フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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2008年 01月 03日 ( 1 )

議場で急死した法相ギュヨ=デセーニュの葬儀

f0028703_1775485.jpg1908年1月3日(金)

12月31日に上院会議場内で急死した法相ギュヨ=デセーニュ氏の葬儀は1月3日厳しい寒さの中、ヴァンドーム広場の法務省内で執り行われた。弔問者の列はチュイルリ公園のところまで続いた。それから衛兵に守られながら柩を乗せた馬車がリヨン駅へと導かれた。明4日に20年以上にわたり議員選出されてきた出身地のクレルモン=フェランで埋葬される予定である。
文部・文化相のアリスティド・ブリアン氏が後任の法相となった。文相には通産相のドゥメルグ氏が、また通産相には新たにジャン・クルッピ氏が就任した。

(「フィガロ」に掲載された法相ギュヨ=デセーニュの急死の顛末)
12月31日午前、上院の議場内で法務大臣ギュヨ=デセーニュ氏が心臓発作で急死した出来事は、議会全体に深い悲しみを引き起こした。彼は議事に参加しており、予算案が下院に回される前に、サヴァリ議員から出された「各修道会の財産処分に関する調査委員の指名について」の動議を討議していた。
法相は上院議長アントナン・デュボスト氏と顔をあわせ、握手した直後、突然立ち止まり、顔面を蒼白にして、手で心臓を押さえ、そばにいた議員に身を寄せて「支えてくれ、たおれる!」(Soutenez-moi. Je tombe !)と叫んだ。それから彼はぐったりとなった。そばにいた議員たちがかけよって彼を長椅子に寝かせた。議会専属の医師カノル氏と議場にいた議員で医者のペイラ、レイモン、バタィユ、ボルヌ各氏がすぐさま駆けつけた。彼らは必死にこうした事例で適用している人工呼吸など応急措置を試みたが、すべては無益だった。ギュヨ=デセーニュ氏は死んだ。
悲しみにくれる中、法相を担架に乗せて議場の下の部屋に運び、法務省に電話をかけ、そこの事務次官デザィエ氏が7区トゥール=モーブール小路の法相の自宅に赴き、夫人に悲報を伝えた。
クレマンソー首相も電話で知らせを受け、夫人のもとにお悔やみを述べに行き、その足でエリゼ宮に赴きファリエール大統領にこの悲しむべき出来事を報告した。新年を迎えてのすべてのレセプションは取りやめとなった。各国大使による年賀の挨拶はギュヨ=デセーニュ氏の葬儀の後まで延期となった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102982 « Je sais tout » No.37; Fév. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #287954 « Le Figaro » le 1er Jan. 1908
出典Crédit:©BNF-Gallica #287957 « Le Figaro » le 4 Jan. 1908

[ Ψ 蛇足 ]
ジャン・ギュヨ=デセーニュ(Jean Guyot-Dessaigne, 1833-1907)は弁護士、判事としての経歴のあとピュイ・ド・ドーム県から議員として選出され、政界入りした。デセーニュという姓は妻の旧姓だが、義父が議員だった地盤を引き継ぐために名乗ったと思われる。議員活動においても法務的な委員として法案の審議に加わった。フランスでは法務大臣(Ministre de la Justice)のことを歴史的に「国璽尚書」(Garde des Sceaux)とも呼んでいる。

**これまでの関連記事france100.exblog:クレマンソー内閣の発足(1906.10.27)

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by utsushihara | 2008-01-03 17:06 | フランス社会政経1909-10