フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)
by utsushihara
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パブロ・カザルスの初めての指揮と独奏
1908年2月7日(金)
チェロ奏者として世界的な称賛を集めているパブロ・カザルス氏はこのほどロシアを後にしてパリに居を構え、ある意味で新たな活動を始める。2月から3月にかけて3回の演奏会が予定されている。
2月7日金曜日午後9時からガヴォー楽堂において初めてラムルー管弦楽団を指揮する。曲目は、
①ベートーヴェン(Beethoven):交響曲ハ短調(Symphonie en ut mineur; 第5番「運命」)
②エマヌエル・モール(Emanuel Moór):二重協奏曲(Double concerto)
③ジョルジュ・エネスコ(Georges Enesco):2つのルーマニア狂詩曲(2 Rhapsodies roumaines)
となっている。
2番目のモールの曲ではカザルス氏は宮廷楽長のように第1独奏チェロと指揮を行ない、カザルス=スッジア夫人が第2独奏チェロを演奏する。この曲の演奏については直近でブリュッセルにおけるイザイの演奏会で驚くほどの大喝采を博している。
出典 Crédit:©BNF-Gallica #287987 « Le Figaro » le 3 Fév. 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN 99-009994 - ©François Vizzavona / Daniel Arnaudet
Description : Portrait de Pablo Casals, violoncelliste, chef d'orchestre et compositeur espagnol (exposé au Salon de la Société Nationale des Beaux-Arts de 1907)
Auteur : Raymond Woog (1875-20e siècle); Localisation inconnue
[ Ψ 蛇足 ]
チェロの巨匠パブロ・カザルス(Pablo Casals, 1876-1973)は、その長い生涯の中で多くの活動を成し遂げ、チェロのみならず、音楽、芸術、思想の面でも同時代に大きな影響を及ぼし、後世にも大きな足跡を残している。
パリには1900年頃から定住し、独奏者としての演奏活動を本格的に開始した。1905年にピアノ奏者のアルフレッド・コルトー(Alfred Cortot, 1877-1962)およびヴァイオリン奏者ジャック・ティボー(Jacques Thibaud, 1880-1953)とピアノ三重奏団を組んでさらに高い人気を誇った。その後ロシア皇室に招待され、セント=ペテルブルクを中心に演奏していた。
カザルスの指揮活動は晩年のマールボロ音楽祭でのものがよく知られているが、最初に演奏会で行なったのがこの時の演奏会だった。
2曲目の「2つのチェロのための協奏曲」の作曲者エマヌエル・モール(Emanuel Moór, 1863-1931)と当時カザルス夫人(Mme Casals)と称されたスッジア(Suggia)については次の機会に紹介したい。
上記の画像は、1907年のサロンに出展されたレイモン・ウーグ(Raymond Woog, 1875-19xx)作のカザルスの肖像画で、31歳の姿である。
*参考サイト:Wikipedia(仏語)Pablo Casals
チェロ奏者として世界的な称賛を集めているパブロ・カザルス氏はこのほどロシアを後にしてパリに居を構え、ある意味で新たな活動を始める。2月から3月にかけて3回の演奏会が予定されている。
2月7日金曜日午後9時からガヴォー楽堂において初めてラムルー管弦楽団を指揮する。曲目は、
①ベートーヴェン(Beethoven):交響曲ハ短調(Symphonie en ut mineur; 第5番「運命」)
②エマヌエル・モール(Emanuel Moór):二重協奏曲(Double concerto)
③ジョルジュ・エネスコ(Georges Enesco):2つのルーマニア狂詩曲(2 Rhapsodies roumaines)
となっている。
2番目のモールの曲ではカザルス氏は宮廷楽長のように第1独奏チェロと指揮を行ない、カザルス=スッジア夫人が第2独奏チェロを演奏する。この曲の演奏については直近でブリュッセルにおけるイザイの演奏会で驚くほどの大喝采を博している。
出典 Crédit:©BNF-Gallica #287987 « Le Figaro » le 3 Fév. 1908
画像 Crédit photographique:©Photo RMN 99-009994 - ©François Vizzavona / Daniel Arnaudet
Description : Portrait de Pablo Casals, violoncelliste, chef d'orchestre et compositeur espagnol (exposé au Salon de la Société Nationale des Beaux-Arts de 1907)
Auteur : Raymond Woog (1875-20e siècle); Localisation inconnue
[ Ψ 蛇足 ]
チェロの巨匠パブロ・カザルス(Pablo Casals, 1876-1973)は、その長い生涯の中で多くの活動を成し遂げ、チェロのみならず、音楽、芸術、思想の面でも同時代に大きな影響を及ぼし、後世にも大きな足跡を残している。
パリには1900年頃から定住し、独奏者としての演奏活動を本格的に開始した。1905年にピアノ奏者のアルフレッド・コルトー(Alfred Cortot, 1877-1962)およびヴァイオリン奏者ジャック・ティボー(Jacques Thibaud, 1880-1953)とピアノ三重奏団を組んでさらに高い人気を誇った。その後ロシア皇室に招待され、セント=ペテルブルクを中心に演奏していた。
カザルスの指揮活動は晩年のマールボロ音楽祭でのものがよく知られているが、最初に演奏会で行なったのがこの時の演奏会だった。
2曲目の「2つのチェロのための協奏曲」の作曲者エマヌエル・モール(Emanuel Moór, 1863-1931)と当時カザルス夫人(Mme Casals)と称されたスッジア(Suggia)については次の機会に紹介したい。
上記の画像は、1907年のサロンに出展されたレイモン・ウーグ(Raymond Woog, 1875-19xx)作のカザルスの肖像画で、31歳の姿である。
*参考サイト:Wikipedia(仏語)Pablo Casals
by utsushihara
| 2008-02-07 21:24
| オペラ、音楽、演劇1907-08