フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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詩人カチュル・マンデスの不慮の死

1909年2月8日(月)
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高名な詩人のカチュル・マンデスは2月7日深夜、原因不明の鉄道事故で死去した。彼はサン・ジェルマン=アン=レィの町をこよなく愛し、住居を変えながらもこの町に長い間暮らしていた。約1年ほど前からは独り暮らしをしており、信頼できる家政婦のリュエラン夫人のみが出入りしていた。日曜日の午後一杯、春先に上演する予定の劇作の仕上げに取組んだあと、詩人は家政婦にこれからパリに出て夕食を取るので、最終の列車で帰るからと言って出かけた。家政婦は夜食用のスープを用意してから自宅に引き下がった。

月曜の朝5時頃、サン・ジェルマン=アン=レィ駅の照明係フーシェ氏がパリ行きの2番列車のランプを点けに新しいプラットフォームを点検しに歩いていると、駅付近のパルテール・トンネルの出口に引き裂かれて血だらけになった死体があるのを発見した。フーシェ氏はすぐに駅の副長オーメーストル氏を呼びに行き、彼は何人かの駅職員とともにランタンを手に駆けつけた。死体は無残な姿で確認されたが、顔ははっきりと見分けることができ、副長はそれが何度も鉄道を利用している詩人であることを認めた。
死体は駅の執務室に運ばれ、警察の捜査と検死が行なわれた。被害者のチョッキのポケットからはパリのサン=ラザール駅からサン・ジェルマン=アン=レィ駅までの1等車の切符が見つかった。彼は0時13分発の列車に乗ったに違いなかった。当該車両の検分も行なわれたが、1等車の車室の扉が破損はないものの、かなりの衝撃を受けた痕跡が見つかった。

カチュル・マンデスの遺体はそのあと病院に運ばれ、洗い清められてから自宅に運ばれた。知らせを受けたマンデス夫人、息子、実妹がパリから駆けつけ、悲しみの対面をした。このニュースがパリに伝わるや人々に大きな悲しみをもたらした。
遺体は9日午前、荼毘にふされ、すぐにパリのマルゼルブ大通り160番地に運ばれた。葬儀は10日午前10時から行なわれ、文学・芸術界の多くの人々が参列した。享年67歳だった。

彼は1841年ボルドーの生まれ、文学界には1853年の『ある夜の物語』(Roman d’une nuit)で登場した。彼は文芸のすべての分野で活躍し、最も有名な著作として小説は『童貞王』(Le Roi vierge)、『メフィストフェラ』(Méphistophéla)、詩集では『葡萄畑のつぐみ』(La Grive des Vignes)、『灰溜の燠火』(Les Braises du Cendrier)、戯曲では『スカロン』(Scarron)、『グラティニー』(Glatigny)、『アヴィラの聖女』(La Vierge d'Avila)が挙げられる。またジュルナル紙における彼の演劇評論は数巻にまとめられている。

出典Crédit:©BNF-Gallica #102984 « Je sais tout » No.50; Mar. 1909
出典Crédit:©BNF-Gallica #618529 «Le Petit journal» No.16846, le 9 Fév. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
彼の死因に関してはしばらく後まで「事故死」、「殺人」、「自殺」などの可能性の検証が続けられたが、事故死として落ち着いたようである。
カチュル・マンデス(Catulle Mendès, 1841-1909)の作品は、日本では短篇と詩作のわずかな紹介しかされていない。上記の代表作の他、オペラの台本でも多くの仕事をしている。

*参考サイト:Wikipedia(和文)カチュール・マンデス

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)奇才詩人「グラティニー」の上演(1906.03.17)
(2)サラ・ベルナールの凱旋公演(1906.11.10)詩劇「アヴィラの聖女テレサ」
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by utsushihara | 2009-02-07 17:35 | 文芸、評論1909-10