フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)
by utsushihara
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オペラ・コミック座で「フォルチュニオ」の初演
1907年6月5日(水)
アルフレッド・ド・ミュッセの「燭台」(Chandelier)にもとづく5幕の新作オペラ「フォルチュニオ」(Fortunio)が6月5日オペラ・コミック座で初演された。台本はロベール・ド・フレー氏とガストン=アルマン・ド・カイヤヴェ氏の共作で、音楽はアンドレ・メサジェ氏という、フランス歌劇の特徴を良く表現した魅力あふれる作品である。画像(←)はその第3幕の一場面である。マルグリット・カレ女史が主役のジャクリーヌを演じ、とても美しい声と優美さでもって歌い上げ、公演は大成功であった。
出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.30; JUIL 1907
画像 Crédit d’image : © CMN: Archives photographiques (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Atelier Nadar
[ Ψ 蛇足 ]
作曲者のアンドレ・メサジェ(André Messager, 1853-1929)は、科白の多い軽い内容のオペラ・コミックやバレエ作品を残しているが、指揮者としてもドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」の初演を行なったとして歴史に残っている。彼はすでに1908年からオペラ座の正指揮者に予定任命されており、50歳代半ばの最盛期であった。
**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)芸術家のラントレ(2)音楽家たち [ アンドレ・メサジェは燭台を音楽にした。](1906.09)
(2)次期オペラ座支配人にアンドレ・メサジェ(1907.01.23)
ロベール・ド・フレー(Robert de Flers, 1872-1927)とガストン=アルマン・ド・カイヤヴェ(Gaston Arman de Caillavet, 1869-1915)の共作体勢はすでに評価が高まっており、人気劇作家の一二を争うほどであった。
**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ヴァリエテ座の「ミケットとその母親」(Miquette et sa mère) (1906.11.02)
(2)「夫の好機」の上演(La Chance de Mari) ジムナズ座(1906.05.15)
主役を歌ったマルグリット・カレ(Marguerite Carré, 1881-1947)は、ノルマンディ出身のソプラノ歌手であったが、オペラ・コミック座の支配人アルベール・カレ(Albert Carré)の妻でもあったため、オペラ・コミック座を中心とした公演に数多く出演している。(下記のBlog関連記事参照)いわゆる大物ソプラノ歌手(メアリー・ガーデンやニノン・ヴァランなど)に比べればどうしても聞き劣りはしたものの、そこそこの役柄は立派にこなしていたという。(画像→)
だが劇場支配人とその花形女優の妻という組合せは、往々にして横槍や陰謀が生まれやすいようである。以下にアンリ・ビュッセルの証言を引用してみた。
*参考サイト:
(1)ResMusica.com Quotidien de la Musique Classique(仏語)Malibran-Music -
Paris L’Opera-Comique – Vol.II « de Miarka à Marouf »
La célébration du centenaire de la troisième salle FAVART (Paris) sous la fabuleuse direction d’Albert CARRE.
(2)Amazon.co.jp Andre Messager:Fortunio 「フォルチュニオ」のCDが出ていた!
**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)「蝶々夫人」のパリ初演(1906.12.28)
(2)音楽劇「ミアルカ」の初演(1905.11.07)
(3)マスネの新作「ケルビーノ」初演(1905.02.14)
(4)歌劇「マノン」500回目の公演(1905.01.13)
***アンリ・ビュッセル著『パリ楽壇70年』、池内友次郎・訳編、音楽之友社(1966.10)刊より引用。
1905年3月19日(日):9時から正午まで、サン=クルー教会の大オルガンを弾いてすごした。それから、オペラ・コミック座では昼公演(マチネ)の「オルフェ」を指揮し、夜は「ルイーズ」を指揮した。幕間に、アルベール・カレに会いに行き、シーズン後に劇場を去りたいという決心を告げた。(音楽院の)合唱指揮者と(オペラ・コミック座の)オーケストラ指揮者という二つの職務を果たすことが不可能になったからである。心のなかで考えていることは言わないでおいた。それは、マルグリット・カレ夫人が、私に少しの同情も示さず、ひどく私を悩ませた、ということだった!
