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フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


by utsushihara

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ルーヴル百貨店の創業者ショシャール死去

1909年6月5日(土)ルーヴル百貨店の創業者ショシャール死去_f0028703_2349239.jpg

ルーヴル百貨店の創業者の一人であり、億万長者であったアルフレッド・ショシャール氏は6月5日死去した。彼は相当な金額と数量を誇る絵画と装飾品の収集家としても知られたが、そのほとんどをルーヴル美術館に遺贈した。また、独身生活を送った彼には遺産相続人がおらず、その莫大な遺産は遺言により親しい友人や使用人たちに分け与えるか、さまざまな慈善団体への寄付となった。受贈者としては、元文部大臣だった政治家のジョルジュ・レイグ氏、フィガロ紙の編集長ガストン・カルメット氏、ブルサン夫人などが挙げられる。
葬儀はマドレーヌ寺院での告別式のあと、ペール・ラシェーズ墓地までの葬列に物見高い大勢の人々が沿道に集まり、念入りに用意されていた豪華な装飾の霊柩車を見送った。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.54; Juil. 1909
画像Crédit photographique:©BNF-Gallica #5526278 « La Revue hebdomadaire et son supplément illustré » No.25; 19 Juin, 1909

[ Ψ 蛇足 ]
アルフレッド・ショシャール(Alfred Chauchard, 1821-1909)は実業家として、仲間のオーギュスト・エリオと共にルーヴル美術館の近くのリヴォリ街に面したグラン・オテル・デュ・ルーヴルの一階で店舗を構え、「ギャルリ・デュ・ルーヴル」と称していた。折しも産業革命の進展と万国博ブームで、パリでは消費文化が急速に拡大し、あちこちにデパート(グラン・マガザン)が開業した。彼らも新たにパレ・ロワイヤル広場に面したビルを買い取り、2年の改装工事のあと1877年にデパート「レ・グラン・マガザン・デュ・ルーヴル」(ルーヴル百貨店)を開店した。ショシャールらは巨万の富を築いた。このデパートは、エミール・ゾラの小説『ボヌール・デ・ダム百貨店』のモデルともなった。

ルーヴル百貨店の創業者ショシャール死去_f0028703_23494220.jpgその後1879年にエリオが死去し、後継者に経営権が移ると、理由は不明だがショシャールは1885年に株を譲渡し、経営から手を引いた。それからは美術品の収集や文化人との交遊を深め、例えばバルビゾン派の巨匠ミレーの名画「晩鐘」が米国の美術館に売られそうになるのを、高値で競り落として買い戻したりした。

(←)画像はパリ8区ヴェラスケス通りの自邸を出てロンシャンの別邸に赴くありし日のショシャールの姿である。

*参考サイト:
(1)Wikipedia(仏語)Grands Magasins du Louvre
(2)Les Grands Magasins du Louvre - Paris 1er(仏語)写真でたどる変遷
(3)Wikimedia commons; Fichiers multimédias dans la catégorie « Grands Magasins du Louvre »
(4)BNF-Gallica Exposition de “Au bonheur des Dames” de Zola(ゾラの小説の挿絵展)

**これまでの関連記事france100.exblog:デパートのお歳暮広告(1908)(1908.12.07)
by utsushihara | 2009-06-05 23:48 | フランス社会政経1909-10