フランス国立図書館(BNF)のデジタル書庫"Gallica"で見つけた百年前の月刊誌「ジュセトゥ」(Je sais tout=私はすべてを知る、という意味)や新聞「フィガロ」(Figaro)等から記事や画像を紹介。(現在1910年で進行中)


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ポール・タファネル死去

1908年11月22日(日)

優れたフルート奏者であり、パリ音楽院の教授であり、オペラ座の指揮者であったポール・タファネル氏は11月22日パリで死去した。彼は1844年ボルドー生まれ、パリ音楽院でフルートを学び、16歳で首席で卒業した。その後和声法、対位法を優秀な成績で修了したが作曲には進まず、フルートの名手としての地位を確立した。2年ほど前に病気のため引退し、長患いをしていた。享年64歳だった。
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出典Crédit:©BNF-Gallica #102983 « Je sais tout » No.47;Déc. 1908
出典 Crédit:©BNF-Gallica #288283 « Le Figaro » le 23 Nov. 1908
出典Crédit ©BNF-Gallica #039751:Larousse mensuel illustré, revue encyclopédique / No.23 Jan. 1909

[ Ψ 蛇足 ]
ポール・タファネル(Paul Taffanel, 1844-1908)は現代フランスのフルート演奏の伝統の基礎を作った人物とされている。彼に関する日本語のサイトも少なくない。下記に引用したのは、タファネルが病気引退する直前の1906年頃で、彼がオペラ座で優れた指揮者の一人として脚光を浴びていたのを垣間見ることができる。彼の後任としてアンリ・ビュッセルがオペラ座の指揮者となった。

***アンリ・ビュッセル著「パリ楽壇70年」、©池内友次郎・訳編、音楽之友社刊より引用
[第9章] 1905年11月28日:
(…)この指揮台をその後半世紀ちかくにわたって占めたのである。オーケストラの幾人かの奏者は私の旧友であったが、それにもかかわらず、私の感動は大きかった。それはラムルーやコロンヌやタファネルのような大家たちによって指揮されてきた著名なオペラ座のオーケストラなのであった。(…)
[第9章] 1906年4月18日:
(…)劇場内では、近く辞任するタファネルのあとを狙ってオーケストラ指揮者(歌唱指揮者や合唱指揮者)たちが、私に「黄禍」という渾名をつけていた。それは、私の日本人のような顔色のせいでもあったが、主として、自作の舞踊曲上演のために私が指揮台に立ったことが羨まれる機会をつくったからである。そしてやがて結果が出た。4月18日、タファネルの依頼により、ゲラールは(…)私に「アルミード」を指揮させた。(…)私は弱冠三十歳を超えたばかりであった。

*参考サイト:Wikipedia(仏語)Paul Taffanel

**これまでの関連記事france100.exblog:
(1)ポール・デュカの「アリアーヌと青髭」初演(1907.05.10)音楽院の管弦楽科教授だったタファネルの後任はデュカ
(2)新演出による歌劇「ファウスト」上演(1908.01.27)作曲者グノーのテンポをポール・タファネルがメトロノームで記録
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by utsushihara | 2008-11-22 23:39 | オペラ、音楽、演劇1907-08