フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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ウィサンブールに普仏戦争戦没者記念碑

1909年10月17日(日)f0028703_22514675.jpg

10月17日アルザスの古い町ウィサンブールにおいて、スパンネル氏を発起人とする戦没者記念碑の除幕式が行われた。その前日にはその戦いで戦死した司令官ドゥエー将軍と仏独両国の戦没者の墓地に巡拝する式典があった。記念碑はアルザスの彫刻家オットー・シュルツ(Otto Schultz, 1848-1911)の制作によるもので、《祖国のために死せるフランス軍兵士のために》« Aux soldats français morts pour la Patrie ! »と記されている。


ウィサンブールの戦いは1870年8月4日フランス第2帝政の命運をかけて開始された。しかしアベル・ドゥエー将軍(Abel Douay)率いる師団の9千人の兵士はドイツの皇太子軍4万8千人の圧倒的な兵力に屈したのだった。中でもガイスベルクでの第74戦隊のトルコ人兵士の英雄的な防戦は語り継がれる挿話となった。


出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.59; Déc. 1909
出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526304 « Touche à tout » No.11; Nov. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618780 « Le Petit journal » No.17097, le 18 Oct. 1909
画像 Crédit photographique:©BNF-Gallica #5738247 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.43; 23 Oct. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
アルザス・ロレーヌ問題は19世紀末から20世紀初頭にかけてのフランス人の《失地回復》への大きな願望と熱意として様々な形で表出された。この当時ドイツ領に加えられた地域《アルザス・ロレーヌ》ではフランス人はフランス人として生きており、直接フランスに結びつく催しや祭典、記念碑の建立などが根強く企てられた。

f0028703_22524170.jpg上記の「ウィサンブール」(Wissembourg)はアルザス最北端の旧国境に位置する古い町であり、1870年の普仏戦争で最初の戦闘が開始されたのもこの地点であった。

フランスでは1910年に普仏戦争の40周年を迎えることになり、上記のような記念碑が各地に建てられたり、戦争功労者への叙勲を行なったりなどの動きが出てくる。この記念碑で最もフランス人らしい意図が表れているのは、(←)記念碑の頂点に大きな雄鶏(ゴールの雄鶏=Coq gaulois)というフランスの象徴が置かれている点である。こうした「あからさまな」愛国心の主張はドイツ人統治当局からのいやがらせや妨害の動きを誘発させた。新聞の報道でもいざ明日が本番というときに、式典の開催を認めないという通知が事務局に寄せられて当惑したという記事も見られた。結局、ドイツ当局は「独仏両国の戦没兵士のために」という主旨で開催を認め、大勢の参加者がつめかけた。

*参考サイト:Site Officiel - Office de Tourisme de Wissembourg

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)バロン=ダルザスの頂上にジャンヌ・ダルク像 (1909.09.19)
(2)ナンシーの国際博覧会 (1909.06.20)
(3)併合ロレーヌの1870年戦没者記念碑(1908.10.04)
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by utsushihara | 2009-10-17 22:50 | フランス社会政経1909-10