フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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ピエール・キュリー氏の事故死

f0028703_12254968.jpg1906年4月19日(木)

悲劇的な事故がフランスを代表する最も有名な科学者の生命を奪った。ラジウムの発見者で知られるピエール・キュリー氏は栄光の頂点にありながら成果を次々に生み出す実験を続けていたが、47歳の若さで世を去った。
4月19日、ポンヌフの橋の手前にあるドーフィヌ街を横切ろうとしていたキュリー氏は、走ってきた荷馬車にはねられて転び、頭部を車輪に轢かれた。即死だった。
ピエール・キュリー氏とその生活および研究の伴侶であるマリー夫人の名声は世界的なものである。この名声はある日突然に訪れた。3年前、彼らによるラジウムという新しい物質の発見が公式に認められたのである。その物質の特性は非常に異質なもので、物理学者や研究者たちを面食らわせた。この驚異的な物質は、ウラニウムの鉱石から長時間の系統立った処理過程を経て抽出され、光を放射し、見かけは何も変質せず、何も受けつけず、何も失わない様相なのに、エネルギーと熱と光を放出するのである。数年間にわたり光を放射したあとでも、ラジウムはほんのひとかけらも重量を失うことはない。この素晴らしい発見はキュリー氏および大きな部分はその夫人の助力によるものである。その労に報いるためにストックホルムのスウェーデン王立アカデミーはノーベル賞の科学部門に贈られる10万クローネの半分を彼らに授与することを決めた。
ピエール・キュリーは1859年5月15日に医者の息子としてパリに生まれた。ソルボンヌ大学の研究所で、ワルシャワ出身でパリの大学の博士号を取得したマリー・スクロドフスカ嬢と出会い、結婚した。
その後、2人は地道な研究に共同で取り組み、放射線の分野におけるすべての発見は彼らの協力の賜物である。キュリー夫妻の業績をさらに高めるために、1904年ソルボンヌの物理学教授職がキュリー氏に与えられ、その数ヵ月後、夫人が研究所の主席研究員に任ぜられた。1905年7月にはキュリー氏は科学アカデミーの会員に選ばれていた。

出典:BNF-Gallica #102978 « Je sais tout » No.16; Mai, 1906

[ Ψ 蛇足 ]
ピエール・キュリー(Pierre Curie, 1859-1906)よりも夫人のマリー・キュリー(Marie Curie, 1867-1934)のほうが偉人伝中の人物となっているのは、夫の死後もその研究を積み重ね、1911年に再度ノーベル化学賞を得ており、非常に優秀な人物だったからだろう。
参考Wikipedia(英文):Pierre Curie
この事故死の現場については、ミシュランのパリ・ガイドブック中でポン・ヌフ南側の説明でも言及されている。
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by utsushihara | 2006-04-19 22:23 | 科学、軍事、海事1905-06