フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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2人の文筆家シャルル・モーラス対ジャック・ランドーの決闘

1909年12月6日(月)
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とにかく異例な決闘が12月6日午前11時、パルク・デ・プランスの敷地内でおこなわれた。シャルル・モーラス氏が書いた記事に関してジャック・ランドー氏が批判記事を寄せたことが、2人の間での剣による決闘に至った原因である。
シャルル・モーラス氏の介添人はフレデリック・ドレベックとリュシアン・モローの両氏であり、ヴィヴィエ医師も立会った。一方、ジャック・ランドー氏にはピエール・モルティエ、ユベール・ドレ=ド=カストニエの両氏とアラゴン医師がついた。
双方の合意のもと、介添人4名はルージエ=ドルシエール氏に決闘の進行役を依頼した。彼はモーラス氏に難聴の障害があるのを鑑みて、特別な条件で進行役を果たすことになった。
決闘する2人が対峙する前に、ドルシエール氏は型通りの決闘の再考を促す言葉を声高に読み上げた。慣例の「始め!」(Allez, Messieurs!)という合図の言葉がモーラス氏にはよく聞こえないため、ドルシエール氏は、両者を剣を合わせたままで待たせ、審判の手にするハンカチを勢いよく振り上げるのを合図に決闘が開始した。
戦いの間、このハンカチの合図は仕切り直しのために20回余り振られた。激しい撃ち合いになったのは5回ほどあり、一方の剣が壊れたため、また尖先が鍔に当って磨耗したため、取り替えを余儀なくされた。
結局、休憩の後の5回目の激しい撃ち合いのとき、モーラス氏が激しく攻め立て、それに応戦したランドー氏の剣がモーラス氏の右腕にかなり深く突き刺さったのである。血がほとばしり、モーラス氏は医師たちに傷を見せた。診断の結果、傷は明らかに戦いの続行には不利益と判断されたため、決闘は取りやめとなった。
両氏は和解の言葉なくそれぞれに立ち去った。

出典Crédit:©BNF-Gallica #618830 « Le Petit journal » No.17147, le 7 Déc. 1909
画像Crédit:©BNF-Gallica #5526611 « Touche à tout » No.1; Jan. 1910

[ Ψ 蛇足 ]
20世紀に入っても決闘が頻繁におこなわれ続けている。文筆家同志の批判の応酬が「ペンから剣へ」と発展するのだが、かといって「腕で」片をつけることが本当の意味で決着と言えるのかどうか?どんなことをしても割り切れなさは残るのではないだろうか。ある意味では「戦争のむなしさ」にも通じる。

シャルル・モーラス(Charles Maurras, 1868-1952)は、思想的には君主制の復帰を望み、反ドレフュス派として盛んな論議を戦わせた。1899年以降、国粋的な政治団体「アクシォン・フランセーズ」(L'Action Française)を結成し、その中心人物として同名の機関紙を発行し、愛国運動を牽引した。介添人のリュシアン・モロー(Lucien Moreau, 18xx-1932)もその主要な一員で、出版人ラルースの親族にあたる。
対戦相手のジャック・ランドー(Jacques Landau)については詳細は今のところ見つからない。

**これまでの関連記事france100.exblog:批評家シュヴァッシュ対劇作家ベルンスタンの決闘(1909.10.27)
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by utsushihara | 2009-12-06 23:22 | 文芸、評論1909-10