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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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日刊紙「プチ・ジュルナル」が募集した保養地「オステンド」旅行

1909年8月日刊紙「プチ・ジュルナル」が募集した保養地「オステンド」旅行_f0028703_1620678.jpg
当「プチ・ジュルナル」紙の企画によって先般(7/14)実施されたベルギーのオステンド旅行が大好評を得たのと、それに参加希望しながらも満員のため果たせなかった方々の気持を考慮し、当紙はこの素晴しい海浜保養地で一日を過ごす新たな旅行を企画することにした。行程は下記の通りである:

8月14日(土)午後11:00 パリ北駅出発
8月15日(日)午前 5:10 オステンド着
 駅到着後、旅客はホテルに案内され、すぐに朝食と休憩。食事の内容は、カフェ・オ・レ、プチパン2個、バター付。午前8:00~11:00までオステンド海岸の散策。
 その後、同じホテルで昼食。午後2:00 カジノ・クルサール(Kursaal)(↓ 画像)でのコンサートに入場
 午後6:00 同じホテルで夕食
 午後11:00 オステンド発
8月16日(月)午前5:45 パリ北駅帰着
 その他の余った時間は旅客の完全な自由行動で、市内見学など楽しめる。
日刊紙「プチ・ジュルナル」が募集した保養地「オステンド」旅行_f0028703_16204777.jpg
料金は一人当たり
3等車利用 19.50フラン
2等車利用 25.00フラン
料金に含まれるのは特別列車の往復切符、食事3回分、海岸の散策、クルサールの入場料、あらゆるチップ込み、参加記念バッジとなっている。

申込みは8月2日から当新聞社の窓口で午前10時から正午まで、午後2時から6時まで受付ける。あるいは郵便書留で、パリ市ラファイエット街61番地、「プチ・ジュルナル」社あて送られたい。
座席に限りがあるため、この素晴しい海浜リゾートへの旅行への機会をお見逃しなく、早めのお申込みをお勧めする。

日刊紙「プチ・ジュルナル」が募集した保養地「オステンド」旅行_f0028703_16211963.jpg出典Crédit:©BNF-Gallica #618703 « Le Petit journal » No.17020, le 2 Août, 1909
画像 Crédit photographique:Wikipedia Fichier:Embankment and entrance to the Kursaal, Ostend, Belgium, ca. 1895 (3063887311).jpg
http://fr.wikipedia.org/wiki/Fichier:Embankment_and_entrance_to_the_Kursaal,_Ostend,_Belgium,_ca._1895_(3063887311).jpg
地図画像 Crédit topographique:©2010 Google – 地図データ ©2010 Tele Atlas

[ Ψ 蛇足 ]
新聞社がその購読者を対象とした募集旅行を企画することは、日本でもかなり最近まで、特に地方の主要紙が事業の一つとして続けていた。(今でも続いているかも…)掲載した記事はその初期の旅行形態を示すものとして興味深い。募集型の団体旅行が催行されるには、鉄道網の整備、観光地の施設の充実などが前提だが、ベル・エポック時代になってその条件がやっと整ったところであったようだ。
上述の旅程にしても、事実上車中泊2回、現地無泊という強行軍のスケジュールであった。しかも列車はまだ寝台車ではなく、座席に座ったまま仮眠する夜行列車であっただろうし、現地でもホテルのロビーで休めても部屋には入れないで1日を過ごすことになる。
それでもこうした旅行は中産階級にとっては奮発すれば支出可能な金額であったらしく、人気の的となった。さらに富裕な人々に対しては、今で言えば《延泊プラン》と称する現地宿泊のオプションも提示していた。

オステンド(Ostende)はベルギーの海浜リゾートとして古くから知られていた。現代フランス人の頭で言えば、「ドーヴィルやトルーヴィル、あるいはエトルタやフェカンがあるのにどうしてわざわざ…?」と思うかもしれないが、「列車で行く外国のリゾート」という企画にうまく大衆が飛びついたせいかも知れない。

*参考サイト:Wikipedia(仏文)Ostende
by utsushihara | 2009-08-13 16:18 | フランス社会政経1909-10