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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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ディエップでサン=サーンスの彫像の落成式

ディエップでサン=サーンスの彫像の落成式_f0028703_15294596.jpg1907年10月31日(木)

巨匠サン=サーンス氏はまたディエップ市にとっては篤志家の一人となっている。10年前に彼は博物館にかなりの家財を寄付したが、市は彼のために彫像を作り、10月31日、本人の前で落成式を行なった。彫像は彼によく似ており、彫刻家マルケストの署名が入っている。

出典:BNF-Gallica #102981 « Je sais tout » No.35; Déc. 1907
出典Crédit:BNF-Gallica #287894 « Le Figaro » le 2 Nov. 1907

[ Ψ 蛇足 ]
当時72歳、フランス音楽界の長老となっていたカミーユ・サン=サーンス(Camille Saint-Saëns, 1835-1921)とっては、父の故郷ディエップで生前に自分自身の記念碑の落成式に臨むという非常に珍しい体験となった。
このとき記念演奏されたのは彼の「ピアノ三重奏曲第1番ヘ長調作品18」で発表当時から評判が良く、カザルス・トリオなどからも好んで演奏されたという。(なぜか多くの作曲家の作品番号18がついた曲には初期の傑作が散見される。歌舞伎の十八番とはちょっと違うが…)
彫像の作者ローラン=トノレ・マルケスト(Laurent-Honoré Marqueste, 1848-1920)は大家ファルギエールの弟子で装飾的商業的な作品が多い。この記事で作られた彫像は21世紀の現在では確認できなかった。第2次大戦中に鋳潰されたかもしれない。広場の片隅に薄汚れた姿ででも残っていればありがたいが・・・(もし可能であれば画像の提供をお願いしたい。)

*参考サイト:
(1)サン=サーンスの墓(Le Tombeau de Saint Saëns)サイト(和文)
(2)Le Château-Musée de Dieppe; Visite virtuelle du musée = Le Salon Camille Saint Saëns(仏語)
(3)Access my library(2000.01) The Saint-Saëns enigma by R.J. Stove ©2000 Foundation for Cultural Review「サン=サーンスの謎」(英文書評)

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)音楽雑誌「ムジカ」サン=サーンス特集号(1907.05.25)
(2)彫刻家ファルギエールの記念墓碑(1906.03.04) 彫刻家マルケストの作品

[ 追記 ]「フィガロ」1907年11月2日付の新聞記事から
ロシアのサン=ペテルスブール(サント=ペテルブルク)では、近々予定されるサン=サーンス氏の来訪について、待ちこがれた人々のもっぱらの話題となっている。この大作曲家は、指揮者アルトゥール・ニキシュ氏(Arthur Nikisch)との共演で10回ほどの演奏会を行なう。おそらく熱烈な歓迎となるのは間違いない。
出典Crédit: BNF-Gallica #287893 « Le Figaro » le 2 Nov. 1907

[ 追記2 ]「フィガロ」1907年11月8日付の新聞記事から:
アンジェ市で開かれたマックス・ドローヌ氏(Max d’Ollone)主宰による「サン=サーンス音楽祭」(Festival Saint-Saëns)は素晴らしい成功であった。この大作曲家とともに大ピアニストのルイ・ディーメ氏(Louis Diemer, 1843-1919)が美しい音楽の祭典に協賛してくれたのである。「2台のピアノのためのスケルツォ」では作曲家のサン=サーンス氏とともに演奏し、また「ピアノ協奏曲第4番ハ短調」と「アラブ奇想曲」(Caprice Arabe)を独奏し、ディーメ氏はいつものようにその比肩なき名人芸と表現力と魅力の質の高さで聴衆の喝采を博した。彼は友人サン=サーンスと並んで立ち、長い歓呼の声に応えていた。
出典Crédit:BNF-Gallica #287900 « Le Figaro » le 8 Nov. 1907

*参考サイト:PTNA(ピティナ)甦る系譜 ルイ・ディエメ(Louis Diemer, 1843-1919)(和文)
Diemer の読み方は「ディーメ」か「ディエメ」が判断が微妙。フィガロではアクサンéがついていないので、普通に読めば「ディーメ」ではなかろうか。

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by utsushihara | 2007-10-31 15:29 | オペラ、音楽、演劇1907-08