[ ΨΨ 蛇足の蛇足 ]
ミュッセの詩に「フォルチュニオの唄」(Chanson de Fortunio)というロマンス小詩がある。おそらく上記の劇中人物に詠わせたものと思われる。フォルチュニオ(Fortunio)という人名は、"fortune" という語源からすると《財善富男》のような名前の感じだろうと推測する。この詩に作曲家のオッフェンバックが曲をつけている。昔のエラートLP盤の復元CDでバリテノール歌手のカミーユ・モラーヌ(Camille Maurane, 1911-2010)が歌っているのを聴いてみたが、大正時代の浪漫オペレッタ風の味わいで、まさにレトロじみた曲だった。
高名なオペラ訳詞家の三浦真弓さんのお話を参考にしながら、《たはむれに》自己流で以下に訳してみた。ご参考になれば幸いである。
(→)右の画像は、この年のサロンに出展された「詩人の夢」(Le Rêve du poète - Alfred de Musset)と題されたモンセル・ド・ペラン(Moncel de Perrin, 1866-19??)の浮彫作品(部分)である。ミュッセの没後50年記念らしい。
出典:BNF-Gallica #110437 Catalogue illustré du Salon de 1907, Société des artiste français
フォルチュニオの唄 Chanson de Fortunio
アルフレッド・ド・ミュッセ Alfred de Musset
(「新詩集」所収) (Recueil : Poésies nouvelles)
愛する人が誰かを言えと Si vous croyez que je vais dire
思われようと Qui j'ose aimer,
国に代えてもその名は Je ne saurais, pour un empire,
言えませぬ Vous la nommer.
お望みなら歌に乗せて Nous allons chanter à la ronde,
歌いましょう Si vous voulez,
憧れの輝くような金髪の Que je l'adore et qu'elle est blonde
女(ひと)のことを Comme les blés.
女(そ)の気まぐれに命じたことを Je fais ce que sa fantaisie
私はおこない Veut m'ordonner,
わが生命(いのち)が要るのなら Et je puis, s'il lui faut ma vie,
捧げましょう La lui donner.
人知れぬ愛の不幸は Du mal qu'une amour ignorée
苦痛をあたえ Nous fait souffrir,
裂かれた心を死ぬまで J'en porte l'âme déchirée
持つのです Jusqu'à mourir.
愛する人が誰かと言うには Mais j'aime trop pour que je dire
愛しすぎていて Qui j'ose aimer,
その女(ひと)のために死にたい Et je veux mourir pour ma mie
その名を告げずに Sans la nommer.
試訳©写原祐二(2007.06)
**参考サイト(追加):カミーユ・モラーヌ エラート録音集大成
CD6枚組の3枚目: 第22曲「フォルチュニオの唄」 作曲者:ジャック・オッフェンバック
ピアノ伴奏:ジェルジー・シェベック
アルフレッド・ド・ミュッセの「燭台」(Chandelier)にもとづく5幕の新作オペラ「フォルチュニオ」(Fortunio)が6月5日オペラ・コミック座で初演された。台本はロベール・ド・フレー氏とガストン=アルマン・ド・カイヤヴェ氏の共作で、音楽はアンドレ・メサジェ氏という、フランス歌劇の特徴を良く表現した魅力あふれる作品である。画像(←)はその第3幕の一場面である。マルグリット・カレ女史が主役のジャクリーヌを演じ、とても美しい声と優美さでもって歌い上げ、公演は大成功であった。
出典:BNF-Gallica #102980 « Je sais tout » No.30; JUIL 1907
画像 Crédit d’image : © CMN: Archives photographiques (Médiathèque du Patrimoine et de l'Architecture) Atelier Nadar
[ Ψ 蛇足 ]
作曲者のアンドレ・メサジェ(André Messager, 1853-1929)は、科白の多い軽い内容のオペラ・コミックやバレエ作品を残しているが、指揮者としてもドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」の初演を行なったとして歴史に残っている。彼はすでに1908年からオペラ座の正指揮者に予定任命されており、50歳代半ばの最盛期であった。
**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)芸術家のラントレ(2)音楽家たち [ アンドレ・メサジェは燭台を音楽にした。](1906.09)
(2)次期オペラ座支配人にアンドレ・メサジェ(1907.01.23)
ロベール・ド・フレー(Robert de Flers, 1872-1927)とガストン=アルマン・ド・カイヤヴェ(Gaston Arman de Caillavet, 1869-1915)の共作体勢はすでに評価が高まっており、人気劇作家の一二を争うほどであった。
**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ヴァリエテ座の「ミケットとその母親」(Miquette et sa mère) (1906.11.02)
(2)「夫の好機」の上演(La Chance de Mari) ジムナズ座(1906.05.15)
主役を歌ったマルグリット・カレ(Marguerite Carré, 1881-1947)は、ノルマンディ出身のソプラノ歌手であったが、オペラ・コミック座の支配人アルベール・カレ(Albert Carré)の妻でもあったため、オペラ・コミック座を中心とした公演に数多く出演している。(下記のBlog関連記事参照)いわゆる大物ソプラノ歌手(メアリー・ガーデンやニノン・ヴァランなど)に比べればどうしても聞き劣りはしたものの、そこそこの役柄は立派にこなしていたという。(画像→)
だが劇場支配人とその花形女優の妻という組合せは、往々にして横槍や陰謀が生まれやすいようである。以下にアンリ・ビュッセルの証言を引用してみた。
*参考サイト:
(1)ResMusica.com Quotidien de la Musique Classique(仏語)Malibran-Music -
Paris L’Opera-Comique – Vol.II « de Miarka à Marouf »
La célébration du centenaire de la troisième salle FAVART (Paris) sous la fabuleuse direction d’Albert CARRE.
