的な精神を、またその主星からは人生と美に対する愛を受けている。神秘学的な徴候は他者を引きつける支配力を示している。手は大きく厚ぼったく見えるが指は平らではない。これらはすべてむしろ好戦的というよりも想像力豊かな性格を示している。それにしても手のひらの大きさが目立つ。そこには意思と弁舌に現れるに違いない闘争の趣向がある。この人物は説教者か文筆家であるが、孤立することができず、群衆の声に合わせて共鳴することを好む。立派な太陽線は美しい物事への愛を物語る。木星丘は人気を得ることを示す。土星線は他者を容赦しない。水星丘は線で横切られている。こうした多様な線の交叉は、批判的で皮肉な精神構造で観念と思考の変容を巻き込んでいる。この手は実用的な価値が完全に欠落している。お金の価値を理解できないに違いない。確かに人が良く、忠実で、大雑把であるが、また軽信と疑念からは遠ざかっている。
この手は語るべきことが多すぎる!ケルト族の手であり、繊細であると同時に力強い手である。
過去は確かに波乱に満ちていた。現在も活動的だが、未来は異様にも不確かである。(占者:ド・テーブ夫人)
f0028703_18444119.jpg
[ 筆跡占い ]
これまでに鑑定した中で最も雄弁な署名である。線の堅さと活力、多くの点書きは、動き、エネルギー、精神、独立性、情熱を示す。
筆致は大胆さと尊大な愛他主義がある。特徴のある[ f ]は上向きで挑戦的、[ t ]の横棒はすべての名だたる喧嘩好きと同様に剣の刃のようである。全体的には非常に好感が持てる。(占者:ロシュタル氏)

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.22; NOV. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
アンリ・ロシュフォール(Henri Rochefort, 1831-1913)はドレフュス事件で右翼と反ユダヤ陣営で論陣を張った人物である。
**前の関連記事Blog:
(1)ドレフュス事件の再審(1906.06.15)
(2)ドレフュス事件、第2回目の再審(1906.07.12)
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by utsushihara | 2006-11-21 18:44 | フランス政治社会1905-06

週休法の施行(2)

f0028703_18174.jpg1906年11月

週休法の遵守を訴える動きはパリや地方の大都市を中心に集会やデモ行進の形をとって続けられている。法律の規定にもとづく禁止条項があるにもかかわらず、小規模の商店では一般的に日曜日も開店している。営業行為は商店主やその家族によって行なわれている。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.24; JAN. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
週休法(La loi sur le repos hebdomadaire)はこの年9月に施行となっている。
**前の関連記事Blog:週休法の施行(1906.09.23)
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by utsushihara | 2006-11-20 18:01 | フランス政治社会1905-06

教会財産検分まもなく完了

f0028703_17583473.jpg1906年11月19日(月)

政教分離法の施行に伴う教会財産の実地検分はあと48地区を残すのみとなった。作業は11月19日から再開され、ブルターニュ地方、北フランス地方、セヴァンヌ地方で小競合いが発生した。ここピュイ・ド・ドーム県では軍隊が憲兵隊を助けてオルシヴァルの教会の扉を開けさせようとしている。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.24; JAN. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
フランスの政教分離法案が可決されたのは約1年前の1905年12月である。
翌1906年はこれを受けての教会財産の実地検分(アンヴァンテール=inventaire)が教会関係者の頑強な抵抗を受けながら少しずつ進められていた。

**前の関連記事Blog:
(1)教会に対する財産検分(1906.02.02)
(2)教会に対する財産検分(続報)(1906.02.08)
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by utsushihara | 2006-11-19 17:55 | フランス政治社会1905-06

パリの菊花展開幕

f0028703_17374258.jpg1906年11月2日(金)

11月2日パリの菊花展がファリエール大統領の出席のもと盛大に開幕した。クール・ラ・レーヌに設けられた会場の大温室の入口では、大統領夫妻と令嬢が農相のリュオー氏に迎えられた。今年展示された菊のコレクションはこれまでになく豊富で変化に富み、美しい花と美しい女性たちを鑑賞しようと着飾った大勢の人々が押しかけている。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.23; DEC. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
フランスでは11月2日は「万霊節」(Jour des Morts)と称して墓参で菊の花を飾るのが習慣となっている。「菊花展」(L’exposition des Chrysanthèmes)が日本と同じではなさそうな気がするがどのような展示方法だったのか、今でも開かれているのか、などは検索でも見つからなかったので詳細はわからない。情報をお持ちの方はお教えください。
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by utsushihara | 2006-11-02 17:35 | フランス政治社会1905-06