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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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ポーランドでの反ユダヤ騒乱(ポグロム)

1906年9月10日(月)

ロシア帝国、特にポーランド領においては騒然とした状況が続いており、ほとんど毎日のようにテロ攻撃が起き、それに伴う恐ろしい報復措置が行なわれている。
9月10日シエディスでは、先般のビアリストクでの出来事を思わせるような反ユダヤ騒乱(ポグロム)が勃発した。それは一軒の民家への兵士たちの一斉射撃で始まった。見知らぬ者たちがそこの屋根裏部屋からパトロール隊に向けて発砲したというのである。そして兵士と住民との間で鉄砲と拳銃の射撃の応酬となった。兵士たちは隣接する通りにあるユダヤ人の店舗や家屋を荒らし回った。司令官は、首謀者が引き渡されるまでは家々に砲撃を加えるように命じた。何軒かは全壊し、またいくつかは一部損壊した。大多数の家々が被害をこうむっているのに対し、消防は何の活動も起こさなかった。負傷者も数百人に上っている。

出典:BNF-Gallica #102979 « Je sais tout » No.20; OCT. 1906

[ Ψ 蛇足 ]
ポグロム(Pogrom)というロシア語の単語がここでも一般的に使われている。これはロシアの歴史において、虐殺を伴った反ユダヤ的暴動を指す。このような人間の行動が、歴史的にナチスによるユダヤ人殲滅(ホロコースト)だけではなかったことを改めて知らされる。

*参考サイト: ヘブライの館(THE HEXAGON)ロシアとウクライナのユダヤ人の悲史

上記地名のシエディス(Siedice)はワルシャワ近郊の町と思われるが、詳しくはわからない。それに対してビアリストク/ビエロストク(Bialystok/Biélostok)はワルシャワの北東約180kmにある町で、同じ年(1906)の6月1日~3日にユダヤ人住民に対する大量虐殺事件が起こり、死者70名、重傷者90名ほか多数の犠牲者が出た。

**トロツキー研究所のサイト中にあるトロツキー写真館:ポグロムの犠牲者たち

***当Blogの1906年7月2日(月)ロシア議会における死刑廃止の決議にも、ビエロストク事件の証人喚問の記述がある。
by utsushihara | 2006-09-10 16:16 | ロシア帝政末期1905-06