(2)Amazon.co.jp Andre Messager:Fortunio 「フォルチュニオ」のCDが出ていた!
**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)「蝶々夫人」のパリ初演(1906.12.28)
(2)音楽劇「ミアルカ」の初演(1905.11.07)
(3)マスネの新作「ケルビーノ」初演(1905.02.14)
(4)歌劇「マノン」500回目の公演(1905.01.13)
***アンリ・ビュッセル著『パリ楽壇70年』、池内友次郎・訳編、音楽之友社(1966.10)刊より引用。
1905年3月19日(日):9時から正午まで、サン=クルー教会の大オルガンを弾いてすごした。それから、オペラ・コミック座では昼公演(マチネ)の「オルフェ」を指揮し、夜は「ルイーズ」を指揮した。幕間に、アルベール・カレに会いに行き、シーズン後に劇場を去りたいという決心を告げた。(音楽院の)合唱指揮者と(オペラ・コミック座の)オーケストラ指揮者という二つの職務を果たすことが不可能になったからである。心のなかで考えていることは言わないでおいた。それは、マルグリット・カレ夫人が、私に少しの同情も示さず、ひどく私を悩ませた、ということだった!
[ ΨΨ 蛇足の蛇足 ]
ミュッセの詩に「フォルチュニオの唄」(Chanson de Fortunio)というロマンス小詩がある。おそらく上記の劇中人物に詠わせたものと思われる。フォルチュニオ(Fortunio)という人名は、"fortune" という語源からすると《財善富男》のような名前の感じだろうと推測する。この詩に作曲家のオッフェンバックが曲をつけている。昔のエラートLP盤の復元CDでバリテノール歌手のカミーユ・モラーヌ(Camille Maurane, 1911-2010)が歌っているのを聴いてみたが、大正時代の浪漫オペレッタ風の味わいで、まさにレトロじみた曲だった。
高名なオペラ訳詞家の三浦真弓さんのお話を参考にしながら、《たはむれに》自己流で以下に訳してみた。ご参考になれば幸いである。
(→)右の画像は、この年のサロンに出展された「詩人の夢」(Le Rêve du poète - Alfred de Musset)と題されたモンセル・ド・ペラン(Moncel de Perrin, 1866-19??)の浮彫作品(部分)である。ミュッセの没後50年記念らしい。
出典:BNF-Gallica #110437 Catalogue illustré du Salon de 1907, Société des artiste français
フォルチュニオの唄 Chanson de Fortunio
アルフレッド・ド・ミュッセ Alfred de Musset
(「新詩集」所収) (Recueil : Poésies nouvelles)
愛する人が誰かを言えと Si vous croyez que je vais dire
思われようと Qui j'ose aimer,
国に代えてもその名は Je ne saurais, pour un empire,
言えませぬ Vous la nommer.
お望みなら歌に乗せて Nous allons chanter à la ronde,
歌いましょう Si vous voulez,
憧れの輝くような金髪の Que je l'adore et qu'elle est blonde
女(ひと)のことを Comme les blés.
女(そ)の気まぐれに命じたことを Je fais ce que sa fantaisie
私はおこない Veut m'ordonner,
わが生命(いのち)が要るのなら Et je puis, s'il lui faut ma vie,
捧げましょう La lui donner.
人知れぬ愛の不幸は Du mal qu'une amour ignorée
苦痛をあたえ Nous fait souffrir,
裂かれた心を死ぬまで J'en porte l'âme déchirée
持つのです Jusqu'à mourir.
愛する人が誰かと言うには Mais j'aime trop pour que je dire
愛しすぎていて Qui j'ose aimer,
その女(ひと)のために死にたい Et je veux mourir pour ma mie
その名を告げずに Sans la nommer.
試訳©写原祐二(2007.06)
**参考サイト(追加):カミーユ・モラーヌ エラート録音集大成
CD6枚組の3枚目: 第22曲「フォルチュニオの唄」 作曲者:ジャック・オッフェンバック
ピアノ伴奏:ジェルジー・シェベック
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