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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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エヴリー=プチブールの城館で強盗と銃撃戦3時間

1909年8月12日(木)
エヴリー=プチブールの城館で強盗と銃撃戦3時間_f0028703_10273039.jpg
小ぢんまりとした美しい町エヴリー=プチブールは鉄道リヨン線でコルベイユの手前に駅がある。ここが昨夜大きな騒動に見舞われた。この町の中でも最も立派で麗しい「コタージュ」(Cottage)城館に昨夜、武装した6人組が侵入したのである。
この町は丘の中腹に作られており、傾斜の多い町として知られている。坂の途中にあるシャトー通りが町の中心であり、教会のほかは見事な邸宅が並んでおり、庭園や菜園が石壁で仕切られ、実際に人々が暮らしている。シャトー通り6番地にあるこの「コタージュ」館は長い間住人が住み続け、現在では96歳になる寡婦のクレマィイ夫人(Mme Crémailly)が5人の孫とその妻たちとで暮らしている。つまりこの城館には使用人を除いて11人が暮らしていたことになる。ここは4年前にも一度盗賊に入られたことがあり、多くの金品が持ち去られていた。

深夜午前1時半ごろ、パリ発午前0時15分の夜行列車がいつもの騒音とともにエヴリー駅に到着したのだが、「コタージュ」の住人は近隣の犬たちが気が狂ったように吠え立てるのを聴いて不審に思い、起き出して見た。
強盗たちは裏道のロン・ポワン通りの塀に梯子を掛けて乗り越えるために列車の騒音を利用しようとしたのだ。クレマィイ夫人の5人の孫たちはいずれも20~30歳代の男たちであり、それぞれの部屋の窓辺に寄り、菜園に侵入した6人の人影を認めた。強盗たちは見つかっていないと思い込んだまま館のほうに這い寄った。
その時「コタージュ」の窓々から一斉に銃が発射された。住人たちは彼らを追い払うために発砲したのであって、狙い撃ちはしなかったのだが、驚いた強盗たちは自分たちに向けて撃たれたと思い、2つの拳銃で応戦した。銃弾は窓の近くの壁に食い込んだ。これだけ多くの銃声が起きれば隣人たちも目を覚まさずにはいられない。同じ通りの8番地と10番地に住むギシャール氏とルノー氏が窓を開け、大声で「コタージュ」の住人に応援が必要かとたずねた。そして彼らもすぐに6人の姿を見つけ、菜園の方に銃を放った。
強盗たちは広い菜園の茂みの中に巧みに身を隠し、おとなしくして周囲が静けさを取り戻したときに逃走しようとしているように思えた。ところが住人と隣人たちは、賊の一人でも姿が見えたと思ったらすぐに銃を撃ち続けた。それは午前4時頃まで続いた。
エヴリー=プチブールの城館で強盗と銃撃戦3時間_f0028703_1028265.jpg平穏な町エヴリー=プチブールでは興奮した住民たちの間ではこの話で持ちきりとなった。幸いにも双方ともに負傷者は出なかった。

出典Crédit:©BNF-Gallica #618713 « Le Petit journal » No.17030, le 12 Août, 1909
地図画像 Crédit topographique:©2010 Google – 地図データ ©2010 Tele Atlas

[ Ψ 蛇足 ]
新聞記事の見出しは、「エヴリー=プチブールの城館への襲撃」(Attaque d’un chateau à Évry-Petit-Bourg)、「真夜中の3時間に及ぶ銃撃戦」(Trois heures de fusillade dans la nuit) となっており、まるで西部劇のような事件であった。犯人たちが逮捕されたという記述がないので、逃走したものと思われる。
「コタージュ」(Cottage)は、英語の「コテージ」から来た外来語で、別荘、小屋、の意味は同じである。
エヴリー=プチブール(Évry-Petit-Bourg)は、現在ではエヴリー(Évry)だけとなっている。パリ南東のセーヌ川沿いの近郊都市の一つである。
by utsushihara | 2009-08-11 10:26 | フランス社会政経1909-10