フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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2008年 01月 31日 ( 4 )

在フランス日本大使館の新装披露

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1908年1月31日(金)

日本大使栗野閣下は昨日、夫人とともに新装成った迎賓サロンを披露する画期的な夜会を開催した。これらの広間の例を見ない魅力は、日本の装飾美術の最も繊細で最も豪華な典型物を寄せ集めたもので、かねてよりその生彩に富んだ詳細な味わいが報じられている。
31日、オッシュ通り7番地の日本大使館に招かれた人々は喜びにあふれ、栗野男爵夫妻に対する賞賛を惜しむことはなかった。

シャルル・ド・ブルボン公爵閣下、エミール・ルーベ前大統領夫妻、各国大使、政府高官、閣僚とりわけクレマンソー氏、アントナン・デュボスト議長、セーヌ県知事セルヴ夫妻、レーピン警視総監とその令嬢、フロランタン将軍夫妻、ブリュジェール将軍夫妻、ダルスタン将軍、
グレフュール伯爵夫人、ヴィスタ=エルモーザ公爵夫妻、ジョゼフ・レイナック夫妻、ヴェルヌィユ夫妻、アルフレッド・ピカール氏、アンドレ・ファリエール氏、ジャン=マリー・サリアン氏、
ローアン公爵、ヴォグエ侯爵、ヤンヴィル伯爵夫妻、カステラーヌ伯爵夫妻、
ジョルジュ・ビベスコ公爵夫妻、ロートシルト男爵夫人、アンリ・ド・ロートシルト男爵、ショワズル=グフィエ伯爵夫妻、マルティネ伯爵夫妻、ロベール・ド・モンテスキュー伯爵、ジャン・ベロー氏、アンリ・ウッセー氏、ジョルジュ・ケーン夫妻、
セメゾン伯爵夫妻、ブルトゥィユ侯爵夫妻、オーベール提督、フーキエール夫妻、ラクロワ将軍、デルカッセ夫妻、ウェントワース侯爵夫人、オーネー伯爵夫妻などなど。

これほどの数多くのそして華やかな参加者は例を見なかった。この華麗なレセプションに加えて栗野男爵夫妻が準備したサプライズは、サダヤッコの一座の面々による芝居の上演であった。背景がノグチによって描かれた一幕の日本の悲劇「三姉妹」(Les Trois soeurs)で、以下がそのあらすじである。

タキグチは妻のヒトヨの気晴らしのため、彼女の妹二人、チヨとモモヨを会いに来させる。するとタキグチは義妹のチヨに急に心を奪われてしまい、彼女に言い寄る。妻のヒトヨは夫の一時的な気の迷いと信じ、気立ての良い末妹のモモヨにこの泣き言を打ち明ける。しかしヒトヨのところに届いた和歌の一句が夫の不義と離婚を同時に伝えることになる。半狂乱となったヒトヨは短剣を取り、裏切者たちのところに馳せつけようとする。それを末妹のモモヨが引きとめようし、もみ合いになる。そしてヒトヨはモモヨを刺殺してしまい、次いで自害する。
タキグチのもとを抜け出たチヨは姉妹の死体を眼の前にし、復讐を決心する。タキグチはチヨから一撃を受けるが、彼はすぐその短剣を奪い取り、チヨを刺す。死闘の末、二人は息絶える。


出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.38; Mars, 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #287985 « Le Figaro » le 1er Fév. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
上掲(↑)は「菊の広間」(Salons des chrysanthèmes)と紹介されている。上記の記事にある住所、オッシュ通り7番地(7, ave. Hoche)には現在も日本大使館がある。(大使公邸は別)
サダヤッコの出し物は、グラン・ギニョル風の凄惨な内容だが、招待者は日本演劇の舞台の珍しさに大いに興味が引かれたようだ。演目については未詳。

*参考サイト:
(1)Wikipedia(和文)栗野慎一郎
(2)外務省、外務本省、外交史料Q&A その他
Question(9)日本の「大使館」が最初に設置されたのは、いつ、どこの国ですか。

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by utsushihara | 2008-01-31 18:30 | フランス社会政経1909-10

ドビュッシーのロンドン公演とサン=サーンスのカイロ公演

1908年1月

[ ロンドン発 ]
クロード・ドビュッシー氏は英国ロンドンのクイーンズ・ホールにて自作の『牧神の午後への前奏曲』(Le Prélude à l’après-midi d’un faune)と『海』(La Mer)の演奏においてオーケストラの指揮をとり、確かな成功を収めた。

[ カイロ発 ]
サン=サーンス氏はエジプトのカイロにあるケディヴィアル劇場(Khédivial)における自作のオペラ『サムソンとデリラ』(Samson et Dalila)の練習を取り仕切り、公演は大成功となった。次には『ヘンリー8世』(Henry VIII)が予定されている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #287987 « Le Figaro » le 3 Fév. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
平島正郎氏著による往年の優れた評伝《大作曲家・人と作品》『ドビュッシー』は愛蔵の一冊だが、なかなか時系列的な出来事が頭に残らない。最終章「14.殉教・晩年」の脚注に下記の記述を見つけた。

