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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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独飛行船『ツェッペリン3号』のベルリン訪問

1909年8月~9月独飛行船『ツェッペリン3号』のベルリン訪問_f0028703_182834.jpg

好天と微風に恵まれ、ツェッペリン3号(Zeppelin-III)は8月29日正午過ぎに無事ベルリンに到着した。市の中心部上空とテンペルホーフの演習場の上を高度150~200mで通り過ぎた後、テーツェル射撃場に着陸した。皇帝ウィルヘルム2世は搭乗するツェッペリン伯爵がゴンドラから降り立つのを待ちうけ、最初に握手をして飛行の成功を祝福した。軍楽隊が愛国賛歌「ドイツ、すべてに冠たるドイツ」を続ける中、皇族一行は搭乗員を歓迎し、ベルリン市長ベイッケ氏が公務員を代表して飛行船とツェッペリン伯爵(→)の栄誉を称える演説を行なった。
式典の後、皇帝はツェッペリン伯爵のほか、操縦士のコルスマン氏、機関士のデュルとコバーらの搭乗員を皇室主催の昼食会に招いた。宮殿の外には入場を許された群衆が集まり、皇帝と伯爵が演台に何度か立ち現われると歓呼の声と賛歌で包まれた。この飛行船は民衆の愛着心の対象であり、伯爵はあたかも英雄であった。

独飛行船『ツェッペリン3号』のベルリン訪問_f0028703_18283432.jpg
ツェッペリン3号は29日の夜11時24分に南西方向の母基地フリートリヒスハーフェンを目指して離陸した。30日朝、飛行船はウィテンベルク付近のバルジッヒに緊急着陸を余儀なくされた。前面の2番目のプロペラが破損して飛び散り、その破片が飛行船の本体に穴をあけ、ガスが抜けてしまったのである。錨と砂袋を捨ててバランスを保ちながら飛行を続けることはできたが、着地して修理するほうを選んだ。デュル技師は電信を打ち、補修部品と修理工員を派遣するよう要請した。修理には約2日間かかる見込みである。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102985 « Je sais tout » No.57; Oct. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618731-32 « Le Petit journal » No.17048-49, le 30-31 Août, 1909

[ Ψ 蛇足 ]
フリートリヒスハーフェン(Friedrichshafen)はコンスタンス湖畔の町。ヴュルテンブルク侯の夏の離宮があった。地名の由来は、1811年領主フリートリヒ1世が古来修道院のあったホーフェン村と自由市ビュヒホルンを併せて新しい町を作ったときに命名された。
飛行船はその存在感は人々を圧倒させるが、風雨や事故に対して非常に脆弱な機体であり、操作の扱いにくさからも、やがて飛行機にとって代わられる運命にあったと予見できる。

**これまでの関連記事france100.exblog:飛行船「ツェッペリンZ-II」の不時着(1909.06.02)
by utsushihara | 2009-09-01 18:25 | 科学、軍事、海事1909-10