フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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2008年 01月 08日 ( 1 )

ウジェニー元皇妃のパリ滞在

f0028703_2371481.jpg1907年12月~1908年1月

(12月22日付の「フィガロ」の記事から)
ウジェニー皇后陛下にはパリへのご旅行を数日間延期されていたが、今週内には到着される予定である。今回のパリご滞在は短く、例年のように寒い季節をお過ごしになる南仏カップ・マルタンに赴かれる。

(1月4日付の「フィガロ」の記事から)
ウジェニー皇后陛下におかれては昨年末からパリに滞在されておられるが、毎日午後には天候が許せば徒歩で、そうでなければ馬車で散歩にお出かけになる。皇后陛下のご記帳簿は滞在先のホテル・コンチナンタルに置かれており、新年のご挨拶の署名で埋められている。皇后陛下の今回のパリでのご滞在は短いが、ご健康はすこぶる良好である。

(1月7日付の「フィガロ」の記事から)
ウジェニー皇后陛下におかれては、明後日の朝パリを離れ、マルセイユ行きの特急に乗られる予定である。しかし例年のようにマントンには赴かず、今回はインドへ旅行される。お供をしているクラリー伯爵をはじめ、ピエトリ氏、タマーム嬢、ヴェゼー嬢は明日水曜日に先にマルセイユに向けて出発し、皇妃のために用意されたセイロン行きの汽船の船室の設備を点検する。
皇妃はマルセイユに一泊だけされて、金曜日の朝お供とともにセイロンに向けて出発される。インドでは6週間の滞在を予定されており、4月初めに英国の居館シルノスに戻られることになる。

出典Crédit:©BNF-Gallica #287944 « Le Figaro » le 22 Déc. 1907
出典Crédit:©BNF-Gallica #287957 « Le Figaro » le 4 Jan. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #287960 « Le Figaro » le 7 Jan. 1908
画像 Crédit d’image : © Photo RMN - C.95007 ©Franck Raux
Titre : Portrait de l'Impératrice Eugénie agenouillée sur un prie-Dieu
Auteur : Le Gray Gustave (1820-1882) photographe
Localisation : Musée château de Compiègne

[ Ψ 蛇足 ]
あえて皇室記事のような使い慣れない敬語を使って(ぎこちなく)訳してみた。第2帝政は普仏戦争の敗北で終焉を迎え、ナポレオン3世とウジェニー皇妃は英国に亡命した。その後フランスでは第3共和制が1870年から始まり、ナポレオン3世も1873年に世を去り、この上記の記事のときには既に30年以上の歳月が経っている。それでもウジェニーは英国に居を定め、欧州の王侯貴族に交って社交界でそれなりの活動を続けた。上記の記事でも昔通りの「ウジェニー皇后陛下」(Sa Majesté l’impératrice Eugénie)と呼び慣わされている。このときすでに81歳である。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Eugenie de Montijo(1826-1920)

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by utsushihara | 2008-01-08 23:04 | フランス社会政経1909-10