1.1908年1月19日に、コロンヌ演奏会で《海》の再演を指揮して以来、ドビュッシーは、時おり自作の指揮者として公衆の面前に立つ機会を持つことになった。招かれて外国に何度か演奏旅行も試みている。
©平島正郎《大作曲家・人と作品》『ドビュッシー』音楽之友社・刊

**これまでの関連記事france100.exblog: ドビュッシー、初めての指揮で「海」を演奏(1908.01.19)

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by utsushihara | 2008-01-31 18:21 | オペラ、音楽、演劇1907-08

コロンブのセーヌ河岸の謎の水死体(前篇)(ベルエポック事件簿)

1908年1月31日(金)

コロンブ付近のセーヌ河岸に数日前から停泊していた平底船「ラ・ストラ」号の乗組員たちは、昨日(30日)岸辺を通りかかったある女性から川の中に死体が浮いていると教えられた。彼らは鈎竿で死体を引っ掛け、陸地に引き揚げることができた。

クールブヴォワの警察署長ロンプレ氏がすぐに調べてみたところ、20代の青年で胸と背中を刃物で少なくとも13回刺された痕があり、死後3~4日経過していると思われた。被害者はおそらく数人のならず者に襲われ、殺された後にセーヌ川に投げ込まれたのだろう。

直ちにパリ警視庁のアマール警視が呼び出され、彼は捜査を開始し、アルジャントゥイユ、コロンブ、クールブヴォワにまたがる地域に6人の刑事を取り掛からせた。セーヌ川両岸沿いのすべてのホテルを訪ねたが、何の手がかりも得られなかった。

被害者の男性の特徴は下記の通りである。年齢20歳位、身長1m70、栗色の髪で「ブレッサン」風にカットされている。目は灰色、鼻は中くらい、細面長で頬骨が突き出ている。右の頬に古い傷跡がある。左足脛に昔の火傷の痕がある。
服装は、濃灰色の縞模様のコート、黒い幅広の縞の入った黄灰色の上着とチョッキ、黒いツイードのズボン、綿のワイシャツは濃灰色で裾に洗濯ネームのI.B.のイニシャルが付いている。かかとを直した編み上げ靴を履いている。
ポケットの中には、真新しい女物のハンカチ、金庫の鍵1つ、鉄道切符が1枚見つかった。この切符はサン=ラザール~ヴァレ間の往復切符の復路分で、10月に発行されている。
被害者の右指には銀の指輪があり、「思い出」(Souvenir)という銘が入っている。

法医学死体安置所(モルグ)にはまだ誰も身元確認に来ていない。今日トワノ博士が司法解剖することになっている。検察局から予審判事としてアンドレ氏が指名されている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #287984 « Le Figaro » le 31 Jan. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
原題:Un crime mystérieux : Le noyé de Colombes
事件の現場コロンブ(Colombes)はパリ北西部郊外のセーヌ川沿いの町である。対岸がアルジャントゥイユ(Argenteuil)になる。
警視庁のアマール警視(M. Hamard, le chef de la Sureté)
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画像 Crédit d’image : ©Carte routière Michelin; No.101 Banlieue de Paris

*[慣用句] 胸と背中を刃物で少なくとも13回刺された痕があり(ne portait pas moins de treize coups de couteau dans la poitrine et au dos)
これは上記では直訳してみたが、13という数字は(恨みを込めた殺意から)「たくさんの」刺し傷という意味ではないかと思う。

**関連記事france100.exblog:コロンブ事件(後篇)(1908.02.02)

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by utsushihara | 2008-01-31 17:52 | ★ベルエポック事件簿1908

ある愛の事件(ベルエポック事件簿)

1908年1月31日(金)

イタリアのトリノに住むかなりの良家に育った若い娘、アンジェラ・R嬢は2年前に裕福なブラジル人の青年ジョルジュ・L某と知り合った。彼は見聞を広めるためにイタリアを旅行していたのである。彼らは関係を深め、2人の間に2人の子供、息子1人と娘1人が生まれた。それからジョルジュ・L某はトリノを離れ、パリに来たが、彼女もその後を追い、彼のもとで2ヶ月過ごした後、両親の許しが出たので彼女は少しの間イタリアに戻った。その少しの間に彼女は仕送りと情熱的な手紙を何度か受け取った。それから文面が少しずつ変化して行き、数日前になってジョルジュから関係を終わらせたいと伝えてきた。
気が狂いそうになったアンジェラはすぐ列車に乗り、水曜日の夜にパリに着いた。彼女をブラジル人は極めて冷淡に迎え、自宅に泊まらせずに近くのピエール・シャロン街のホテルに部屋を取ってやった。それでも彼らは翌木曜日には一日中一緒に過ごし、晩にはグラン・ギニョル座を見に行った。それから彼はホテルの玄関まで彼女を送ってきたが、そこでひと悶着があった。彼女は泣きながら部屋に上がり、不実な男に長い手紙を書き、明日一番で届けるようにと頼んだ。

翌朝午前11時になっても彼が来ないのをみて、アンジェラは自分の心臓の辺りに拳銃を一発撃った。その数分後にジョルジュがやってきて、大急ぎで彼女をグルネル病院へ運んだ。彼女は助かる見通しである。

出典Crédit:©BNF-Gallica #287985 « Le Figaro » le 1er Fév. 1908
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by utsushihara | 2008-01-31 11:52 | ★ベルエポック事件簿1908