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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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飛行船《バヤール=クレマン》号の墜落

1909年8月23日(月)

飛行船《バヤール=クレマン》(Bayard-Clément)号はこれまでしばしばパリの上空を飛行するのが見られたが、23日の朝、原因不明の事故によりセーヌ川に墜落した。飛行船には3人搭乗しており、3人とも泳いで無事に救出され、また機体の全壊は免れた。損傷はかなり重大であったが修復可能の範囲にとどまった。
飛行船《バヤール=クレマン》号の墜落_f0028703_9131774.jpg

《バヤール=クレマン》号は半月ほど前にロシア政府に譲渡が決まっていた。その最終的な引渡しの前にいくつかの条件を満たす必要があった。飛行船がある高度を保って飛行することもそのチェック・ポイントの一つであり、少なくとも高度1200m以上のところを十分な時間安定して航行しなければならない。この確認作業を実施するために早朝、ロシア使節団代表のナッシュ大佐がサルトルーヴィルの飛行船基地を訪れた。
午前6時半に《バヤール=クレマン》号は格納庫を出た。天候は晴れ、すべての望ましい条件を満たすには絶好の日であった。操縦士としてよく知られたカパッツァ氏が機体を操縦し、ナッシュ大佐と機関士のディラセ氏が乗り込んだ。出航前の点検後、飛行船は優美にそしてかろやかに青空に浮かび上がった。それからいきなり1500mの高さまで上昇し、その高度を安定させるのに成功した。
飛行船は2時間以上のあいだ、高度を1300m以下に下がることなくとても安定して航行を続け、操縦士の手のままに忠実に従った。《バヤール=クレマン》号は初めのうちはメゾン=ラフィット(Maisons-Laffitte)付近の上空を飛んでいたが、それからウィユ(Houilles)やヌィイ(Neuilly)をかすめ、クレマン社の工場の敷地の上で何回か旋回してみせた。こうして確認飛行は非常に満足すべき結果で終わろうとしていた。午前9時頃、飛行船は着陸のため出発地点へ戻った。
しかしながらその時突如、大気の状態が急変した。暴力的な風が地上から吹き上げ、降下した飛行船を繋ぎとめる艫綱を引く役割の20人ほどの兵士はうまく引き止めることができなかった。何度かの試みの後、突風に煽られた飛行船は地面すれすれにセーヌ川に向かって飛び、中洲に不時着を試みる前に水面に着水した。3人の乗組員はゴンドラが川に落ちると同時に脱出した。幸いにも川岸からは7~8mのところであり、泳ぎの巧みなカパッツァ氏とディラセ氏がナッシュ大佐を助けながら無事岸へと泳ぎ着いた。

出典 Crédit:©BNF-Gallica #5526285 « Touche à tout » No.8; Août, 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618725 « Le Petit journal » No.17042, le 24 Août, 1909

飛行船《バヤール=クレマン》号の墜落_f0028703_913445.jpg[ Ψ 蛇足 ]
(←)ルイ・カパッツァ(Louis Capazza, 1862-1928)はコルシカ島のバスティア出身の飛行家。

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)フランス飛行クラブの夜会(1908.06.10)
(2)イタリア軍の新型秘密飛行船(1908.08.16)
by utsushihara | 2009-08-23 09:12 | スポーツ、乗物、探検1909-10